蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ゆめものがたり 12. 足音

10万ヒット企画

瞬きも忘れて目を見開いた。感じたこともないほどの重苦しい雰囲気が、大広間には漂っていた。

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 扉が三度ノックされた。けれどウミは読んでいた本から顔を上げようとはしなかった。ノックをしたのが誰なのか、わかっていたからだ。二度ノックする人はごまんといても、三度ノックする人は一人しかいなかった。ウミは「どうぞ」とだけ言って、ソファの上に伸ばして組んでいた足の上下を変えた。

 失礼いたします、という綺麗な言葉とともに入ってきたのは思ったとおり、フウだった。彼女の柔らかい声はとても聞きやすくて、ウミは好きだった。扉を閉め、彼女が近づいてくる。レースのカーテンが風に揺れた。
「一休みなさってはいかがですか?」
 そう言いながら、フウがサイドテーブルに小ぶりな盆を置いた。そうすると、ウミの視界の隅にはフルーツの盛り合わせとティーポットが映った。柔らかい香りが鼻を抜ける。ウミの好きな種類の紅茶だった。
「ありがとう」と言って、ウミはしおりを挟むと本を閉じた。フウがちらりと本の表紙に目を向け、そしてどこか哀しそうな顔をした。彼女はいつも、ウミがその本を読んでいるとそういう顔をした。
 ウミは本の表紙を撫でた。今のウミにとっては、何よりも大切にしているものかもしれなかった。
「ちょうど、ロミオが追放されてしまったところなの」
 呟くように言うと、フウが目を丸くした。
「もう、そんなところまで読まれたのですか」
「ええ」とウミは頷いた。「とても引き込まれるんだもの、やめられなくて」
 名残惜しくも本を脇に置くと、ウミはソファから足を下ろして組みなおした。そしてフウが用意してくれた紅茶をすすり、果物をほおばった。
「おいしい」と私は笑顔で言った。嘘でもなければ、取り繕った笑顔でもなかった。本心からおいしいと思った。けれどフウは、頬に影を落として顔を逸らした。

「王女様」
 しばらくしてから、フウが遠慮がちに口を開いた。ウミは黙っていた。黙っていることにより、続きを促しているわけでも拒んでいるわけでもないことを示したつもりだった。実際、今の自分がどちらの気持ちでいるのか、ウミはいまいちわからなかった。
「ずいぶんお痩せになりましたわ」
 フウは言った。ウミは紅茶のカップを置き、一歩離れたところで立っているフウを見返した。彼女は今にも泣き出しそうな顔をしていた。


「まるでジュリエットのようですわ」
 フウが独り言のようにそう言ったのは、昨日のことだった。え、とウミが聞き返すと、フウは慌ててかぶりを振った。明らかに怪しい態度だったので問い詰めると、フウは、今のウミの様子が『ロミオとジュリエット』という物語に出てくるジュリエットにそっくりなのだと説明した。
 フウの趣味が読書だということは知っていた。反対にウミは、教科書以外では文字を見ることすら厭だった。それなのに、その『ロミオとジュリエット』という本にだけはなぜか惹かれた。読んでみたい、とウミは申し出た。ところがフウはいい顔をしなかった。挙句の果てには、王女様がお読みになるようなお話ではありません、などと言い出す始末だった。当然ウミは納得できなかった。持ち前の負けん気の強い性格もあって、フウがだめならばと、結局ラファーガに頼んでその本を取り寄せてもらったのだった。

 手元に届いた本はそれほど分厚くもなく、読書に嗜んでいないウミでも読めそうだった。ちょっと出だしをかじってみるつもりでページをめくったのだけれど、そうすると、あっという間にのめり込んでしまった。本を受け取ったのは昨日の夕方のことだった。それから今日、そろそろ昼の刻になろうという時間まで、ウミはほとんどぶっ通しでその本を読んでいた。物語はようやく佳境に入ろうとしていた。

 フウがどうしてウミのことを「ジュリエットのようだ」と言ったのか、ウミはようやくわかり始めていた。そうすると、驚きを隠せなかった。確かに、ジュリエットの置かれた境遇はウミのそれと似通っている。けれど、それをフウが指摘したということは、彼女が、おぼろげながらであってもウミが誰のことを恋い慕っていたのか知っているということだ。その観察眼の鋭さに、ウミは心の中で舌を巻いた。きっとフウはわかっているのだろう。あのひとにぱったりと会わなくなってからのこのひと月、表向きは普段どおりに振舞っていながら、内心のウミは廃人と化してしまっていた。

 ジュリエットのことが諦められないロミオは、密かに彼女と結婚する。それでも二人の関係はうまくいかずに、ロミオは自国を追放されてしまう。まだそこまでしか読んでいないけれど、結末が明るくないことは明らかだった。ウミがこの本を読んでいるとフウがいつも哀しそうな顔をするのも、そのせいだろう。そうとわかっていても、ウミはページをめくる手を止めることはできなかった。読んでいくうちに、ジュリエットの心境に自分自身を重ねるようになった。そして、本を読んでいる間だけでもジュリエットになりきることで、現実での痛みを少しでも忘れようとしていた。


「王女様」
 いつの間にか、フウが隣にやってきていた。彼女はしかしソファには腰を下ろさず、ウミの傍でしゃがみ、膝の上で揃えていたウミの手に自らのそれをそっと重ねた。そして訴えかけるような瞳でこちらを見上げてきた。
「私の幸せは、王女様が幸せになってくださることです」と彼女は言った。「私では、王女様のお力にはなれないかもしれませんが……お願いです。ご自身のお気持ちを封じるようなことは、やめてください」
 思い詰めたような顔でそんなことを言われて、奥深くから熱いものが溢れ出てきそうだった。それは、この一か月の間で初めて感じた気持ちだった。そのまま感情に身を任せていれば、簡単に泣けたし、隠し通していた気持ちをフウに対して打ち明けていただろう。けれどできなかった。自ら手放したのだ、自ら手放したものを想って泣くことは、ウミにはできなかった。できなかったし、してはいけないと思った。それを赦してしまえばなんでも赦される気がした。そんなことができるほど、ウミは強くなかった。

 ウミは思考を振り払い、静かにフウの手を握り返した。
「ありがとう、フウ」
 そして微笑んだ。
「気づいていたのね。私が何を考え、誰と会っていたのか。そうでなければ、私のことを『ジュリエットみたい』とは言わないものね」
「ウミ王女……」
「でも、私はだいじょうぶよ。心配してくれてありがとう」と言って、ウミはフウの手を強く握った。「いつか私にも、王子様が現れるわよ。今はそう信じてるわ」
 フウは何か言いたそうに口を開いたけれど、そこから言葉が発せられることはなかった。俯き、彼女はきゅっと唇をかみしめた。少し胸が痛んだ。

「ねえ、それより」
 声色を変えて、ウミはフウをソファの上へと引っ張り上げた。彼女は明らかに躊躇したが、それを赦さないと言わんばかりにウミは強くフウを引き寄せた。結局、フウはしぶしぶながらもウミの隣に腰を下ろした。
「ずっと聞こうと思ってたの。フウ、あなた、いったいどんな人に恋をしてるの?」
 以前もこの話題になりかけたことがあった。けれど当時は、ここまでストレートに聞くには至らなかった。なんだかしみじみとした。その日から今日までの間に、ウミ自身の心境に大きな変化があったということの証であるようにも感じられた。
 フウは答えず、ウミから視線を外した。引き下がるつもりはなかったけれど、催促するつもりもなかった。ウミはじっと、フウの言葉を待った。

「約束してくださいますか?」
 フウはしばらく迷っていたけれど、やがて上目遣いにこちらを見ながら口を開いた。
「私と王女様、二人だけの秘密にしてくださると」
「もちろんよ」とウミは頷いた。フウがごくりと唾を呑み込んだ。
「実は、私――」
「急げ! まずは城門を固めるんだ!」
 フウの言葉を、扉の外から突然聞こえてきた大きな声が遮った。ウミはフウとともにはっとそちらへ目を向けた。外が何やら慌ただしい。緊迫した雰囲気が、部屋の中にまで伝わってくる。ついぞ感じたことのない気配だった。
 ウミはフウと顔を見合わせ、同じタイミングで頷いた。ソファを離れて足早に扉へと向かう。フウがわずかに開けてくれた扉から外を覗いたウミは、われ知らずびくっと肩を震わせた。鎧を纏った数多の男たちが、回廊を駆け回っていたのだった。
 背筋に悪寒が走った。厭な予感がした。
 戦の件に関しては、この一か月、ほとんど音沙汰がなかった。だから、フロイト家と和解する方向で話が進んでいるものとばかり、ウミは思っていた。ひょっとしたら、その考えはあまりにも短絡的だったのかもしれない。このとき初めて、ウミは思い当たった。
「お父様のところへ行くわ」
 ウミはフウを振り返らずに言った。はい、とフウが神妙に答えた。廊下へ出て、二人は大広間へと急いだ。

***

「お父様!」と叫びながら、ウミは大広間の扉を開け放った。「お父様、お母様――」
 勢いのまま中へ入ったウミだったが、一歩足を踏み入れたところで覚えず急ブレーキをかけて立ち止まった。瞬きも忘れて目を見開いた。感じたこともないほどの重苦しい雰囲気が、大広間には漂っていた。
 玉座の手前にラファーガがいた。彼は頑丈な鎧をまとっていた。兜を被ったその恰好は、ただでさえ大きいラファーガの体をますます大きく見せていた。けれどウミが目を瞠ったほんとうの理由は、そのラファーガの姿ではなかった。玉座の父までもが、黒い鎧を、母の手によって身に着けている最中だったのだ。

「ウミ」
 父の腕に鎧をつけようとしていた母が、手を止めて振り返った。ウミは言葉もなく、その場に立ち尽くした。母の目が、潤んで焦点を合わせられなくなっていた。何が母を哀しませているのか、考えるのも厭だった。
 止まった母の手を咎めるように、父が無言で腕を突き出した。母ははっと瞬きをしてわれに返り、ウミから視線を外すと、改めて父の腕に鎧を巻いた。横顔が、感情を閉ざしていた。
「いったいどうしたの?」
 思わず早口になった。口調が速くなったのが先なのか、歩く速度が速くなったのが先なのか。ともかくウミは、足早に玉座へと向かった。いつもは扉のところで待っているはずのフウが後をついてきたことを気にかける余裕は、このときのウミにはなかった。
「外にもたくさんの兵がいたわ。お父様までそんな恰好をしているなんて、何が起きているの?」
 ウミは両親を交互に見やった。二人とも、ウミと目を合わせようとしなかった。そのことが、ウミの中の焦燥感をどんどん煽った。やがて父は、最後の仕上げとして兜を母から受け取ったときに初めて、ウミを真っすぐに見据えた。
「フロイト家から文が届いた」と父は言った。「宣戦布告の文だ」

 広間の温度が一気に何度も下がった気がした。体が震えた。ウミは咄嗟に、右手で自身の左腕をがっしりとつかんだ。そのときになってようやく、ウミは、ほかの答えなどあり得ないことを自分自身がわかっていたことに気づいた。
「そんな」とウミは、やっとの思いで口を開いた。「宣戦布告だなんて……うそでしょう? ねえ、お父様」
 父はまるで憐れむような視線をウミに向けた。そんな顔をしないで。必死に叫んだつもりだったのに、声にもならなかった。口からは、枯れた息が漏れるだけだった。
「戦になる」
 無情にも父は言った。淡々とした口調だった。
「いつわが国の領土が攻め込まれるかわからない。この城だけは、なんとしても死守しなければならない」
「っ……」
 そこまでが限界だった。それ以上蓋を押さえていることはできなかった。
 確かに「それ」は、自ら手放したものだ。それでもウミは、手放してしまったことを何度も何度も後悔した。そして、もしももう一度手にすることができるのならば、「それ」は二度と離したくないもので、何に代えても守りたいものだった。

「戦なんてやめて!」
 溢れ出る想いのままに叫んだ。今度は声を発することができた。それも、自分で思ったよりも数倍大きな声になった。構わずウミは、玉座に乗り上がり、父の鎧を鷲掴みにした。両親が大きく目を見開く。後ろからフウとラファーガに呼ばれた気がしたけれど、はねのけた。ウミは父のことしか見ていなかった。
「お願いよ、お父様! フロイト家と争うなんて、どうかよして!」
 父の鎧をつかんだ手が震えた。私はばかだ。ウミは思った。こうなってようやく気づくなんて。こうなってようやく、たとえ手放したとしても忘れられないものがあると悟るなんて。
「どうしたというのだ、ウミ。そんなに必死になって」
 困惑を隠さずに父が言った。
「王女様」
 言い募ろうとすると、すぐ傍から声を掛けられた。ラファーガだった。彼はウミの手にそっと自らのそれを重ね、黙ってかぶりを振った。ウミは一呼吸置き、父の胸元から離れた。玉座を下りる。ちらりと視界の隅に映ったフウの顔が、蒼白していた。

 ウミは拳を握りしめ、俯いた。
「私……」
 そのときもまだ迷っていた。
「私……」
 しかしとある瞬間、ウミははっと顔を上げた。
「私、」
 フロイト家に仕えているクレフのことが好きなの。自分ではそう言えていたつもりだった。ところがその声は、明らかに何倍も大きな音と衝撃によって遮られた。城が揺れる。ウミは覚えず悲鳴を上げ、頭を抱えた。王女様、と誰かに呼ばれた気がしたけれど、自らの身を護るだけで精いっぱいだった。

 衝撃の余韻が残ったまま、途方に暮れるような時間が流れた気がした。やがてようやく、体に力を入れなくても立っていられるようになり、ウミは恐る恐る目を開けた。天井のシャンデリアはまだ名残を残して揺れていた。われに返り、ウミは窓際へと走った。ガラスに張り付くようにして外を見る。その瞬間、ウミは言葉を失った。絶望の淵に突き落とされたように、頭の中で不協和音のアルペジオが奏でられる。それはまるで、「崩壊」という言葉が近づいてくるときの足音のように聞こえた。




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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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