蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ゆめものがたり 9. 遺言

10万ヒット企画

戦とはいつも、くだらない理由により始まり、どうしようもない理由で終わる。

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 訴えるような視線を背中に感じたが、クレフは振り返らなかった。そこにいるのが誰であるかは気配でわかったし、彼が何の用で自分のもとへやってきたのかも、だいたいわかっているつもりだった。

 フロイト城の屋上からの眺めは絶景だった。暇さえあればここへ来て、精獣たちと戯れることが、長い間、クレフにとって唯一の楽しみだった。精獣にはフロイト家もラメール家も関係ない。彼らといるときだけは、自らの立場や過去を忘れていられた。
 今日もやはり、いつもと同じようにここへやってきた。ただ、こうして立ち尽くしたまま何時間も動かないということは、常ではなかった。クレフは、屋上をぐるりと囲む鉄柵の前に佇み、眼下に広がる景色をただひたすらに眺めつづけていた。隣でくつろぐ精獣の背を撫ぜる手は、無意識のうちに規則正しく動いていた。

「何をしている」
 痺れを切らした声が背に当たった。それでもクレフは振り返らなかった。短いため息が聞こえた。足音が近づいてくる。精獣がぴくりと耳を動かして顔を上げたので、なだめるように、クレフは意識的にその背を撫でた。すると精獣は、安心したように頭を下ろした。それと同時に、やや離れたところで足音が止まった。
「探した」と彼は言った。「王がお呼びだ」

 そこでようやく、クレフは後ろを振り返った。仏頂面をしたランティスがそこに立っていた。この美しい晴天の下では、彼が纏うその真っ黒な鎧は、必要以上に威圧的に見える。何も知らない子どもが見たらそれだけで泣き出しそうだと、クレフは思った。その思考は、本来あるべき状態よりもずいぶんと軽やかだった。
「行く必要もない」とクレフは答えた。「用件はすでにわかっている」
 ランティスの瞳が揺らいだ。その変化は微々たるものだったが、幼少期から彼を知っているクレフにとっては、わかりやす過ぎるほどの変化だった。そしてそう感じるということは、もうそれだけ長い時間を、クレフ自身がこの城で過ごしたということだ。クレフは自嘲気味に笑った。するとランティスの気配が歪んだ。
「何があった?」とランティスは言った。「ここ最近のあなたは、いつものあなたではない」

 クレフはランティスから視線を外した。森が広がっている。はるか遠くまで広がるその森の端には、辛うじてラメール城が見えた。16年前で止まり、もう二度と動き出すことのないはずだった時計が、今ははっきりと、正確な時間を刻んでいた。あっという間に過ぎ去ったように感じた16年だったが、その間に、泣きじゃくるばかりだった赤子は、美しい娘へと変貌を遂げていた。
「『いつもの私』か」
 クレフはラメール城の方へ目を向けたまま呟いた。
「『いつもの私』とは、どのような私だ?」
 振り返り、クレフはランティスを見返した。
「教えてくれないか、ランティス」
「導師……」
 ランティスも、今度ばかりは明らかに狼狽した。そういえば、彼にだけは、「導師」と呼ばれてもさほど嫌悪感を覚えなかった。瞬きを繰り返すその真っ青な瞳を前に、クレフは口元を緩めた。心から信頼している教え子である彼に尋ねるには、今のはあまりにも酷な質問だった。
「すまない、忘れてくれ」とクレフは眉尻を下げた。「愚問だった」
 それきり、二人とも黙り込んだ。


 ここ数日で、城内は一気にあわただしさを増した。ラメール家との戦に向けての準備が、着実に進んでいた。張り詰めた空気が、どこへ行っても流れている。そんな城の中で息苦しさを覚えて、この屋上へやってきたのかもしれない。
 両家とも、まだ宣戦布告はしていない。ただ、一触即発の状態であることは確かだった。いつどんなとき、どういったことがきっかけになるかわからない。それが戦というものだ。16年前もそうだった。戦とはいつも、くだらない理由により始まり、どうしようもない理由で終わる。

 「始まることを止める」という観点からは、クレフにできることはもう何もなかった。飽くほどにイーグルのもとへ詰め寄っては、こんなことはやめるようにと口酸っぱく進言してきたが、徒(むだ)だった。彼が密かに進めようとしている計画について気づいているのだということを指摘しても、表情こそわずかに変化したものの、それきりだった。ほとんど脅しのようなクレフの言葉にさえ、イーグルは、耳を貸そうともしなかった。それどころか、クレフがいる目の前で、戦支度を進めるよう皆に平然と指示を出した。涼しげなイーグルの笑顔を見て、クレフはもうだめだと悟った。この男には、しょせん何を言っても暖簾に腕押しだ。ここまできたら、戦の火ぶたは切って落とされるしかない。
 しかし、たとえ始まってしまったとしても、犠牲だけはなんとしても回避しなければならなかった。誰かのためではなく、クレフ自身が厭だった。多くの血が流されるところを見るのはもう、たくさんだ。


「あなたの決めたことに、異を唱えるつもりはない」
 不意にランティスが沈黙を破った。その言葉が意外なものであったので、クレフは目を見開いて彼をまじまじと見上げた。どこか諦めの境地に立ったような顔をしていると、最初は思った。だがよく見てみれば、ランティスは強い意志を持ってその瞳を輝かせていた。そしてその瞳で、クレフのことを、恐れることなく見返した。
「だから、あなたが正しいと思った道を進めばいい。だが」
 一度言葉を区切って、ランティスは肩の力を抜いた。まるで、クレフにもそうせよと言うかのような仕草だった。
「あなたはもう、じゅうぶんフロイト家に尽くしてきた。あなたが己の幸せを追い求めたところで、誰にも咎めることはできない」
 まるで心の奥を見透かしたような言葉に、クレフは声を失った。ランティスはわかっているのだと、このとき初めて気がついた。すべてではないにせよ、彼はクレフの気持ちを理解している。
 彼女と語り合っている場面を見られたのはたった一度きりだった。あのときに気づいたというのだろうか。クレフはランティスの瞳を、その奥まで見つめようとしたが、彼の心までは覗けなかった。

 クレフは一度瞬きをして視線を落とした。仮にランティスがこの心を知っていたとしても、それとクレフ自身の気持ちとは無関係だ。クレフは静かにかぶりを振った。
「そういうわけにはいかない」とクレフは言った。「私は一度死んだ身だ。幸せなど……おこがましいにもほどがある」
 「幸せ」という言葉を口にした瞬間、クレフは期せずして寒気を覚えた。照れくさくもあり、同時にくすぐったかった。その言葉を口にしたことが、これまでの人生において、いったい何度あっただろう。

 ランティスはそれ以上は言い募ろうとしなかった。彼は諦めの早い男だ。クレフが彼の言葉に首を縦に振ることはないとわかって、言葉を重ねることの無意味さを悟ったのだろう。
 ――いや。クレフは心の中で自らの考えを否定した。「諦め」とは少し違う。クルーは出した、あとはそれをもとに自分で考えろ、と言うつもりなのかもしれない。ちょうど、クレフがイーグルに対して接したのと同じように。

 まったく、こんなところまで師に似なくてもいいものを。クレフは苦笑した。ランティスが訝しげにこちらを睨んできたので、なんでもないとかぶりを振った。憮然として、ランティスはため息をついた。
「あなたを探し出し、連れ戻してくるよう頼まれている」
 「不機嫌」という言葉を音で表現したような声で、彼は言った。
「戻ってきてもらわなければ困る」
 ランティスを困らせるつもりはなかった。クレフは頷き、「わかった」と答えた。その答えを聞くやいなや、ランティスはくるりと踵を返し、一人でさっさと来た道を戻り始めた。
 連れ戻してくるよう頼まれたのではなかったのか、とクレフはその背中を見ながら思ったが、すぐに、一人で去っていったのは彼の心遣いだと気づいた。ランティスは確かに不器用だが、人一倍優しい男でもあった。
 その背中が完全に見えなくなるまで、クレフはランティスが去るのを見送った。彼のためにも、あと半刻のうちには戻ってやろうと心に決めた。気は進まなかったが。

 ランティスが屋上を去ると、爽やかな風が、クレフの髪を後ろから前へと靡かせた。その風に誘われるようにして、クレフは振り返った。いつの間にか、傍で休んでいた精獣はいなくなっていた。手持無沙汰になった手を、クレフは鉄柵に添えた。空は哀しいほどに澄み渡っていた。
「騙してたのね? 私がラメール家の王女だったから、だから近づいたのね?」
 涙をいっぱいにためた蒼い瞳を思い出したのは、この晴天のせいだ。胸が痛んだ。クレフは鉄柵から手を離し、思わずぎゅっと胸元をつかんだ。
 誰よりも守りたかったはずなのに、守るどころか傷つけた。反論できなかったのは、「騙していた」という言葉が必ずしも否定できるものではないことに気づいてしまったからだ。身分を偽り、あの森で暮らしていると嘘をついて彼女に接してきた。それを「騙していた」と言わずになんと言うだろう。何を言ったところで後の祭りだった。彼女の負った傷は、永遠にその心に残るだろう。そしてその傷を負わせたのは、ほかでもない自分自身だ。すべては言い訳にしかならなかった。

 今の自分は、「導師クレフではない」。しかし、そんなことを言ったところで彼女に理解してもらえるはずはなかった。すべてを説明するわけにはいかないのだから、彼女を納得させることは不可能だった。それに、たとえ今は「導師クレフ」ではないとしても、かつてはそうだったのだ、彼女を騙していたことには変わりない。そして何より、今の自分はフロイト家に仕える身分だ。望んだことではないとは言え、事実は事実としてそこに横たわっている。普通に考えたら、彼女とは敵対するべき立場にある。

 ならばなぜ、と思わずにはいられなかった。ならばなぜ、あの日一線を越えたのか。なぜ口付けなどしてしまったのか。
 どうかしていた。あのときは、私も彼女もどうかしていたのだ。そう思い込もうとした。だが、できなかった。
 確かにどうかしていたかもしれないが、決して出来心で及んだ行為ではなかった。あのときは事実、二人の気持ちは通じ合っていた。あらゆる流れがごく自然だった。唇を重ね合わせることを、お互いが当たり前のように望んでいた。

 しかし、仮にそうだとしても、やはりあの場では思い留まるべきだった。いつか打ち明けなければならない秘密があるとわかっていた。私はフロイト家の人間であり、本来は、彼女となれなれしく接することなど赦されない立場にある。真実を明かせば、もうこれまでのように会うことはできなくなる。そのことを、彼女は知らなくても私は知っていた。それどころか、本来は出逢ってはいけないふたりだった。いつかは別れが来ることを知っていた私は、あのとき、心に鉄の仮面を被ってでも彼女を拒まなければならなかった。


 クレフは顔を上げ、遠くにぎりぎりその天辺が見えるラメール城に目を凝らした。最後に会った日から、今日でちょうど一週間が経つ。今ごろ彼女はどうしているだろう。開き直って私への怒りに震えているか、それともまだ、あのときのような大粒の涙で、枕を濡らしているのだろうか。
 彼女が涙を流していても、それを拭ってやることもできない。このときほど自分の無力さを感じたことはなかった。魔法も長寿も、何もいらない。ただ、彼女を笑わせてやることだけがしたい。

 静かに瞼を下ろした。闇が広がる。その闇の中、はるか彼方に、やがて一条の光がぽつりと現れた。
『お願いします、どうか』
 その光の中から声が聞こえた。
『どうか、この子だけは』
 光はやがて大きな炎と化した。燃え滾る火の中、全身に煤を被った一人の女性が、こちらへ向かって懸命に両腕を伸ばしている。その腕が抱えているものだけが、見えるものの中で唯一真白だった。あとはすべてが炎の色に染まっていた。
 クレフは頷き、女性が差し出しているものを受け取った。耳を劈くような泣き声が、受け取った瞬間に腕の中から響いた。炎の轟音と交ざり合い、それはクレフの脳天をぶち破ろうとした。ギリギリのところで堪え、クレフは真白のそれを強く抱いた。そして心の中で念じた。だいじょうぶだ、おまえは助ける。するとその声が届いたのか、泣き声が止んだ。クレフは炎の中の女性と目を合わせ、頷いた。女性は最後、とても穏やかに微笑んだ。それきり、視界のすべては炎に包まれた。

 すっかり重くなった瞼を、クレフは力を籠めて開いた。瞼だけではなく、全身が一気に重くなったように感じた。その重みを取り払うように、静かに息をついた。
 あのときの炎は、その後数年に渡りクレフを苦しめた。眠れぬ夜が、うんざりするほど長く続いた。戦は、命を失う者はもちろん辛いが、残された者も辛い。残された者は、永遠に癒えることのない傷を負いながら、それでも生きていかなければならない。「生きる」ということが、そのまま拷問となるのだった。
 もう誰にもそんな思いはさせたくなかった。まして相手が彼女ならば、なんとしてでもその心を守りたかった。

 クレフは、その存在を確かめるように杖をぎゅっと握りしめた。彼女が向けてくれた笑顔が心をよぎる。クレフは確かに、恋をしていた。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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