蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

聖前夜 4

中編

しかしそうは言っても、この男には一言言ってやらねば気が済まなかった。

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 ほんの幼いころ、まだ、無邪気に森を駆け回って遊ぶのが仕事と言ってもよかったころは、クレフは夜が嫌いだった。夜のセフィーロは、昼間とはまるで違う国のようになる。人間だけではなく、精霊も精獣も皆ことごとく眠りに就いてしまうから、この国の夜は不気味なほど静かだった。自分の息遣いさえ聞こえるほどで、クレフはたびたび父の部屋へ行っては、一緒に寝てくれるようぐずっていた。それが、いつからだろう。一転して夜が好きになったのは。

 もう思い出せなかった。少なくとも、父に代わって「導師」と人々に呼ばれるようになるころには、とっくに夜の方が好きになっていた。誰にも邪魔されない時間が心地よかった。昼間にあまりにも多くの人と接するせいだろう。夜の自分こそが本来の自分だと信じて疑わないようになった。

 そう考えると、もうずいぶんと長いこと夜の方が気に入っている。しかも、ここ最近はその傾向が一層顕著になっていた。昼など来なければいいと思うほどだった。
 白日の下に晒されてしまえば、どんなに隠そうとしても心の奥までスポットライトを当てられてしまっているような気になって、落ち着かなかった。それが、ひとたび夜風に当たれば、心の奥に燻るものもいつしか闇に溶けていってくれるのではないかと思えた。そんなことは残念ながらあり得ないのだけれど、それでも、夜の間だけでも自らの醜い欲望を忘れていられるのは心地よかった。日が沈むと、それだけで徳の高い人間になったように錯覚した。いつの間にか、夜の姿の方が本来あるべき「導師」の姿に近くなっていた。


 クレフは自室のベランダにいた。杖を片手に、手すりの手前に立ってじっと空を見上げていた。無数の星が瞬いている。いつもの穏やかなセフィーロの夜だった。星がときどきウィンクをする。そんなところにいないで、こっちにいらっしゃいよ。今にもそんな声が聞こえてきそうだった。すまないな、まだ行けないのだ。そのたびに、クレフは心の中でそう答える。そちらへ行けば、父や母にも会えるのだろうが、まだその気にはなれなかった。もう少し、生きることに執着していたかった。やりきれていないことが数多くあった。

「何をそんなに、恐れておいでなのです?」
 プレセアに言われた言葉が、耳に残って離れていこうとしない。どんなに振りほどこうとしても無駄だった。そしてその言葉は、考えているうちに、「導師なのに、恐れるのか?」という言葉へと変わっていった。違う、と即座に否定できない自分がいた。恐れている。呆れるほどに恐れていることがある。

 それでもクレフは、最終的にはその言葉に首を振っていた。「導師なのに」恐れているのではないからだ。今クレフが恐れていることは、「導師」として向き合ったことではなかった。ひとりの人間として、すべての飾りを取り払った、心の片隅に少しだけあるクレフ自身の自我が恐れているのだった。そしてその事実は、クレフを震え上がらせた。「導師」ではない自分など、もう何百年と、想像だにさえしてこなかったことだった。「自我」などとっくに失われたと思っていたが、そうではなかったようだ。

 そこまで考えて、クレフは自嘲気味に笑った。人として生きる以上、自我が失われることなどあるわけがない。そして導師にとって、「導師であること」と「自我」は、別々で存在してはいけないものだった。導師であることは導師の自我であり、導師の自我とは導師であることだった。

 先代である父は、最期の瞬間まで導師だった。導師であり、同時にひとりの男であり、そしてひとりの父であった。「導師」としての究極の姿が父だと思っている。そしてそれは、「導師」としても人としても理想だ。だが、クレフはクレフであって父ではない。父は器用な人だったが、クレフはそうではない。父にできたことがクレフにもできるとは限らない。
 思わずため息をついた。父に対して、その背中に追いつき追い越したいと思うことはあっても、こんな風に諦めの境地を抱くことはなかった。らしくないとクレフは思った。しかしその一方で、では「らしさ」とはなんだろうとも思った。私らしさとは? どうあることが私らしいというのだろう。私は、どう振舞うことが正しいのだろう。


「――!」
 心に浮かんだ疑問に答えが出る前に、クレフの耳はふと、微かな人の話し声を捉えた。
 クレフは眉間に皺をよせ、訝しがった。時刻はすでに深夜を回ろうかとしている頃合いだ。この時間に出歩く人間など、セフィーロでは皆無に等しい。太陽が沈むとともに休み、昇るとともに目覚める。そういう生活を、もう長いことこの国は続けている。たとえ四季ができたとしても、それは変わらないことだった。
 では、いったい誰だ?

「ちょっ……やめてって言ってるでしょ!」
 思いがけない声が、クレフの脳天をぶち破った。まず浮かんだのは「まさか」という言葉だった。反射的に拒絶感を抱いてしまい、一瞬、その場でくるりと踵を返して部屋の中へ戻ろうとするほどだった。しかし途中ではっと我に返り、クレフは激しくかぶりを振った。それこそ「まさか」、あの声を聞き間違えるはずがなかった。クレフは手すりに手を掛け、ぐっと身を乗り出した。

「落ち着け」と自分自身に言い聞かせながら、『気配』を懸命に探った。先ほどの声が聞こえた感じからして、そう遠くないところにいるはずだった。
 クレフの部屋のベランダからは、『精霊の森』が見える。最も手前の部分は正確には『精霊の森』の一部ではないが、それでも森であることには変わりなかった。そしてその森の中を二周したとき、クレフは気配を捉えた。そこに目を凝らすと、木立の隙間から、あの薄水色の髪がはっきりと見えた。やはり海だった。ところが、彼女はひとりではなかった。
「ええやないか、どうせ男もおらんのやろ?」
 男の声がした。妙に鼻につく喋り方だった。
「こないな時間に、ひとりでおってからに」
 クレフは目を疑った。森から逃げるように出てきた海に、声の主はまるでまとわりつくように絡んでいたのだった。
 浅黒い肌に、きっちりと束ねられた黒髪。背丈は海より頭三つ分は上だった。ラファーガとアスコットを足して二で割ったような印象があった。つまり、どっちつかずで中途半端だということだ。そんな男が、海に迫っている。眩暈がした。

「離してよ!」と海が叫んだ。「たとえ一生結婚できなくても、あなたみたいな人は願い下げだわ!」
 彼女は心底厭そうだった。それでも男は海を離さない。それどころか、表情を不気味に緩めて満足そうに口角を引き上げた。男の瞳に獣の色を見た瞬間、クレフの心は決まった。
「好きやで、あんたみたいな勝気な女」と言って、男が海をぐっと引き寄せた。「あんた、俺の女になりや」
「誰が!……っ、ちょっと! やめ……誰か! 誰か、助け――」
 気が付くとクレフはベランダを離れていた。杖を片手に強く握りしめ、揉み合う二人めがけて一気に飛び降りたのだった。気配を感じ取ったのか、男が海を引く手を緩めてこちらを見上げた。クレフと目が合うと、男はぎょっとして顔色を変えた。そして、文字では表すことのできない悲鳴を上げながら海から離れ、後ろに飛び退いた。その行動がなければ、クレフの踵が顔面を蹴り飛ばしていたところだった。結局クレフは、海と男との間に降り立った。

「何をしている」
 着地し、間髪容れずに立ち上がると、目の前の男を睨み上げた。男はクレフを改めて見て、意外そうに目を見開いた。そしてばつが悪そうにぽりぽりと頭を掻き始めた。
「何って……」と男はどもった。「かわいい子がおったから、ちょっと遊ばへんかなあ思っただけや」
 頭からつま先まで、クレフは一瞬で男の全身に視線を走らせた。間近で見たことによって、予測は確信へと変わった。その風貌と言葉遣いからして、彼はチゼータの人間に間違いない。年のころは海より少し上といったところか。惜しげもなく露出された腕の筋肉は男らしさを感じさせるが、一方で、その薄っぺらい顔つきはあまりにも頼りなかった。


 他国との交流が生まれたことには、プラスの面が大きい。だが、ごくたまにこうした弊害に出くわすことがある。ここ最近、チゼータからやってきた若い男が、セフィーロの女に声を掛けては遊び相手にしようとしているという噂を耳にしていた。護衛を増やしていたため、この数日間は被害を訴える声も届いていなかった。油断していたということもある。だが、まさかセフィーロ城の周辺にまでやってきているとは思わなかった。

 クレフは改めて男を見上げた。彼を全力で咎めることはできなかった。たとえそうしたいと思っていても、だ。
 チゼータは、元来国土が狭い。そのため、遊ぶ場所も、民の数も限られている。国交が樹立されたことにより、自国とは異なる国を知った彼らにとっては、セフィーロは恰好の遊び場なのだろう。

 最初のうちは、こういった弊害が生まれてしまうことも致し方あるまい。クレフはそう思っていた。皆、慣れていないだけだ。慣れればそのうちに火遊びも減ってくるだろう。セフィーロの民のことは護る。だが、実害さえ出ていなければ、こちらとしては、チゼータの者に処罰を与えるつもりはない。反省をして、二度と同じ過ちを繰り返さぬよう誓いを立ててくれたらそれでいい。チゼータの姫君たちにそう伝えていたのはほかでもない、クレフ自身だった。その手前、目の前の男を厳罰に処すわけにはいかなかった。約束を反故にすることだけはできない。それはクレフの矜持が赦さなかった。

 しかしそうは言っても、この男には一言言ってやらねば気が済まなかった。
「この少女には手を出すな」とクレフは言った。「セフィーロの民を傷つけんとすることは、この私が赦さん」
 ぴしゃりと言い放つと、男が面白くなさそうに口を尖らせた。そして両手を腰に当てると、身を屈めてクレフに迫ってきた。クレフは反射的に海を庇うように腕を広げた。男は面と向かうとほんとうに長身だった。加えてその色黒な肌が迫力を二割増しにする。しかしクレフはまったく意に介さなかった。海を護ることだけを考えて、毅然と男を見上げた。
「お前、なんやねん? ガキのくせしてけったいな言葉遣いしよってからに」と、男が吐き捨てるように言った。「せっかくその子とええ感じやったのに、邪魔すんなや」
「いい感じなんかじゃないわよ! そっちが勝手に絡んできただけでしょ?!」
 クレフの後ろで縮こまっていた海が、そのときばかりは身を乗り出した。クレフはちらりと振り返り、目だけで彼女を嗜めた。海はクレフの意図を酌んだようで、大人しく一歩後ろへ下がった。すると不意に、乾いた笑みが聞こえた。クレフは再び目の前の男を見上げた。
「お前、それでその子護ってるつもりなんか?」と男は笑った。「そんなちっこい体で」

 その瞬間、クレフは確かに自分のこめかみのあたりで何かが切れる音を聞いた。杖を握る手におのずと力が籠る。ゆらりと、どこからともなく吹いてきた風にローブがたなびいた。後ろで海が震え上がるのを感じたが、気にしなかった。今感じている怒りの標的は、彼女ではない。
 クレフは男を見返した。
「私は、この世界では彼女の保護者だ」
「保護者?」と男がからかうような口調で言った。「またまた、笑わせてくれるわ。保護されるんはあんたの方やろ、ボクちゃん?」
「いいから彼女には手を出すな」
 早口になって捲し立てると、男が一瞬目を丸くした。それでも次の瞬間には、へらっとした顔に戻った。
「仮に、ほんまに保護者なんやったら、そらなおのことや」と男は言った。「娘の恋路は、温こう見守ってやらんと。なぁ? ボクちゃん」
 どうやら何を言っても無駄のようだ。クレフは肩で息をついた。埒が明かない。クレフのイライラは最高潮に達していた。普段は感じないが、こういうとき、確かに自分は周囲に指摘されるように短気な性格なのかもしれないと思う。
「何と言おうと、とにかく、ウミはだめだ!」
 それが思っていたよりも大きな声になって、我ながら驚いた。目の前の男が、呆気に取られてぽかんとした。その一瞬の隙を突いて、クレフはくるりと踵を返しながらすかさず海の手を取った。
「行くぞ」
「え? ちょっ……クレフ?!」
「おい、待ちいや!」と男が叫んだ。「逃げるんは卑怯やないけ!」
 クレフは早足でその場を後にした。すぐに男の声は聞こえなくなった。クレフは海の手と杖をしっかりと握り締めたまま、一度も振り返らずただひたすらに歩き続けた。途中、何度か海が声を掛けてきたような気がしたが、そのほとんどはクレフの耳に入ってこなかった。

 正面から風が吹き付けてくる。強い怒りが、はらわたを煮えくり返らせていた。軽々しく無遠慮な男に対してでも、ひょっとしたら無防備であったかもしれない海に対してでもない。無力すぎる自分自身に対しての、強烈で、凶暴なまでの怒りだった。
「お前、それでその子護ってるつもりなんか?」
 男の言葉が、脳裏を席巻していたプレセアのそれに取って代わった。海の手を握った指が思わず強張った。この小さな手では、彼女を護れないかもしれない。そのことに、気づいてしまった。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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