蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ゆめものがたり 3. 予兆

10万ヒット企画

両親の言葉は、ウミにとっては絶対だった。特に父のことを、ウミは誰よりも尊敬していた。

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 ページを何気なくめくると、見開き一面に描かれた真っ青な空の絵が目を惹いた。吸い込まれそうなその絵に、ふとウミは思った。あのひとの瞳の色も、この空と同じくらい、あるいはそれ以上に透き通るような真っ青だった。
 隠れ家のようにひっそりとしたあの湖の傍に、今日も彼はいるのだろうか。深い森の中にたった一人きりで、淋しくはないのかしら。
「ウミ王女! 聞いているのですか?!」
 短い杖が青空を叩いた。ウミは思わず肩を震わせた。条件反射的に顔を上げると、茹蛸のように真っ赤になったプレセアの顔がすぐ目の前にあった。斜向かいに座っていた彼女は、ぐっと身を乗り出し、手にした杖でウミの見ていた本を苛立たしげにつついていた。
 そのときようやく、今はプレセアによる歴史学の講義の最中だったということを思い出した。思わず苦笑して、ウミは言った。
「ごめんなさい。全然聞いてなかったわ」
 するとプレセアが一瞬、虚を衝かれたような顔をした。彼女は一呼吸置いてから杖を引っ込め、これ見よがしに大きなため息をついた。
「まったく。どうなさったのですか、王女。昨日からずっと上の空じゃありませんか。もっとも、私の話を聞いてくださらないのはいつものことですけれど」
 彼女は心底厭そうに言った。

 そんな刺々しいプレセアの嫌味も、今日はまったく気にならなかった。それよりも、彼女が言った「昨日から」という言葉が、ウミの心を浮つかせた。だからウミは、ふいと顔を逸らしただけで、プレセアの言葉には返事をしなかった。プレセアが意外そうに目を見開いているのが横目に映った。言い合いで、ウミがプレセアに負けたことは一度もなかった。だからいつもは、口を噤むのはプレセアの方だった。
 しまったな、と思ったけれど、いまさら後の祭りだった。これから言い訳をしたりしたら余計に不自然だろう。痺れを切らしたら負けよと、ウミはだんまりを決め込んだ。

 しばらくすると、ウミの手から本が取り上げられた。「あ」とウミは思わず声を漏らした。成り行きで顔を上げると、プレセアと視線が交わった。彼女は相変わらずのしかめっ面をしていたが、今日はなぜか、そのしかめっ面の奥に柔らかい感情が隠れているように感じた。そんな風に感じたことは、これまでに一度としてなかった。
「今日はここまでにしましょう」と、プレセアがそのままの表情で言った。「耳を傾けてくださらない人にするような話はありませんから」
「……わかったわ」
 ウミは憮然として答えた。そしてやっぱり、プレセアの奥に「柔らかい感情」などというものは存在しないのだと確信した。そんなものがあったとしたら、もうちょっとほかの言い方をしているはずだ。
 そういうことを、思うだけに留めて口に出さないようにした点は、我ながらずいぶん大人になったと思う。心の中で自画自賛しながら、ウミはプレセアが部屋を出て行くのを見送った。扉の前で礼儀正しく一礼して、彼女は去っていった。


 扉が閉まると同時に、ウミはため息をついた。その直後、物が何も置かれていなかったテーブルにティーカップが出現した。ソーサーには茶菓子も添えてあった。自然と笑顔になり、ウミは顔を上げた。
「ありがとう、フウ」
「とんでもありませんわ」
 空になった盆を手に、フウがにっこりと微笑んだ。

 すぐ傍には、つい今しがたまでプレセアが座っていた椅子があったのに、フウはその椅子には目を向けることもしなかった。彼女は、私を含めた王族の前では決して椅子に座ろうとしない。そんなフウのことを、「侍女の鏡だ」と誰もが称賛するが、ウミに言わせれば、そんな態度は他人行儀で厭だった。私といるときくらい、リラックスしてくれてもいいのに。ウミはいつもそう思っていた。何度そう言ってもフウが態度を変えることはなかったから、最近では専ら、言うのも諦めてしまっていたけれど。

「プレセアさんを怒らせるのは、あまり得策とは言えませんわ」
 フウが目尻を下げて言った。ウミはテーブルに肘を乗せて頬杖をつき、大きな窓の外へと視線を投げた。
「何かあったのですか?」とフウが聞いてきた。「昨日、私と別れたあと、あの森で」
 ウミは、顔は窓の方へ向けたまま、目だけでちらりとフウを見上げた。言うべきかどうか迷った。なにも隠すようなことではない。たまたま森の奥まで行ったら男の子がいて、その子と少しだけお喋りをした。ただそれだけのことだ。それでもなんとなく、人には話しづらいことだった。

 彼があの『導師クレフ』と同じ名前だから? そうかもしれない。でも、それだけではなかった。
「本家の血を引いているというだけでも、命を狙われる可能性はゼロではない。だからこの森で暮らしている。ここでは、誰と関わらずとも暮らしていけるからな」
 ウミの口を何よりも重くしているのは、クレフが言ったその一言だった。
 確かに、本家の血を引いている者が生きているなどと知ったら、ラメール家もフロイト家も、血眼になってその者を探し出そうとするだろう。クレフが常に命の危険に曝されているのは、そのとおりだ。でも、それならばなぜ、彼はウミにその事実を打ち明けたのだろう。クレフは、ウミがラメール家の王女であると知っていた。それならば、ウミが父に告げ口をするという可能性を考えてもおかしくない。にも拘らず彼は、ウミに対して平然と自らの身分を明かした。
 もちろんウミは、クレフのことを誰かに、まして父に言おうとは思っていなかった。王家の人間としては、それは間違った行動なのかもしれない。けれど、あのクレフが命を狙われると思うと、どうしても言えなかった。

「何もないわ」
 悩んだ末、ウミは結局そう答えた。
「ただ……不思議な湖を見たから、それを思い出していただけよ」
 フウに嘘をつくのはこれが初めてのことだった。そう思うと落ち着かない気持ちになった。けれど、話はどこから漏れるかわからない。幼いころから、何があっても情報管理だけはしっかりとしなければならないと教え込まれてきていた。フウのことを信頼していないわけではないけれど、クレフのことは、たとえフウ相手であっても喋りたくなかった。

「ですが、あれからずいぶんと、物思いに耽っておられる時間が長くなりましたわ」
 ウミは答えなかった。自分では聞こえないふりをしたつもりだったけれど、ずいぶん下手だと気づいていた。
 視界の隅で、フウの綺麗な栗色の髪が揺れた。その直後、
「もしかして」
 と、独り言のようにフウが言った。
「私が先に城へ戻ってしまったことを、怒っていらっしゃるのですか?」
「え?」
 ウミは顎から手を離してフウを見上げた。彼女は思い詰めた表情(かお)をしていた。最初は何を言っているのかわからなかったが、少し考えて、それが昨日のことを指しているのだと気づいた。ウミは思わず吹き出した。
「もう、フウったら」とウミは言った。「ばかなこと言わないで」

 やっと顔を上げたフウは、それでもまだ不安そうだった。そんな顔をさせたいわけではなかった。思いがけないフウの反応に、ウミは考えさせられることになった。彼女の不安を払しょくするためには、昨日の出来事を話すしかないだろう。気は進まない。でも、フウに不安を抱えたままでいてほしくはなかった。
 ウミは心を決めた。体を真っすぐフウの方へ向け、軽く足を組む。それぞれの肘掛けに腕を乗せ、腿の上で指を絡め、フウを見上げた。
「違うのよ、フウ」とウミは言った。「実はね――」
 ところが、ウミの言葉はそこで、ノックの音によって遮られた。フウが振り向き、扉を一瞥すると、ウミの方へ向き直って目配せをした。ウミは頷いた。フウが扉の方へ向かう。外から声が聞こえてきたのは、彼女が扉へたどり着くよりも前のことだった。
「申し上げます」と声は言った。「国王陛下が王女様をお呼びでございます」
「お父様が?」
 ウミは立ち上がった。フウが、扉とウミとのちょうど中間地点で立ち止まり、こちらを振り返った。顔を見合わせ、二人はほぼ同時に首を傾げた。食事時以外に父から呼び出されることなど、めったにないことだった。

***

 不穏な空気が大広間を包んでいた。思わず中へ入るのをためらってしまうほどだった。
 玉座に父と母が並んで座っている。その二人の目の前には、ラメール家きっての剣豪であり、家の親衛隊長を務めているラファーガが傅いていた。背を向けているラファーガの表情こそわからないものの、父と母の表情を見るにつけ、よほど深刻な話し合いをしているのだということは理解できた。

 ウミがやってきたことに最初に気づいたのは母だった。彼女の表情には、どこかほっとしたような色が浮かんだ。
「ウミ」と母が呼んだ。その声で、父もまた顔を上げた。
「ああ、ウミ」と父は言った。「ここへ来てくれ」
 彼はウミを招くように自らの腕を差し出した。するとラファーガがその場で立ち上がり、こちらを振り向いて敬礼をした。軽くお辞儀を返して、ウミは彼らのもとへ向かって歩き出した。遅れてフウも広間へ入ったが、彼女は入り口のすぐ傍で立ち止まったきり、それ以上近づいてこようとはしなかった。

 ウミが両親の目の前へ行けるようにと、ラファーガが横へ身を逸らしてくれる。ウミは玉座の前で立ち止まると、両親に向かって敬礼をした。
「急に呼び出してすまなかった」と父が言った。「勉学は進んでいるか?」
「えっ」
 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。気を取り直すように、ウミはいかっていた肩を下ろした。
「え、ええ。頑張ってるわ、お父様」
 両親は当然、ウミのごまかしに気づいたようだった。二人で目配せし合い、苦笑した。
「プレセアは気に入らないか?」と私に向かって言ってから、父は母を見た。「エメロードが、腕は確かな者だと言うから、おまえの教育係としたのだが」
「いいえ、お父様! プレセアは悪くないわ」
 ウミは慌てて言った。間違ってもプレセアを擁護するためではない。プレセアを選んだ母に、咎めの矛先が向かないようにするためだ。
「ただ、勉強は、どうしても身が入らなくて」
「きっと私に似たのね」と母が微笑んだ。「私も、勉強よりも、外で遊んでいることの方が好きな子どもだったから」
 母はいつもそう言うが、今の彼女からは、外ではしゃいでいる姿などとても想像できなかった。真っ青な瞳に綺麗なブロンドの母は、ウミにとっては自慢の母だった。

「外に出る方が、おまえの性には合っているのかもしれないな」と父が言った。「何なら、ラファーガの下について剣術を習うというのも検討できるが?」
「ザ……ザガート様! それはご勘弁を」
 慌てふためいたラファーガが、身を乗り出して言った。
「王女様に剣の指導など、もってのほかです。大切なお体に傷がつきでもしたら、私は死んでも死に切れません」
 その場にいた誰もが苦笑した。ラファーガはこういう男だった。生真面目で、冗談もろくに通じない。でも、その生真面目さがラメール家には不可欠だった。彼の揺るぎない忠誠心がラメール家を護っていると言っても過言ではなかった。言葉を交わす機会は少ないが、ウミはラファーガのことを慕っていた。

「冗談だ、ラファーガ」と笑って、父がラファーガからウミへと視線を映した。「ウミ。プレセアは厳しいかもしれないが、すべてはラメール家の世継ぎであるおまえの立場を鑑みてのことだ。わかるだろう。もう少し真面目に、勉学に励みなさい」
 厭です、とは言えるわけもなかった。私は頭を下げ、
「はい、お父様」
 と答えた。
 両親の言葉は、ウミにとっては絶対だった。特に父のことを、ウミは誰よりも尊敬していた。その濃紫の瞳ですべてを見透かし、常に王国の幸せのために最善の道を探ろうとしている父。いずれ彼の後を継いで統治者になる立場のウミは、いつも彼のようになりたいと思っていた。


 それにしてもお父様、私のことを、わざわざ「もう少し勉強に精を出せ」と説教をするためだけに呼びつけたのかしら。ウミは疑問に思った。確かにここ数日は、いつもに増して勉強をおろそかにしていたし、そのことがプレセアの口から洩れた可能性は大いにある。しかしそれにしても、この程度の話なら、夕食時の雑談に加えるくらいでよかったのでは。訝しがったウミだったが、ふと、父の膝の上に載っている藁半紙に目を留めた。

「お父様、それは?」と、ウミは藁半紙に視線を落として尋ねた。どうやら手紙のようだった。藁半紙の大きさから判断するに、位の高い人物からの書物だと見受けられた。
「ああ……そうだった」
 父は藁半紙を持ち上げ、言葉を濁した。珍しいな、とウミは思った。そんな風に言い淀む彼を見ることなど、日常生活の中ではほとんどなかった。ウミは彼を見上げた。そのウミを、父がまっすぐに見返してくる。彼は一度瞬きをしてから、言葉を探るように、ゆったりとした口調で話し出した。
「これは、フロイト家から届いたものだ」
「フロイト家?」
「ああ」
「フロイト家から書物が届くことなんてあるの?」
 目を丸くしてウミが聞くと、父は一瞬押し黙った。
「めったにない」
 やがて、声を押し殺して父は言った。
「めったにないからこそ、たまにあるとき、これが吉兆であるはずがない」
 それは遠回しな言い方ではあったが、つまるところ、フロイト家から齎されたものがいい知らせではないということを意味していた。ウミの鼓動が速くなった。厭な予感がした。
「どういうこと?」とウミは問うた。
 父が探るようにこちらを見てくる。やがて諦めたようなため息を一つついて、彼は背もたれに深く身を沈めた。
「二つの王家を統合しようと言ってきた。分割して統治している今の領土を一つにまとめ、王国も一つにしようと」
 一息に言って、それきり父は口を噤んだ。まるで、それ以上話すことを拒んでいるかのようだった。
「王国を、統一……?」
 困惑しながらウミは言った。
「どうしてそんなことを。今のままではだめなの?」
「絶対王政を敷きたいのでしょう」
 そう答えたのは、父ではなくラファーガだった。
「セフィーロのすべてを自分たちのものにして、唯一の王家として君臨することを考えているのです、フロイト家は」
「そんな」
 両家が仲良くやっていく道はないのか、という意味を込めた視線をラファーガに送ったが、彼はそのウミの視線を跳ね返した。次にウミは、すがるように両親の方を向いたが、彼らも険しい表情のまま俯くだけで、ウミの視線を受けとめてはくれなかった。

「どう答えるつもりなの? お父様」と、彼の手元を見ながらウミは訊いた。
「どうも何も」と、間髪容れずに父は言った。「受け入れられるはずはない。いまさら王家を統一するなど。16年前ならいざ知らず」
 吐き捨てるように言った父は、そこまで言ってはっと目を見開いた。同時に隣の母も肩を震わせた。
 16年前といえば、まだこのセフィーロに四つの王家が存在し、その四王家間で大きな戦が起きた時代だ。何かがあったのだろうか、そのときに。両親はまるで何かに怯えているように見えたが、ウミにはその理由はわからなかった。

「とにかく」と、しばらくしてから父が徐に口を開いた。「この提案は断る。だが、それによってフロイト家との確執が一層深くなることも考えられる。そうなれば……ウミ。おまえの王女としての役割も大きくなるだろう。そのときに備えるつもりで、勉学に励みなさい」
 「そのとき」という父の言葉が、ウミを緊張させた。一度背筋を伸ばし、ウミは頭を下げた。
「はい、お父様」

 戦。――言葉を思い浮かべるだけで厭だった。ずっと平和な中で暮らしてきたからかもしれないが、この国が戦場と化すのは厭だったし、何より、父と母には戦いに赴いてほしくなかった。ずっと三人で、平和なこのラメール家で暮らしたい。ウミの願いはそれだけだった。
 比重の大きな沈黙が、座を支配しようとしていた。父の膝の上に乗った藁半紙が、ずいぶんと重たそうだった。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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