蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

グレナデン・ドロップ 1

中編

ホワイトデーをテーマにしています。『純潔のプリマヴェーラ』から一か月後という設定ですが、これ単独でも読めると思います。

本文は「続きを読む」からどうぞ。





 通常、2月と3月のカレンダーは、2月1日が月曜なら3月1日も月曜というように、曜日配列が等しくなる。今年のバレンタインデーは土曜日だったので、海たちはタイミングよくセフィーロへやってくることができていた。例年であればホワイトデーも土曜日に当たるべきなのだけれど、今年は閏年で2月が29日あるため、3月の曜日配列は2月とずれてしまった。したがって3月14日は、東京では日曜日に当たる。その前日、つまり3月13日の土曜日、海たちは普段どおりセフィーロへやってきていた。それぞれの想い人からのホワイトデーギフトに対する期待を、こっそりと胸に抱きながら。
 まさか、このホワイトデーの週末が試練の週末になろうとは、セフィーロに降り立ったときはまだ、海は想像もしていなかった。

***

 突然声を掛けられたのは、何度目か知れないため息をついたときだった。
「どうしました、ウミ。ぼうっとして」
 傍に誰かがいるとは思ってもいなかったので、海は小さな悲鳴を上げて肩を震わせた。慌てて振り返ると、そんな海よりももっと驚いた表情をした青年が、魔法使いが持つような杖を支えにしてその場に立っていた。もっとも、彼自身は魔法使いではない。
「イーグル」と海は青年の名を呼んだ。「ごめんなさい、驚いたでしょう」
 海はほっと息をつき、眉尻を下げた。腰掛けていた椅子から立ち上がろうとしたのだけれど、イーグルに、「あ、そのままで」と制された。ためらいながらも浮かせていた腰を元に戻す。するとイーグルもまた、海の斜向かいの椅子を引いて腰を下ろした。二人の前にある丸テーブルに、杖を立て掛ける。その杖は、持つところに丸い深緑色の宝玉があり、そこから先端にかけては落ち着いた肌色の金属でできているデザインをしていた。かつてアルシオーネが持っていた杖によく似ていた。

「何か悩み事でも?」
 不意にイーグルが言った。
「え?」
「先ほどから、何度もため息をついていたようですから」
 テーブルに軽く身を乗り出して、イーグルがほほ笑む。その表情は優しいけれど、隙がない。
 ひと月前はまだ車椅子で移動していたのに、今のイーグルは、杖を片手にしていれば一人で歩けるほどにまで回復していた。歩き方はまだぎこちないけれど、歩く速度は、海たちがセフィーロを訪れるたびに着実に早くなっている。それほど速く回復できるほどの強い『心』の持ち主から、真っすぐなまなざしを向けられる。その気まずさに耐えられず、海は視線を逸らした。
「別に、悩みってほどのことじゃないのよ。ただ……」
 今の気持ちを表現するにふさわしい言葉がどこかに浮かんではいないかと、海は視線を彷徨わせた。今いるのはセフィーロ城の中庭だった。一緒にこちらの世界へやってきた光、風と別れてから、海はかれこれ小一時間ほど、この小さな丸テーブルの傍らでぼんやりと時間をやりすごしている。他でもない、ついひと月前のバレンタインデーに想いを通わせたばかりのひとの帰還を待っているのだ。

 彼は今ごろ、オートザムからセフィーロへの帰路に就いているはずだった。東京であれば「表敬訪問」とでも言うべきか、とにかく、「一度オートザムにも来てくれ」という大統領の熱意に押されて海の想い人がオートザムへ向かったのは、三日前のことだったという。日帰りの予定が一泊になり、一泊の予定が二泊になり、今日の朝には帰ってくる予定が昼になり、そして昼にはセフィーロに着いている予定が、昼を過ぎてようやくオートザムを出立したのだと、眉尻を下げながら教えてくれたのはプレセアだった。

 彼の不在が、淋しくないと言ったら嘘になる。けれど、こういう言い方は失礼かもしれないが、彼がいないと聞いてほっとしたのもまた、紛れもない事実だった。
 海は彷徨わせていた視線を向けるべき先を特に見つけられず、結局自らの手元に落とした。
「調子が狂うのよね。今のクレフといると」
 言って、海は思わず苦笑した。「調子が狂う」とは、われながら言い得て妙だと思った。


 ずっと友達だった人と付き合うことになると、なんだか照れくさくて、どうしたらいいかわからなくなるのよね。つい一週間ほど前、下校途中に友人の一人がそんなことをぽつりと呟いたとき、海は思わず「わかるわ!」と身を乗り出していた。そうなのだ。実際、クレフと想いを通わせたはいいものの、そこからどうしたらいいのか、海はひと月が経とうとしている今になってもわからずにいた。これまでは何気なくできていたすべてのことが、「何気なく」はできなくなってしまった。二人で『精霊の森』へ行くことも、セフィーロのあちこちを案内してもらうことも、まして、彼の部屋で二人きりになることも。すべての場面で、海はクレフを必要以上に意識して、どぎまぎしてしまう。そして、そんな海に対してクレフもまた戸惑いを覚えていることも、海はわかっていた。けれどクレフが戸惑うのは反則だと思うのだ。なぜなら、海がこれほど調子を狂わされているのは、はっきり言ってクレフに全責任がある。彼が「あんなこと」をしなければ、海だって、あるいは今までどおりに振舞うこともできたかもしれないのに。

「なるほど」
 イーグルの声でわれに返る。ふと顔を上げて、海は思わず身じろぎした。片手を口元に当てたイーグルが、それはそれは厭な感じの笑みを浮かべていたのだった。彼の背後に何やらどす黒いオーラが見えるのは気のせいだろうか。
「ウミは、アレなんですね」
「アレ?」
「そう。アレですよ、アレ」
 海は思わず眉間に皺を寄せた。
「イーグル、ちょっと私にもわかるように言ってくれる? 『アレ』って、何?」
「いいんですか? 言ってしまっても」
「え?」と海は目を丸くした。「だって、言ってくれないと、私、何のことだかさっぱりわからな――」
 言い終わらないうちからイーグルがずいと身を乗り出してきたので、海は反射的に仰け反ってしまった。そんな海の様子を楽しんでいるかのような笑みを浮かべたイーグルは、その直後、まるで日常会話の続きのようにさらりと言い放った。
「欲求不満ですよ」

 海はその場で固まり、何度か瞬きをした。すぐにはイーグルの言った言葉の意味が理解できなかった。
 けれどすべては時間の問題だった。イーグルのきらきらと輝くような笑顔を見ているうちに、海は心拍数と顔の温度がぐんぐん上昇していくのを、厭でも感じた。
「な……なっ、何言ってるのよ、イーグル! そんなんじゃないわ!」
 思わずガタンと立ち上がり、海はテーブルを叩いた。反動で椅子が後ろに倒れたけれど、気にしなかった。結構大きな音が立ったのだが、その音よりも、今目の前にいる男が言ったことの方が、海にとってはよほど大きな衝撃だった。「欲求不満」なんていう過激な言葉に、海はまだ慣れていない。

 そんな海の気持ちなど慮ろうともせず、イーグルは涼しい顔をしてなおも言い募った。
「しかし、調子が狂うんでしょう? 導師クレフといると」
「それはそうよ」と海は素直に肯定した「でも、それは何も私だけじゃなくて」
「そりゃあ、誰だって最初は『調子が狂いました』よ」とイーグルは海を遮った。「でも、あなたはほかの人とは『違う』でしょう。あなたは導師クレフの恋人じゃありませんか」
「それは……」
 それはそうだけど、という言葉を最後まで言うことはできなかった。そうだけど何なのか、ほかでもない私自身が、よくわかっていなかった。
「だっ、だからって、それとこれとは関係ないじゃ――」
「ウミ」
「付き合っていられない」とでも言うかのように、イーグルが両の掌を天に向けてかぶりを振った。
「素直になると誓ったのではなかったんですか? いい加減、認めたらどうです。あなたは今、動揺しているんでしょう? 導師クレフが突然体を成長させてしまったために、彼を『男』として意識してしまうことに」
 海は反論しようと口を開いた。けれど反論できるところがひとつもなく、結局は、開いた口をそのまま閉じ、イーグルが起こしてくれた椅子に力なく身を沈めるしかなかった。

 イーグルの言うとおりだった。クレフと互いの想いを打ち明け合ったのはひと月前のことだが、その翌週、いつものようにセフィーロへやってきた海に、クレフはとんでもないサプライズを披露してくれた。海たちを出迎えたクレフは、もはや十歳前後の子どもではなく、二十歳そこそこの大人の男へと変貌を遂げていたのだった。そんなクレフを見て海が卒倒したということは、言うまでもない。

 その日以来、セフィーロへやってくるのは今日が四度目だったけれど、海は未だに大人の姿をしたクレフに慣れることができずにいる。大きな手にふとした瞬間触れるたび、ローブの奥から喉仏が覗くたび、広い背中が前を歩くたび、海はどぎまぎしてしまって、普段どおりに振舞えなくなる。クレフも男のひとなんだ。当たり前なのにいまさらそんなことを思い知らされて、正直言って、海はどうにかなってしまいそうだった。

 イーグルは、海のことをクレフの「恋人」と表現した。確かに、想いを通わせたことでそう呼ばれる関係になったことは確かだ。けれど今日今このときまで、海はクレフとキスをしたことはおろか、手を繋いだことさえない。あの日、あのバレンタインの日、クレフが「もう、どこへも行くな」と言って抱きしめてくれたことだけが、二人の間にあった唯一のふれあいらしいふれあいだった。
 そのことに、海は何の不満もない。強がりでもなんでもなくそう言える。だいたい、二人で一緒にいるだけでもどぎまぎしてしまうのに、それ以上恋人らしい段階へ進展してしまったら、自分で自分がどうなってしまうかわからず、恐ろしかった。私はまだ、そんな段階へ進む準備はできていない。海は一人赤面し、首を振った。


 はぁ、とイーグルからため息が聞こえた。
「あなたたちを見ていると、まるで若い頃を思い出すようですよ」
「今だってじゅうぶん若いじゃない」
 間髪容れずに突っ込んだ。イーグルは愉快そうにははは、と笑うだけで、否定も肯定もしない。そして徐に自らの懐をごそごそと探ると、そこから何かを取り出して海の前に差し出した。
 イーグルがテーブルの上に置いたのは、掌サイズの透明な壺型のガラス瓶だった。中にはオーロラ色の透明な包み紙に包まれた真っ赤な実のキャンディがぎっしり詰まっている。燦々と降り注ぐ太陽の光が瓶に反射して、テーブルに綺麗な七色の模様が浮かび上がった。

 突然何だろうと、テーブルに置かれたそれとイーグルとを、海は交互に見比べた。相変わらず読めない笑顔を浮かべたイーグルの鳶色の髪が、風に揺れてさらりと音を立てた。
「実は、これを導師クレフから預かっていたんです」
「え?」
 思いがけないことを言われて、海は思わずガラス瓶を引っつかんだ。同じくガラスでできた蓋を開け、まず匂いを嗅ぐ。ふわりと漂ってきた香りは、ざくろに似ていた。これを、クレフが。そう思ったら何だか心がふわりと浮いたような感じがして、海はどきりとした。
「ひょっとしたら、明日の『ほわいとでー』までに戻ってくることができないかもしれないから、そうなったらウミに渡してくれ、と頼まれたんです。もっとも、彼の心配は杞憂に終わるようですが」
 首を竦めてイーグルが言う。海は改めて瓶を見下ろし、頬が染まるのを自覚した。

 クレフは、異世界のイベントに関して、内容は一度言っただけで理解するのに、肝心の日にちをまったく覚えない。バレンタインデーもそうだった。バレンタインデーがどういう日なのか、そのことはよくわかっているくせに、ひと月前のクレフは、海が「今日はバレンタインデーだ」と言うまでそういう日なのだということを失念していたようだった。そんなクレフが、まさかホワイトデーを覚えてくれていたなんて。しかも、こんなプレゼントを用意してくれていたなんて。手にしたガラス瓶が、海にはどんな贈り物よりも高価なものに見えた。

 ガタン、と音がして、自分の世界に入りかけていた海ははっと顔を上げた。イーグルが、杖を手に椅子から立ち上がろうとしているところだった。
「それに加えて」と言いながら、イーグルが椅子を引いた。「遅くなるかもしれないから、それを食べながら私の部屋で待っていてくれ、との伝言も、お預かりしていますよ」
 ウインクをして、イーグルが背を向ける。海は慌てて立ち上がると、その背中に向かって、
「ありがとう、イーグル」
 と声を掛けた。杖を持たない方の手を、イーグルはひらひらと振ってくれた。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

▶ 連作短編集を始めました。クレ海学生パラレルです。今後年中行事に合わせて不定期更新の予定です。詳しくはこちらからどうぞ。

▶ こちらは作品展示専用です。コメントへのお返事は別ブログにて行っております。
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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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