蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

純潔のプリマヴェーラ 1

中編

バレンタインをテーマにした中編です。

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 宙に浮いた一本の棒だけが頼りだった。棒といっても、握った感触はオートザムのそれにはないほど温かく、両端に丸い透き通るような群青色の宝玉と、それを囲むように黄金の蔓の模様があしらわれている、気品溢れる棒だ。それを魔法で創り出した人のセンスがよく表れていると、イーグルはその棒を見、手にするたびに思う。
 もう三年以上自室として使用させてもらっている部屋の中に、燦燦と、昼下がりの太陽の光が遠慮なく射し込んでくる。「小春日和」という言葉を、セフィーロで過ごすようになるまでイーグルは知らなかった。そして今、その「小春日和」の中、イーグルは一本の棒を頼りに歩行訓練をしている。

 棒の一端から歩き始め、もう少しでもう一方の端にたどり着けるところだった。その棒の長さは、イーグルがいつも寝ているベッドの横幅ほどの長さしかない。それでもひと月前、ようやく長い眠りから醒めて歩行訓練を開始したばかりのときは、その棒のわずか四分の一ほどの距離でさえも進めなかった。当時に比べればだいぶ進歩したと、自分でも思う。けれどまだ、端にたどり着くことはできていない。もう少しというところで、いつも足がもつれてしまうのだった。

 向かう先に、一人の少年が立っている。彼は、イーグルが歩行訓練を始めるといつもそうして、何を言うでもなくただそこに佇んでいる。ほかの人ならば「がんばれ」「あと一歩だ」などと言うところかもしれないが、彼は決してそんなことは言わない。だが、そうして少年がじっと見守ってくれているということこそが、誰から掛けられるどんな言葉よりもイーグルを強く奮い立たせるのだった。
 棒を掴んだ震える手をそろそろと持ち上げ、慎重に先へ伸ばす。指先が、もう少しで蔓に届きそうだ。先に立つ少年がはっと息を呑んだのが聞こえた。その理由は明白だった。そこから先は、まだイーグルがたどり着けていない場所だった。
 ひたすらにに見守っていてくれる少年の、純粋な瞳に応えたい。今日こそはと、イーグルは歯を食いしばる。今日こそは先までたどり着いてみせる。そして――

「――!」
 しかし残念ながら、蔓に指先が触れることはなかった。一瞬もつれた足はそのままバランスを崩し、その場でイーグルは背中から倒れ込んだ。自然と仰向けになる。真っ先に目に飛び込んできたのは、つい今しがたまでつかんでいた棒だった。その先には、眩しすぎるほどの青空が広がっている。まるでこちらをあざ笑うかのような鮮やかさだ。額に腕を乗せ、イーグルは力なくため息をついた。

「あと一息、というところだったな」
 穏やかな声が耳をくすぐったかと思うと、その直後、体が己の意志とは関係なくふわりと浮き上がった。そのまま体は後ろへと戻され、ベッドサイドに置かれていた車椅子にすとんと降りる。まるで風に運ばれるようなその感触を味わうたび、イーグルは屈辱感を禁じえない。顔を上げ、その風を運んできた当人を睨みつけた。
「ずいぶんと嬉しそうですね、導師クレフ」
 少年が手にしている杖は、まだ淡い光芒を宿している。この国の雄大な海原と同じ色をした目を細めて、少年――導師クレフは、にやりと笑った。沈んだイーグルの気分とは対照的に、とてもさっぱりとした表情だった。
 クレフとの間に、イーグルは今また距離を感じていた。物理的に先ほどよりも距離が遠くなったということももちろんある。だがそれ以上に、二人の間には、たどり着けそうでたどり着けない心の距離のようなものがあった。
 棒をつかむことができれば、クレフの心をつかむこともできるかもしれないと思っていた。それが成功しない限り、クレフの心には、つかむどころか近づくことさえできない。悔しさに、イーグルは唇を噛んだ。
「そう焦るな、イーグル」
 そんなイーグルの気持ちなどつゆほどにも知らないであろうクレフが、穏やかに言った。
「ただでさえ、短期間でここまで回復していることは奇跡に等しいのだ。ゆっくり治していけばいい」
 クレフがもう一度杖を振るう。すると、宙に浮いていた棒が一瞬にして姿を消した。部屋の中へ射し込んでくる太陽の光を邪魔するものは、何もなくなった。

 この部屋にある物の中で唯一オートザム製である電動車椅子のボタンを押し、ため息をつきながら、イーグルはクレフのもとへゆっくりと近寄った。
「今日こそは、『ご褒美』がいただけると思ったんですけどね」
 クレフとの間に距離を取って車椅子を止めると、イーグルは中庭の方を向いた。横顔にクレフの視線を感じる。しばらくそうしていると、視界の隅にクレフのローブが揺れるのが映った。同時に視線も感じなくなる。クレフもイーグルと同じように、中庭を眺めているようだった。
「いったい何なのだ、あの棒の端から端までを一息に行くことができたら欲しいという、『褒美』とは」とクレフは言った。「何もおまえが歩けるようになることを待たずとも、不自由していることがあるのならば――」
「いいえ」
 クレフの言葉を途中で遮り、イーグルは静かにかぶりを振った。そよ風が中庭の木々を揺らし、さわさわと木の葉が囁き合う。その音に耳を傾けていると、自然と頬が緩む。美しい国だと、改めて思う。
「そういうわけにはいきません。これは、僕自身との約束ですから」
 再び、頬にちくりと刺さる刺激を感じた。納得していない、というオーラがクレフの方からありありと漂ってくる。イーグルはほほ笑んだまま彼の方を向いた。かち合った瞳は、やはり複雑な色を宿している。そうして一時見つめ合う。やがてクレフは、漂わせていたオーラを消し、肩を大袈裟に上下させながらふっと息をついた。そして、何も言わずにただ眉尻を下げた。

 相手の考えていることが、今すぐに話したいことなのかあるいはまだ話したくないことなのかを見極め、その時々で適切な対応をしてくれる。そういうところが、クレフがクレフであるゆえんであるとイーグルはいつも思う。そしてそのクレフに、あの棒の端から端までを歩けるようになったらひとつ『褒美』をくれるようにと、イーグルは歩行訓練を始めたときからねだっていた。

「しかし」とクレフが、目を細めて庭の方を向きひとりごちた。「おまえの回復力の強さには、ほんとうに驚かされる。真に『心』強き者なのだな」
 もっとも、それは最初からわかっていたことだが。そう言ってほほ笑んだクレフの前髪を、部屋の中にまで吹き込んできた風が靡かせる。細い猫毛は、そうして風に吹かれているのがよく似合った。
 クレフに褒められると、いつもくすぐったい。彼の言葉が真実しか含有していないからだろう。イーグルはさりげなく、ふいと視線を逸らした。そのまま何気なく中庭へと顔を向ける。すると、一羽の青い鳥が庭を歩いているのを見止めた。そのとき、イーグルの脳裏にぱっと閃くものがあった。
「そうか」とイーグルは言った。「だからあなたは今日、そんなににこやかなんですね」
 クレフがきょとんとしてこちらを見る。イーグルは、そんなクレフに向かってにっこりとほほ笑んだ。車椅子に乗っている今のイーグルとクレフの目線の高さは、ほぼ同じだった。
「今日はたしか、ウミたちがやってくる日でしょう」
 表面上、クレフの表情はほとんど変わらない。それでもイーグルは、クレフの瞳が確実に揺らいだのを認めた。わずかに身じろぎしたクレフが、イーグルから視線を外す。一見さりげなく見えるその動作さえ、やはりぎこちないのだった。
「そういえば、そうだったかもしれんな」
 前を向いたまま、クレフはさりげない風を装って言った。

 そうだったかもしれんな、じゃありませんよ。心の中で呟いて、イーグルは苦笑した。この、誰も敵わぬ思慮深さと聡明さを併せ持っているくせに自分自身のことになると途端に不器用になってしまう少年が、イーグルは、放っておけなくて仕方がないのだった。その横顔を見ているうちに、少しいじめてやりたい気になった。
「もう、彼女たちも立派な大人になりました」
 ピクリと震えたクレフの肩を見ながら、イーグルは言った。
「ウミは美しい女性ですから、ぐずぐずしていると、あっという間にほかの男に取られてしまうかもしれませんよ」
 はっとクレフがこちらを振り返る。その瞳は、初めて見るほどに大きく見開かれていた。そのまま何か言いかけたクレフだったが、しかし別のことに気づいたようにぐっと留まり、ちらりと背後の扉を見やった。
「導師クレフ?」
 首を傾げてイーグルは言った。しかしその不可思議なクレフの行動は、すぐに説明がついた。イーグルが小首を傾げた次の瞬間、コンコン、と控え目なノックの音が部屋中に響いたのだ。クレフが小さくため息をついたので、イーグルは、その訪問者が誰であるのか瞬時にわかった。くすりとほほ笑み、イーグルは、扉に向かって「どうぞ」と言った。
「イーグル、いる?」という声とともに、扉が開いた。「ちょっとお菓子を焼いてきたんだけど、味見してくれな――って」
 小さなバスケットを手に部屋の中へやってきた少女は、最初にイーグルを見て、それからその隣にいる人を見てその場ではっと立ち止まった。
「クレフ!」
 噂をすればなんとやら、とはまさにこのことだ。イーグルとクレフとを何度も交互に見て、少女は瞬きを繰り返した。クレフと違って感情をストレートに表す彼女のことも、イーグルはかわいくて仕方なかった。

「こんにちは、ウミ」とイーグルは言った。「導師クレフをお借りしていますよ」
「私を物のように言うな」
 間髪容れず、クレフから突っ込まれる。気にせずイーグルはくすくすと笑った。
 クレフは、自分で思っている以上の目力を持っている。だから大抵の場合、イーグルであっても、やはりクレフから睨まれたりしたらほかの人と同じように覚えず身を縮め込んでしまうのだが、こと海に関することだけは別だった。748年という月日を生きているクレフに対して、たかだか25年余りしか生きていないイーグルが互角に渡り合えることなど、ほとんどない。それがしかし色恋沙汰となれば、一気に形勢逆転となる。
 『魔法騎士』の一人であった風が以前教えてくれた、「天は二物を与えず」という異世界の格言に、イーグルは「なるほど」と大きく頷いたことがあった。まるでクレフのためにある言葉ではないかと思ったのだった。クレフは完全無欠なように見えて、恋のこと――つまり海のことになると、途端に不器用になってしまう。そんなクレフに接するたびに、『導師』と呼ばれ、皆から尊敬の念を集める彼であっても思いどおりにならないことがあるのだと、不謹慎にも嬉しくなってしまうのだった。彼も神ではなく人なのだと感じられる瞬間だった。

「それで、ウミ。僕に何の用事だったんでしたっけ?」
 不自然な沈黙を破り、イーグルは言った。あっ、と海が肩を上げた。
「あのね、その、お菓子を焼いてきたから、味見してもらおうと思ったんだけど……」
 海は不自然に言いよどみ、ちらりとクレフを窺った。その海の態度に思うところがあったのだが、イーグルはあえてそのことは口にせず、海の言葉を待った。すると海は吹っ切るようにかぶりを振り、ぎこちない笑みを浮かべた。
「またにするわ。お取り込み中みたいだし」

 がくっ、と、車椅子の肘掛けに乗せていた腕を思わずずり落としそうになった。想像を裏切らないその海の態度が、初心すぎて眩しい。苦笑いをして、イーグルは海とクレフとを交互に見やった。クレフはわれ関せずといった表情を浮かべたまま、だんまりを決め込んでいる。決して海の方を見ないが、その態度が逆に、彼女の存在を全身で意識していることを告げていた。当然彼はそのことには気づいていない。海は海で、ちらちらと落ち着きなく視線を動かしては、幾度となくクレフを窺っている。
 そもそも二人とも、一週間ぶりの再会だろうに、ろくな挨拶もしていない段階でこれなのだ。ランティスが地団駄を踏みたそうな顔をするのもわかる。まったく、早く二人だけの関係に落ち着いてくれたらいいものを。

 そんなことを考えていると、不意にイーグルは、この不器用すぎる男女をいじりたくなってきた。
「いいんですか? ウミ。このまま帰ってしまって」とイーグルは海を見て言った。「僕に毒見をさせて、うまくできたら、それを愛の告白とともに導師クレフに差し上げるつもりだったんでしょう?」
 瞬間、海がゆでだこのように顔を真っ赤に染め上げた。
「なに?」
 イーグルの言葉に声で反応したのはクレフの方だった。彼は目を見開いて、海は口をパクパクさせて、二人はようやくお互いを見合った。海の顔はどんどん赤みを増していく。色白なだけに、ほんの少し染まっただけでもまるで別人のように見えるから、イーグルは、込み上げてくる笑いを抑え込むのに大変だった。
「ちっ、違うわよ! 誰がクレフなんかに――」
 真っ赤な顔のまま、唾を飛ばす勢いで海が捲し立てた。だが完全に言い終わらないうちに、はっと口を噤んだ。瞳がこわばる。かと思うと次には、今にも泣き出しそうな顔になった。まるで百面相のように、海の表情はころころ変わる。
「ま……また来るわ」
 捨て台詞のように言って、海はくるりと踵を返した。そしてそのまま、今入ってきたばかりの扉から出ていってしまった。ぱたぱたと回廊を駆けていく足音が聞こえなくなってようやく、イーグルは、堪えていた笑いを存分にこぼした。

 海が去っていくのを呆然と、目だけで見送っていたクレフが、やがて大きく肩を上下させて息をつきながら、こちらを斜めに振り返った。すっかり憔悴しきった顔をしている。それがまたおかしくて、イーグルは、口元に手を当てると喉の奥でくつくつと笑った。クレフの視線がきつくなる。
「謀ったな?」と彼は低い声で言った。
「何のことです?」とイーグルはきょとんとして答えた。わざとあざとく聞こえるようにした。するとクレフは再びため息をつき、呆れたようにかぶりを振った。イーグルは車椅子を動かし、クレフに背を向けた。そして、彼が作ってくれた中庭へと続くスロープを、ゆっくりと下り始めた。
「導師クレフ」とイーグルは歩みを止めることなく言った。「時には、本能の赴くままに行動してみる、ということも必要かもしれませんよ」
 背中にクレフの視線を感じながら、イーグルは中庭に降り立った。精獣や精霊たちがそこかしこに憩う、そんな穏やかな情景に、自然と頬が緩む。今日は楽しい一日になりそうだ。そんな予感がして、イーグルは密かにほほ笑んだ。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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