蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

グレナデン・ドロップ 2

中編

彼女を見て、これほどまでに泣きたい気分になるのは初めてのことだった。

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 三日ぶりに戻ってきたとき、母国はすでに夕暮れ時を迎えていた。いらぬと言ったのに、大統領がわざわざ発動させてくれた小型NSXを操縦するオートザム国の兵士に対して丁寧に礼を言い、クレフは足早にセフィーロ城の中へと急いだ。

 やはり、セフィーロは安心する。城の回廊を歩きながら気づけばそんなことを考えていて、クレフは自嘲気味に笑った。オートザムも確かに、セフィーロをはじめとする諸外国が結託した研究の成果で大気汚染問題を乗り越え、今では綺麗な空気を取り戻すことに成功した。それでもやはり、オートザムの空気とセフィーロのそれは違う。精霊たちに守護されたセフィーロの空気には、オートザムにはない「温かさ」がある。まるで空気そのものが生きているかのように感じられるこの地に降り立つと、クレフは自らの内側から「力」が湧き上がってくるのを感じる。故郷というのはそういうものだろう。離れていたからこそ感じられるありがたみに、クレフは心の中で敬礼した。

 ふと一陣の風を感じ、クレフは足を止めると徐に外へと視線を投げた。小型NSXが、セフィーロとオートザムとを繋ぐ『道』を通り、自国へと戻っていくところであった。沈みゆく日の紅い光を受け、船が目映いばかりに輝いている。それを供してくれた、オートザムの大統領でありイーグルの父である男のことを思った。直接顔を見て話す機会は少ないが、いざとなると阿吽の呼吸で話ができる男だった。当然、彼よりはクレフの方が遥かに長い年月を生きているが、それでもクレフは、大統領から学ぶことが多い。彼のような人間と存命中に触れ合う機会を得られたことを、心から喜ばしく思う。

 ほんの三年ほど前までは、他国の人間と深く接し、そこから何かを学ぶということは考えられなかった。それを可能にしてくれたのは、異世界から『魔法騎士』として招喚された三人の少女たちだった。哀しい戦いを乗り越え、彼女たちは二つの世界を行き来するすべを身に着け、セフィーロにとってなくてはならない存在となっていた。今、そのうちの一人とクレフとは、思慕の念を抱き合う仲となっているわけだが――

 そこまで考えて、クレフはさっと踵を返すとますます足取りを早くして回廊を進み始めた。彼女に会える週に一度の機会だというのに、すでに日暮れが迫っている。彼女に対する申し訳なさというよりも、クレフ自身が淋しかった。折り合いをつけなくてもいい「淋しさ」は、クレフにとって新鮮だった。以前同じような気持ちを抱いたときのことを、クレフはもはや思い出せない。
 今ごろどこで何をしているだろう。ひとまずオートザムから持ち帰った大気のサンプルを自室に置いてから、彼女を探しに行こう。複雑に入り組んだ回廊を迷うことなく進み、クレフはひたすらに自室を目指した。

***

 ところが、いざ自室を目の前にしてクレフは思わず歩みを止め、眉根を顰めて扉を見上げた。部屋の中に、人の気配を感じたからだ。
 気のせいか、と訝しがりながらもう一度意識を集中させる。だがやはり、部屋の中から人の気配がすることに変わりはない。その気配の主が誰なのか、クレフにはとっくにわかっていた。そもそも、クレフの留守中にこの部屋の中に入ることを許されている人間は一人しかいない。彼女だけは、自らの留守中であっても部屋の中へ入れるよう、常時部屋に張っている『結界』の魔法に、クレフはひと月前から改変を加えていた。だが、彼女が今自分の部屋にいるということは、クレフにとってはいささか想定外であった。てっきりほかの者たちとともに過ごしているものとばかり思っていたのだ。せっかくの週に一度しかない滞在を、わざわざいない人間を待つことに使うこともあるまいに。それとも、何か特別に話したいことでもあったのだろうか。

 とにかく――と、クレフは杖を軽く掲げた。扉が音を立てずに開かれていく。部屋の中は明かりが燈っていないようで、薄暗い。こんなところで一体何をしているのかと、クレフはますます眉間の皺を深くして部屋へ入った。そしてもう一度杖を振るい、間接照明を燈した。
「ウミ? いるのか、ウ――」
 言いかけて、クレフは思わずぴくりと肩を震わせ、その場で立ち止まった。
 部屋の中央にあるソファに身を投げて、彼女が静かな寝息を立てている姿が、白熱灯の明かりに照らされて目に飛び込んできたのだった。

 クレフは一度深呼吸をした。そうしてみて、一瞬ではありながら己が息を止めていたのだということに気づいた。鼓動が速いのも気のせいではない。そんな、常ではない自分自身の反応に心の中で動揺しながら、その動揺を隠すようにもう一度深く息を吸い込むと、髪を掻き上げた。とりあえず扉を閉め、足音を立てないよう注意しながら、海の寝ているソファの脇を通り過ぎる。羽織っていたローブを衣紋掛けに預け、オートザムから持ち帰った大気のサンプルを机上に置く。杖も机の傍に立て掛けると、改めて部屋を見回した。
 ソファ以外の場所から、海の残り香は感じない。どうやら彼女は、この部屋へやってきてすぐあのソファに腰を下ろし、そのまままどろんでしまったようだ。

 それにしても、なぜ。クレフはゆっくりとソファの方へ足を向けると、恐る恐る覗き込んだ。
 ――何が「恐る恐る」なのか。自分自身に突っ込みを入れる。そしてふっと短く息をつくと、海の顔の近くで身を屈め、その無防備な寝顔に視線を落とした。
 どこか体調でも悪いのだろうか。クレフはそっと、海の額に手を当てた。触れた額はやや熱い気もするが、深刻に体調を崩している様子は感じられない。待っている間に、退屈して眠ってしまったのだろうか。そうだとしたらほんとうに申し訳ないことをした。困ったように笑って、クレフは海の額に当てた手を静かに除けると、代わりにそこに口づけを落とした。

 顔を離し、改めて海を見やる。ほんとうに、いつ見ても整った顔立ちをしている少女だと思う。加えて、淡い白熱灯の明かりに照らされた今の彼女には、美しさだけではなく妖艶さもあるように見える。白磁の肌は、絹のように滑りがいい。そっと触れた頬は、まるで掌に吸い付いてくるようなみずみずしさがある。もはや「少女」という言葉は不釣合いだった。一糸纏わぬ姿となった彼女は、おそらくどんな着ぐるみに身を包むよりも美しいだろうに――

 そこまで考えて、クレフははっと弾かれたように海から手を離した。
 こめかみを冷や汗が伝う。私は今、何を考えていた?
 相変わらずあどけない表情を浮かべて眠っている海に対し、自分自身がとんでもない罪人のように思えて、クレフは心密かにうろたえた。年ごろの若者でもあるまいに、清純な生娘を前に、私はなんということを考えているのか。クレフは自らの思考を振り切るようにかぶりを振り、その場で立ち上がった。何をしたわけでもないのに、強い疲労感を覚えていた。

 いったいどうしたのだろう。自分自身のことなのに解せない。このようなことは、これまでにはなかった。
 確かに海とは想いを通わせ、愛を交わらせることがあってもおかしくない関係になった。だが、それを強要したいと思うことも、どうしようもなく海とそういう関係になりたいと思うことは一度もなかった。ただ傍にいて、彼女の笑顔を見ることができたならそれだけで、クレフは満たされていた。それが、今日この瞬間になって突然、何が起こったというのか。
 クレフはちらりと横目に海を見下ろした。言い訳がましく聞こえるかもしれないが、今日の彼女は「何かが違う」。その「何か」が、私の心を乱している。そう思えてならなかった。


 暫くそうして海を見ていたクレフだったが、すっと瞼を下ろすと肩で息をつき、視線を外した。何を馬鹿げたことを考えているのか。オートザムへの長旅による疲労が、突然変な気を起こすことに繋がったのかもしれない。それを、このようないたいけな少女のせいにしようとは、浅はかにもほどがある。

 クレフは一旦海の傍を離れ、テーブルを挟んで向かい側にある一人掛けの別のソファに腰を下ろした。それにしても、一体彼女はどうしてこの部屋で眠っているのだろう。そうして改めて海を見ようとしたとき、クレフは不意に、テーブルの上に散らかっているいくつかの包み紙の存在に気がついた。
 傍らには、見覚えのない壺型のガラス瓶もあった。散らかっているオーロラ色の包み紙は、どうやらその瓶の中に入っていたものの残骸らしい。クレフは組みかけていた足を元に戻すと、軽く身を乗り出して瓶を手に取った。中に入っているものを一つ取り出す。それはどこからどう見ても飴玉だった。はて、海が東京から持ち込んだものだろうか。そう思って何気なく匂いを嗅いだ瞬間、クレフは全身から血の気が引いていくのを感じた。
「っ……!」

 割れないよう注意しながらガラス瓶と飴玉を放り投げ、クレフは一目散に、薬湯を煎じるときに使用する薬草が並んでいる棚へ走った。そして迷わず一つの瓶を選び出し、その中に入っている薬草を一枚ちぎると、湯煎もせずに直接口に含んだ。途端、全身にぴりぴりとした痛みが走る。なんとか耐えてすべてを飲み込むと、クレフはぜいぜいと肩で息をしながら思わず壁に手をついた。そして、今度こそほんとうに「恐る恐る」、海が寝ているソファを振りかぶった。彼女は相変わらず、純真無垢な寝顔を浮かべてそこにいる。だが、クレフの目にはもう、海の表情はこれまでと等しくは映らなかった。
 クレフははっきりと、当惑している自分自身を自覚していた。考えなければいけないことがありすぎた。まずもって、海はいったいどこで「あれ」を手に入れたのか。そしてなぜ「あれ」はここにあるのか。さらには――果たして、彼女はすでに「あれ」を食してしまったのか。

 どっと汗をかいていた。サークレットが邪魔くさい。迷わずにそれを外すと、クレフは汗で額にへばりついた前髪を掻き上げた。とにかく落ち着け、落ち着くんだ。そう言い聞かせ、とりあえず蛇口を捻ってコップ一杯の水を飲み干した。そうすると、ようやく少しは心が静まってくる。その静まった心で、クレフは考えた。「あれ」をどこで手に入れたのか、それは、目を覚ましたら海に聞けばいい。問題は、彼女が「あれ」を食してしまったのかどうかだが、飴玉は瓶の半分も入っていなかったし、そもそもテーブルの上には包み紙が散乱している。その状況から判断して、彼女が「あれ」を「食していない」と言い切ることの方が難しかった。こればかりは、問うまでもなかった。海はきっと、すでに「あれ」を口にしてしまったに違いない。それも、何粒も。

 クレフは思わず頭を抱え、唸った。そしてまた「落ち着け」と言い聞かせる。落ち着くんだ。たとえ海がすでに「あれ」を食べてしまっていたとしても、作用が抜けるまで彼女に触れなければいいだけのことなのだ。触れさえしなければ、何事もなくすべては終わる。クレフは先ほど口にした薬草が入った瓶を握りしめた。とりあえず、起きたら海にこの薬草で煎じた薬湯を飲ませれば――

 はっ、とクレフは目を見開いた。
 そしてその瞬間、クレフはまさに、崖っぷちでつかんでいた岩もろとも崩れ落ちていくような感覚にとらわれた。「触れなければいいこと」、それは確かにそのとおりなのだが、それはすでにうたかたの夢と消えていた。私はもう、彼女に触れてしまっているではないか。額に触れ、頬に触れ、そして口づけまで落としたではないか。
 クレフは、(おそらく)何も知らずに眠り込んでいる海を見やった。彼女を見て、これほどまでに泣きたい気分になるのは初めてのことだった。そして、その眠り姫を瞳に映しながら、
「……ウミ」
 と、それこそ今にも泣き出しそうな声で呟いた。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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