蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ゆめものがたり 8. 凋落

10万ヒット企画

今日のクレフはやけに口数が少ないなと、そのとき初めて気がついた。

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 特にどこか当てがあって飛び出してきたわけではない。足は自然と森に向いた。というより、ほかに行くところなど思いつかなかった。それに、今はただ、クレフに会いたかった。無性に会いたかった。どうしてこんなに会いたくなるのかわからないほど会いたかった。ウミは城が見えなくなるほどの距離まできてから、ようやく走るのをやめた。

 ずっと走ってきたせいで足が重かった。それでもウミは歩き続けた。足を完全に止めてしまったら、そこからは、前へも後ろへも進めなくなってしまいそうだった。足を動かすことだけを考え続けよう。そう自分自身に言い聞かせていた。
 そうして歩きながら、ウミはだんだんと後悔につまされるようになった。どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。意図していたわけではなかったのに。
 意図していたわけではなかった、つもりだった。けれど、口から出る言葉は、その人の心に必ず存在しているものだ。自覚のあるなしに拘らず、心にあるものだから言葉になる。――それはほかでもない、父に教えられたことだった。そしてその父に、とんでもないことを言ってしまった。
「お父様なんて、大っ嫌い!」
 思い出しただけで胸が締め付けられそうだった。あんなことを言うなんて、ほんとうに、あのときの私はどうかしていた。父のことが嫌いなはずはなかった。大好きだった。

 売り言葉に買い言葉のようなものだった。あのときは、心のコントロールを失っていた。「戦」という言葉がそうさせていた。その言葉は、ウミの心に大きな波を立たせた。戦になる、この国が戦火に包まれる――それは、想像しただけで吐き気がしそうなほど厭なことだった。
 しかし、どうしてこれほどまでに戦を忌み嫌うのか、ウミは自分のことながらよくわからなかった。ウミは戦は経験していない。物心ついてから今日まで、セフィーロは平和だった。もっとも、ラメール家とフロイト家の間に交流は存在しなかったけれど、それでもこの数年、両家はおのおのそれなりにうまくやっていた。だから、ウミは戦は知らない。それなのに厭だった。どうしても。


 水の匂いがした。ウミははっと我に返り、城を出てから初めて立ち止まった。いつの間にかあの、湖があるところまでやってきたいた。今日は、軽く見回せばすぐに見つけられるところに、クレフはいた。彼はフューラに背を預けて、じっと湖の方を見ていた。横顔が、ぞくりとするほど真剣だった。
 先にウミに気づいたのはフューラだった。じっと目を閉じていたので眠っているのかと思ったが、違ったようだ。ぴくりと尾が動いて、ぱっちりと目が開いた。ウミを捉えると、フューラは嬉しそうに尾を振った。ウミは微笑み、フューラに手を振り返した。そうして初めてクレフがこちらを振り向いた。彼は少しだけ目を見開いたが、すぐに細めて笑った。
「王女」
 その瞬間、ウミは突然思い出した。前回彼に会ったときに何が起こったのかを。
 途端に赤面した。そういえば、彼に会うのは「あのとき」以来のことだった。クレフにひたすらに会いたいと思ってここへ来たけれど、いざ会うと、どう頑張っても彼を真正面から見ることはできそうにもなかった。われ知らず顔を逸らした。二人の関係が圧倒的に変わってしまうことが怖かった。それがたとえ、いい方向であったとしても。

 顔を逸らしたらクレフが何か声を掛けてくると思っていた。ところが、一言「王女」と言ったきり、いつまで経っても彼は何も言わなかった。ウミは恐る恐る顔を上げた。けれどクレフと視線は交わらなかった。彼は湖の方を見て、眉間に深く皺を刻んでいた。その表情に、ウミは落ち着かない不安を覚えた。ゆっくりと歩き出し、フューラの手前で立ち止まった。
「クレフ?」とウミは彼を覗き込むようにしながら言った。「どうしたの、何かあったの?」
 彼はしばらく答えなかった。瞬きさえしていなかった。そのころになると、ウミは、つい今しがたまで感じていた照れくささをすっかり忘れていた。

「……いや」
 やがてクレフは、吹っ切るようにかぶりを振りながら口を開いた。
「なんでもない」
 どう見ても「なんでもない」という感じではなかったが、これ以上深く聞いても話してはくれないだろうと感じたので、ウミは押し黙った。フューラが喉を鳴らして、ウミにすり寄ってきた。ウミは反射的にフューラの鼻の辺りを撫でた。この子を前にすると、自然と顔がほころんだ。フューラ自身も嬉しそうに鳴いた。

「王女こそ、どうした?」
 不意にクレフが聞いてきた。ウミはフューラに手を当てたままで彼の方を向いた。クレフと目が合っても、もう気分の高揚は感じなかった。代わりに、ここへ来ようとしていた目的を思い出して、気持ちはすっかり沈んでしまった。
 フューラから手を離すと、ウミはクレフの隣へ行った。彼と一人分間を空けて、フューラに寄り掛かる。フューラの体は柔らかくて、まるでウォーターベッドのようだった。クレフの視線を感じた。ウミは俯いた。
「お父様がね」とウミは話し出した。「戦になるかもしれないと言うの」
「戦?」
 クレフの声色が変わった。ウミはちらりと彼の方を見た。こうして隣に立つと、やはり背丈の違いを感じる。クレフは大きく目を見開いてこちらを見上げていた。ウミは泣きそうになって、それでも堪え、代わりに無理して微笑んだ。なんとなく、ここで涙を流すのは憚られた。クレフならば黙って受け止めてくれるのだろうけれど、だからこそ、厭だった。
「フロイト家と、うまくいっていないみたいなのよ」
 ウミは言った。
「フロイト家は王家を統一したいらしんだけど、お父様は、それは絶対に受け入れられないんですって」

 正直言ってウミは複雑だった。もちろん、ラメール家を護りたいという父の言い分はわかるし、そのとおりだとウミも思う。けれど、その前に戦になってしまうのなら、結局は皆を護れなくなる。それならば、まずは目の前に迫っている危機を回避するのが先決だろう。
 仮に戦に勝利したところで、すべてが終わるころには、ラメール家の人間は半減してしまっているかもしれない。そんなことになるくらいなら、いっそのこと、フロイト家の案を呑んで王家を統一してしまえばいいのではないかとさえ思ってしまう。両親の前ではとてもそんなことは言えないけれど、フロイト家の案のどこに問題があるのか、ウミにはさっぱりわからなかった。

 ウミはフロイト家の人間に会ったことはない。王の名前はイーグルといって、フェリオという名の、ウミと同年代の王子がいるということくらいは耳にしたことがある。けれどその姿がどのようなものであるのか、彼らの性格はどうなのか、ウミはまったく知らない。知らない人間に対しては、敵対心など、覚えようにも覚えられない。父の態度を見るにつけ、フロイト家の人たちは自分たちとはまったく異なる価値観を持っているのだろうとは思うが、それでも「思う」だけだ。彼らに対して憎しみを抱くことはできなかった。
 ほんとうに、争うしか道はないのだろうか。両家がどちらも幸せになれるような道は、ほんとうに存在しないのだろうか。

「私はね」
 ウミは独り言を言うように口を開いた。
「フロイト家の提案を受け入れてもいいと思ってるの」
 それは初めて口にすることだった。父にはもちろん、フウに対してさえも打ち明けたことはなかった。そもそも彼女とは、こういう政の話はしなかった。
「王女である私がこんなこと、ほんとうは、言ってはいけないんだけど。でも私、ラメール家がなくなったって構わないわ。ただ、戦だけはしてほしくないの。戦は、たくさんの人の命を奪うわ。厭なのよ、罪もない人が命を奪われていくなんて。小さいころから知っている人たちが戦火に倒れるところなんて、見たくないの。戦で犠牲になるのは、いつだって、名もない民たちでしょう。だから……」
 次から次へと、零れ落ちるままに言葉を紡いでいたウミだったが、そこまで話してはっと我に返った。そして急に恥ずかしくなって口を噤んだ。こんな話、クレフにしたってしょうがない。彼とはなんの関係もない話だ。人の愚痴を聞いて気分がよくなる人などいない。この話が、クレフにとって耳に心地いいものであるはずがない。

 申し訳なくなった。ウミは肩を竦めて苦笑すると、クレフの方を向いた。彼はじっと目の前の湖を見ていた。
「ごめんなさい」とウミは言った。「こんな話、あなたにしたってしょうがないわよね」
 今日のクレフはやけに口数が少ないなと、そのとき初めて気がついた。ウミは彼の表情をよく見ようと腰をわずかに落とした。
「いや」
 ところが、目が合う前にクレフが口を開いた。
「しょうがないことはない。私も、まったく無関係というわけではないのだから」
「え?」とウミは目を丸くした。クレフが顔を上げた。視線が交わる。そのときウミは、なぜか咄嗟に「聞きたくない」と思った。彼にそれ以上何も言ってほしくなかった。その気持ちはとても強かったのに、言葉にはならなかった。
「王女」
 やがて、クレフが静かに口を開いた。フューラから背を離すと、彼はウミとまっすぐに向き合った。
「私はそなたに、偽りを述べていた」と彼は言った。「私は昔、確かに『導師クレフ』と呼ばれていた」
 ウミは瞬きも忘れてクレフをまじまじと見つめた。

 過去に彼と交わした会話が脳裏を過った。
「クレフって……クレフって、あのクレフ?!」
「私が導師クレフなわけがあるまい。ただ同じ名前というだけだ」
「でも、でもでも、だって、あなたも魔導師なんでしょう?」
「そうだ。それも偶然だ」

「どういうこと……?」とウミは言った。
「そのままの意味だ」とクレフは言った。「王女の言うとおり、私はかつて、『導師クレフ』と人々から呼ばれていた」
 偶然ではなかった。彼はやはり、あの『導師クレフ』だった。
 でも、だから何だというの? ウミは自分自身の心に問うた。彼が導師クレフだったからといって、それが何だというの? より一層尊敬すべき人だというだけで、何も変わらないじゃない。
 そのはずだった。何も変わらないはずだった。それなのにウミは、落ち着いていられなかった。
「でも」とウミは、ぎこちない笑みを浮かべながら口を開いた。「過去形なんでしょう? 今は、違うんでしょう?」
 彼は確かに、「昔はそう呼ばれていた」といった。それはつまり、今はそうは呼ばれてはいないということだ。そこにウミは、無意識のうちに一縷の望みを託していた。クレフが笑って「そうだ」と言ってくれたら、すべては丸く収まる気がした。どうしてもそうしてほしかった。それなのに彼は、無情にも視線を落とした。
「確かに、今の私は『導師』ではない。だが、魔導師であることには変わりない。単純に、力の差の問題だ」
 クレフが何を言おうとしているのか、ウミにはまったくわからなかった。彼と視線が交わらなくなったことで、ひとり樹海に取り残されてしまったような孤独を感じた。お願いだから、早く引き上げて。心の声に音が与えられることは、しかし、なかった。
「無関係では、ないのだ」と、クレフはゆっくり言った。「『導師クレフ』の名を捨てたとき、私はとある男に呼ばれた。以来今日まで、その男のもとで、私はひっそりと暮らしてきた。男は名を、『イーグル』という」

 ガンと頭を殴られたような衝撃があった。その場で倒れることさえ、あり得ない話ではなかった。ウミは咄嗟にフューラの体に手を置いた。きゅる、とフューラが心配そうに鳴いた。
「うそよ」とウミは言った。クレフの肩が震えた気がした。
「嘘ではない」と、クレフはしっかりとした声で答えた。「その証拠に」
 クレフは杖を持った方の腕を前に突き出し、もう一方の手で袖をまくりあげた。白くて細い腕が露わになる。彼は体の前で腕を構え、ウミをまっすぐに見据えた。突然のことで、無視できなかった。彼の腕に、うっすらと模様が浮かび上がった。それはウミでも知っている、フロイト家の紋章だった。

「どうして……?」
 ようやく絞り出した声は、枯れきっていた。何も考えられなかった。瞬きをすると、冷たいものが頬を流れた。クレフが瞼を落とし、袖を元どおりにした。その仕草と同じように、すべてのことが過去に戻ってしまえばいいのに。ウミは思った。そして、彼に気持ちを打ち明けてさえいないことにいまさら気づいた。唇が震えた。
「騙してたのね? 私がラメール家の王女だったから、だから近づいたのね?」
「違う、それは――」
 クレフは身を乗り出して何か言いかけたが、結局それ以降彼の口が言葉を紡ぐことはなかった。クレフは黙ってウミから顔を逸らした。それをウミは肯定と受け取った。心の中で、何かが弾けとんだ。
「最低よ」
 叫びたいのを堪えて、ウミはそれだけを言った。そしてさっと踵を返し、そのまま城へ向かって駆け出した。二度と振り返らなかった。

 走っている間も、涙は絶えず頬を濡らし続けた。胸が張り裂けそうだった。せめてもっと前に知れていたら。無意味なこととわかっていながら、そう願わずにはいられなかった。もう、諦めることがこんなにも辛いほど、クレフのことを好きになっていた。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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