蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

韜晦 5. 天声

中編

ああ、神様。あなたの意に背いた私は、あっけなくあなたのもとへたどり着くことになりました。滑稽だと、笑いますか。

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 てっきりそこにいるものとばかり思っていた。ところが、彼の住まいがあるセフィーロ城には、クレフの姿はなかった。
「お忙しい方ですから、ひとところに半刻と留まっていらっしゃらなくて」
 通り過ぎる誰に聞いても、返ってくる答えは同じだった。まったく、仮にもこの国の重鎮なのだから、黙って城に留まっていればいいものを。そう内心で毒づいたのだが、すぐに、彼はそういうタイプの人ではないと思い直した。クレフは、会議室で額を突き詰めて終わらない議論を繰り返すのを好むようなタイプではない。他人に任せるよりも、何事も自分の目で確かめたがる人だった。
「つい先ほどまではこちらにいらしたんですけれど、どこかへ行ってしまわれたようです」
 五人目に尋ね、やはり申し訳なさそうな表情でそう言われたとき、私は堪え切れずにため息をついた。

 それからさんざん探したが、城の中でクレフを見つけることはできなかった。私は城を出て、市場へと向かった。道中もひたすらに目を凝らしていたが、クレフらしき人影は見当たらなかった。
「導師クレフ? 見かけてるわけがねえさ。あの人がこんなところまでやってきてたら、今ごろ市場は大騒ぎよ」
 果物屋の店主の答えも、私が期待していたものではなかった。そして確かに彼の言うとおりだと思い、それ以上市場を探して歩くことはやめようと決めた。めったに城下町へ降りないクレフが市場へやってきていたら、店主が言うように、辺りはもっとどよめき立っているはずだ。


「もう。いったいどこ行ったのよ、クレフ」
 そう言って天を仰ぐころには、空は早くも橙色に染まり始めていた。一応、空にも尋ねるつもりで言ったのだけれど、カラスが私をばかにするように一声鳴いただけで、当然ながら、求めていた答えは返ってこなかった。
 今日に限って誰かが時計の進み方を速くしているのではないかと思うほど、一日が経つのが恐ろしく速かった。私はひとつ息をついた。腰に手を当て、辺りをゆっくりと見回す。やがて、西の方角の一点に焦点を定めた。沈みゆく日を背後に受けた小高い丘の頂上に、うっすらと屋根のシルエットが浮かび上がっている。目を細め、私は呟いた。
「あとは、あそこしかないわね」

 つい先日も訪れたばかりのその小屋は、城にいないクレフを探す先として真っ先に思いついた場所でもあったのだが、あえてそこには足を運ばなかった。三番目にクレフの居場所を尋ねた人が、その小屋から薬草を抱えてクレフが出てくるところを見たと言ったからだ。「犯人は現場に舞い戻る」じゃあるまいし、一度離れたところに戻るということは考えられないと踏んでいた。けれど、ほとんどセフィーロ中を探したと言っても過言ではないのにどこにもいない以上、残る選択肢はあの小屋しかない。

 それでも私はためらった。ここまで探しているのに会えないということは、ひょっとしたら、今日は彼には会うべきじゃないと神様が言っているのかもしれない。そんなことを考え始めていた。
 小屋の真上に、一番星が姿を現した。今日彼に会ったら、すべては変わってしまいます。それでもいいのですか。聞かれて、私は答えられなかった。
 けれど私は、その声を吹っ切った。ぎゅっと拳を握り、小屋へと向かう覚悟を決めた。どうしても今日、決心が鈍らないうちに、クレフに会っておきたかった。クレフに会って、この心に燻っているものを打ち明け、そして彼の気持ちも確かめたい。願わくば、すべての人が幸せになれる道を、クレフと一緒に見出したかった。
 背中を押してくれる力を感じていた。風の力だった。彼女の力があるからこそ、私は今歩けている。この歩みが止まらないうちに、どうしても、クレフと話がしたい。私は小屋を目指して歩き出した。

***

 真っすぐ西を目指して歩いていると、目の前に森が出現した。首をもたげて上を見る。するとちょうど、クレフの小屋がある丘の手前で森は途切れていた。
 ここを横切れば、あるいは完全に日が暮れる前には小屋にたどり着けるかもしれない。そう思う一方で、躊躇する気持ちもあった。先ごろ暴君に襲われかけたのが森の中だったからだ。森の中へ一歩入れば、助けを呼ぶことは容易ではなくなる。また似たようなことが起きるとも限らない。もっとも、ここは当時の森ではないけれど。
 どうする。私は私に問うた。
 急く気持ちと、ためらい。結局勝ったのは急く気持ちだった。どうしても、今日、会いたい。何よりも今、その気持ちが強かった。私は覚悟を決め、森の中へと入っていった。


 ざくざくと、私が地面を踏みしめる音だけが響く。その森にも人気はまったくなかった。それでも私が安心して進むことができたのは、時折頭上で鳥たちの囀りが聞こえるからだった。言葉が通じるわけでもないのに、その声は、私に計り知れぬ勇気をくれた。前に襲われた森の中では、鳥の囀りはおろか、木の葉の揺らぐ音さえ聞こえなかった。あのときの森に比べれば、この森ははるかに安全なようだ。

「こっちで合ってるのかしら」
 首をぐっともたげ、生い茂る木々に阻まれて見えない空を少しでも見ようとしながら、私はひとりごちた。森に入ってからはずっと直進してきているので間違ってはいないはずだが、木々は深く、そして遠くまで延々と聳えているので、外の様子がまったくわからない。そのため、自分が今ほんとうに西の方角へ進むことができているのかどうか、定かではなかった。せめて太陽の位置だけでもわかればいいのだけれど、辛うじて差し込んでくるかこないかという程度の光では、それがどちらから齎されているのかまでは判別できなかった。
「まあ、抜けてみればわかるわね」
 あっけらかんとして私は言った。そのころには、「日が沈むまでにはクレフに会いたい」という気持ちは失せていた。今は、たとえ日が沈んでしまっても、彼に一目会うことができればそれでいいと考えるに至っている。


 気楽に構えていた私だったが、しかしふと、道の途中で立ち止まった。
 突然風が冷たくなったように感じたのだ。風向きは明らかに変わった。
 風の向きと温度というのは、セフィーロでは大きな意味を持つ。状況の変化を知らせる、まさに風見鶏の役割を果たすものだ。それが変わるということは、そのまま、周囲の状況が変わることを示している。
 まさか。
 私はぎゅっと拳を握った。まさか、また暴君が現れたのだろうか。身の毛のよだつような寒気が、一瞬にして全身を駆け抜ける。思わず足が竦んだ。私はその場でぴたりと立ち止まった。
 振り払うように、私は小さくかぶりを振った。そして一度深呼吸をした。こんなところで、逃げてはいけない。せっかくクレフに助けてもらった命だ、こんなところでまたやられるわけにはいかない。護られてばかりではいられない。せめて、自分の身は自分で護れるようになりたい。

 首は動かさずに、目だけでざっと辺りを見回した。背後にまで意識を配るも、しかし自分以外の人がいるような気配は感じない。
 気のせいだろうか、と私は眉間に皺を寄せた。けれど、なんとなく感じるこの胸騒ぎ。何か危険が迫っていることを告げているように思えてならない。その独特の感覚は、『魔法騎士』として乗り越えた、幾多の戦いによって研ぎ澄まされたものだ。

 そしてそれは、突然やってきた。
「――!」
 一瞬早く気配を感じ取ったのが幸いし、突如目の前に現れた巨大なものが何であるかを確かめるより先に、私は反射的にその場を飛び退いた。入れ違いに、それまで私が立っていたところに鋭い剣先が突き刺さる。頭上でぱらりと微かな音がして、木の葉が一枚私の肩に落ちてきた。
 ズッ、と剣先が地面から抜かれる。私は肩で息をしながら、その剣の形をたどり、主の姿を確かめようとした。巨大な体がそそり立っている。わずかに地表を照らしていた光さえも遮られた。そして、小さな顔の中で不敵な光を放つ獰猛な双眸を認め、私は息を呑んだ。
「魔物……!」
 くすんだ血を思わせる色の体に、黒いタトゥーのような模様が入った胸。持ち上げられた剣先は、そのまま腕へと繋がっていた。鋏のようなその剣だけで、私の身長の優に二倍はありそうだった。体全体の大きさは、考えるのも厭だった。

 グルッと魔物が喉を鳴らす音で、呆然とそれを見上げていた私はわれに返った。間髪容れず、魔物の剣先が再び振り下ろされる。
 どうして、森に魔物が。心に浮かんだ疑問に、答えてくれるものはない。むしろ迫りくる鋼が、私の思考を遮断した。捕らえられる直前に横へ跳び、直撃だけはなんとか免れた。遅れてついてきた髪に切っ先が触れ、数本がはらりと散った。

 私はごくりと唾を呑み込んだ。あの剣にやられたら、間違いなくひとたまりもない。
 そのとき、頬に冷たい感触があった。私ははっと顔を上げた。また別の魔物かと身構えたが、そうではなかった。その落ちてくるものは次第に強く、そして量を増していき、瞬く間にあたりは暗くなった。雨だ。
「こんなときに……!」
 私は拳を握り締め、唇を噛んだ。今日はことごとくうまくいかない。やはり神様が、今日はクレフには会いにいくなと告げているのだろうか。

 万事休すだった。武器を持たない今の私には、この目の前の魔物と戦ったところで勝ち目はない。魔法を使えるのならば話は別だが、私はもう魔法を手放していた。
 悔しいけれど、逃げるしかない。そう心に決め、来た道を戻ろうと振り返った。ところが、その体勢のままぴくりと肩を震わせ、立ち竦むことになった。進む気が起らなかった。――いや、「進めなかった」と言った方が正しいかもしれない。何しろ、たどって来たはずの道が、跡形もなく消えていたのだから。
 見渡す限り木々が生い茂っている。私をあざ笑うかのように、木々が雨に打たれ、囁き合った。
「まさか」
 思わず漏れ出た声は掠れていた。魔物が出て、なおかつそれまでたどってきた道が消える森など、この広いセフィーロの中でもただ一つしかない。そして、もしも私が迷い込んだのがその森なら、魔物から逃げることさえ不可能だ。

 考えを巡らせることに気を取られて、寸前まで、再び魔物の剣が迫っていることに気づかなかった。殺気を感じ、辛うじて、振り返りざまに身をよじった。剣が今度は鼻先を掠め、つい今しがたまで私の目の前に聳えていた大木を真っ二つに切り裂いた。
「……っ!」
 剣を避けてほっとする間もなく、私は雨でぬかるんだ地面に足を取られ、その場でバランスを崩した。咄嗟に何かにつかまろうと伸ばした手もむなしく空を切り、仰向けに倒れ込んだ。濡れた髪が顔にまとわりつき、視界を邪魔する。泥にまみれた手で無我夢中にその髪を振り払えば、魔物が体勢を立て直そうとしているのが厭でも目に入った。
 逃げ出したいのに、泥に嵌まって足が抜けない。焦って抜こうとすればするほど、ますます深みに嵌まっていく。こめかみを流れるのが雨なのか汗なのか、もはやよくわからなかった。
 私がもがいている間に魔物は体勢を立て直し、正面を向いた。二つの獰猛な瞳が私を捉える。その目が一瞬笑ったように見えて、われ知らずごくりと息を呑んだ。残念だが、おまえにはもう逃げ場はない。魔物の目がそう言った気がした。

 私は微動だにせず、じっと魔物の目を見つめ続けた。視線を外したらそれが最後と思っていた。背を見せたら、弱みを見せたら殺される。必死で自分自身に言い聞かせた。泥の混じった雨が目に沁みて痛かったが、それでも私は、たった一度の瞬きさえもしなかった。いや、できなかった。
 我慢比べに先に音を上げたのは魔物の方だった。一度眼球をぐるりと回して、ゆっくりと剣を構える。その腕が刹那、目にも留まらぬ速さで天高く振り上げられた。
 やられる!
 私は覚悟した。それでも瞬きだけはしなかった。私を殺す瞬間の魔物の姿を、目に焼き付けてやる。次の瞬間、天上で爆発音が轟き、目の前で火花が散った。

 ああ、神様。あなたの意に背いた私は、あっけなくあなたのもとへたどり着くことになりました。滑稽だと、笑いますか。
 問うたが答えはなかった。それどころか、目に見える景色は天国にも地獄にもならなかった。火花が収まった後に広がった景色は、直前から何も変わっていなかった。私はひとりで森の中にいた。雨が悲鳴を上げている。目の前には大きく目を見開いた魔物がいた。魔物は腕を真っすぐ天に向かって振りかざしたまま、その場で静止していた。

 おかしい。そう思ったのは、血走った魔物の瞳孔が生気を失っていることに気づいたときだった。訝しがり、私はじっと目を凝らした。よく見ると、くすんだ血の色をしていたはずの魔物の体が、いつの間にか真っ黒へと変色していた。ところどころ、肩や腰などから白い煙のようなものも立ち上っている。
 それは一瞬の出来事だった。私が瞬きをすると、まるでそれを合図にしたかのように、魔物が粉々に砕け散って地面と一体化したのだった。
 叫び声も出なかった。展開に思考が追いつかない。呆気にとられたまま、ただ一部始終を見ているしかなかった。

 ふと私は、魔物が消え去ったその向こう側に人の姿を見止めた。すぐ傍で見覚えのある厳つい杖が淡い光を放っていることに気づいて、私は絶句した。その光はまるで、深夜の空を歩く旅人に方向を指し示す北極星のようだった。
 中途半端に口を開けたままの私の耳に、雨の音だけが響く。ああ、神様。あなたは今、どんな表情で私を見ていますか。二度目の問いかけにも、やはり答えはなかった。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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