蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

恩寵 後篇

短編

『柱』を巡る戦いが終わって以来、クレフはよく笑うようになった。

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 歩いている間、クレフは終始無言だった。海もまた、その静寂を破る権利は自分にはないような気がして、何も喋らなかった。ただそれは、たとえば息が詰まるような静けさかといえばそうではなかった。クレフといるといつもそうだ。沈黙することが苦にならない。それに加えて、ここ『精霊の森』ではその名のとおり精霊や精獣たちがあちこちを闊歩しているから、完全に音が途切れるということがなかった。そういうことも手伝って、クレフと海の間を流れる沈黙はごく自然で、凪いだ海のように穏やかだった。

 どれほど歩いたのかわからないほど歩いていると、突然、茂っていた木々が目の前から姿を消した。海とクレフは断崖絶壁の上にいた。驚いた海はそこで立ち止まり、背後を振り返った。するとそこにはちゃんと『精霊の森』があって、海たちがいるところは、その森から特別突き出ていた。どうやらクレフは、森の中を奥へと進んでいたのではなく、森を端から端へと通り抜けていたようだった。

 改めて目の前の景色を見た。斜めに切り立った崖は、海たちが立っているところの方が地面よりもせり出している。そのせいで、まるで眼下に広がる大海原に浮いているような感覚を覚えた。太陽の光が、水面をきらきらと輝かせる。ところどころが宝石のように光って、眩しかった。
「……綺麗……」
 言葉が口から零れ落ちた、というような感じだった。美しい国だと改めて思った。「平和」という言葉が具現化したような景色が、惜しげもなく目の前に広がっている。胸が熱くなった。

「おまえたちが齎してくれたのだ」
 突然クレフの声がして、海ははっと我に返った。クレフは海の隣に立ち、誇らしそうに景色を眺めていた。
「そうじゃないわ」と海はかぶりを振った。「私たちの力だけじゃ……」
 言いかけて、海は思わず目を見開いた。
「ちょ……ちょっと、クレフ?! 何してるのよ!」
 そして、弾かれたように身を乗り出し、クレフを止めようとした。彼は、持っていた花束から一本ずつ花を抜き、それを眼下の海原へ向けて投げていたのだった。驚かないわけはなかった。あの写真に写った人へのプレゼントであるはずの花を、まさか海に捨てるなんて。
 私が変な態度を取り続けていたから、気違いでも起こしたのかしら。海はそんなことまで考えた。だが、クレフには一見どこも普段と変わった様子はなく、ただ淡々と花を放り続けていた。その横顔を見ているうちに、海は何も言えなくなった。隣で立ち尽くし、クレフがそうする様をただじっと見つめていた。


 ほどなくして最後の一本を手から離すと、クレフは満足げにひとつ息をついた。
 片や海はといえば、完全に迷子になっていた。何がどうなっているのかさっぱりわからなかった。クレフはあの花を、写真に写っていた女の人にあげに行くのではなかったのだろうか。先ほど確かに、「この花を捧げるところへついてこい」と言ったと思ったのに。
 海はその場で膝を折り、地面に手をつくとそろりと崖下を覗き込んだ。白い花が真っ青な海に浮かび、何かの模様を描いているようにも見える。あんなに綺麗な花、手放すなんてもったいなかった。

「確かに、あの写真には私が写っている」
 徐にクレフが口を開いた。海は地面に膝をついたまま、上半身だけを起こして彼を見上げた。いつもより視線が近い。クレフはどこか遠くを見ていた。クレフの目にはきっと、この世界はまったく違うように見えているんだろう。そんなことを思いながら、海はこくりと頷いた。
「……知ってるわ。今よりずっと背が高くて、髪も長かった」
 クレフの部屋で見た写真を思い出す。あの写真の中のクレフは、海が見たこともないほどに幸せそうだった。

 『柱』を巡る戦いが終わって以来、クレフはよく笑うようになった。それでも、彼の笑顔は他の人とは違い、喜びを全身で表すような派手なものではない。控えめにひっそりと微笑んでいるというのが、いつものクレフの印象だった。だが彼の部屋で見た写真に写ったクレフの笑い方には、控えめなところはまったくなかった。幸せだということをそのすべてが訴えてきて、眩しかった。彼にもあんな風に笑っていた時代があったのだと思うと、海はクレフとの間に突然距離を感じた。きっともう、彼があんな笑顔を見せてくれることはないのだろう。そう思うと、胸が痛んだ。

 その大人の姿をしたクレフではなく、今目の前にいる少年の姿をしたクレフが、海を見返す。彼はふっと表情を緩めると、静かにかぶりを振った。
「違う」と彼は言った。「それではない」
「え?」
 海は一度瞬きをした。クレフが目を細めて遠くを見る。そして、
「私はあのとき、絹織物に包まれていた」
 静かに言った。
「……え?」
 海はまじまじとクレフの横顔を見やった。今一度写真を思い起こそうとしたが、そんなことはする必要もなかった。

 クレフは懐かしそうな目をして遠くを見つめたままだから、気づいていない。だが海にははっきりと見えた。クレフの背後にぼんやりと浮かぶ、男の人の姿が。
 その人は、海が写真で見たままの姿をしていた。長い薄紫色の髪に、宝石がちりばめられた白いローブ。クレフにそっくりな顔をしていたが、彼はクレフではなかった。海はほとんど悲鳴を上げそうになった。それをすんでのところで留めることができたのは、その人が、海に向かって口元に人差し指を立てたからだ。
「……おとう、さん……?」
 思わず言うと、クレフがはっと息を呑んで海を見た。海は慌ててクレフの背後に浮かんでいた人から視線を外し、クレフと目を合わせた。クレフはしばらくその表情に驚きを乗せていたが、やがてふっと息をつき、静かに微笑んだ。
「そうだ」とクレフは頷いた。彼の背後にいた人が、一度満足そうに笑い、静かに姿を消した。


 すべてのことがはっきりしたはずだった。それでも海はまだ混乱していた。事情がよく呑み込めていなかった。
 海は改めて、あのときクレフの部屋で見た写真を思い返した。あの写真には確かにクレフが写っているが、それはあの男の人の方ではなく、白い絹に包まれた赤ちゃんの方だという。そして、あの男の人がクレフのお父さんなのだということも、クレフは認めた。それでは、赤ちゃんを抱いていたあの美しい女の人は誰なのか。答えは明白だった。
 そもそも落ち着いてよく考えれば、あの男の人がクレフであるということはあり得なかった。男の人は確かにクレフにそっくりだが、瞳の色が、クレフのそれは綺麗な青色なのに、男の人は紫だった。そして、男の人に寄り添っていた女の人の目の形は、クレフのそれと瓜二つだった。

「教えただろう。あの花がそれぞれの色で持つ意味を」
 クレフが優しく言った。もちろん覚えている。海はこくりと頷いた。クレフが満足そうに笑った。
「白は、『心からの尊敬』を意味している。今日は、私の父の命日なのだ。この日はいつも、花をたむけることにしていてな。……父は、私が知る限りではもっとも強い魔導師だった。今でも心から尊敬している」
「……そうだったのね」
 海はほうっと息をついた。あの女の人がクレフの「特別なひと」ではないとわかって――もちろん、お母さんなのだからそういう意味では「特別な人」なのだろうけれど――、心底ほっとしていた。
 だが、ほっとすると同時に羞恥心が込み上げてきたことも事実だった。結局、すべては海の甚だしい誤解だったわけだ。クレフには隠し子もいなければ、奥さんもいない。あの写真は、クレフの家族の写真だから、あれほど大切に扱われているのだ。

 そこまで考えて、海は急に気づいた。隠し子の話をしたとき、フェリオは確かに、何かを知っているような口ぶりだった。もしかしたら、彼はこのことを知っていて、それを教えてくれようとしていたのではなかったのだろうか。
 フェリオだけではない。わざとらしく彼を遮ったプレセアも、知っていたのではないか。それをわざわざ知らないふりをしたのは、海がこうして自ら真実に辿り着くように仕組むためだったのでは。そうだとすれば説明がつく。フェリオが言いかけた「それはきっと」の続きは、「おまえが見たのは、導師のご家族の写真だ」ということだったのだ。
「……やられた……」
 ため息と共にがっくりと項垂れると、クレフがきょとんとした。
「なに?」
「ううん、なんでもない」
 苦笑して、海はかぶりを振った。クレフは納得がいかない顔をしていたが、海はそれ以上何も言わなかった。今考えていたことをクレフに説明しようとは思わなかった。これはべつに、彼は知らなくてもいいことだ。
 クレフも問い詰めてくるわけではなかったので、海は彼から視線を外した。海と空には境目がない。美しい景色に笑みが零れた。

 海は立ち上がり、軽く膝をはたくと伸びをした。悩んでいたことが誤解だったとわかって、とてもすがすがしい気分だった。
「ね、クレフ。戻ってお茶にしましょうよ。まだケーキも開けてないし」
 海はクレフを覗き込むようにして言った。甘いチーズケーキはクレフの口には合わないかもしれないが、海は今、その甘いケーキをクレフと二人で食べたい気分だった。

 クレフの答えを待たず、海は一人先だって歩き出した。目に映る景色が先ほどまでとはまったく違って見えた。気分次第で目に映るものまで変わるなんて、我ながらずいぶん現金だと思う。でも、海の気分をこんなにも変えることができるのはクレフだけだった。他のことでは、海はこれほど感情の起伏を激しくしたりしない。海の気分を決めるのは、いつだってクレフだった。

「待ちなさい、ウミ」
 そのまま『精霊の森』へ入ろうとしていた海は、しかし背後から呼び止められて立ち止まった。振り返ると、クレフはまだ崖の先に立っていた。海は驚いた。クレフの背後に、彼のお父さんが再び姿を現していたからだ。努めて気づかないふりをして、とりあえず海はきょとんと首を傾げた。クレフが笑った。
「おまえにも、渡したいものがある」
「え?」
 海が瞬きをした、そのときだった。クレフが杖を持たない方の手を空中へ高く伸ばすと、そこに花束が現れた。それを大事そうに抱えて、クレフがこちらへ向かってゆっくりと歩いてくる。海は瞬きも忘れて、クレフの手の中にあるものに釘付けになっていた。それは花束だった。先ほど彼が海に向かって投げたのと同じ種類の花でできていた。ただ、色だけが違っていた。

「教えただろう。あの花がそれぞれの色で持つ意味を」
 言われた言葉が耳の奥に蘇った。クレフが目の前で立ち止まる。お父さんが、彼を優しく見守っていた。亡くなってからも、そうしてずっとクレフの傍にいて、彼を加護してきたのだろうと思った。いちいち感動した。美しい景色にも、クレフが手にしている花束にも、クレフのお父さんが傍にいるということにも。

 お父さんがいることに、クレフは気づかない。彼は海のことだけを見ていた。そして優しく笑って、手にした花束を差し出してきた。
「教えてくれ、ウミ」と彼は言った。「焦がれていたのは、私だけか?」
 海は一度瞬きをした。すると一筋の涙が頬を伝い、差し出された花束の上に落ちた。赤い花弁が濡れる。海は震える腕を伸ばしてその花束を受け取った。クレフが答えを促すように首を傾ける。そっくりな顔をした彼のお父さんも、じっと海を見ていた。風が二人の薄紫色の髪を揺らす。

 海は唇を噛み、ふるふるとかぶりを振った。何か言わなければと思うのに、言葉が出てこなかった。それでも、首を振った海の態度を受けてクレフは破顔した。お父さんも同じように笑った。そうすると、二人はほんとうにそっくりだった。お父さんはゆっくりと一度頷き、音も立てずに消えていった。そしてもう二度と現れなかった。

 クレフが手を伸ばしてくる。その手で、花束を持っていた海の手を片方、そっと握った。
「おまえだけだ」とクレフは言った。「私がその花を贈りたいと思うのも、どうしようもなく焦がれるのも。おまえただひとりだけだ、ウミ」
 涙が止まらなかった。クレフの手を握り返して頷くのがやっとだった。何度も何度も頷いた。繋いだ掌が、真紅の花弁のように熱い。その海の手を引いて、クレフが甲に唇を寄せた。そしてゆっくりと顔を上げ、微笑んだ。

 クレフは確かに、思いっきりは笑わない。それでも、今目の前にいる彼を見ながら海は、そうして静かに笑っている彼のことが心底好きだと思った。彼のその笑顔だけが、無条件に海を喜ばせることのできるただひとつのものだった。
 海は精いっぱい微笑んだ。細めた目尻から涙が零れ、頬を伝った。焦がれていたのはいつだって、私の方だった。

 手を繋いだまま、二人はゆっくりと歩き出した。手にした花の甘酸っぱい匂いが鼻を掠める。遠くから、精霊と鳥が二人を見守っていた。穏やかな風が吹く、ある日の昼下がりのことだった。




恩寵 完





父の日ネタ……のつもりでしたw
母の日が海ちゃんのお母さんの話だったので、父の日はクレフのお父さんの話にしてみました。
クレフの告白は、きっと「好き」とか「愛してる」とかそういうストレートな言い回しにはならないだろうなぁと思って、そこから派生させた話です。
海ちゃんとラブラブになったら、クレフは笑ってくれると思います。ええ、それはもう、腹黒く(笑)
ここまで読んでくださってありがとうございました^^

2013.06.15 up / 2013.07.12 revised




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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