蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ゆめものがたり 7. 時化

10万ヒット企画

顔を上げると、やはりフウはそこにいた。彼女の翡翠色の瞳にウミが映っていた。ウミは微笑んだ。

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 急にフウの顔が目の前に出てきて、ウミは思わず悲鳴を上げた。
「きゃっ!」
「申し訳ありません、王女様」と言って、フウが一旦頭を下げ、そしてすぐに上げた。「ですが、プレセアさんが去られてから、もう半刻も経っていますわ」
「え?」
 ウミは驚いて、壁際の時計に目を向けた。するとその時計は、最後に見たときから確かに半刻以上過ぎたところを指していた。だが目の前のテーブルに視線を落とすと、そこは半刻前から何も変わっていなかった。いつも使っている藁半紙の束とプレセアから渡された歴史書のいずれも、記憶にある最後のページで開かれたままだった。ただ、ペン壺に浸された羽ペンだけは、インクがすっかり乾いてしまっていた。それだけが唯一、時の流れを証明するものだった。逆にいえば、その羽ペンがあったことによって、ウミはフウが言ったことを否定できなくなってしまった。

「ありがとう、フウ」と言って、ウミは立ち上がった。「ぼんやりしてたみたい。最近、勉強する時間が増えてるから、疲れてるのかもしれないわ」
 努めて平静を装ったつもりだったが、立ち上がるときには椅子が大きな音を立てたし、藁半紙をしまおうとして持ち上げると、一番上の紙がはらりと手から抜けていった。あっ、と思う前に、その藁半紙はフウの手によって拾われた。彼女はゆっくりと背を起こし、手にしていた紙をこちらへ差し出した。
「お疲れでしたら、お休みになられた方がよろしいですわ」とフウは言った。「王女様も、気苦労が絶えませんでしょう。ここのところ、お城の雰囲気がよくありませんから」
 ありがとう、と言ったつもりだったが、それはどうしても声にならなかった。代わりにウミは、藁半紙を受け取りながら微笑んだ。しかしその微笑みも、結局無理して作ったもののようになってしまった。フウが微笑みを返してくれたことが、せめてもの救いだった。
「お休みになるのでしたら、薬湯をお淹れしましょう」
「助かるわ」

 フウが軽く頭を下げて、ウミの前を離れていく。彼女が扉の方へ向かって歩いていくのを、ウミはぼんやりと目だけで見送った。ところが、途中でフウがぴたりと立ち止まり、やおらこちらを振り向いたので、内心動揺した。
 フウの視線は右往左往していた。今心にあることを言うべきかどうか迷っているのだろうと、それはさすがのウミでもわかった。そこで「だいじょうぶだから、行って」と言えば、たぶんフウは何も言わずに出ていったのだろう。けれどウミがためらったその一瞬に、フウの心は決まってしまったようだった。
「ウミ王女」
 フウが呼んだ。ウミは藁半紙を手にしたまま、突っ立っていた。
「ほんとうに、それだけですか?」とフウは言った。「ほんとうに、お疲れになっているだけですか?」
 ウミはフウから顔を逸らした。


「ご……ごめんなさい」
 頼りない声でそう言った日から、もう一週間が経った。「もう」なのか「まだ」なのかわからないと思っていたが、咄嗟に選んだ言葉が「もう」だったということは、そういうことなのだろう。
 あまりに自然な流れだったので、クレフと口付けるということは、その瞬間、日常生活の延長線上にある当たり前の行為のように錯覚した。けれど、唇が離れて至近距離で見つめ合うと、それは決して「当たり前」ではないのだということに厭でも気づかされた。ウミは慌ててクレフの腕から離れた。その結果出てきた言葉がそれだった。そして、その言葉だけを残してウミはあの日、クレフのもとを去った。クレフは追いかけてもこなければ、名前を呼んでくれるようなこともなかった。ウミは爆発しそうな心臓を抱えて城へ戻った。あの日はどうやって寝るまでの時間を過ごしたのか、覚えていない。

 「もう」一週間だと感じたのは、きっと、あの日以来彼に会っていないからだろう。避けているのではない。ただ、フウが言うように城の雰囲気がよくなくて、そして雰囲気が悪くなるにつれてウミが学ばなければならないことが多くなり、城を離れるどころではなくなってしまった。誰もかれも生き急いでいるように見えて、窮屈だった。それでもウミは、その窮屈さを黙って受け入れた。結局、なんだかんだ言っても、クレフに会うのが怖かったということだろう。勉強は、クレフのことを考えないようにする口実になった。それは確かに、居心地のいいことだった。

 怖かった、とても。彼に会って、今以上に気持ちが膨らんでしまうことが。
 こんな気持ちを感じたことなど、ウミには今まで一度もなかった。今までは、恋というものに、漠然とながらも憧れを抱いていた。たった一人の人を好きになって、その人も私のことを好きになってくれて、毎日を楽しく過ごす。恋とはそういうものだと思っていた。恋にマイナスのイメージを抱いたことなどなかった。けれど今、ウミは恋が怖かった。恋心は膨らんでいくばかりで、限りがなかった。どんどんクレフのことが好きになっていく。どんどんクレフのことが忘れられなくなっていく。そのことが怖くて仕方がなかった。クレフに心底会いたかったけれど、それと同じくらい、もう二度と会いたくないという気持ちもあった。今以上に彼を好きになると、我を忘れてしまいそうだった。


「王女様」
 いつの間にかフウが目の前に来ていた。
「あなたが悩まれているのを見るのが、辛いんです」とフウは言った。「私ではだめですか? 私では、あなたのお力にはなれませんか?」
 これが一年前で、ウミがまだ15歳だったとしたら、たぶんその瞬間に泣き崩れていたと思う。けれど今のウミは16歳で、フウを前にして泣き崩れるほど子どもではなかった。それでもこのとき、ウミは間違いなく救われていた。フウが傍にいるのだと思った。誰がいなくても、彼女はそこにいてくれる。そこにいて、いつも私を助けようとしてくれる。血の繋がりがないと感じてからもラメール家の王女でいることができたのは、フウのおかげかもしれなかった。

 王と王女に対して不信感を覚えたことが、一度もないとは言い切れない。この人たちは何を思って私の両親であり続けるのだろうと疑問に思ったことなど、一度や二度ではない。私が勉強が嫌いなのは王家の血を引いていないからだと思ったこともあった。それでも、気がつくといつもフウがいた。彼女はウミの侍女として、ラメール家の王女の侍女としていつもそこにいた。ウミは彼女を信頼していたし、彼女もウミを信頼していた。誰を裏切っても彼女だけは裏切れないと思った。フウがいて初めて、「ラメール家の王女」になれる気がした。だから、そんな彼女に対して嘘をついてはいけないし、隠し事をしてもいけない。ウミはずっとそう思ってきた。
 ああ、そうだな。ウミはしみじみと感じ入った。フウに隠し事なんて、してはいけない。

 顔を上げると、やはりフウはそこにいた。彼女の翡翠色の瞳にウミが映っていた。ウミは微笑んだ。今度は何を頑張る必要もなく、笑うことができた。
「あのね、フウ」とウミは言った。「実は、私――」
 好きな人がいるの。ウミが言った言葉は、大きな音で遮られた。ガラスが割れる音だった。ウミとフウはほぼ同時に肩を震わせ、縮こまった。一瞬呆けたが、すぐに我に返り、二人は顔を見合わせた。お互いにお互いの顔面が蒼白していることに気づいた。
「フウ、今のって……」
「大広間から聞こえましたわ」
 こくりと頷き合い、二人は部屋を飛び出した。大広間は三部屋先だった。主だってそこにいるのは父と母だ。その部屋からガラスが割れる音がしたということは、尋常ではない。ウミはノックもせずに扉を開いた。
「お父様、お母様!」
 はっと背筋が凍った。床が真っ赤に染まり、その上にガラスの破片が散らばっていた。最初は、誰かが大きな怪我をしたのだと思った。ところがすぐに、ウミはその様子に違和感を覚えた。顔を上げて初めて、広間を重苦しい雰囲気が包んでいることに気がついた。玉座の大きな椅子に父が腰掛け、頭を抱えていた。隣の母は、そんな父の様子を心配するように肩を軽く抱いていた。そして玉座の脇にはラファーガがいた。彼はその場で立ち尽くし、拳を強く握っていた。

「これは……!」
 背後で声がして、ウミはそちらを振り返った。フウだった。彼女もウミと同じことを思ったようで、口元を手で覆っていた。目が合うと、フウは問いかけてきた。ウミはその問いかけに対して首を振った。そして視線を元に戻した。
 床を彩る紅い液体は血ではなかった。よく見ると、血にしては鮮やかすぎる。その正体は、父が好んでよく飲んでいる果実酒だった。散らばったガラス片にも、やはり父が愛用しているグラスの模様が入っていた。ウミはいくばくか落ち着きを取り戻し、玉座へ歩み寄った。
「何があったの?」
 ウミはあえてラファーガに問うた。だが彼は、ウミとはちらりと目を合わせただけで、すぐにかぶりを振ってしまった。やがてラファーガは父の方を向いた。仕方なしにウミも彼の視線の先を追いかけ、父を見た。彼は相変わらず頭を抱えていた。ウミはそのときになってようやく、父がもう一方の手に藁半紙を持っていることに気づいた。その藁半紙はぐしゃぐしゃに握られていた。はっと緊張が走った。
「フロイト家からの書物だ」
 ウミの気配を察したかのようなタイミングで、父が重い口を開いた。想像していたとおりの答えに、ウミは気分が悪くなった。
「フロイト家は、なんて?」
 それでもそう聞かずにはいられなかった。

 一瞬の沈黙の後、父がようやく顔を上げた。無理矢理吹っ切ろうとしているかのような表情をしていた。彼は手にしていた藁半紙を母に渡した。母はそれを受け取り、丁寧に皺を伸ばした。父が海を真っすぐに見た。
「王家を統合することができないのなら、力づくで奪いにくるそうだ」
「な……」
 ウミは絶句した。「力づくで奪いにくる」という言葉の意味を、理解したくなかった。冗談だと言ってほしくて、父を見返した。だが、こんな冗談があるはずはないということを、ウミはすでによくわかっていた。
「戦は避けられないだろう」と父は言った。

 戦――その言葉を反芻すると、締め付けられるように胸が痛んだ。思わず胸元をぎゅっと強く握った。そして改めて父と目を合わせた。
「ほかに道はないの?」とウミは言った。「王家の名前は違うけれど、ラメール家もフロイト家も、どちらもセフィーロに住む人たちじゃない。同じ国に住む人たち同士で戦うなんて、おかしいわ」
「お前の気持ちはわかる」と言って、父は頷いた。「私だって、戦になどならなければいいと願っている。だが、かといってこのままフロイト家の言うことを聞くわけにはいかないだろう。そうなれば、ラメール家は滅びる。フロイト家が、ラメール家側の人間を自国の人間と同等に扱うとはとても思えない。私は国王として、ラメール家の庇護のもとで暮らしているものたちを護る義務がある」
「だからって、戦をするの? 戦をすれば、たくさんの人が死ぬわ。そんな解決方法が正しいとは、私は思わない」
「では、どうすればいいのだ」
 父が声を荒げた。途中、母が「もうやめて」と父を宥めようとしたが、彼はその腕を振り払った。
「ラメール家の王女として、お前はどうすればいいと思う? このままフロイト家の人間の言うことを聞くのがいいのか? 結果としてラメール家の人間が雑魚のように扱われても、お前は我慢できるのか?」
「違う、違う!」とウミは激しくかぶりを振った。「そうじゃないわ! 私はただ、もっと両家で顔を突き詰めて話し合うことはできないかと言っているのよ! 今のままじゃ、お互いがお互いの主張をぶつけあっているだけじゃない!」
 どう言えばこの気持ちが伝わるのか、ウミにはわからなかった。ただ必死だった。必死だったのに、父はウミに向かって、まるで慰めるような微笑みを向けた。
「ウミ」と彼は優しく呼んだ。「お前の言うことは正しい。正しいし、それが美しい国の在り方だ。だが、正しく美しいだけでは、国を護ってはいけないのだよ」
 鼓動が厭な風に速くなり、全身から血の気が引いた。目の前にいる父が、急に父ではなくなってしまったように見えた。
「国を護るために、時には大きな犠牲を払わなくてはいけないこともある。正論だけでは生き残っていかれないのだ」

 父の言うことはもっともだ。綺麗事だけではうまくいかない。高い地位に立つ者であればあるほど、時には冷酷にもなる必要がある。それでもウミは、父がその道を選ぼうとしていることが、どうしようもなく哀しかった。心のどこかで、父は、たとえ間違っているとしても正論を貫き通す道を選ぶだろうと信じていた。でも、そうではないのだ。
 俯き、ぎゅっと拳を握りしめた。散らばったガラスの破片が、残酷なほどにきらめいていた。
「戦をするくらいなら、自ら死んだ方がましよ」と言って、ウミは顔を上げた。「お父様なんて、大っ嫌い!」
 捨て台詞を残して、ウミはさっと踵を返した。
「ウミ、待って――!」
 母が呼び止める声がしたが、振り返らなかった。フウの制止も振り切って、ウミは広間を飛び出した。
 哀しみと怒りではらわたが煮えくり返りそうだった。その感情は体中を駆け巡って、放出できるところを探していた。何も考えずにただ走り続けた。泣きたいのか笑いたいのか、それさえもわからなかった。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

▶ 連作短編集を始めました。クレ海学生パラレルです。今後年中行事に合わせて不定期更新の予定です。詳しくはこちらからどうぞ。

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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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