蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ゆめものがたり 10. 思慕

10万ヒット企画

そっと扉を開けると、風がウミを出迎えた。外へようこそ。今は誰もいませんよ。

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 カトラリーこそ動かしているものの、肝心の中身はほとんど減っていなかった。メインのローストビーフは美味しそうな照りを出している。一口サイズに切り、フォークで刺してはみるものの、それがウミの口へと運ばれることはなかった。中途半端に持ち上げた手をあっさりと下ろし、ウミはため息をついた。カトラリーを11時の方向に揃えて置くと、
「ごちそうさま」
 と言った。
 向かいに座った父と母が、困惑した表情で互いの顔を見合わせる。ばつが悪くて、ウミは俯いた。
「ウミ」と父がカトラリーを置いて言った。「いったい何があった? ここ最近、ほとんど食事を口にしていないじゃないか」
「そうよ、ウミ」と母も父に同調した。そして眉間に深く皺を寄せた。「どこか具合でも悪いの? もしもそうなら、お医者様に診ていただくように手配するわ」
 それほど深刻な顔をした母を見るのは、初めてだった。ウミはふるふるとかぶりを振った。
「どこも悪くなんかないわ。ただ、ちょっと食欲がないだけ」
 同じような会話を、ここ数日のうちにいったい何度繰り返しただろう。会話の終わりはいつも同じだった。両親が再び互いの顔を見合わせて、「そう?」と母が不安げに言う。そしてウミが席を立つ。
「少し、部屋で休むわ」
 いつもと同じようにそう言って、ウミは食卓を離れた。広間の入り口のところでフウが待機していた。目が合うと、彼女は何か言いたそうな顔をした。今は何も聞きたくなかった。ウミはフウから視線を逸らした。
 扉の前でいったん立ち止まる。父と母の方を向いて一礼すると、ウミは広間を後にした。


「王女様」
 回廊を自室へと進む間、何度かフウがそうして話しかけようと試みてきたが、そのどれもに対して、ウミは聞こえないふりを貫いた。外では蛍が宵闇を行き交っている。彼らは何の音も発せず、ただ静かにそこを漂っていた。あるいはその蛍がもっと騒がしく動いていれば、彼らを言い訳にすることもできたかもしれない。けれど残念ながら、それはできない相談だった。
「ウミ王女」
 どれほど無視を決め込んでも、懲りずにフウは呼び続けた。角を曲がり、自室の扉が見えてきたところで、ついにウミは立ち止まった。自分では機敏に動いたつもりだったが、フウの目にはひどく緩慢な動作に見えたことだろう。食事量が減ってから動きが鈍くなったと、以前彼女に指摘されたことがあった。

 視線がぶつかると、フウは明らかに困惑した。ウミは曖昧に笑った。
「ごめんね、フウ」とウミは言った。「私ならだいじょうぶだから。心配しないで」
「ですが」とフウは身を乗り出したが、それきり口を噤んだ。そして体の前でぎゅっと両手を握りしめ、俯いた。その全身からやりきれなさが伝わってきて、ウミは一瞬申し訳なく思った。けれどそれは、ほんとうに一瞬のことだった。ウミは、努めてにこやかに微笑んだ。
「もう休むわ。あなたも、今日は帰って」
「……はい」と答えて、フウが深く頭を下げた。「おやすみなさいませ、王女様」
「おやすみなさい」
 ウミが答えても、フウは顔を上げなかった。90度に限りなく近く腰を折った姿勢のフウに見送られながら、ウミは自室の扉を閉めた。


 扉を背にしたまま、ウミはしばらくぼうっとしていた。広いバルコニーの向こうから差し込んでくる明かりはまだ、月だけによる明かりというわけではない。寝るにはまだ早すぎる時間だった。それでもウミは、部屋に入ってすぐのころから、強烈な睡魔に襲われていた。
 ずっと眠れていなかった。もう一週間だ。もう一週間、ろくな睡眠を取っていなかった。さすがにこれだけ長期間、普段の睡眠時間の半分程度で過ごしていれば、体が休息を欲してくるようだ。
 ウミは扉から一歩離れた。すると途端に眩暈を覚えた。ふらふらとしながらベッドへ向かう。着替えもせず、ウミはそのままベッドになだれ込んだ。瞼が鉛のように重かった。最後に何かを呟いた気がしたが、自分で自分が何を呟いたのかわからなかった。吸い込んだ息を吐き出す前に、ウミは意識を手放していた。

***

 窓が揺れる音で目を覚ました。軽い身じろぎの後、ウミは何度か瞬きをした。張り詰めた感じがして目尻を擦ると、そこが干からびていた。
 むくりと起き上がると、体がずいぶんとすっきりしていることに気づいた。久しぶりに空腹も感じた。我慢できないほどではなかったけれど、「お腹が空いた」という感覚そのものを忘れつつあったので、それは感動的でさえあった。
 ふとサイドテーブルに目を向けたウミは、驚いて目を丸くした。眠る前にはなかったはずなのに、そこには何粒かの飴玉があった。きっとフウが用意してくれたのだろうが、彼女が部屋の中へ入ってきたことなどまったく気づかなかった。それほど深く眠っていたということだろう。そういえば、布団の上に倒れ込んだはずなのに、改めて見ると今、ウミはその布団をかぶっていた。涙が、それはもう簡単に出そうだった。けれどぐっと抑え込んだ。
 飴玉を一つ手に取った。口に放り込むと、顎が痛んだ。甘さが全身に広がる。そのときようやく、ウミは長い長い眠りから醒めたような気がした。

 イブニングドレスがすっかり皺になっていた。これは明日、フウにクリーニングを頼むしかない。ウミはドレスを脱いで寝間着に着替えた。いつも着ている、裾までの長さがあるシルクのワンピースだ。そのまま再びベッドに潜り込もうとしたとき、バルコニーへと続く扉が風に鳴った。
 ウミは顔を上げてそちらを見た。窓の向こうの空では、幾千の星が瞬いている。もうひとつ飴玉の封を切ると、ウミは傍の椅子にかけてあった水色のストールを羽織り、バルコニーの方へと足を向けた。飴玉はレモンの味がした。

 そっと扉を開けると、風がウミを出迎えた。外へようこそ。今は誰もいませんよ。そのように囁いた。思ったほど寒くはなかったけれど、ストールがあってちょうどいいくらいの気温だった。扉を閉め、バルコニーの先まで行った。手すりにそっと手をかけ、深く息を吸い込んだ。そうすると、体の中へと入りこんでくる澄んだ夜の空気が、全身の血液を入れ替えてくれるかのようだった。


「騙してたのね? 私がラメール家の王女だったから、だから近づいたのね?」
 自分自身の声が、脳裏に生々しく蘇った。ウミは思わずぐっと強く手すりを握った。自分の言葉なのに、その言葉はウミの心に深い傷を残した。そして、実際にあの言葉をぶつけられたクレフはどれほど傷ついただろうと思うと、ウミの胸はますます痛んだ。

 あのときは、口にしたとおりの気持ちが心の中にあった。騙されていた。フロイト家の人間である彼がウミに近づいたのは、ウミがラメール家の王女だったからだ。そうに違いないと思った。クレフを軽蔑した。彼と交わした会話の数々を、彼の優しい笑顔を思い浮かべては、いったいどんなつもりで私と接していたのだと、笑い飛ばそうとした。でも、できなかった。
 どうして騙していたのだろう、どうして今になって打ち明けたのだろう。心の底ではそんなことばかりを考えていた。彼にも何か理由があったのではないか、彼が私に近づいたのは、何かやむにやまれぬ事情があったからではないか。それどころか、そもそも彼は、私に近づこうとしていたわけではなかったのではないか。実際、初対面のとき、彼は私を見て大きく目を見開いていた。私を傷つけたくなくて、それで、「私は『導師クレフ』ではない」などと言ったのではないか。あれは、彼の優しい嘘だったのではないか。

 ウミはため息をついた。すべては都合のいい解釈だとわかっている。どのような理由があろうとも、クレフがフロイト家の人間だという事実に変わりはない。そして、そのフロイト家とラメール家は今、一触即発の状態にある。仲良くなれるわけはないし、第一、そんなことは赦されない。
 それでもいつも思い出した。あのとき触れ合った唇の感触を。あのときの二人の間には、何の偽りもなかった。ウミは今でもそう信じている。
 どれほど見出そうとしてもできなかった。肩を抱いたクレフの腕も、向き合ったときの彼の瞳も、すべてが真剣だった。そこにはひとつの邪念も見つけられなかった。

 ぐっと首をもたげて空を見つめた。星の数を数えようとした。美しすぎる夜空が、このときばかりは目に毒だった。
 心がはち切れそうだった。私はラメール家の王女だ。それは死ぬまで変わらない。フロイト家の人間と関わりを持つことなど、絶対にあってはならない。わかっている。わかっているのに、止められなかった。フロイト家の人間であることが判明した今でも、クレフのことが好きだった。どうしようもなく好きだった。騙されていたとわかっても、彼が嘘をついていたことが明らかになった今でもなお。

「会いたい……」
 声に出さずにはいられなかった。そうすると、気持ちは大きくなるばかりだった。膨らんだ、その気持ちだけで、空へ飛んでいくことができそうだった。
「王女」
 ほら。思いが強すぎて、空耳までする。彼の声が聞こえるなんて、よほど重症だ。
「王女」
 ところが、もう一度聞こえた声は、先ほどのそれよりも大きかった。ウミははっと息を呑み、瞬きをした。まさか。
 バルコニーに両手をかけ、身を乗り出して下に目を向けた。ついに幻まで見るようになったのだと思った。そこにはクレフが立っていた。いつもの純白のローブではなく、このセフィーロの闇と同じ色のマントを羽織っていた。

「どう、して……」
 ウミは一度瞬きをした。そうすると、瞳から滴が落ちて、手すりにはねた。クレフは思いつめた顔をしていた。彼と目が合った瞬間、ウミは、今まで考えていたことのすべてがどうでもよくなった。こくりと首を縦に振った。すると、クレフの杖が淡い光を放ち始めた。クレフの体が浮遊し、こちらへ近づいてくる。あっという間にウミのもとまでやってきた彼は、一瞬ためらいを見せたものの、すぐに手すりを越えてウミの目の前に降り立った。すっかり力が抜けたウミは、その場でへたり込んだ。
 見つめ合う、ほんの一瞬。どちらともなく近づき、ひしと抱き合った。涙が次から次へと溢れて止まらなかった。ウミの背を抱くクレフの腕は、その体の大きさからは考えられないほど強かった。
「会いたかった」とクレフが言った。ウミは何度も何度も頷いた。

 もう戻れない。時は前へしか進まない。彼と出逢う前に戻ることはできず、彼と出逢ったことを忘れることなどできない。
 それでいいと思った。戻りたくなんかなかった。彼と出逢ったことで、ウミの暮らしていた世界は色を変えた。片手で足りるほどの決まった色しかなかったウミの世界に、両手では足りないほどの色がついた。そして、その色を与えてくれたのがクレフだった。手放したくない。今、何よりも彼を必要としている。そのことをウミは痛感していた。クレフは、ウミの人生において、もはや必要不可欠なものとなっていた。彼のためならば、ほかのすべてを捨ててもいいと思えるほどに。

 やがて、どちらともなくそっと腕を緩めた。
「どうして?」とウミは言った。「どうしてあなたは、フロイト家の人間なの?」
 ウミはそっとクレフを見上げた。彼のその真っ青な双眸だけが、闇の中で浮かび上がっているかのようだった。彼は泣いているように見えたが、それでいて同時に微笑んでいるようでもあった。クレフはウミの後頭部に手を廻し、自らの方へ引き寄せた。そして今度はとても優しく抱いた。ウミもそれに応えるように、彼の背中にそっと腕を廻した。
 不思議だった。クレフの見た目はほんの小さな子どもなのに、抱き合っていると、もっと大きな人に包まれているような気がした。

「逃げようか」
 不意にクレフが言った。
「え?」
 ウミはクレフの胸元から顔を離し、驚いて目を見開いた。クレフははっきりそれとわかるほど微笑んでいた。それでも目尻は哀しそうだった。クレフがウミの頬を包む。温かい手だった。
「逃げようか」と彼はもう一度言った。「二人で、誰もいないところへ」




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

▶ 連作短編集を始めました。クレ海学生パラレルです。今後年中行事に合わせて不定期更新の予定です。詳しくはこちらからどうぞ。

▶ こちらは作品展示専用です。コメントへのお返事は別ブログにて行っております。
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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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