蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

『あなたに抱かれたい』 6. 乱れる呼吸

海の日まつり 2013

彼女が幸せであるようにと、その瞬間、私はいつも願う。

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 海の存在は、端的に言うと体に悪い。「生きる」という目的だけを追求するのならばさして必要のない欲求を問答無用で呼び起こすし、「我を失う」という屈辱的な気持ちを抱かせ、私を窮地に陥れようとする。何よりも厄介なのは、そういったことを、彼女がほとんど無自覚のうちにやってのけているということだ。
 無自覚ほど怖いものはない。自覚がないということは恐れないということだからだ。

「やめて……」
 夜半に発せられるそういった類の言葉はまったく逆の意味に捉えられるということも、きっと彼女はわかっていない。眉間に皺を寄せて海がそう言うときは、もうどうしようもなかった。どう考えても情欲をそそっているとしか思えないその態度に、最初こそ理性を抑え込むので必死だったが、いつのころからか無意味な抵抗はやめようと諦めの境地を抱いたのだった。海の言う「やめて」は「やめないで」であり、「だめ」は「とてもいい」という意味だと、勝手に解釈させてもらうことにした。

 私だけが聞くことのできる甘い声がもっと欲しくて、執拗に攻め立てる。海の呼吸は次第に乱れ、肌はしっとりと汗ばんでくる。果てを迎えるその直前の彼女は、まるで奇跡の産物のように美しい顔をした。彼女が幸せであるようにと、その瞬間、私はいつも願う。虚ろな瞳で見つめてくる彼女の瞼に口付けを落とす、それがいつしか二人の合図になった。伸ばされてくる腕に呼応するように、私は彼女に覆いかぶさる。深い口付けを交わし、もっと、もっとと彼女を求めて――


「!」
 がばっと飛び起きた。どくどくとうるさい鼓動が耳に響く。肩を上下させて何度か呼吸を繰り返した。
 部屋はしんと静まり返っている。髪の毛先から滴が落ち、ブランケットに小さな染みを作った。そこでようやく肩の力を抜き、私は大きなため息をついた。髪を掻き上げると、地肌に触れた指が濡れた。窓辺に鳥が寄ってきて鳴いた。思わず苦笑した。
「なんて夢だ」
 脱力し、私はそのままベッドに倒れ込んだ。片腕を額に乗せ、ふう、と息を吐く。朝は訪れたばかりのようだった。カーテンの隙間から差し込む日差しは、まだほんのりと柔らかかった。

 そういう類の夢を見るのは生まれて初めてのことだった。700を50年も過ぎてから初めて見た夢は、恐ろしく生々しいものだった。まるでつい今しがたまで海がこの場にいたような気さえした。もちろん、彼女にはもうしばらく会っていないのだからそんなことはあり得ないのだが。
「まったく」と私は呟いた。「夢にまで出てくる必要はないだろう」

 壁に掛かった「カレンダー」というものに目を向けた。異世界ではよく使われている、日にちの流れを示すもので、一週間は七日、一か月は約30日で構成されていた。海に言われて、一日が過ぎるたびにその「カレンダー」にバツ印を書き込んでいた。最後にバツがついているのは、カレンダーの右端から二日目のところだった。ということはつまり、今日は、予定どおりならば海がやってくる日だ。

 そのせいだろうか、あんな夢を見たのは。それにしても、なぜ。
 もう二年もこうして「エンキョリレンアイ」というものを続けているが、こんな夢を見たことは一度もなかった。離れている間、どうしようもなく彼女に会いたいと思ったことは何度もあったが、そんなときでさえ、夢にまで見ることはなかった。
 何か普段と違うことでもあっただろうか。私は、前回彼女に会ったときのことに思いを馳せた。
「……ああ」
 そしてあっさりと思い出した。


「私、こっちで暮らそうと思うの」
 帰る間際に海は突然、何の前触れもなくそう切り出したのだった。意見を求めているような言い方ではなかった。暮らすことはもう決めましたから、心の準備をしておいてくださいね。そういう風であった。
「何をいきなり」
 突然のことに、そう言うので精いっぱいだった。
「いきなりじゃないわ」と海は言い放った。「ずっと考えていたことよ。それについて、今日ようやく決心がついたというだけよ」
 それを人は「いきなり」と言うのだ。そう思ったが言わなかった。いや、言えなかったのかもしれない。そのときの海の態度は頑なで、私が何を言ったところで彼女の決意が変わるようには見えなかった。
「べつに、あなたと一緒に暮らしたいなんてわがままは言わないわ。最初はまず、空き部屋で暮らすつもり。もちろん」
 言葉を区切って、海は頬を染めた。
「最終的には、あなたと暮らすことができたらいいんだけど」
 しかし、両親はどうするのだ。こちらで暮らすといっても、勝手がわからないだろう。ただ訪れるのと暮らすのとでは、わけが違うのだぞ。言おうと思えばなんでも言えた。ただ、どれも言葉にならなかった。
「勝手に決めてごめんなさい。でも私、もう無理なの。これ以上あなたと離れているなんて、できないのよ」
 最後にそう言って、海は異世界へと戻っていった。


 悪い意味で、私は大人になってしまったのだと感じた。彼女の言葉を素直に喜べない自分がいたのだ。
 海のことが何よりも大切だった。私の命を捨ててでも彼女の心は護りたかった。だが、いつでも手が届くほど傍に彼女が来てしまえば、気持ちを抑え込むことができなくなりそうで怖かった。『導師』という立場上、まだまだ未熟なこの世界で目を光らせていなければならないことは多いのに、それらをないがしろにしてしまいそうで怖かった。
 まったく聞いて呆れる。「怖い」などとは、セフィーロが崩壊の瀬戸際にあったときでも感じたことはなかったというのに。それだけ、たった一人の娘の存在が自分の中で大きくなっているということなのだろう。

 私はふっと息をついた。一週間前は、海の決意表明に対して満足な答えもできなかったうえに、隙あらば反対しようとさえしていたが、それが自らの心から逃げているためだということに、ほんとうは初めから気づいていた。無理なのは私の方だった。彼女の不在を、もうずっと、拷問のように思っていた。
 目覚めた瞬間のことを思い出して苦笑した。夢の中の海とは比べ物にならないほど、私自身が呼吸を乱していた。夢にまで見るほど焦がれている人と、かれこれ二年も離れて暮らすことができていたこと自体、賞賛に値する。

 体を起こし、ベッドから降りた。もう迷いはなかった。今日彼女がやってきたら、迎え入れよう。一度も言ったことのなかった、「おかえり」という言葉とともに。




『あなたに抱かれたい』 6. 乱れる呼吸 完




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