蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

純潔のプリマヴェーラ 5

中編

私はいつだって彼の『特別』でいたいし、そうなるためには、待っているだけではだめなのだ。

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 海はセフィーロに着いて早々、人々への挨拶もそこそこにコートを脱ぎ、小ぶりのバスケットを抱えて中庭へと急いだ。
 二月中旬といえば、東京では一年で最も寒いころをようやく過ぎたあたり、もしくはその真っ只中で、まだまだコートが手放せない。けれど常春のセフィーロへ来てしまえば、羽織っていたコートは邪魔物以外の何物でもなくなってしまう。加えて、今日は朝の四時からフォンダンショコラ作りに精を出しており、それを渡す人のことをもう六時間以上も考えっぱなしなものだから、気分がすっかり高揚して、体温も高くなっていた。ほんのりと季節外れの汗をかきながら、海はバスケットの中身が崩れないよう、歩幅を狭くして中庭へと急いだ。


 これから人々が続々と集まってくるであろう、城に近い方の庭には目もくれず、海は細い脇道を抜け、裏側にあるもう一つの庭へ入った。噴水の向こう側に、鳶色の髪が靡いているのが見える。海はほっと息をつき、一旦足を止めた。
「イーグル」
 名前を呼び、手を振る。すると彼がこちらを振り返ってふわりとほほ笑んだ。その肩には一羽のカナリヤが止まっていて、チチチ、と海を出迎えるように鳴いた。先ほどよりもゆったりとした足取りで、海は彼の方へと向かった。
「こんにちは、ウミ」
「こんにちは、イーグル」
 掛けられたのと同じ言葉を返して、海は手にしていたコートとバスケットを噴水の縁に置くと、首の後ろに両手を差し入れ、髪を掻き上げた。そうすると、風が通って気持ちがいい。滲んだ汗も、セフィーロの風に吹かれれば一瞬で消えてしまうのだった。

「今日は、ウミにプレゼントしたいものがあるんです」
「え?」
 何の前触れもなく言われたので、手を下ろしながら海はきょとんと目を丸くした。意味深にほほ笑んだイーグルが、こちらへ向かってすっと右手を差し出す。そこには何かが握られているようだった。見せていた手の甲を裏返し、イーグルは、握った拳をゆっくりと開いた。その中から現れたものを見て、海は思わず声を上げた。
「綺麗……!」
 イーグルの掌の上では、二つの蒼い宝玉がキラリと光っていた。そっと手に取り、それを眺める。どうやらイヤリングのようだった。宇宙から地球を見たらこんな感じに見えるのではないかと思えるような、不思議な色合いのイヤリングだった。

「これを、私に?」
 海は顔を上げて訊いた。
「ええ」とイーグルは頷いた。「あなたに似合うのではないかと思って」
「でも」と海はためらった。「私、こんなものをもらう理由なんてないわ」
「あるじゃないですか。僕たちは、たとえ偽装とはいえ、恋人同士なんですから」
 にっこりとほほ笑んだイーグルにそう言われて、海は思わず赤面した。「恋人同士」などと表現されると、いくらイーグルに対してそんな感情はないといっても、やはり照れくさい。せっかくくれると言うのを断るのも失礼な気がして、海は小さな声で「ありがとう」と言うと、そのイヤリングを早速耳につけた。
「よくお似合いですよ」
 海は首を竦めてはにかんだ。人から何かをもらうというのは、いつだって気恥かしい。その気恥かしさをごまかすように視線を泳がせ、最終的に海は天を仰いだ。相変わらず、抜けるような青空が広がっている。
「それで、今日はどうしたらいいと思う? 恋のキューピットさん」
 海は徐に口を開いた。
「チョコレートは、ちゃんと用意してきたわよ」
 海は脇に置いたバスケットを見た。今日のバレンタインにすべてを賭けていると言っても過言ではなかった。

 二週間前、この「偽装交際計画」を言い出したイーグルによれば、今ごろクレフは海に告白しようと画策しているに違いないということだった。そして、今日のうちに二人っきりになれる時間を作る。そこで海が素直になって告白することができたらそれでよし、そうでなくても、きっとクレフの方が痺れを切らして告白してくれるだろう、という手筈(?)だった。
「そのことなんですが……」
 ところが、聞こえたイーグルの声が思いがけず暗く沈んでいるように聞こえて、海ははたと彼を見下ろした。車椅子に座ったイーグルが、膝の上で両手を軽く組み、俯いている。海はなんだか厭な予感がして、彼の顔を覗き込むためにその場でしゃがんだ。
「イーグル?」
 ためらいがちに、イーグルがこちらをちらりと見る。そうして彼が浮かべた曖昧なほほ笑みは、海の心に鳥肌を立たせた。
「ウミ。僕はあなたに謝らなければならないようです」
 そう言ったイーグルの言葉は、無情にも海の心に直接突き刺さった。

 海はごくりと唾を呑んだ。
「どういうこと?」
 やっとの思いで問いかける。するとイーグルは、困り果てたようにため息をつき、頭を抱えた。
「僕は愚かでした。あなたの恋の相手が導師クレフであるということを、そして、導師クレフが一筋縄ではいかない人であるということを、すっかり失念していたんです」
「ちょ……ちょっと、イーグル。いったいどういう――」
「ウミ」
 海を遮ったイーグルは、突然ぱっと身を乗り出して海の腕をつかんだ。
「逆効果だったんです、完全に」
「え?」
 呆気に取られ、ぱちくりと瞬きをした海をよそに、イーグルは眉間に皺を寄せて悔しそうに唇を噛んだ。
「ウミもよく知っているでしょう。導師クレフという人は、自分の幸せよりも他人の幸せを優先する人なんです」とイーグルは言った。「僕たちの『偽装交際』が、彼に大きなダメージを与えたことは間違いありません。ですが、どうやら導師クレフは、そのダメージをバネにあなたに告白するのではなく、ダメージそのものを、自分自身の中で解消してしまおうとしているようなんです」
 彼が言い終わるころになってようやく、海はイーグルの額にうっすらと汗が滲んでいることに気づいた。

 少し落ち着きを取り戻したのか、海の腕をつかむイーグルの手の力が緩んだ。車椅子に深く身を沈めると、イーグルは再び抱えた頭を力なく振った。そうなると今度は逆に、彼の目の前に立ちはだかるようにして身を起こした海が、車椅子の両方の肘掛けに手をついてイーグルに迫る番だった。
「どういうことなの、イーグル。クレフはいったい何を考えてるの。私はどうしたらいいの?」
 藁にも縋るような気持ちだった。イーグルが海を見返す。神妙な面持ちで、彼は一度瞬きをした。
「落ち着いて聞いてください」と彼はゆっくりと言った。「導師クレフは今朝、僕に言いました。『ウミを頼む』と」
 それは、直接的には海の質問に答える言葉ではなかった。けれどその言葉は、直接的に答えるよりも海の心に重くのしかかった。「ウミを頼む」――そんな台詞は、二人で立てた計画の中にはこれっぽっちもなかった。
「そんな」
 全身から力が抜けていくのを感じた。海はその場にへなへなと座り込んだ。
 海はようやく、イーグルが言わんとしていることを理解した。クレフは確かに、「そういう人」だった。イーグルの言うとおり、「自分の幸せよりも他人の幸せを優先する人」だ。それがクレフという人で、それが、海の好きになった人だった。
 クレフは、今回の海とイーグルの「偽装交際」を、完全に「本気交際」だと思い込んでいる。そして、この交際が遂げられることを願おうとしている。イーグルの表情と言葉が海に伝えたのは、そういうことだった。

 少し考えてみればわかることだった。クレフは、たとえ彼が海のことを想っていたとしても、海の気持ちが彼に向いていないと知ったら自分自身の気持ちを押し殺してしまうような人なのだ。そんな人に対して、こんな「偽装交際」などというものを仕組むこと自体間違っていた。クレフと気持ちを通じ合わせるには、最初から直球勝負をするしかなかったのだ。こんな簡単なことに、どうして今の今まで気づかなかったのだろう。
 だんだんと視界が滲んでくるのを感じた。もう間に合わないのだろうか。せっかく作ってきたフォンダンショコラも、渡せないのだろうか。今ならきっと、すべてを打ち明け、無粋な企みをしたことを正直に詫び、素直に「好き」と言えるのに――。

「ウミ」
 そのとき、肩に触れる優しい手の感触があって、海ははっと顔を上げた。イーグルが、すべてを悟ったように穏やかな笑みを浮かべて海を見下ろしていた。滲んだ視界の向こうで、彼が頷くのが見えた。
「だいじょうぶです、今からでも遅くはありません」とイーグルは言った。「導師クレフのところへ行って、すべてを打ち明けてください。今度こそ、素直に」
 海ははっと目を瞠った。イーグルの言葉は、どんな魔法よりも強力に海の心を支えた。だいじょうぶだと信じてください。彼の瞳にそう言われている気がした。そして思い出す。ここセフィーロは『意志の世界』だ。最初にこの世界へ招喚されたとき、クレフに教えられたではないか。この世界では、魔法の強弱、成功不成功、果ては未来までも『意志』が決めるのだと。それならば、自分が「だいじょうぶだ」と信じたなら、きっとだいじょうぶなのだ。

 海は袖で涙を拭った。こくりと頷き、立ち上がった。
「ありがとう、イーグル。行ってくるわ」
 はっきりと告げると、イーグルがほほ笑んだ。
「お気をつけて」
 噴水の縁に置いたバスケットとコートを手に、イーグルの笑顔に見送られながら、海は中庭を後にした。


 言えるだろうか。今度こそ、素直に。走りながら海は自問自答した。やはりバスケットの中身を揺らし過ぎないように注意しながら、海は全速力を続けていた。
「いいえ」
 ひとりごち、海はかぶりを振った。「言えるだろうか」じゃない。今度こそ、「言わなくてはならない」。

 この二週間で、海にはひとつわかったことがあった。自分自身がいかに甘えていたかということだ。
 偽装とはいえ、イーグルとの交際を皆に公表してからというもの、当然海はセフィーロにいる間、イーグルと過ごすことにほとんどの時間を費やしていた。もっとも、その時間の大半は「どのようにしてクレフと思いを通じ合わせるか」という議題を話し合うことにばかり使われていたのだけれど。
 イーグルと過ごす時間が増えるということは、裏を返せばクレフと過ごす時間が減るということだった。そして、そうなって初めて、海は気づかされた。これまでの海は、クレフが自分との時間を過ごしてくれるのは当然だと、甘えていたのだということに。

 クレフはこのセフィーロで最高位の魔導師だ。毎日を誰よりも忙しく過ごしていることを、プレセアやフェリオから、耳に胼胝(たこ)ができるほど聞かされていた。「少しは休息をとるように、ウミからも言ってくれないかしら」とプレセアに懇願されたことなど、一度や二度ではない。それほど多忙を極めているクレフなのに、海がセフィーロへやってくる日は、頼まなくてもいつも海とともに過ごしてくれていた。それは考えてみれば「当然のこと」などではなかったのだ。むしろクレフは、海と過ごすほんのわずかな時間を創り出すためにこそ、休息の時間を削っていてくれたのかもしれなかった。

 自分の気持ちに素直になれないのはクレフの気持ちがわからないからだと、これまで海は理由づけていた。クレフは私のことなんか好きじゃないかもしれないから、自分の気持ちを押し付けるようなことはしてはいけない。そう考えていた。考えていた、つもりだった。けれどそうではないのだと思い知った。甘えていただけだったのだ。クレフはなんだかんだ言って私のことを待ってくれていると、『特別』な存在にならなくても私はクレフの傍にいることを許されているのだという根拠のない自信に、甘えていた。
 そんな甘えていた自分とは、今日でおさらばしなければならない。私はいつだって彼の『特別』でいたいし、そうなるためには、待っているだけではだめなのだ。
 海はぎゅっとバスケットの取っ手を握りしめた。クレフがどう思っているのかは関係ない。私は、ほかでもない私自身が、彼の傍にいたい。

 もう迷わない。強い決意を胸に、海は『精霊の森』へと向かった。どうしてそこへ行こうとしたのかは自分でもわからない。けれど心のどこかで、クレフはそこにいるに違いないと思っていた。そして――断崖に立っているそのひとの姿を認め、海は立ち止まった。上がる息を整えようともせず、海はゆっくりとした足取りで彼に近づいた。そして静かに彼の名を呼んだ。
「クレフ」
 こちらを振り向いた彼は、見たこともないほど驚いた顔をしていた。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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