蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

純潔のプリマヴェーラ 4

中編

どんな淋しさも耐えてきた。ただこれだけは、海を失った後の穴だけは、簡単に埋められるものではない。

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 一歩、また一歩と、ゆっくりではありながら、着実にイーグルが近づいてくる。クレフは自らが魔法で創り上げた宙に浮く棒とそれを支えに歩くイーグルとを、固唾を呑んで見守っていた。
 歩行訓練を始めて、まだひと月半足らずなのだ。そのことを、クレフは何度となく自分自身に言い聞かせなければならなかった。それほど、イーグルの回復の速さには目を瞠るものがあった。最初は立ち上がることさえ困難だったのが、今ではもう、棒につかまればこうして確実に歩けるようにまでなっている。

 ひょっとしたら、今日はこちらの端まで到達することができるかもしれない。イーグルの部屋へやってきたときから、クレフはなんとなくそんな予感がしていた。それは特に根拠のない予感だった。導師の勘、とも言うべきか。だが、根拠がないながらも自分自身が持つ「予感」は決して外れないということを、クレフは経験上よく知っていた。
 そして今、イーグルは時間をかけて慎重にクレフがいる方へと近づいてくる。左手でしっかりと棒をつかむと、右足を一歩前に出す。そして次に左足を出し、その左足の動きに合わせるように右手を棒に添える。なかなか越えられずにいた一線があった。そして今日、ついにイーグルはその一線を越えた。彼の左手が、クレフの目の前にあった棒の端の宝玉を、しっかりとつかんだ。

「見事だ」
 クレフは感嘆のため息をつくと、間髪容れずに杖を振るった。すると棒のもう一端の傍にあった車椅子がひとりでに移動してきて、イーグルの真後ろで止まった。それをちらりと横目で確かめると、イーグルは、棒を支えにゆっくりと車椅子に腰を下ろした。「ふう」と息をついて天を仰ぐ、その額に汗が滲んでいるのを認めて、クレフはくすりと笑みをこぼした。よほど体力を消耗したのだろう。当然だと思ったが、そこまでしてでも回復しようとするイーグルの『心の強さ』には、感服するものがあった。

「まさか、ここまで早く回復するとはな」
 言いながらもう一度杖を振るう。宙に浮いていた棒が空気に溶けるようにして消え去り、ベッドにできていた棒の影も消えた。真っすぐにイーグルを見ると、彼は満足そうににっこりとほほ笑み、言った。
「セフィーロは『意志の世界』ですから」
 彼が、かつては光とともに新しい『柱』候補に選ばれた存在であったことを思い出した。当時から、溢れんばかりの『意志の力』を感じさせる青年だったが、あれから三年が経った今、その強さは成熟の域に達しようとしていた。
「そうだな」
 クレフは目を細めてほほ笑み返した。そのとき、さあっと中庭の方から風が吹き込んできて、イーグルの鳶色の髪を揺らした。その風に誘われるように、クレフは中庭の方を見やる。すると、風だけではななくて一羽のカナリヤも部屋の中へ入り込んでくるところだった。咄嗟に手を伸ばし、鳥を受ける。純白の羽に瑠璃色の瞳を持ったそのカナリヤは、尾の先もほんのりと瑠璃色に染まっていた。カナリヤはクレフの手に留まると毛づくろいを始めた。その無邪気な姿に、自然と口元が緩んだ。
「約束だ。おまえの望む『褒美』とやらを、やらねばならんな」
 イーグルの方を見ないまま、クレフは言った。

 歩行訓練に使っている棒の端から端までを止まらずに歩くことができるようになったら、ひとつ「褒美」がほしい。そうイーグルに言われたのは、歩行訓練を始めた当日のことだった。不思議な頼み事だと思いながらも、特に断る理由も見つけられなかったクレフはそれを承諾した。そのとき以来、果たしてイーグルの求める「褒美」とはなんだろうかと考え続けているが、未だクレフはわかっていない。
「そうですね、では今すぐに、と言いたいところなんですが」
 楽しげな口調で、イーグルは言った。
「また後日でも構いませんか?」
 そんな返答が来るとは想像していなかったので、クレフは肩透かしを喰らった気分でイーグルの方を見た。あれほど執着しているように見えた「褒美」を手に入れられる条件がようやく整ったというのに、驚いたことに、イーグルはそんなことはどうでもいいとでも言わんばかりにこちらに背を向け、ベッドサイドの棚の中をなにやらごそごそといじっていた。
「何か急ぎの用事でもあるのか」
 きょとんとしてクレフが問うと、ガタン、と戸棚が閉まる音がした。こちらを振り返ったイーグルの額には、まだうっすらと汗が浮かんでいた。
「何言ってるんですか、導師クレフ」と彼は言った。「今日は僕の愛しのウミがやってくる日ですよ」

 ウインクとともに放たれた言葉に、クレフは覚えず肩をピクリと動かした。クレフの全身を伝った緊張を敏感に感じ取ったのか、左腕に乗っていたカナリヤが、バサッと羽音を立ててクレフから離れていった。その音にはっとして、カナリヤを目で追いかける。庭の方へと飛んでいったカナリヤは、やがてあっという間に見えなくなった。
 中途半端に浮いた左腕を下ろしながら、クレフは努めて笑みを浮かべた。
「そうか、そうだったな」
 自分自身に言い聞かせるような口調になってしまった。
「ええ」とイーグルが頷いた。「だから、ご褒美は後でいただきます。それに」
 一度言葉を区切り、イーグルは笑みを深くした。
「もう少しで、わざわざいただかなくても手に入りそうですし」
 その含みを持たせた言い方に、クレフは小首を傾げた。だがイーグルはほほ笑みを浮かべるだけで、それ以上何かを言おうとはしなかった。

「悪く思わないでくださいね、導師クレフ」
 やがて、車椅子を進めながら、イーグルが明るい声で言った。
「僕はちゃんと忠告したはずですよ。『ぐずぐずしていると、ウミをほかの男に取られてしまうかもしれませんよ』と」
 クレフは無言のまま、ただじっと、自分の前を通り過ぎていくイーグルの横顔を見ていた。視線を逸らしたら最後、とんでもない暴言を吐いてしまいそうで、イーグルから目を離すことなどとてもできなかった。イーグルには、何の罪もない。それは痛いほどよくわかっている。罪深いのは、この私だ。
 やがてイーグルは、中庭へと続くスロープを下り始めた。朝日に照らされて、鳶色の髪が輝いている。
「それでは、僕はウミが来るまでに準備をしなければならないことがあるので、これで失礼します。導師クレフ、ありがとうございました。ではまた後ほど」
 スロープを完全に降りると、そんな言葉と爽やかな笑顔だけを残して、イーグルはどこかへと去っていった。せめて、頷くことはできていたと思う。だが笑顔を浮かべることができていたかどうか、クレフは自信がなかった。


 イーグルの背後に伸びる影さえも見えなくなり、車椅子が進む音も聞こえなくなると、途端にどっと強い疲労感が押し寄せてきた。背中を押しつぶすようなその疲労感の重さに耐えられなくて、クレフは思わず、イーグルの使っているベッドの端に腰を下ろした。純白のシーツに手を添え、枕元の方を見やる。風に乗って漂ってくる、この部屋の主が持つ独特の爽やかな香りに、われ知らず苦笑いがこぼれた。
「まさか、おまえが『ほかの男』であったとはな」
 呟いた声は風に溶けた。

 クレフは己の愚かさに恥じ入っていた。確かにイーグルの言うとおり、彼は事前に忠告してくれていた。しかしあのとき、話を聞いているようでその実、クレフは自分でも気づかぬうちに、イーグルの言葉を聞き流していたようだった。
 海がほかの男に取られてしまう、そんなことはあり得ないと、心の中であぐらをかいていた。あり得ない、そのことの方が「あり得ない」というのに。いまさらになってこんな大切なことに気づく自分自身に、ほとほと呆れかえっていた。
 海は、何があっても失いたくない人だった。それを告げてこなかったのは、二つの世界を行き来する彼女の生活にこれ以上負担を掛けさせたくないとか、そういうもっともらしい理由をつけていながらにして、実際はただ、結局いつも自分と過ごしてくれる彼女に対して自惚れていただけだった。
二人の関係に特別な名前を与えなくても、海はいつも自分の隣にいるのだと思い込んでいた。しかしすべては夢、うたかたの日々だった。
 クレフは目を閉じると、そのまま仰向けにベッドへ倒れ込んだ。ぽす、と体が羽毛布団に沈む。息をつき、右腕を瞼の上に乗せた。その腕が普段以上に重く感じられるのは、きっと気のせいではない。

「僕たち、今日から付き合うことになりました」
 夕食会の席で、イーグルが海の手を取りにこやかにそう宣言してから、もう二週間が経った。――「もう」という言葉は相ふさわしくないかもしれない。この二週間は、クレフにとってはまるで地獄で過ごしているかのように恐ろしく長い日々であった。
 間に一度、海がこちらの世界を訪れる機会があった。皆で食事を取った後、さも当然のようにイーグルと二人でどこかへ去っていく海を見届けるのは、身が引き裂かれるような辛さでもってクレフに迫ってきたのだった。今も、あのときのことを思い返すと胸がえぐられるように痛む。そして今日はまた、イーグルが言うように週に一度、海たちがやってくる日であった。

 また、頬を染めてはにかむ海のことを黙って見ていなければならないのだろうか。夕食の後も、イーグルと二人で連れ立って歩く彼女を、私はただ見送るしかないのだろうか。胸に抱えた淋しさを打ち明ける先もないまま、一人の夜を越えなければならないのか。
 イーグルに不満があるわけではない。ずっと見守り、幸せになってほしいと願ってきた『魔法騎士』の一人である海の恋の相手としては、むしろ申し分ないほどの人間だった。礼儀作法は身に着いているし、真に強い『心』の持ち主でもある。今は車椅子での生活を送っているが、あの回復力の高さを見るにつけ、もうあと半年もすれば、人並みに歩けるようになるだろう。今は無理でも、イーグルが車椅子から離れた生活ができるようになれば、海と二人で手を繋いで歩く様子は簡単に脳裏に描くことができる。その映像はどの角度から見てもお似合いで、非の打ちどころなどまったくない。それに、「淋しい」という感情は、ずっとクレフの友人でもあった。長い時を生きていくためには、淋しさと折り合いをつけ、うまくやっていかなければならなかった。淋しさを覚えることに、いまさら傷ついたりなどしない。――だが。

 クレフはゆっくりと腕を払い、瞼を開けた。白い天井に、青や紫の光がまだらな模様を描いている。中庭から射し込んできた光が、ベッドの上に投げ出された杖に反射しているのだろう。
「私は……」
 呟いた声は掠れていた。
 イーグルに不満があるわけではない。私はただ、海が自分のもとから離れていってしまうことが厭なだけだ。
 どんな淋しさも耐えてきた。ただこれだけは、海を失った後の穴だけは、簡単に埋められるものではない。
 後悔など、浅はかにも程がある。甘えていたのだと、気づかされた。

 確かに海とはよく口げんか紛いのことをしょっちゅうするし、彼女は元来素直ではないところがあるから、意志疎通が図れないことも多々ある。それでも、たとえどんな別れ方をしても結局海は自分のもとへやってきてくれるのだと思っていたし、それがこれまでは当然だった。そして、その正直でない海の優しさに触れる中で、いつしか彼女が大切な存在になっていたことに気づいていた。気づていたのに、それを口にしようとはしなかった。甘えていたのだ、いつも海は自分のもとへやってきてくれるだろうという、根拠のない過信に。そしてその甘えの結果が、このざまだ。

「情けない」
 ふっと嘲笑がこぼれた。そしてその頼りない笑みをきっかけに、こんな姿をほかの人間には見せられないと奮起し、クレフは体を起こした。
 この二週間、悩みに悩んだ。あるいは今からでも遅くないのではないか、自分自身の気持ちを海に伝えるべきなのではないかと。だが、クレフは今、この気持ちは永遠に心の中にしまっておくことに決めた。何よりも、海の気持ちが第一なのだ。そのことに思いが至ったとき、自分が選ぶべき道はただひとつであることに気づいた。海がイーグルと共に歩んでいくことを決めたということは、海の気持ちもまた、イーグルのもとにあるということだ。それを妨げることは、海の幸せを邪魔することは、自身の望むところではない。

 クレフはベッドから降りると、杖を軽く一振りした。乱れていたベッドが一瞬で元どおりに整っていく。そのベッドを背にし、クレフは部屋の扉へ向かって歩き出した。少女たちがやってくる前に、それこそ私にも、やらなければならないことはたくさんある。この国での短い滞在が、彼女たちにとって実り多きものとなるように。それが私の『願い』だ。
 クレフは自らを奮い立たせるように、魔法を使うことなく、重い扉をあえて両手でぐっと押した。




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2013.08.19    編集

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篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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