蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ゆめものがたり 4. 背徳

10万ヒット企画

綺麗に笑うひとだとウミは思った。その笑顔を見ていると、なぜだか呼吸が苦しくなった。

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 わくわくしながら、同時に少しだけ緊張もして、ウミは森の中を歩いていた。早足になったりゆったりとした歩みになったりしながら、それでもやはり、前回よりは早くあの湖にたどり着いた。それなのに、どこを見回してもクレフの姿はなかった。ウミはひどく落胆した。そうなってみて初めて、クレフがここにいるということについて自分が微塵の疑いも持っていなかったのだということに気づいた。

 ウミは湖から少し離れた岸に適当に腰を下ろした。服を汚したらフウに迷惑をかけることになるし、プレセアにはこっぴどく叱られるだろうと思ったけれど(「地べたに直接座るなんて、それが『王女』たるお方のなさることですか?!」)、この際どうでもよかった。そもそも、煌びやかな椅子に座るよりこうして直接地面に腰を下ろす方が好きなのだから、城を離れた今くらいは好きにさせてほしかった。
「せっかく、急いで勉強終わらせてきたのに」
 湖をぼんやりと眺めながら、ウミは呟いた。後ろから風が吹いてきて髪を靡かせる。ウミは体育座りをすると、両腕で膝を軽く抱えた。思わずため息が出た。


「さあ、プレセア。今日のノルマはどこまでなの?」
 自分から勉強のことを口にしたことなど一度たりともなかったウミがそう言うと、プレセアはまず呆気にとられ、それからあろうことかウミの頬をつねった。痕がつかないように手加減してくれたのだろうけれど、それでもウミにとってはじゅうぶん痛かった。
「なにするのよ!」
「いえ、王女様が何か悪いものでも召しあがったのかと」
 冗談っぽいところが微塵もないままのプレセアの言葉に、ウミはよっぽどそこで、「やっぱりやめるわ」と言おうとした。それでもこの後のためだとぐっと堪えて、結局は姿勢を正し、咳ばらいをした。
「私、心を入れ替えたの。お父様にも言われたし、これからは勉学に励むわ」
「王女様……」
 感慨深げに言ったプレセアの目は潤んでいた。まったく大袈裟なんだから。ため息をつきそうになるのをなんとか踏みとどまり、ウミは続けた。
「ただし、条件があるわ」
「条件?」とプレセアが目を丸くした。
「そうよ、条件」
 プレセアに何か言われる前にと、ウミは畳みかけるように言った。
「勉強はちゃんとするわ。その代わり、勉強が終わったら、私が何をしようと自由にさせてほしいの」

 外へ出たい。でも簡単には赦されないから、結局は逃げるしかない。そんな状態が長続きするとは、いくらウミでも思っていなかった。ならばむしろ、堂々と出かけられるようにすればいい。そう考えて出した結論だった。一筋縄では行かないことはわかっていた。それでも、プレセアを納得させるまではどれほど時間がかかっても粘るつもりだった。案の定、彼女がついに首を縦に振るまでにはそれから一時間以上かかった。ウミは諦めなかった。根負けしたプレセアが「わかりました」と言ったとき、ウミは心の中でガッツポーズをした。そして、プレセアも目を点にするほどの速さで勉強を終わらせて、急いで森へやってきた。「やればできるじゃない」という言葉に見送られながら。
 それなのに、クレフがいないなんて。

 もしかしたらあれは幻だったのかもしれない。ウミはふとそう思った。クレフなんていう人は初めからいなくて、あまりに退屈していた私の「心」が生み出した幻想だったのかもしれない。私が「心を入れ替えた」と言ったから、幻想だった彼は消えた。――あり得ないことではない気がした。
「世の中、そうそううまくいかないのね」
 ウミは呟いた。クレフがいないんじゃ、ここにいても意味がない。今日は帰ろう。そう思って顔を上げた。ところが、そこからウミが体を起こすことはなかった。
「え?」
 大きく目を見開き、ウミは間抜けな声を出した。凪いでいた湖がいつの間にか渦を巻いていて、中央へ向かって深く窪んでいっているのだった。
 明らかに自然現象ではなかった。恐怖心が顔を覗かせたが、ウミは湖から目を離すことはできなかった。恐怖よりも、その現象に魅せられる気持ちの方が強かった。

 どんどん深くなっていく渦が一瞬止まる。刹那、大きな水しぶきとともに湖から何か巨大なものが出てきた。
「……!」
「きゃあ」と叫んだつもりだったのに、それは声になっていなかった。膝を抱いていた手を咄嗟に離し、後ろについて体を支えた。突風が迫ってくると感じたからだ。ところが、吹きつけてきた風はそれほど強くはなかった。水しぶきとともに顔にかかったそれはひんやりとしていて、気持ちがいいと感じるほどだった。

 突然現れたものの正体をよく見ようと、ウミは目を凝らした。それは大きな飛び魚だった。湖の上にぷかぷかと浮いていて、尾をはち切れんばかりに跳ね上げている。水しぶきを飛ばしているのはその尾だった。
 ふと、その飛び魚の上にさらに何かが乗っている気がして、ウミは視線を持ち上げた。そうしてあんぐりと口を開けた。
「うそ」
 そこにいたのは間違いなくクレフだった。海の幻の中の人だったはずの彼が、確かにそこに存在していた。一見不安定そうに見える飛び魚の円い背中に、彼は器用にバランスを取って立っていた。
 クレフは飛び魚の上から湖を見つめていた。なんだかとても険しい顔をしていた。湖はもう渦巻いてはいなかった。ウミはクレフを見つめたまま、瞬きをすることも忘れていた。こんなに近くにいるのに、なぜか彼が遠くにいる人であるかのように感じた。


 あるとき突然、クレフがはっと肩を震わせた。そして次の瞬間、迷わずこちらに顔を向け、その大きな蒼い瞳で真っすぐに海を捉えた。思いがけずぶつかった視線に、ウミはどきりとした。顔を逸らすタイミングを失ってしまったので、何か言わなければと思案したが、ウミが言葉を見つける前に、クレフがほっとしたような呆れたような顔をして肩の力を抜いた。
「王女」と彼は言った。「また来ていたのか」
 クレフの声が、強張っていたウミの心をほぐした。ウミはぎこちない動きとともにその場で立ち上がった。ぱたぱたとスカートをはたき、クレフをもう一度見上げた。
「なによ。来ちゃ迷惑だった?」
「そんなことは言っていない」
 答えて、クレフは飛び魚の背から軽々と飛び降りた。その動きがとても機敏だったので、ウミは内心驚いた。クレフは、「静」と「動」では明らかに「静」の方に属している人だと思っていた。それにしては、今の動き方にはまるで隙がなかった。
 クレフを下ろした飛び魚はどこか淋しそうな顔をしたけれど、吹っ切るように、すぐ一人で水遊びを始めた。

「まさか来るとは思っていなかった」と、こちらへ向かって歩きながらクレフが言った。「だから驚いたのだ」
 綺麗に笑うひとだとウミは思った。その笑顔を見ていると、なぜだか呼吸が苦しくなった。理由はわからない。ただ、クレフといると、感じたこともないほどに心が高鳴った。
「王女?」
 数歩離れたところで立ち止まったクレフが、きょとんとして首を傾げた。どうやら彼のことをぼうっとして見つめていたようだった。途端に恥ずかしくなって顔を逸らした。手持無沙汰になり、髪をいじった。そのとき、視界の隅で飛び魚の尾が振れた。
「わ……私も」とウミはぎこちなく言った。「私も、水遊びがしたくて」
 努めて平静を装いながら、ウミは足早にその場を離れ、クレフを通り過ぎた。湖の縁へ行くと、飛び魚がウミの方を振り返った。気が抜けそうなほどかわいい顔をした子だった。自然と笑みが零れた。ウミが手を伸ばすと、飛び魚はその手に嬉しそうにすり寄ってきた。とても人懐こい性格のようだった。
「ねえ。この子、あなたのお友達なの?」
 飛び魚に手を添えたまま、ウミは後ろを振り返って言った。
「ああ」とクレフが答えた。「その子はフューラ。私の精獣だ」
 すると飛び魚が、「そのとおりだ」と言わんばかりにウミの頬に顔を寄せてきた。ウミは思わず声に出して笑った。
「フューラね。よろしく、フューラ。私はウミよ」
 フューラがびちびちと尾を振った。水しぶきが上がり、ウミの髪を、頬を、そして服を濡らした。

「やめないか、フューラ」
 クレフが少しきつい口調でフューラを咎めた。
「王女が水浸しになってしまう」
 すると、フューラの顔つきがしゅんとなった。
「私はいいのよ、クレフ」と、振り返りながらウミは言った。「どうせ、代わりの服なんてたくさんあるもの。少しくらい水浸しになったって――」
「いや、だめだ」
 鋭い口調でクレフがウミを遮った。ウミは驚いて目を見開いた。数歩離れていたところに佇んでいたクレフは、眉間に皺を寄せて険しい顔をしていたが、ウミと目が合うと表情を緩めた。そういえば、クレフはいつもそうして一定の距離を保ったところにいるなと思った。
「そういうわけにはいかない」とクレフは言った。「あなたは大切な人だから」
「え……?」
 どくん、と鼓動が大きくなった。
「あなたは、ラメール家にとってただ一人の大切な王女だ。風邪でもひかれては困る」
 ところが、そう続けたクレフに、ウミの気持ちは一気に萎んでしまった。「大切な人」っていうのはそういう意味だったのね。当たり前のことだけれど、でも、淋しかった。ウミはクレフから目を逸らした。
「そう」と自分自身に言い聞かせるように言った。「そうよね」
「王女?」
 訝しげにクレフが呼んだ。そのときウミは、あることに気づいた。それもはやり当然のことかもしれないが、これまたやはり、淋しいことだった。

 ウミはフューラから手を離し、天を仰いだ。日の傾きから判断して、城を出てからまもなく一時間というところだろう。そろそろ約束の時間だった。
 ウミの出した「条件」をのんだとき、プレセアは何も、もろ手を挙げて降参したというわけではなかった。彼女の方もまた条件を出した。「一度出かけたら必ず一時間で帰ってくること」。ウミはそう約束させられていた。こちらの条件をのんでもらった手前、首を振るわけにはいかなかった。
「もう行かなくちゃ」
 ウミはクレフに視線を戻して言った。思った以上に強く淋しさが滲んだ口調になったので、われながら驚いた。
 クレフは何も言わなかった。傍にいたフューラの方が、よほど淋しそうだった。ウミはフューラの頬に手を当て、微笑んだ。
「また来るわ」
 きっとだよ、とフューラが言った気がした。

 つま先だけ水に浸かっていた足を引き、ウミは城の方へ向かって歩き出した。しかし数歩進んだところで立ち止まり、後ろで手を組んでくるりと振り返った。
「クレフって」とウミは言った。「友達みたいな口調で話してくれるけど、私のこと、絶対に名前では呼んでくれないのね」
 クレフが大きく目を見開いた。その反応は、ウミが想像していたよりもだいぶ大きかった。それ以上は何も言わず、ウミは今度こそクレフに背を向け、その場を後にした。一度も振り返らなかった。
 同じ一時間でも、勉強をしているときとクレフと一緒にいるときとでは、時間の流れ方が倍以上も違って感じられた。逆だったらよかったのに、と思いながら、ウミは城へと道を急いだ。

***

 ウミの後姿が見えなくなっても、クレフはしばらくその場から動けなかった。フューラが気を遣って、きゅる、と喉を鳴らしながら傍へやってきた。視線はラメール家の方へと向けたまま、クレフは黙ってフューラの頬を撫でた。
 やがてクレフは、吹っ切るようにひとつ息をつき、杖を振ってフューラを戻界させた。そして振り返らぬまま言った。
「盗み聞きとは感心しないな、ランティス」
 すぐには反応はなかった。しかしクレフがその姿勢のままじっと待っていると、観念したように背後で草が音を立てた。
「気づいていたのか」
 言われて、クレフはようやく振り返った。長身の男が、一本の木の下に立っていた。クレフは思わず苦笑した。
「わかりきったことを」
 男はすぐには答えなかった。クレフのそれよりも薄い瞳でクレフを見返し、やがてすっと視線を外した。その目が見つめた先を、クレフはよくわかっていた。だからあえて、彼の視線の先は追いかけなかった。

「ラメール家の王女か」
 そちらを見たままランティスが言った。クレフは答えず、かといって彼の視線の先を見るでもなく、湖の方へ目を向けた。横顔にランティスの視線を感じた。
「王に感づかれたらどうする気だ」
 至極真面目な口調で彼は言った。確かに真面目な話ではあるのだが、ランティスのその不器用なまでの真面目さがおかしくて、クレフは思わず口元を緩めてしまった。
「笑いごとではない」とランティスが不機嫌な声を出した。
「ああ、すまない」とクレフは答えた。「だが、その心配はない」
 ランティスが訝しげに眉根を寄せる。クレフは彼を見上げて、微笑んだ。
「このあたりには私の結界を張っている。私が何をしようと、王に知る術はない」
 そう言うと、ランティスは押し黙った。突き刺さる視線も鋭さを失った。ようやく彼が口を開くころには、風の向きが変わっていた。
「俺が王に告げるかもしれない」とランティスは言った。「そうすれば、王も黙っているわけにはいくまい」

 クレフはランティスを見返した。出逢ったときはまだほんの幼子であったのに、いつの間にか師の背丈を追い越し、国でも随一と言われるほどの剣士に育った。クレフはそんなランティスに目を細めた。
「師を簡単に裏切るような人間に育てた覚えはない」
 クレフが言うと、ランティスは気まずそうな顔をした。嘘をつけない男なのだ。ランティスが、自分に対してだけは強く出られないことを、クレフはよくわかっていた。今のはその教え子の優しさに付け入る言葉だった。ずるいという自覚はあった。

 先に視線を外したのはランティスだった。彼はローブをばさりと翻し、クレフに背を向けた。
「俺はフロイト家に仕える人間だ」と、ランティスは背中で言った。「あなたと同じようにな」
 そのまま彼は、ウミが向かったのとは完全に逆方向へと歩き出した。その背中を見送ってから、クレフは一度だけ背後を振り返った。切なさが胸を衝いた。その切なさを捨てるように、クレフはさっと顔を逸らし、ランティスに続いてその場を後にした。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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