蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

スコール 後篇

短編

「大嫌い」なんて、ほんとうに嫌いな人に対してでさえも口にしたことがなかった。

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 セフィーロ城まで走ろうと思ったのだが、とても無理だった。バケツをひっくり返したような雨とはきっとこういうことを言うんだと、心から納得できるほどの勢いがあった。おかえで私はあっという間にびしょ濡れになってしまった。慌てて辺りを見回して、私は一番葉っぱの量が多そうな木のふもとへと急いだ。

 そこへ向かったのは、ほんの気休めのつもりだった。こんな雨、たかだか一本の木では防げないに決まっていると思いつつも、何もないよりはいいだろうということで足を向けただけのことだった。ところが、いざそこに辿り着いてみて私は驚いた。確かに雨粒は落ちてくるが、その量は雨漏り程度のものだったのだ。思いがけず、いい雨宿りの場所となった。

 クレフが言ったとおりになったなと思った。あのときは、まさかほんとうに雨が降ってくるとは思ってもいなかった。彼はスコール程度だろうと言っていた。彼の見立てが正確なら、この雨はきっとすぐにやむだろう。心配するまでもなかった。クレフは間違ったことは言わない人だ。ここで大人しく雨宿りをしているのが賢明だろう。私はふっと息をつき、頬に貼りついた髪をはがした。

 枝先や葉先から落ちる雨粒よりも、私の髪や袖から落ちる雨粒の方が量は多いようだった。それほどずぶ濡れだった。脇の下や胸元など、場所的に雨が当たらないようなところは辛うじて乾いているが、そういったところにも水分が沁みていくのは時間の問題だろう。私はとりあえず、水を含んで重たくなった髪を絞ったが、それだけだった。濡れた服をどうにかしようとはしなかった。そもそも着替えを持っているわけでもないのに、どうすることもできないのだった。
 雨とはいえ、気温はさほど低くない。この程度で風邪を引くこともないだろう。勝手にそう判断して、私は濡れた体のまま木の幹に凭れ掛かった。雨の音を聞きながら、思わずため息をついた。

 風はない。だから雨は空からまっすぐ地面に向かって叩きつけるように落ちている。まるで私をあざ笑っているかのようだった。自分勝手なことばかり言うから、こうして罰が当たるんだよ。少し頭冷やしなよ。
 うるさいな、もう。と心の中で答えて、私は目を閉じた。目を閉じても、あざ笑う声は聞こえ続けた。ほんとうに聞きたくないのなら耳を塞ぐべきなのだろうけれど、そうしてしまえば負けを認めることになる気がして、私は背中で両手をぎゅっと握った。だいたい、あざ笑う声が言うことはほんとうにそのとおりだった。

 本気で雨を避けたいなら、クレフのところへ戻るべきなのだろう。彼はきっと魔法を使って、雨に濡れないようにしてくれる。でも、とてもそんな気にはなれなかった。自分で自分の口にした言葉に傷ついていた。「あれ」はほんとうに私が、私自身が言った言葉だったのだろうか。視線を落として地面の水たまりを見つめた。映り込んだ顔が、落ちてくる雨粒のせいで容赦なく歪んだ。

「……どうして、あんなこと言っちゃったのかしら」
 私は呟いた。
 「大嫌い」なんて、ほんとうに嫌いな人に対してでさえも口にしたことがなかった。冗談だとしても、もしかしたら誰に対しても言ったことのない言葉だったかもしれない。そんな言葉を、どうして先ほどよりにもよってクレフに向かって言ってしまったのだろう。「言った」というより、言葉が口をついて出た、という感じだった。あのときの私は、どうかしていた。

 ふっと零れた笑みは、とても乾いた笑みだった。
 今になってようやくわかった。私はあのとき、クレフが「娘」と呼んだあの人魚に嫉妬していた。

 クレフが「娘」に向けた笑顔が、海の心をかき乱した。彼は確かにいつも穏やかな顔をしているけれど、あんな風に心底楽しそうに笑ったところを見たことがあったかと問われれば、自信を持って肯定することはできなかった。『柱』を巡る戦いが終わってもう二年が経つ。でもこの間、心からの笑顔を浮かべているクレフを、私ははたして何度見ることができただろう。
 クレフはいつも優しい。優しいけれど、それ以上のことは何もない。それでいいと思っていたし、それでいいのだと、私は自分自身に言い聞かせていた。私とクレフの間には決して越えてはならない一線のようなものがあって、それはいつまでもそこに存在しているべきものだと信じ込んでいた。

 クレフは、精獣や精霊たちといるときはほんとうに柔らかい顔をする。「娘」も、海を守る精霊の娘だといっていた。それならば、クレフがあんな笑顔をしたのも頷ける。頭ではそうわかっているのに、それでも私は、気分が沈むのを止められなかった。私もいっそのこと精霊になりたい。そう思って、次の瞬間、なんてばかなことをと呆れた。
「子どもっぽすぎて、笑っちゃうわね」
 越えてはいけない一線は、確かに存在していたのかもしれない。けれど私は、もうとっくにその一線を越えていたのだ。その事実に気づいていないだけだった。精霊相手に嫉妬するのも、クレフの見たこともないような笑顔を見て淋しく思うのも、思わず「大嫌い」などと口走ってしまうのも、すべては、クレフのことが好きだからなのだ。


「やっと見つけた」
 完全に自分の世界に入り込んでいた私は、突然聞こえた声に文字どおり飛び上がった。
「きゃっ!」
 飛び上がったときの反動で雨粒が飛んだ。慌てて声がした方に目を向けると、一歩離れたところにクレフが立っていた。

 私は突然の彼の出現に驚き、訝しんだ。この雨の中歩いてきたのならその足音で気づくはずなのに、今の今まで、私は彼が迫っていることに気づかなかった。だが、それは疑問に思うことさえばかばかしいことだとすぐに気づいた。クレフの全身はほんのりと淡い光を放つ球体に覆われており、その球体が雨を弾いていた。そしてその球体は地面と接着していなかった。そのシャボン玉のような膜に覆われたまま、クレフはここまで移動してきたのだろう。彼の体はどこも濡れていなかった。そういえば、クレフは魔法使いだった。いまさらのように思った。

「言っただろう、『風が騒いでいる』と。まったく……ずぶ濡れではないか」
 呆れたように眉尻を下げ、クレフがすっとこちらへ近づいてくる。木の下までやってきたクレフが杖をさっと一振りすると、私の体は強いつむじ風に包まれた。その風の強さに思わず目を瞑った。まるで巨大なドライヤーの冷風に吹かれているようだった。肌があちこちへと引っ張られている感じがした。

 やがて風を感じなくなり、私は恐る恐る瞼を開いた。すると私の体からは雨が完全に取り除かれていた。どこを触ってもすっかり乾いている。濡れて背中にべったりと貼りつき、重くなっていた髪も、さらさらになっていた。
「あ……ありがとう」
 ぎこちなく言った私に、クレフは満足げな笑みを浮かべた。もう一度杖を振るうと、彼を包んでいた膜が消えた。地面に降り立ったクレフは私の隣にやってきて、こともなげに空を見上げた。その事実に、私は慌てた。
「クレフ!」と私は叫んだ。「魔法で濡れないようにしていたんでしょう? それなのに、今度はあなたが濡れてしまうわ」
 ところがクレフは、そんなことは気にしないとでも言うかのように愉快そうに笑い、私を見上げてきた。
「だいじょうぶだ」と言って、彼は空を見上げた。「じきにやむ」
 確信めいたその言い方がそうさせるのか、疑うことを知らないその澄んだ瞳がそうさせるのか。どのような理由にせよ、クレフが言うことは、どんなに疑わしいことであってもほんとうにそのとおりになるのだろうという気がするから不思議だった。

 急速に気持ちが落ち着いていくのを感じて、私はふっと息をついた。後ろで手を組み、クレフと同じように空を見上げた。相変わらず雨は強く降り続いていて、やはり私の目にはその空が「じきに晴れる」ようには見えない。ふと、クレフの目にはこの世界はまったく違うように映っているのかもしれないと思った。今なら彼は、この世界を「美しい」と言ってくれるだろうか。


 どうして怒らないの? と心の中で訪ねた。隣から感じる今のクレフの気配は、いつもと何も変わらない。あんなにひどいことを言ったにも拘らず、まるで先ほどの会話など行われなかったかのように、クレフはあくまでも「普段どおり」を保っている。
 そんなことを考えていると、まるで私の心を読んだかのようなタイミングで、クレフが口を開いた。
「危うく、お前に嵌められるところだったな」
「えっ?」
 素っ頓狂な声を上げて、私はクレフを見下ろした。彼は悪戯な表情を浮かべて含み笑っている。だがその真意がまったくわからず、私は一人取り残されたような気分になった。嵌められる? いったい、何のこと?

 どぎまぎした私を、クレフがにやりと見上げてきた。ぶつかった視線にどきりとする。心臓の音が聞こえはしなかっただろうか。そんな不安が一瞬頭を過った。
「いつもいつも、お前には怒られてばかりだからな、『いい加減に異世界でのいべんとを覚えろ』と。だが、今回は騙されんぞ」
 クレフの言葉に、私は目を丸くした。
「ちょちょちょ、ちょっと待って、クレフ。いったい何の話なの?」
 私たちは一瞬、互いの目を見合わせて沈黙した。
「まさか、忘れたわけではあるまい」と、クレフは不可思議な顔をして言った。「お前は私に、『大嫌い』と言ったではないか。それも、何の脈絡もなく」
 私は思わず言葉に詰まった。
「い……言ったけど、でも、それが何だって……」
「とぼけずともよい、ウミ」とクレフは言った。「今回ばかりは思い出したのだ。今日は、お前たちの世界では『えいぷりるふーる』と呼ばれている日だろう」
「え……」
「『えいぷりるふーる』は嘘をついてもよいとされている日だと、記憶しているぞ」
 私は絶句した。途切れた会話の隙間に、雨音が無遠慮に入り込んできた。それでも私は、それを咎める気にもなれなかった。

 クレフの言うことは正しかった。今日は東京では四月一日で、まさに「エイプリルフール」だ。ただ、私はたった今このときまで、今日がエイプリルフールだということを失念していた。
 この二年間、一度だってクレフにイベント日を先に指摘されたことなどなかった。クリスマスもバレンタインも誕生日も、全部私が教えていた。全部私が教えて、全部私のやりたいようにやってきた。それなのに。

「だから、もうそんな顔をして私を騙そうとする必要はないと言っているだろう」
 私の沈黙をどう捉えたのか、クレフは苦笑いをしてそんなことを言った。そして、何かに気づいたようにふと視線を逸らすと、目を細めて一歩前へ歩み出た。
「上がったようだ」
 クレフの声につられて、私もまた空を見上げた。そして大きく目を見開いた。つい今しがたまで続いていた雨音はいつの間にか止み、空は明るくなってきていた。天を覆っていた鈍色(にびいろ)は瞬く間に風に流されていき、鮮やかな青が交代する。その変化は、私の心にあの、二度目の戦いの後にセフィーロが美しく蘇っていく過程を思い起こさせるほどだった。


「戻ろうか。皆で昼食にしよう」
 言って、クレフが先に歩き出そうとした。私はほとんど反射的に彼の肩を掴んだ。
「……ウミ?」
 立ち止まったクレフが、驚いて私を見上げた。
「あなたが好きなの」
 勢いのままに言った。それこそ、言葉が口をついて出たのだった。
 大きく見開かれ、見たこともないほど強い「戸惑い」を映した瞳で、クレフが私をじっと見返した。そうして呆れるほど長い時間が経ったころ、クレフが不敵に笑って、肩を掴んでいた私の手にそっと触れた。
「それも、嘘か?」
「――!」
 ボンッと顔が赤くなったのが自分でもわかった。クレフに手を触られたということの恥ずかしさと、告白をしてしまったのだという恥ずかしさが相まって、いまさらながらどうしようもないほど気持ちが昂った。そんな私の表情を見て、クレフは「ははは」と声を立てて笑い、私の手を肩から剥がすとそのまま一人歩き出した。

 取り残された恰好になり、私はようやく、クレフにからかわれたのだということに気づいた。
「もう……」
 思わず脱力し、その場でしゃがみ込んだ。誤魔化したのだ、クレフは。さっきの告白、彼にとっては不意打ちのはずだったのに、その前の「エイプリルフール」の話を利用して。
 まったく、なんて人。
「何をしている。置いていくぞ」
 私の気持ちを知っているくせに、クレフはそうして気づかないふりをする。後姿が明らかに楽しんでいて、私は「いーっ」と歯を出して睨みつけた。

 それでも、その後にはつい頬が緩んでしまう。今度は言い訳のできない日に告白しよう。そう決意して、私は立ち上がった。
 雨で湿り気を帯びた空気を、爽やかな風が吹き攫っていく。台風一過の日のようだった。
 先ほどまでの通り雨が嘘のように、美しい木漏れ日が『精霊の森』を照らしている。
「待って、クレフ!」
 私はぬかるみをものともせず、クレフのもとへと駆け出した。雨で散った桜の花びらが、風に乗って空を舞う。甘じょっぱいその香りは、私の今の気持ちそのもののようであった。


スコール 完





というわけで、エイプリルフールネタでした。
プラスして、福山雅治の『Squall』をベースにしています。というより、『Squall』を聞いていて思いついたネタを無理矢理エイプリルフールとくっつけました。
ここまで読んでくださってありがとうございました^^

2013.04.01 up / 2013.07.12 revised




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