蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

韜晦 9. 雪洞

中編

ゆっくりと目を開けると、目の前には知らない女性(ひと)がいた。

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 セフィーロは、昼間にはあまり雨が降ることがないので、洗濯をするのがほんとうに楽だった。気候も常春で、暑すぎず寒すぎずちょうどいい。朝に洗濯物を干せば、たいてい昼過ぎには乾いている。太陽の恵みをたっぷりと浴びた洗濯物を取り込む瞬間が、私はたまらなく好きだった。「幸せ」を匂いにしたらこういう匂いだろうと、私はいつも思う。

 洗い立ての洗濯物を干す瞬間もまたいい。セキレイが数羽やってきて、物干しざおにとまった。何してるの? と聞かれたので、シーツを干すところよ、と答えた。手にしたシーツを何度かはたいたとき、そのセキレイたちがふと顔を上げた。しばらくすると、軽やかな馬の蹄の音が聞こえてきた。私は手を止めて、その音がする方に目を凝らした。
 蹄の音を聞いただけでそれが誰のものかわかるというのは、その主との付き合いがいかに長いかということを物語ることだろう。実際、彼女との付き合いは、もう何年続いているのか忘れてしまうほど昔から続いている。普段であれば、彼女は歓迎すべき来訪客なのだけれど、今日はあまり気乗りしない。一瞬居留守を使おうかとも考えた。けれど、結局どこにいても彼女は自分を見つけて追いかけてくるだろうと踏んで、私は嘲笑に近い苦笑いを浮かべるだけにした。そして再びシーツをピンと伸ばした。

「海さん」
 蹄の音がすぐ傍でやんだかと思うと、案の定、聞き慣れた声が私を呼んだ。物干しに掛けたばかりのシーツがふわっと靡く。切羽詰まった声だけではなく、彼女は洗濯物を乾かすのにちょうどいい風も連れてきてくれたようだ。まったく、名前のとおりの人だと思う。
「あら、風」と私は言った。「どうしたの、そんなに急いで」
 今気づきましたとでも言うように、私はくるりと振り返って大袈裟に目を見開いた。馬から軽やかに降りた風が、眉間に皺を寄せたままこちらへ向かってくる。ドレスの靡き方が、彼女の表情とは対照的に穏やかだった。
「どうしたの、ではありませんわ」
 覚悟はしていた。けれど実際にこうして冴えない表情を浮かべた風と対峙すると、咎める視線に胸が痛んだ。私は平静を装うための笑みを口元にあつらえ、次の洗濯物を干そうと籠に手を伸ばした。
「本気なんですの? 私さん」
 すぐ隣で立ち止まり、風が声を顰めた。
「何が?」
 パンパン、と伸ばしながら、枕カバーをシーツの隣に干す。その姿だけ取り出せば、主婦業もだいぶさまになってきたと自分でも思う。昔から、私の夢は「お嫁さん」だった。その夢が今、もうすぐ叶うというところまできている。
「アスコットさんと、結婚なさるというのは」
 風が言った。
 すべては想定どおりのことだった。風が自分を尋ねてやってきたことも、その表情が冴えないものであることも。けれど、風が今の言葉を紡いだ瞬間にわれ知らず手がぴくりと止まってしまったことだけは、想定外のことだった。その言葉を掛けられるであろうことも、前もって予想していたはずだったのに。

 私はふう、と軽く息を吐き出し、言った。
「本気よ」
 何事もなかったかのように、私は枕カバーをもう一度左右にパンパンと引いた。その手の動きによどみはない。普段から行っている行動だけに、体に沁みついているのだろう。けれどもう、口元に笑みを浮かべる余裕は残されていなかった。
 左の頬に、風の視線が痛いほど突き刺さる。
「どうなさったのですか、海さん」と風は言った。「このひと月の間に、いったい何があったというのです」
「ないわよ、何も」と私は答えた。
「ですが」と風が声を大きくした。「ひと月前にお会いしたときには、海さん、あなたは確かにクレフさんのことを――」
「もういいの」
 風を振り切るように言ったその口調は、意図した以上にきつくなった。風がはっと息を呑んだのが、空気に乗って伝わってくる。私は首だけを左に傾け、彼女が訪れてきてから初めて、まともに正面から目を合わせた。
「いいのよ、もう」と私は声のトーンを落とした。「これは、クレフの願いでもあるんだから」
 努めて微笑んだけれど、それがうまく微笑みとわかってもらえるようなものになっていたか、自信はない。
「海さん……」
 風の声はすっかり迫力を失っていた。私の言った一言で、風はすべてを理解したようだった。友人ながら、彼女の聡明さは鼻が高い。彼女のような人が妃として君臨している以上、セフィーロの安定は約束されたも同然だと、自信を持って言うことができる。

 私は風から視線を逸らし、洗濯物に手を伸ばした。目を細めたのは、太陽の光が眩しかったからだ。
「今回のこと、あまり人には教えていないのよ」と私は言った。「アスコットが、『結婚してからみんなを驚かせたい』って言うものだから。でも、せっかくの結婚式なのに誰もゲストがいないっていうのも、味気ないでしょう? だから、あなたと光にだけは来てもらおうと思ってるから、明後日、空けておいてね」
 一息で言い切った。先日、風に宛てて出した手紙の内容とほぼ同じことだった。手紙を受け取ったその日に、風はきっと自分のところへやってくるだろうと踏んでいたから、そのときやってきた彼女に掛ける言葉を、何度も何度も心の中で練習した。そのかいあって、一度も詰まることなく言い終えることができた。

 しばらくして、風から伝わってくる気配に刺々しさがなくなった。
「……わかりました」と風が答えた。とてもか細い声だった。
 私はちらりと風を盗み見た。俯いた彼女は、その全身からやりきれなさを伝えてくる。そんな姿でさえも想像どおりで、私は思わず苦笑した。謝罪の言葉が喉元まで出かかっていたけれど、口に出すことはなんとか留めた。ここで謝ったら、決意が揺らぐ。そんなことを赦される時間はもう、とっくに過ぎ去っていた。

***

 ゆっくりと目を開けると、目の前には知らない女性(ひと)がいた。その女性は純白のドレスを身にまとい、薄い水色の髪を豪勢に束ね、その上からふんわりとヴェールを被っていた。頭頂部ではダイヤモンドを惜しげもなくちりばめたティアラが輝き、華やかな化粧を施された顔の中にある口元もまた、ティアラに負けじとグロスの艶で光っている。

「ほんとうに綺麗ですわ、海さん」
 そう言った風の笑顔が、向かって右斜め上に映るまで、私は、目の前の女性が鏡に映り込んだ自分自身であるということに気がつかなかった。私は呆気にとられて鏡の中の自分をまじまじと見つめた。人は化粧と衣装ひとつでここまで変わるものなのか。まるで知らない人だった。恥ずかしくて、私は首を竦めた。
「私じゃないみたい」
「このままモデルさんになれるよ、海ちゃん」
 興奮気味な声がして、光の笑顔が、風の反対側に映り込んだ。その屈託のない笑みに、私の口元も思わず綻んだ。「モデルみたい」と言われるのはこれが初めてではないけれど、いざ自分の姿をこうして鏡で見てみると、確かにそこらへんのモデルに負けず劣らずといった雰囲気があるかもしれないと思えてくる。

「じゃあ私、ブーケ取ってくるね」と言って、光が嬉しそうに離れていく。「街の花屋さんに、とびっきり綺麗なの、お願いしてあるんだ」
 きっと海ちゃんに似合うよ。そう言って、光は大手を振りながら扉の方へと向かった。彼女の明るさは、何年経っても変わらない。そこにいるだけで自然と人々を笑顔にしてしまう明るさだ。もう天性の才能と言っていい。たぶんランティスも、光のその天真爛漫なところに惹かれたのだろう。彼女には幸せになってほしいと、心底思う。

「海さん」
 ふと風が私を呼んだ。鏡越しに見ると、それまでとは違い、風は険しい表情をしていた。
「私まだ、あのときのことが――」
 そのとき突然、部屋の扉をノックする音が響いた。風が言葉を止め、扉の方を見やった。私も首を傾ける。てっきりもう光が戻ってきたのかと思ったけれど、彼女はまだ、部屋を出てさえもいなかった。
 ちょうど扉の目の前にいた光が、はたと足を止めてこちらを振り返った。お互いの顔を見合わせた三人は、ほぼ同時に首を傾げた。誰だろう、と全員の脳裏に疑問符が浮かんだ。この部屋に、光と風以外の訪問者があるはずはなかった。

 私とアスコットが今日結婚式を挙げることを知っている人は、当事者と光、風を除けば、たったひとりしかいない。けれど、その人がこの部屋を訪れるということはあり得なかった。彼は今日、友人たちとは異なる立場で二人の結婚に立ちあってくれることになっている。その彼が、挙式を目前にした花嫁の部屋へやってくるような理由はなかった。だとすれば、いったい誰?

「誰だろう」と光が私の気持ちを代弁した。「私、出てみるよ」
 私が頷くと、光が扉と向かい合い、ゆっくりとノブを廻した。じゅうぶんに開かれたけれど、その向こう側は残念ながら、扉が死角になっているせいで見えなかった。身を乗り出そうとすると、顔を外へ出した光が、「えっ?」と素っ頓狂な声を上げた。いよいよ私は立ち上がった。鼓動が一気に速くなる。あり得ないけれど、もしかしたら彼が来たのかもしれないと思った。ところが、光が紡いだ名前は、私が想像していた人のそれではなかった。
「アスコット!」
「え?」
 私は目を見開いた。光が口にした名前は、ひょっとしたらもっとも意外な人物のものであったかもしれない。一度風と顔を見合わせ、それから私は、ドレスの裾を軽くつまむと扉の方へと向かった。後ろで風が長いトレーンの端を持ち、ついてきてくれた。

「アスコット……」
 光の後ろから顔を出して扉の外を窺った私は、覚えず顔を顰めた。光が嘘をつくはずはなく、そんなことはわかりきっていたけれど、それでも、彼がそこにいるということはじゅうぶんに驚くべきことだった。そこにいたのは確かにアスコットだった。
 花婿が、挙式前に花嫁のもとを訪れるということは、まったくあり得ないことではない。それでも私が顔を顰めたのには理由があった。彼が身に着けているものが、本来着ているべきタキシードではなく、いつもの『招喚士』としての法衣であったからだ。
「どうしたの? アスコット」と私は言った。「もう式が――」
「ウミ」
 私を遮って、アスコットが顔を上げた。長い前髪に隠れていたアスコットの目が、ようやく姿を現した。その真剣なまなざしに、私はどくんと鼓動が大きく波打つのを感じた。
 アスコットの喉仏がこくりと動く。ふと視界の隅に映った彼の手は、震えていた。
「話があるんだ」




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

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篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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