蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

スコール 前篇

短編

クレフとその人との間には、私が入り込めないものがある。そう感じた。

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 よく晴れた日だった。東京と同じように、セフィーロでも桜がそこかしこで咲き乱れていて、歩くたびにあの、甘じょっぱい独特の香りが鼻をついた。『精霊の森』を歩きながら、私はその香りを吸い込むように伸びをした。

 日本人と桜は切っても切り離せない関係にあるとよく言われる。日本人の根底に流れる「諸行無常」の考え方に、儚く散ってしまう桜の姿が重なるらしい。難しいことはよくわからないけれど、確かに、桜を日本からなくしてはいけないとは思う。特に桜に纏わる思い出があるわけでもない私でさえ、桜を見るとどことなく感傷的な気分になる。しかも、それが決して厭な感傷ではないのだ。懐かしいものを思い出すような、それこそ甘じょっぱい気持ちだった。セフィーロの人にとっての桜は、いったいどんな存在だろう。そんなことを考えていると、遠くの方で波が打ち付ける音がした。

 足を止め、軽く辺りを見回した。今いるところからは茂る木々と青い空しか見えないが、耳をすませば確かに波の音が聞こえる。近くに海があるのかもしれない。私は音を頼りに歩き出した。木々の間を縫い、木漏れ日の作る影を踏むようにしながら進んだ。波音が少し大きくなったと思ったそのときだった。急に目の前の視界が開け、まばゆい光が目に飛び込んできた。私は思わず呻き、腕で顔を覆った。

 目が慣れるのを待って腕を取った。そうしてみて、私はようやく眩しさの正体を知った。
「綺麗……!」
 言葉が口をついて出た。眼下に広がる翡翠色の海が、惜しげもない輝きを放っていた。波に太陽の光が反射して、ダイヤモンドのようにきらめく。それこそが眩しさの正体だった。私は目を細めた。その波に乗って、イルカのような動物が数匹遊んでいた。切り立った崖に波が打ち付けるたびに、白い飛沫が上がる。背後からは桜の香りが、前からは潮の香りが漂ってきて、まるで全身が自然と同化したかのような錯覚を覚えた。

 不意にその景色に違和感を抱いた。「違和感」というほど大袈裟なものではないかもしれないが、何か不自然な感じがした。すぐにはそれが何なのかはっきりと告げることはできなかった。私はじっと目を凝らした。まるで間違い探しをしているような気分だった。何度か目を往復させた後に一度瞬きをした。そして私は「あ」と声を漏らした。波に乗っているイルカたちの中で、一頭だけ、波に乗らずに(というか、波の上に浮かんで)いるイルカがいた。

 よく見ると、そのイルカは確かにイルカの形をしているけれど、ほかのイルカたちよりも体の色が薄かった。そして背中に人を乗せていた。彼の姿を認めた途端、私の胸は高鳴った。純白のローブが潮風に靡いて後ろに長く伸びている。あのローブって、実はあんなに長かったのね。いまさらのようにそんなことを思った。おかげで彼がまったく違う人のように見えた。イルカの背に乗っていたのは、クレフだった。

 何してるのかしら、そんな海のど真ん中で。私は崖の上から目を凝らした。クレフは一見、何をするでもなくただそうしてイルカの背に乗っているように見えた。時折彼のところへ寄っていくイルカたちに笑顔を向けたりしているけれど、ほかにはせいぜいじっと水面を見つめているくらいで、何もしていない。

 声を掛けようかどうしようか迷っていると、ふとクレフが表情を変えた。それまでの真剣さが嘘のように、彼は屈託なく微笑んだ。押し殺していた感情を解き放つかのような笑みだった。その笑顔を見て、私は心に漣が立つのを感じた。そんな風に笑うところ、見たことがあったかしら。記憶を手繰り寄せたが、思い出せなかった。
 その笑顔を浮かべたまま、クレフがイルカの上で身を屈めた。そして杖を持たない方の手を、海面へ向けてすっと伸ばした。

「あっ……」
 私は思わず身を乗り出した。クレフが手を伸ばした海面から、別の人の手が伸びてきたのを認めたからだ。ほっそりとした手を掴み、クレフがその人をイルカの上へと引き上げた。イルカの背に腰を下ろしたその女性を、私は一度も見たことがなかった。

 銀に近い水色の長い髪は、濡れて背中に張り付いている。豊満な胸元を隠すものがその長い髪だけだったので、私は思わず顔が赤らむのを感じた。すらりとした肢体は、同性である私から見ても息を呑むほどに美しい。下半身にはパレオのような長いエメラルドグリーンの巻物を身に着けていて、それがことさら、腰から下のラインを妖艶に見せている。まるで人魚のようだと思ったけれど、その人は、想像していた人魚より数倍も美しかった。

 彼女とクレフは、イルカの上に佇んだままとても親しげに会話を交わしているようだった。離れているので話の内容までは聞き取れないが、二人の仲が今に始まったものではないことは、そこに漂う雰囲気やクレフの表情を見ただけで一目瞭然だった。私は息苦しさを覚えて思わず胸元をぎゅっと握りしめた。たとえばプレセアなんかと話しているときとも違う。クレフとその人との間には、私が入り込めないものがある。そう感じた。しかし、だからといってどうしてこんなに胸が苦しくなるのか、自分のことなのによくわからなかった。いろいろなことに戸惑っていた。見たことのないクレフの笑顔にも、特別な感じが満載の二人の仲にも、そして、私自身の気持ちにも。


 時折海面を覗き込みながら、二人は会話を続けていたが、私の視線に気づいたのか、それまでこちらに背を向けていた女性がふと顔を上げ、まっすぐに私を見た。まるで私がここにいることをあらかじめ知っていたかのように、彼女はぴくりとも表情を変えなかった。綺麗な青い瞳と視線がぶつかって、私は鼓動が速くなるのを感じた。逸らせない強さが、彼女の瞳にはあった。

 彼女の視線の先を追うようにして、クレフも何気なくこちらを見上げてきた。女性とは対照的に、クレフは私が立っているのを見つけると目を見開いた。女性が口元だけで不敵に笑った。そしてクレフの方へ向き直って何か言った。それに対してクレフが言葉を返すと、女性は目にも留まらぬ速さで再び水中へと潜っていった。その流れるような身のこなしは、ほんとうに人魚と見紛うようであった。

 潜っていく女性を見送っていたクレフが、再び顔を上げた。彼と視線がぶつかって初めて、私は動揺している自分自身に気づいた。
 戸惑い、視線を揺らがせる私とは対照的に、クレフは穏やかな表情を崩さない。彼は一度私から視線を外し、軽く杖を振った。その動きに合わせて、イルカが尾をはねながら水面から浮上する。クレフを乗せたまま、イルカは驚くほどのスピードでこちらへ向かって来た。どうしよう、と思う間もなくクレフは私の目の前までやってきて、イルカから崖に飛び移った。
 くるりと踵を返したクレフが杖を体の前に掲げると、イルカがしゅるんと杖の宝玉の中に納まった。それを見て、私はようやく納得した。あのイルカがほかのイルカと違って見えたのは、クレフの精獣だったからなのだ。

「ウミ」
 杖を引いて、クレフが何の前触れもなく私の方を振り向いた。
「来ていたのだな」
「えっ! え……ええ、ついさっき着いたところよ」
 突然目が合ったのでどぎまぎした。不自然な言い方をしたのでクレフは一瞬面食らったようだったが、すぐに破顔し、「そうか」と言った。
「……今日は、少し風が騒いでいる」
 軽く天を仰ぎ、クレフが独り言のように呟いた。
「風が?」
「ああ」とクレフは頷いた。「天候が崩れるかもしれない」
「うそ。こんなにいい天気なのに」
 私は思わず空を見上げた。変わらず広がっている抜けるような青空を見る限り、私には、これからこの晴天が崩れるなんていうことは想像できない。「風が騒いでいる」とクレフは言うが、セフィーロを吹き抜けている風に普段と違うところがあるのかどうかさえわからなかった。たぶん、今どきの高校生でそんなことがわかる人は一人もいないだろう。

「小一時間もすれば、スコールになるだろう。すぐにやむとは思うがな」
 空を見上げたまま、クレフは言った。
「波も、わずかだが荒れている。『娘』もそう言っていた」
「『娘』?」
 私はクレフの方を見て首を傾げた。
「人魚の娘のことだ」と彼は言った。「お前も見ただろう。彼女は、セフィーロの海を司る精霊の愛娘なのだ。ときどきああして、私に海の様子を教えてくれる」
 クレフの横顔が本当に穏やかに微笑んだので、私はどきりとした。同時に、先ほどイルカの上に乗りあがった女性と目が合ったときのことが脳裏を過った。「人魚のようだ」とは、確かに思った。でもそれは、冗談のつもりで考えていたことだった。それがまさかほんとうに人魚だったなんて。


 二人の間に沈黙が流れた。私は、自分でもわからないうちに何だかすっかり気分が沈んでしまって、何を言ったらいいのかわからなくなった。そんな私の様子に気づいたのか、空と海の境目のあたりを見ていたクレフが、きょとんとしてこちらを振りかぶった。
「どうした、ウミ」と彼が問うた。私はしばらく答えあぐねていたが、混乱した頭では気の利いた答えも思いつけなかった。諦めて、なげやりに答えた。
「……ううん、なんでもない」
「なんでもない、という顔をしていないが」
「なんでもないって言ったら、なんでもないのよ!」
 思わず声を荒げると、クレフがびっくりして目を見開いた。
「ほんとうにどうしたのだ」とクレフが訝しんだ。「私は何か、お前の気に障るようなことをしたのか?」
「違うったら!」と私はまた叫んだ。「もういいの。クレフは、精霊たちと仲良くやってればいいわ」
「ウミ――」
「クレフなんて、大嫌い!」
 そう言ったのが私自身の口だという事実を、私はすぐには飲み込めなかった。停止した思考で瞬きをした。それでも、この場にはクレフと私の二人しかいないのだから、私以外に「クレフなんて大嫌い」なんていうことを言う人間がいるはずはなかった。
 数秒遅れで、私ははっと息を呑んだ。困惑の色を湛えたクレフの大きな瞳が私をまじまじと見返す。その瞳は、彼の背後に広がる雄大な海原と同じ色をしていた。
「……っ……」
 私は我を失っているのだと、そのとき初めて気が付いた。それ以上クレフの傍にはいられなかった。さっと踵を返すと、私は『精霊の森』へ向かって一目散に駆け出した。
「おい、ウミ――!」
 切羽詰まったクレフの呼び声がしたが、立ち止まることはできなかった。心が、自分でコントロールできる範疇を完全に超えていた。感じたことのない気持ちが次から次へと溢れ出してくる。その気持ちを向けるべき先を見つけられなくて、私はただ走ることしかできなかった。


 木漏れ日がないな、と気づいたのは、クレフの声も、波の音も聞こえなくなるほど遠くまで走ったころのことだった。
 すっかり上がってしまった息を整えようとようやく立ち止まり、首をもたげて天を仰いだ。そうして思わずはっと目を瞠った。さきほどまではあんなに真っ青な空が広がっていたのに、木立の間から覗くそれは、いつの間にか曇天と化していた。
 ぽたり、と冷たいものが頬に落ちる。そして次の瞬間、土砂降りになった。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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