蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

聖前夜 6

中編

今日、やってくるだろうか。クレフは大木から手を離し、ぐっと首をもたげて空を見上げた。

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 夜中から降り出した雨は珍しく朝になっても降り続いていて、なかなか止みそうにもなかった。せっかく一週間ぶりに異世界からの来訪者を迎える日だというのに、空も心無いことをする。それも今日は、あの、「惹かれ合う二人が互いの愛を確かめ合う日」だというのに。
 今のセフィーロの天候は、かつてのように誰か一人の『心』によって決められているわけではない。雲の流れが、自然の摂理が決めている。それでも、一日中雨が降り続くということは珍しかった。雨は大抵夜、皆が寝静まっている時間に降り、朝になると止んでいることが多かった。
 今日の雨は、なかなかすぐに止むようなものではなさそうだ。ひょっとしたら誰かが、人知れず涙を流しているのかもしれなかった。

 クレフはその雨の中、自室のバルコニーからすぐのところにある森の手前を歩いていた。ごうごうと激しく降る雨ではない。しとしとと、水面を歩くアメンボのような降り方をする雨だった。風はない。魔法で雨が当たらないようにはしていたが、それでも空気は湿っていた。肌にもう一枚膜が張られているかのようだった。だがそれが不快に感じられないのは、きっと、空気が凛と冷え切っているためだろう。

 少し歩いたところで立ち止まった。そこは一週間前にも訪れたところだった。チゼータからやってきた男に絡まれている海を助けるため、バルコニーから飛び降りたのだ。
 もうずいぶん昔のことであるような気がした。あのときは、男に生まれた一瞬の隙をついて逃げるという選択をしたが、今ならばきっとまったく違う選択をしているだろうと確信していた。ではどのような選択かと問われると咄嗟には答えられないが、少なくとも「逃げる」ということではなかった。その行動にはもう別れを告げた。二度としたくなかった。

 一週間前には気づかなかったが、すぐ傍に、幹の太い大木が聳えていた。そっと手を当てると、生きている鼓動がした。目を閉じると、深い温かさの中にいるかのようだった。ふと脳裏に、長い水色の髪を持った娘の後姿が現れた。彼女はゆっくりとこちらを振り返り、頬をうっすらと染めて照れ臭そうに笑った。
 クレフはゆっくりと目を開けた。彼女が浮かんだのは、きっとこの雨のせいだろう。海は、流れる水のような気配を纏っている娘だ。雨の匂いや川の匂いは、彼女のそれと同じだった。

 今日、やってくるだろうか。クレフは大木から手を離し、ぐっと首をもたげて空を見上げた。彼女がやってくるかこないか、その可能性は五分五分だとみていた。もちろん「来る」可能性に賭けているのだが、来ないとしても驚くべきことではなかった。彼女は見かけほどタフではない。先日のやりとりでは、きっと傷ついたことだろう。その傷がこの短期間で完全に癒えているとは考えにくかったし、だとすれば、今日はセフィーロへ来たくないと思ってもそれは責められることではなかった。クレフとしては、だからこそ来てほしいのだが、異世界との通信手段が何もない以上、彼女がこちらへやってくるまでは、気持ちを伝える手段など何もなかった。


 一週間前、クレフは案の定、海の見送りに行くことはできなかった。ようやく人前に姿を現すことができるようになったのは、その日の深夜になってからだった。切羽詰まったプレセアの声で目を覚ました。扉を開けて、何を言うよりも先に「もう海たちは帰ったか」と聞いたクレフを見て、プレセアは茫然自失していた。

 クレフは自らの手に視線を落とした。軽く、握ったり開いたりをしてみる。さすがにもう慣れてきたが、最初の一日、二日は、何をするにも動作が不自然になってしまっていた。おかげでランティスが笑いを堪えている場面に何度も遭遇した。そのたびに杖を持ち出してその頭を叩こうとしたのだが、それさえ、初めのうちは思うようにできなかった。

 指先が白くなっている。クレフはそこに向けて軽く息を吐き出した。指先へ辿り着く前に、その息が白くなる。道理で寒いはずだと、クレフは苦笑した。
 この雨が降り続けば、もしかしたら「雪」になるかもしれない。異世界では、寒い季節、ちょうど今ごろになるとその「雪」なるものが降るのだという。雨が結晶化したもので、純白で、積もると世界がとても美しくなるらしい。「雨が積もる」ということが感覚としていまいち想像することができなかったが、白いものが積もるというと、なんとなく納得できた。今吐き出している息も白い。透明なものは、温度が変わるときっと白くなるのだろう。


「誰?」
 もう一度指先に息を吹きかけようとしたとき、強張った声がした。顔を上げて、クレフは息苦しさを覚えた。焦がれ、待ち望んでいた人がそこに立っていた。彼女は暖かそうなコートに身を包み、傘をさしていた。ふと彼女の指先に目が向いた。赤くなっていた。異世界からやってきた彼女にとっても、今日のセフィーロは寒い部類に入るのかもしれない。クレフは黙って微笑んだ。
「来ないかと思っていた」
 はっ、と海が息を呑んだ。そして、傘を持たない方の手で、思わずといったように口元を覆った。「まさか」と彼女が言った気がしたが、よく聞こえなかった。
「クレフ……なの……?」
 今度ははっきりと、いや、はっきりと、というわけでもないが、確かにそう言うのが聞こえた。クレフは頷いた。信じられないとでもいうかのように、海が何度か緩くかぶりを振った。思ったことが正直に行動に表れる、それが海だった。そういうところに、憧れたのだ。
「どうして……?」と海は言った。「だって、そんな……」
 そんな、何なのかはわからない。しかし何だってよかった。彼女が今日、この世界に来てくれて、今ここにいるということ。それがすべてだった。

 クレフは一歩、彼女の方へ歩み寄った。すると海がびくっと肩を震わせた。怯えているようだった。瞳に困惑が滲んだ。
 そこで立ち止まり、弁明をすることもできた。だがクレフはそうはしなかった。言葉では伝えられそうもなかった。この一週間、再会したら何を言おうか、そればかりを考えてきたというのに、そのすべては徒(むだ)になりそうだった。癪に障らないでもなかったが、しかしそれはやはり、どうでもいいことだった。
「あ、あの……」
 慌てたように海が口を開いたが、そのときにはクレフはもう、彼女の目の前に着いていた。クレフは彼女の持っていた傘ごと、赤くなった手を握った。もう一方の手も合わせて、両手を自らのそれでしっかりと包み込んだ。
 海の手は冷たかった。それはつまり、クレフの手が温かいということだ。
 海の手は小さかった。それはつまり、クレフの手が大きいということだ。

「クレフ……」
 今にも泣きそうな声で海が言った。クレフは彼女と目を合わせた。そうするためには、彼女を見下ろさなければならなかった。そのことが嬉しくて、クレフは微笑んだ。
「ウミ」
 クレフは静かに口を開いた。
「今日という日を、私と過ごしてくれないか」
「え?」と海が大きく目を見開いた。クレフは彼女の手を撫でるように握りしめた。この手が今、何よりも愛おしい。
「今日は、『惹かれ合う二人が、お互いの愛を確かめ合う日』なのだろう?」
 海があっ、と口を開けた。そこから漏れ出たのはしかし空気だけで、彼女の口元で一瞬白くなってから、その息は空気に溶けていった。

 ゆっくりと瞬きをした海の瞳が、潤んで水晶のようになった。何も言わずにゆっくりと閉じられていった唇は、小刻みに震えていた。クレフは海の手を引き寄せ、その細い体を抱きしめた。彼女の手から傘が離れ、仰向けに地面に落ちた。雨が、そこに吸い込まれるように静かに降り続けていた。
「愛してる」
 クレフは言った。海の体が強張った。
「うそ」と海が言った。震える声が紡いだその言葉には、まったく説得力がなかった。クレフは思わず吹き出した。
「冗談でこんなことを言うか」
「だって」
「怒るぞ」
「でも」
「おい、ウミ」
 クレフは腕を緩め、海の体をわずかに離した。正面で向き合おうとすると、海は俯いて顔を上げようとしなかった。顎に手をかけ、クレフは無理矢理顔を上げさせた。思ったとおり、涙で顔がすっかり濡れていた。クレフはくすりと笑った。すると海が精いっぱい睨んできたが、その顔では迫力などあったものではなかった。
「雨で濡れたのよ」と彼女は言った。クレフは声に出して笑った。
「私は何も言っていないが?」
 途端にさっと頬を赤らめ、海は目を逸らそうとした。させじとクレフは、海の額に自らのそれを当てた。文字どおり目と鼻の先に、海の顔があった。
「ウミ」
「なによ」
「愛してる」
「……二回も言わないで」
「何度でも言おう」
「やめてって言ってるの」
「なぜ?」
「なぜって……」
「私が嫌いか?」
「……嫌いじゃないわ」
「でははっきりと」
「言えないわよ」
「どうして」
「恥ずかしいから」
「では嫌いだということになるぞ」
「嫌いじゃないってば……」
「もう、いい加減にしてくれないか」
 痺れが切れた。クレフは海をぐっと引き寄せて、彼女の唇を奪った。抗議の声を上げることも赦さなかった。胸板を叩く彼女の手が諦めるまで、クレフは海を解放しなかった。

 ようやく海が静かになって、クレフはそっと唇を離した。言葉にできなかった分まで、彼女の瞳が訴えかけてきた。
「ずるいわ、こんなの」と海は言った。今にもその瞳から、また涙が溢れてきそうだった。「いきなりここまでかっこよくなるなんて」
「それは、褒め言葉と受け取るべきか?」
 海は答えなかった。クレフは彼女の頬に片手を当てて、その瞳を覗き込んだ。
「それで?」とクレフは言った。「ずるいから、嫌いなのか?」
 頬を染めた海が、口を噤む。少しの沈黙が流れてから、彼女は憮然とした表情を作った。
「好きよ、残念ながら」と彼女は言った。「ばかみたいに好きよ。いつも毅然としてるのにほんとうは臆病なところも、誰よりも強いのに実は弱いところも、紳士的に振舞ってるのに隠れドSなところも、ぜんぶ好き。嫌いになれなくて困るくらい好き。屈辱的に好き」
 一息に言うと、海はふう、と一仕事やり終えたというかのように息をついた。そして上目遣いにこちらを見上げ、肩を竦めながら控えめに笑った。
 その彼女の頬に、白い綿のようなものが落ちた。それは落ちたと思った次の瞬間には消えてしまった。ああ、これが雪か。クレフは思った。こんな儚いものならば、悪くない。



聖前夜 完





最初にアップしたときとはまったく違う作品になってしまった今作。
特に最終話。たった一文を除きすべて書き直しました。もはや原形などどこにもありません。
5話まで散々なチキンっぷりを発揮していた導師様が、6話で一気に覚醒しました。
本来は、山下達郎の「クリスマス・イブ」をもとにした作品だったはずが……ん、あれ?
ま、いっか!(と、書き逃げ)

お粗末様でした。
ここまで読んでくださってありがとうございました^^

2012.12.08 up / 2013.07.12 revised




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篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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