蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

韜晦 6. 時雨

中編

ようやくわかった。天に召された証だとさえ錯覚したあの火花は、クレフの魔法だったのだ。

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 まだかすかな光芒を宿したままの杖を手に、その主が、ぬかるみをものともせずにこちらへ向かって駆け寄ってきた。
「こんなところで、何をしている!」
 茫然自失していた私は、鋭い口調でそう言われながら両の肩をぐっと掴まれたことで、ようやくわれに返った。仄暗い中でもそれとわかる、蒼い双眸が大きく見開かれ、険しい色を湛えてこちらを凝視している。ああ、と私は思う。私にとっての北極星は、この蒼い瞳だ。

「クレフ……」
 掠れ声で彼の名を呼ぶことで精いっぱいだった。すると彼の瞳が揺らいだ。
「剣も持たずにこの『沈黙の森』へ入るなど、いったいどうしたというのだ、ウミ!」
 彼が叫ぶと、細い髪の毛先から雨粒が弾け飛んだ。クレフの怒号には雨音を掻き消すほどの迫力があったのに、私は不気味なほど落ち着いていた。そもそも、驚きや緊張を抱くような気力はもう、残っていなかった。
 やっぱりそうだったんだ、と、そんな回らない頭の中でも私はクレフの言葉を咀嚼し、納得した。やっぱりここは、『沈黙の森』だった。
 道理で魔物がいるはずだ。道理で来た道が消えるはずだ。そんな森は、このセフィーロにはたったひとつ、『沈黙の森』でしかあり得ない。魔物に襲われながらも立てた推測は、どうやら正しかったようだ。

 そんなことを考える余裕があるほど私が冷静でいられるのは、常に沈着であるクレフが今、見たこともないほど理性を欠いた姿で目の前にいるからかもしれない。このひとでも叫ぶことなんてあるんだ。当たり前だろうに、私は初めて、クレフも私たちと同じなんだと思った。
「ごめんなさい」と私は言った。「『沈黙の森』だなんて、気がつかなくて」
「気がつかなかった?」
 クレフが怪訝そうに眉を顰める。私はこくりと首を縦に動かし、素直に肯定した。前髪に溜まった雨粒が、重みに耐えきれなくなり頬を流れた。

 ここでほんとうのことを言うべきか、私は迷った。けれどそうして迷ったのは一瞬のことだった。この森にいるという事実を説明しうるもっともらしい言い訳なんて、とても思いつかなかった。
「丘の上の、クレフの小屋へ行こうと思っていたの」と私は口を開いた。「そこへ行くには、この森を抜けるのが近道だと思って、それで、ここを通ったのよ。でも、それがまさか『沈黙の森』だなんて、思いもしなくて」
 するとクレフが大きく目を見開いた。
「なぜ、私のところへ」
 私は微笑んだ。ああ、この人をずっと探していた。彼にやっと会えた。そのことに、今、気づいた。
「ずっと探していたの。でも、どこへ行っても、誰に聞いても、あなたはいなくて。こうなったらもう、あの小屋しかないと思ったの。だから――」
 そこで私は息を呑み、口を噤んだ。見開いた目で一度瞬きをしたクレフが刹那、まるで今にも泣き出しそうにその目をぎゅっと萎めたからだ。心底傷ついたような顔をしていた。どうしたの、どうしてそんな、打ちひしがれたような顔をしているの。問いかけようとして口を開いたけれど、結局そこから漏れたのは小さな悲鳴だった。見えていたはずのクレフの顔が一瞬にして姿を消し、眼前には闇が広がった。

 一度瞬きをすると、彼の薄紫色の髪が頬を掠めた。その感触があってようやく私は、クレフに抱きしめられているのだということに気づいた。
「クレフ……?」
 私の声に応えるように、クレフがぎゅっと強く私を抱いた。
「おまえは」とクレフが言った。「どうしてそう無茶ばかりするんだ」
 一瞬彼が泣いているのかと思った。息ができないほどに苦しい。それは果たして、彼が私を抱きしめる力が強いからというだけなのか、それとも。
 クレフの気持ちが痛いほど伝わってきて、心が強く締め付けられる。彼にこれほど心配をかけて、何やってるんだろう。確かに無茶をしたかもしれない。急に心細くなって、私は目を閉じた。
「ごめん、なさい……」
 ゆっくりと持ち上げた腕が、小刻みに震えた。けれどその腕がクレフの背を捉えることはなかった。直前に、遠くで茂みが揺れる音がして、クレフがぱっと私から離れたからだ。

 私の両肩にしっかりと手を添えたまま、クレフが険しい顔で斜め後ろを凝視する。その横顔を、雨が伝った。
「とにかく、ここにいては危ない」
 そう言って、彼が私の方を振り向いた。
「どこか安全なところへ避難しよう。――立てるか」
 さっとその場で立ち上がり、クレフが私に手を差し出してきた。その手を取り、私はなんとか立ち上がった。どんなにもがいてもぬかるみから抜くことのできなかった足が、今はすんなりと抜けられる。魔物と対峙していたあのときも、これほど落ち着いていればよかったのに。いまさら思っても後の祭りだった。

 私が立ち上がった、その直後のことだった。ガタン、と大きな音がした。まさか魔物が、と緊張が走る。何も武器を持っていないのに、私は咄嗟に手を構え、そちらを向いた。ところが、そこには魔物などいなかった。代わりにクレフが、自分の頭を抱えて苦しげに顔を歪めていた。もう一方の手に持った杖が揺らぎ、木にぶつかって音を立てた。
「クレフ!」
 私は慌てて彼に近寄った。腕に手を添え、その顔を覗き込む。私は息を呑んだ。辺りが薄暗いせいで今の今まで気づかなかったが、クレフの顔が、普段よりも明らかに青白い。その頬を、雨に混じって冷や汗が伝っていることも、冷静になって見てみればよくわかる。
「クレフ、だいじょうぶ? しっかりして!」
 ひとまず彼の背をさすったが、ほかに何ができるのかまったく思い浮かばなかった。そのことが悔しくて仕方がなかった。護られてばかりは厭、自分の身くらいは自分で護れるようになりたいなんて言っておきながら、結局いつも、護られてばっかりじゃない。
「ねえ、少し休みましょうよ」
 唇が震えた。今にも涙が出そうだった。心細いからでも、辛いからでもない。赦せないからだ。自分の無力さ、非力さが、赦せなかった。
 雨音は、あらゆる音を掻き消した。大きな声で叫んだつもりだった私の声も、さほど大きくは響かなかった。

 しばらくして、クレフが体を起こした。
「だいじょうぶだ。少し、『心』を使いすぎただけだ」
 荒い息とともに、クレフが吐き捨てるように言った。
 その一言に、私の心臓が一度どくんと大きく波打った。瞬間、つい今しがた、突如黒こげになり粉々に砕け散っていった魔物の姿が脳裏に蘇った。そして、その前に煌めいた火花。
 ようやくわかった。天に召された証だとさえ錯覚したあの火花は、クレフの魔法だったのだ。
 魔法が使えないはずの『沈黙の森』において、あれほど強力な魔法を使える人物は、たとえセフィーロ中を探したとしても彼以外には見つけられないだろう。クレフはこの国で最高位の魔導師だ。けれど、たとえ彼をもってしても、魔法が使えないはずの森で魔法を使うということが簡単なことであるはずはない。ひどく心を消耗することに違いなかった。だからこそ今、クレフはこうして苦しんでいる。

 いよいよもって目頭が熱くなった。一度ならず二度までも、クレフは私の危機に駆けつけてきてくれた。一度目は、本来は『導師』という位高い立場にある彼がわざわざ手を下す必要もない状況下で、そして二度目は、『沈黙の森』で魔法を使うという危険を冒してまで。
 どうしてそこまでしてくれるの? 私は彼の横顔に問うた。どうしていつも、私のことを助けに来てくれるの?――答えはなかった。

「さあ、行こう」と代わりに彼は言った。「少し先に、私がかつて使用していた小屋がある」
 私に背を向け、クレフは歩き出した。その足取りに不確かなところはない。それでも、今しがた倒れかけた場面を見てしまっただけに、気がかりだった。もう少しここで休息を取ってから動こうと進言したかったけれど、いつまた魔物が襲ってくるとも限らない。ここはやはり、クレフの言うとおり、一刻も早く離れるのが賢明だろう。
 そう決意して私が一歩踏み出したとき、三歩先にいたクレフが何かを思い出したようにはたと立ち止まり、こちらを振り向いた。
 それは一瞬のことだった。何だろうと思う間もなく、クレフが自身のローブをさっと脱ぎ、それを私の肩にぱさりと掛けた。驚いて見開いた私の目には、薄い絹の内着のみを身に着けたクレフの姿が映った。淡い青だったその衣は、見る見るうちに雨に濡れ、やがて群青色へと変わった。
「走れるな?」とクレフが言った。
「え……ええ」と私は戸惑いながら頷いた。「でも」
「もう少しの辛抱だ」
 クレフは私に最後まで言わせず、さっと背を向けて走り出してしまった。そうされると、私もついていかざるを得なくなった。後を追いながら何度か声を掛けようと試みたけれど、クレフは一度も振り返らなかった。クレフの背中は、私に何も言わせないようにしているかのように寡黙だった。

 私はありとあらゆる思考を振り払い、ただがむしゃらにクレフの後を追った。ローブ一枚があるだけで、ずいぶんと温かいのはほんとうだった。一歩進むたびに、ローブに染みついたクレフの匂いが鼻を衝く。そのつど、つい先ほど彼に抱きしめられたときの腕の感触が蘇った。
 目の前を走るクレフの背中が、雨に濡れた衣を通して透けて見える。普段は重厚な法衣をまとっているので感じないが、その体は驚くほどに細かった。細いのに、その体に掛かる重圧は、ほかの誰に掛かるものよりも重いのだろう。
 申し訳なさでいっぱいだった。魔導師である彼を『沈黙の森』へ来させてしまい、挙句の果てに魔法を使わせてしまった。それもこれも、すべては私の無茶のせいだ。クレフにとって私は、足手まといにしかならないのかもしれない。

 私はクレフから目を逸らし、転ばないよう懸命に足元に意識を集中させた。決して瞬きをしないようにと、大きく目を開いていた。一度瞬きをしてしまったら、瞳から雨以外のものが零れ落ちてしまいそうだった。
 この天気だ、仮にそうなったとしても、雨でごまかせるだろう。けれどたとえそうであっても、涙を流すのは憚られた。これ以上弱いところを見せたくなかった。


 どれくらい走っただろうか、やがて雨が、ピーク時よりは多少弱まり、ようやく時雨になり始めるころ、クレフの足取りも緩やかになった。
「あそこだ」
 走り出してから初めて、クレフがこちらを振り向いた。杖を軽く傾け、前方を指しているようである。促されるままそちらへ目を向けると、古びた平屋の小さな家があった。
 断る理由などどこにもなかった。事実、その家を見た途端、私の全身をどっと大きな疲労感が席巻した。それ以上はもう、歩くことも走ることもできそうになかった。
 私が微かに頷いてみせると、クレフが先に進み、扉の前ですっと杖を翳した。小さな屋根のついた玄関に、クレフの髪から滴り落ちる水滴が染みを作った。
 私は軽く斜め後ろを振り返り、空を仰ぎ見た。すっかり暗くなった空には、星のひとつさえない。雨はまだ、当分やみそうにない。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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