蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ゆめものがたり 6. 初恋

10万ヒット企画

ウミはひとり、恥ずかしくなって俯いた。体の前で軽く手を組み、指を無造作に動かした。

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 ウミは窓枠に腕を揃え、その上に顎を乗せてぼんやりと外を見ていた。快晴というわけではなく、空は淡い水色を映している。心地よい風が、少しだけ開けた窓の隙間から部屋の中へと流れ込んできて、ウミの頬を冷やした。

 視線の先には広大な森がある。ラメール城の最上階にあるこのウミの部屋からであっても、その森の端は見えない。どれだけ広い森だろうといつも思う。
 果てなくただ、似たような高さの木々が生い茂っている森だとばかり思っていた。それがつい最近になって、ウミは、中央のあたりに一カ所だけ窪んでいるところがあることに気づいた。
 気づいてからはそこにばかり目が向いた。そこは間違いなく、あの湖のところだった。そこを見ていればいつかクレフが姿を現すんじゃないかと、密かに淡い期待を抱いていた。あのとき、湖中からフューラを伴って現れたように。
 だがそんなことは一度も起こらなかった。たとえ何日、何時間が経とうとも、森はずっと、さしたる変化もせずに淡々と時間をやり過ごしている。ウミはため息をついた。

 ずいぶんと長いことクレフに会っていないような気がしたが、考えてみれば、最後にクレフに会った日からはまだ三日しか経っていなかった。けれどこの三日は、たとえば三日三晩続く父の誕生祝いパーティーなどとは比べ物にならないほど長く感じた。
 ずっとクレフのことを考えていた。――彼のこと、というよりも、彼に会いにいくための口実を考えていた。
 何もなしに会いにいくことはなんとなく気が引けた。おかげでこの三日間は、いざ森へ行こうと思って仕度をしても結局城門の手前で引き返してくるという、私らしくないことをし続けていた。外へ一歩も出ていなかった。せっかくプレセアを説得して、毎日堂々と外へ出ることができるようになったのにも拘らず、だ。
 次に行くときは、何かもっともらしい言い訳を持って行かなければならない。ウミはずっとそう思っていた。前回行ったときに、クレフに「また来たのか」と言われたことが原因かもしれない。
 朝から晩まで考えているのに、残念なことに、使えそうな言い訳はまったく思いつかなかった。そうなると余計に淋しさが募って、無性に会いたくなった。


 不意に控えめな笑い声が聞こえて、ウミは我に返った。振り返ると、一歩離れたところにフウが立っていた。彼女は口元に軽く手を当てていた。目は口程に物を言う。手のせいで表情全体は見えなくても、その目がすべてを物語っていた。彼女は明らかに笑っていた。
 そんなフウは、私と目が合っても、手こそ放したものの、笑顔は消さなかった。きょとんとしてウミが首を傾げると、彼女は言った。
「ため息ばかりついていると、そこから幸せが逃げていってしまいますわよ」
 そう言われて初めて、ウミは、自分がまたため息をついていたのだと知った。無意識のうちだった。なんだか心の内まで見透かされた気がした。ばつの悪さに耐えられず、ウミは顔を逸らした。もっとも、そんな気まずさを感じていたのは自分だけなのだろうけれど。
「そんなについてないわよ」とウミは言った。
「あら」とフウが言った。「この五分間だけでも、十回はついていらっしゃいましたわ」
「そんなはずないわ」
「では、王女様は私が嘘をついていると?」
「それは……そんなこと、ないけど」
 ウミは言葉を濁して上目遣いにフウを見上げた。ふふふ、と彼女はまた笑った。ウミは諦めて視線を外した。そのときはさすがに、ため息をついたことを自覚した。

「ひょっとして」と、徐にフウが言った。「王女様、恋をなさっておいでなのではありませんか?」
「こっ……!」
 思わず飛び上がった。そしてすぐに、そんな態度を取ってしまったことを後悔した。それではまるで認めてしまっているようではないか。案の定、フウには満足げに笑まれてしまった。ウミは一度深く息を吸い込むと、きゅっと唇を閉ざしてソファに座りなおした。
「そんなんじゃないわよ」
 部屋の隅辺りに視線を投げたまま、ウミは言った。
「ほんとに、そんなんじゃないの」
 それは本心だった。

 気がつけばクレフのことを考えている。それは紛れもない事実だ。森の中でどうやって暮らしているのか、食事はどこで調達しているのか、雨が降ったらどうするのか、ひとりで淋しくはないのか。――考え出したらきりがなかった。いくらでも考えられた。違うことに意識を向けるためには、途中で無理やりにでも思考を遮断させなければならなかった。ただ、それが果たして「恋」なのか、ウミにはよくわからなかった。
 恋心など、今日まで一度として抱いたこともなければ、想像したことさえなかった。周囲にいる男性といえば父かラファーガくらいのもので、恋愛対象になるような人はいなかった。もっともクレフだって、実際の年齢はともかく――いや、実際の年齢も別の意味で問題だけれど――、あの見た目だ。どちらかというと弟と言った方がいいくらいなのだから、恋をする対象として、必ずしもピンとくるわけではない。
 でも、ならばどうして、クレフのことばかり考えてしまっているのだろう。わからなかった。自分のことなのに。


 ウミはつとフウを見上げた。
「フウは、あるの?」
「え?」
「恋をしたこと」
 フウはまず、大きく目を見開いた。それから、ごく自然とウミから視線を外した。それはほんとうに自然な動きだった。自然すぎたのだ。だからウミは、その動きによって、フウが何かを隠しているのだということに気づいてしまった。
「いいえ」
 フウはやがて、静かにかぶりを振りながらそう答えた。蚊が鳴くような声だった。
 嘘だ、と瞬時に思った。そしてそれは、とても意外なことだった。彼女はいったいいつ、誰に対して恋をしたのだろう。

 思えば、フウとこんな話をするのは初めてのことかもしれない。それはきっと、私が一度も「恋」というものを真剣に考えたことがなかったからだ。ほとんど幼馴染のように育ってきたから、無意識のうちにフウも同じだろうと思っていた。いや、そんなことを思ったことさえなかった。けれど、フウと私は別の人間だ。どんなに長い時間を共有していても、心までひとつにはならない。だから、私の知らない間にフウが誰かに恋をしていても、それは何もおかしいことではない。

「……そうよね」
 どうしようか迷ったが、結局ウミはそう答えた。内に秘めた恋心に、フウは明らかに気づいてほしくない様子だったし、それならば、ウミが突っ込むようなことではなかった。

 そのときウミは、急にクレフのところへ行こうかという気になった。たとえばフューラに会いにきたという理由はどうだろう。まだ一度しか会ったことはないが、フューラはずいぶんとウミに懐いていた。ウミ自身もフューラのことは気に入っていたし、もっと仲良くなりたいと思っていた。あの子に会いにきたということにすれば、不自然ではないのではないか。
 今日の分の勉強はとっくに終えていた。今から出かければ、夕食までには余裕を持って戻ってくることができる。
「フウ」
 呼びかけながら、ウミは立ち上がった。
「私、ちょっと出かけてくるわ」
 フウは一瞬目を見開いたが、すぐに細めて頷いた。
「いってらっしゃいませ」
 そう言って頭を下げたフウに見送られながら、ウミは歩き出した。足取りにはわずかな迷いがあった。心臓は、いつもより格段に速く脈打っていた。

***

 あの湖のところへやってきたが、すぐにはクレフを見つけられなかった。代わりに、岸に深めの籠がひとつ置かれていた。いかにも彼が使っていそうな、品のいい籠だった。近くにいることは間違いないだろう。
 また潜っているのかしら。そう思って湖面を覗き込もうとしたそのとき、すぐ傍の茂みが急に音を立てたので、ウミは覚えず飛び上がった。
「きゃっ!」
 飛び退くと、茂みの奥からぬっと白い塊が姿を現した。その塊には二つの蒼い宝玉がついていた。何度か瞬きをした後、ウミはふうっと息をついた。白い塊はクレフのローブであり、蒼い宝玉は彼の瞳だった。
「もう……脅かさないでよ、クレフ」
 その場でへたり込みそうになりながら、ウミは気の抜けた声で言った。クレフがきょとんとしてこちらを見上げてくる。ローブの前側を広げて、彼はそこに、たくさんの木の実を抱えていた。
「脅かしてなどいない」と言って、クレフはにやりと笑った。「王女の注意力が散漫なだけだろう」
「……失礼ね」
 ウミは口を尖らせた。クレフはやはり、名前では呼んでくれなかった。

 彼はゆったりとした足取りでウミを追い越し、湖の方へ向かった。そしてあの籠に木の実を入れると、満足そうにひとつ頷いた。そしてやおら振り返り、まっすぐにウミを見た。その視線に、ウミの鼓動がどくんと高鳴った。
「え、えっと……あのね」
 クレフの瞳が、「どうした?」と聞いているように見えたので、ウミは慌てて口を開いた。
「その、あの、フューラ! フューラに会いたくて来たの! ほら、この間、私にずいぶん懐いてるみたいだったじゃない? だから――」
「王女」
 言葉途中にクレフがウミを遮った。ウミは思わずはっと肩を震わせた。ウミが口を噤んだのを確かめて、クレフは優しく笑った。
「無理やり用事を作ろうとしなくてもいい」と彼は言った。「用がなければここへ来てはいけないなどと言った覚えはないぞ」
 全部わかってるんだ、このひとは。ウミはクレフの懐の深さを思い知った。そうすると、もうだめだった。もう認めるしかなかった。私はこのひとが好きだ。このひとに、恋をしている。

 恋なんて、一度もしたことがない。だからどのような気持ちを「恋」と言うのか、いまいち定義づけられない。それでもウミにはわかった。今クレフに対して感じている気持ちが、ウミの知っているどのような言葉でも言い表せられないからだ。「友情」でも、「家族愛」でもない。「尊敬」でもなければ、「畏敬」でもない。そうなればもう、「恋」しかなかった。
 ウミはひとり、恥ずかしくなって俯いた。体の前で軽く手を組み、指を無造作に動かした。

 クレフがゆっくりとこちらへ向かって歩いてくる。一歩間を空けた斜め前で立ち止まると、彼は徐に杖を振った。そうすると、一枚の絨毯が姿を現した。それはゆっくりと地面へ降り、ウミの真後ろで着地した。とても柔らかそうな布でできた絨毯だった。
「服が汚れては困るだろう」
 クレフが言った。ウミは彼を見返した。そうしてみて、ここへ座れと言っているのだと気づいた。よく見れば、その絨毯は優に三人は座れそうなほどの余裕があって、二人で座るには大きすぎるほどだった。ウミは小さな声で礼を言ってから、絨毯の左半分に腰を下ろした。

「何か厭なことでもあるのか」と、クレフが隣に座りながら聞いてきた。
「え?」とウミは彼の方を向いた。クレフがウミを見る。そうして座ると、身長差があまり気にならなかった。すぐ近くに見えた彼の瞳があまりにも綺麗だったので、どきりとした。
 しばらくして、クレフがウミから視線を外した。
「城の居心地が悪くて、この森へ来ているのではないかと」
 少しだけ俯いて、彼は言った。

 ウミはまじまじとその横顔を見つめた。男の人とは思えないほど長い睫毛が、透き通るような肌に影を落としている。「城の居心地が悪くて」――クレフが言った言葉を、ウミは心の中で反芻した。そうしないと、彼の言っている意味がよくわからなかったからだ。やがてようやくその意味を咀嚼したとき、ウミは、クレフが発するすべての言葉は彼の優しさから生まれているのだと気づいた。ウミの口元に笑みが浮かんだ。クレフの横顔から視線を外し、ウミはかぶりを振った。
「そうじゃないの。厭なことなんて、何もないわ。確かに勉強は嫌いだけど、でも、みんないい人よ。お父様も、お母様も」
 言葉を区切ると、沈黙がウミの前に姿を現した。
「二人とも、ほんとうに優しわ。私は、実の子じゃないのに」
 その沈黙を振り払って、ウミは言った。


 横顔に突き刺さるほどの視線を感じた。それでもウミはそちらを振り向かなかった。今クレフと目を合わせたら、箍が外れてしまいそうだった。
「……なぜ」
 やがてクレフが言った。その声はとても静かだったけれど、語尾やその後の余韻に、隠しきれない動揺が滲んでいた。彼がそうして少しでも心を揺らがせてくれたことで、ウミの気持ちは格段に楽になった。
「理由なんてないの。ただ、なんとなくよ」とウミは言った。「私、お父様にもお母様にも似てないの。それに、ときどき二人は、私に対して優しすぎることがあるのよ。だから、思ったの。もしかしたら、二人と私の間には、血の繋がりがないんじゃないかって。……そう考えたら、いろいろなことが納得できたわ」
 頬に視線を感じなくなった。クレフが前を向いたのだろう。
 彼は何も言わなかった。慰めようともせず、かといって、ごまかすように笑うこともしなかった。ウミにはそのことが堪らなく嬉しかった。どうして、誰にも打ち明けたことのなかった気持ちをクレフには伝えようと思ったのか、少しだけわかった気がした。

 ずいぶんと長い時間が経った気がしたころ、クレフがふっと息をついた。
「そうか」
 そして、ほんとうに小さく、まるで溜まっていた息を吐き出すかのようにそれだけを言った。
「関係ないのよ、血の繋がりなんて」とウミは言った。「私にとっての両親は、あの二人だけよ。世界中のどこを探しても」
 今度はクレフは、「そうか」とも言わなかった。ウミはもう少し突っ込んだ話をしたくて、彼の方を向いた。
「でもね――」
 ところが、そこでウミは言葉を詰まらせた。突然頭に大きな衝撃を感じた。
「きゃっ!」
 悲鳴を上げたウミは、咄嗟に目の前にあったものにしがみついた。とにかく無我夢中で、そこにしがみついたまま、ウミはぎゅっと目を瞑った。頭を殴られたのはほんの一瞬だったが、痛みはしっかりと残っていた。だから、その直後にそっと肩を抱いてくれた腕の感触に、強い安心感を覚えた。
「だいじょうぶ、ただの鳥だ」
 すぐ傍で声がした。低く、落ち着いた声だった。その声に「だいじょうぶだ」と言われると、ほんとうにだいじょうぶなのだと感じることができた。ぽんぽんと優しく肩を叩かれて、ウミはようやく目を開けた。しがみついていたそれがクレフの腕だったと気づいたのは、顔を上げて、彼と目が合ったときだった。

 瞳孔が見えるほど近くに、彼はいた。ウミは思わずぴくりと肩を震わせた。その震えにクレフも気づいたようだった。微笑んでいた表情がわずかに硬くなる。そして彼は、ウミの肩を抱いていた腕にほんの一瞬力を籠めた。

 それからのことに、不自然な点はひとつもなかった。その一瞬、ウミはひとりの女性としてそこにいた。互いの顔が近づいていく。クレフの瞳にはウミがしっかりと映り込んでいた。それを確かめて、ウミはゆっくりと目を閉じた。そっと優しく、二人の唇が重なった。わけもなく、涙が溢れそうだった。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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