蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

グレナデン・ドロップ 3

中編

クレフは音もなく近づいてくると、海の両肩を優しくつかみ、そのまま静かに押し倒した。

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 まるで無重力空間にいるようだった。ふわふわと体が浮いている感じがする。周りには何もなく、誰もいない。ウォーターベッドの眠り心地は、きっとこんな感じなんじゃないかしら。そんなことを考えていると、何の変化もなかったその空間に、不意に人のシルエットが浮かび上がった。
 遠くに後姿でしか存在せず、最初は男か女かもわからなかったその影は、次第に海がいるところまで近づいてきた。そして影はゆっくりとこちらを振り向いた。その見覚えのある姿に、海はほっとすると同時に、なぜか底知れぬ恐怖も感じた。
 ――クレフ。
 確かに言葉を発したはずなのに、それが音となって出てくることはなかった。それでも海の目には、クレフが確かにこくりと頷いたように見えた。
 今、この空間には自分とクレフの二人しかいない。そのことを意識した途端、海は金縛りに遭ったように動けなくなった。

 クレフは音もなく近づいてくると、海の両肩を優しくつかみ、そのまま静かに押し倒した。何もない空間なのに、確かに体が沈んでいく感覚がある。どくん、どくん、と心臓が高鳴る。クレフに触れられたところから、徐々に体全体が熱を帯びてくる。押し倒された体は、やがてほんとうにウォーターベッドのようなところに接した。背中がひやりとしたけれど、それは決して不快な冷たさではなかった。
 顎にクレフの手が掛かる。上を向かされ、目が合ったのは一瞬のことで、次の瞬間、海の唇はクレフのそれによって塞がれていた。離れたと思えばまた触れ、そして空気を取り込もうとうっすら開いた唇の隙間を縫って、クレフの舌が入り込んでくる。それは海の歯列を舐め、器用に咥内を這う。初めて味わう感覚に、海は身も心もとろとろに溶けていくのを感じた。

 やがて、クレフの手は海の体をまさぐり始める。胸を優しく揉みしだかれ、海は自然と腰を弓なりにしならせた。寄せては返す波のように、これまで感じたことのない甘ったるいものが体の内側から溶け出してくる。もう止められない。このまま、いきつくところまでいってしまう――


「――!」
 パン、と風船が割れるような音を聞いた気がして、海ははっと目を開けた。まず視界に飛び込んできたのは、緩やかな円柱状の天井だった。
 肩で息をする自分自身の呼吸音だけが辺りに響く。部屋を包む空気は決して熱くないのに、海は全身にぐっしょりと汗をかいていた。何度か瞬きをしてようやく、自分が今、クレフの部屋のソファで横になっているのだということに気づいた。
「夢……」
 呟き、海はゆっくりと上半身を起こした。まだ体は火照っている。うだるような暑さを覚え、海はブラウスのボタンを胸元まで外すと、指先でつまんでぱたぱたと煽った。汗が風で冷やされていく感覚が心地よい。海は一度深呼吸をした。

 なんて生々しい夢。海は思わず自らの体をぎゅっと抱きしめた。クレフとはまだ、触れ合うようなキスさえもしたことがない。それなのに、夢の中で交わしたクレフとの深いキスは、まだ唇に感触が残っているかのようにリアルだった。そして、その後の艶めかしい交わり。あのまま夢を見続けていたらどうなったのだろう。海は何だかから恐ろしくて、堪え切れずにぎゅっと目を瞑った。そんな状態で声を掛けられたとしたら、誰だって驚くに決まっている。
「気がついたか」
 それも、つい今しがたまで夢に見ていた人の声だったとしたら、なおさらだ。
「きゃあああ!!」
 海は、部屋中の物という物が空気の振動で揺れるほどの悲鳴とともに飛び上がった。そして向かい側を見ると、そこにある一人掛けのソファに腰を下ろしたクレフが、片方の耳を押さえて、梅干を食べた直後のような表情を浮かべていた。
「ク……クレフ」
 どくどくと打つ脈は深い。先ほどの悲鳴に比べれば蚊が鳴くような声で彼の名前を呼ぶと、クレフは憔悴しきった顔で海を見て、曖昧に笑った。

 状況を理解するのには時間が必要だった。まだ頭が混乱している。海はぐるりと部屋を見回した。
 確かにここはクレフの部屋だ。そして今海が座っているところはソファだ。ここに腰掛けたときのことは覚えている。イーグルに言われたとおり、クレフの部屋で彼の帰りを待っているうちに眠くなってきてしまって、少しだけうとうとしようと思ったのだ。そのときはまだ、部屋の中には太陽の光が入ってきていた。夕陽に照らされたガラス瓶がテーブルに描く模様が綺麗だなと思ったのを覚えているから、間違いないはずだった。
 海はバルコニーの方へ視線を向けた。ところが今、窓の外はすっかり闇に包まれている。部屋の中が明るいのは、いくつもの間接照明に照らされているためだった。どうやら「少しだけうとうと」ではなく、結構長い時間眠ってしまっていたらしい。長い時間、といっても二、三時間のことだろけれど、週に一度しか訪れることができないセフィーロでそれほどの時間を徒(むだ)にしてしまうというのは、海にとっては信じがたいほどの損失だった。

 途方に暮れた気分でバルコニーの方を見ていると、「ウミ」と呼ばれた。首を傾けると、足を組み、肘掛けに片方の肘を乗せ、その腕で口元を押さえた体勢でクレフがこちらをじっと見据えていた。
 その視線に、そして彼の恰好に、海は図らずも鼓動が速まるのを感じた。ただでさえ、大人になったクレフは見慣れないというのに、今のクレフはサークレットもつけておらず、着ている服も軽装で、なんだか普段とはまったく異なる雰囲気を醸し出している。どぎまぎして、海は思わず膝の上でぎゅっと拳を握った。
「落ち着いたか?」
 クレフが問う。
「え……ええ」
 ぎこちないながらもそう答えると、クレフがすっと視線を外した。
「それならば、ひとつ頼みたいことがあるんだが」とクレフは言った。彼にしては珍しく、遠慮がちな口ぶりだった。「ボタンを掛けてくれないか」

「……へ?」
 海は一瞬きょとんとして瞬きをした。けれどクレフは海から視線を外したまま、それ以上は何も言わなかった。そして次の瞬間、海は全身に鳥肌が立つのを感じた。「まさか」「そんなはずはない」――そんなことを考えながら、恐る恐る視線を落とした。
「……っ!!」
 一瞬で顔が真っ赤に染まったのが、自分でもわかった。

 あまりの暑さに、確かに先ほど、海はブラウスのボタンを外した。そしてそれは、今も開いたままになっている。しかも胸元まで。完全に下着が覗いていた。
 海はぱっとクレフに背を向けると、急いでブラウスのボタンを掛け始めた。たった三つしかないのに、手がもつれて上手くできない。しかも、まだ体の火照りは完全には引いておらず、焦りも相まって汗がどんどん噴き出してくる。やっとボタンを掛け終えると、もうそこからは一歩も動けないと思うほど体力を消耗していた。大したことはしていないはずなのに、それは不可思議といえば不可思議な感覚だった。けれど、目を覚ましたときから絶えず心拍が120で脈打っていることを考慮すれば、それは不可思議でもなんでもなかった。
 クレフの方を見ることなどできなくて、海はソファの背もたれに身を寄せると、俯いて、膝の上に揃えた手を見つめた。

「おまえに、いくつか聞きたいことがある」
 クレフの低い声を聞いただけで、海は己の体を流れる血液が脈打つのを感じた。その、まるで自分が自分でなくなってしまったような感覚に、海は心密かに戸惑っていた。いったいどうしたんだろう。確かに、クレフといると調子が狂うことはこれまでにもあった。けれど今の感覚は、「調子が狂う」という言葉では不十分なように思う。「何か」が私を翻弄している。そんな気がした。

 戸惑いを努めて隠しながら、海はちらりと横目にクレフを見た。クレフは、すべての感情を押し殺したような顔をこちらに向けていた。そして徐に手を持ち上げると、テーブルの上を指差した。
「それを、どこで手に入れた?」
「え?」
 そんなことを聞かれるとは思っていなかったので、海は覚えず目を見開いて身を起こした。クレフの指先を追いかける。それが指していたのはあの、真っ赤な実のキャンディがいくつも入ったガラス瓶だった。だからこそ、海は怪訝に思い、表情を曇らせた。
「どこでって……あなたがくれたものなんじゃないの?」
「私が?」
 クレフが眉を顰める。海は自身の記憶をたどり、できる限り正確に昼間の出来事を思い起こそうとした。
「ええ。あなたからだと、今日の昼間、イーグルが手渡してくれたのよ。その……明日に間に合わなかったら私に渡してくれって、あなたに頼まれたのだと言って」
 間違ってはいないはずだった。あのときに感じた喜びはまだ、胸の奥に残っている。
 クレフが、不意にため息をついた。
「そういうことか」
 そう言って、クレフは深くソファに身を沈め、首をもたげて天を仰いだ。かと思うと今度は首をがっくりと項垂れ、頭を抱えて「イーグルめ」と低い声で呟いた。その一連の行動の意味が理解できず、海は不安に駆られた。私は、何かまずいことでも言ったのだろうか。
「えっ、クレフ? あの――」
「その中身を」とクレフは海を遮った。「その中身を、あの男はなんと説明した?」
 クレフがイーグルのことを「あの男」などと表現するのを、海はこのとき初めて耳にした。
「え?」と海は目を丸くした。「な……何も聞いてないわ。どういうことなの、クレフ。このキャンディ、あなたがくれたものじゃないの?」
 海は訳がわからず、懇願するように言った。するとクレフは力なくかぶりを振り、海の目の前にあった瓶をわざと遠くへ置き直した。
「私がこんなものをおまえに渡すわけがないだろう」
 そう言ってこちらを見たクレフは、怒っているようにも泣いているようにも見えた。初めて見る表情だった。

 海は不安になって、無意識のうちにぎゅっと拳を握りしめた。いったいあのキャンディにどんな意味があるのだろう。クレフが渡したものではないというのが事実なら、イーグルは嘘をついていたということになる。だけど、何のために?
 ひょっとして、あのキャンディにはとんでもない毒でも入っていたのではないだろうか。いやでも、イーグルがそんなものを渡すわけがない。いやいや、でもクレフは、それこそ「私がそんなものを渡すわけがない」と言った。まさか私、自分でも気づかないうちに、イーグルから恨まれていたのかしら。その恨みを晴らすために、あのキャンディを、「クレフからだ」と言って彼が私に渡したのだとしたら? 海は急いで記憶をたどった。けれどイーグルの気分を害するような自らの発言、もしくは行動として、思い当たることはひとつもなかった。

 渡されたキャンディはざくろを凝縮したような濃い味で、とてもおいしくて、海はこのソファでうとうととする前に五粒も食べてしまったのだ。甘いものが苦手な海でも、そのキャンディは不思議と食べられた。クレフからのプレゼントだと思ったからかもしれないが、それを、仮にいまさら、「実は劇薬が入っていました」などと言われたら――
「これは、『グレナデン』という劇薬で創られたものだ」
 海の気持ちを知ってか知らずか、クレフは無情にもそう言い放った。

「げっ、劇薬?!」
 叫んだ声は裏返った。
「ああ」とクレフは頷いた。「『グレナデン』は、生息地も、扱うことのできる人間も限られている劇薬だ。劇薬指定されている薬草は、セフィーロでも片手で数えられるほどしかない。『グレナデン』は、微量でも人体に齎す作用は甚大で、解毒する方法も難解なことから、劇薬に指定されている」
 淡々と紡がれる言葉は、容赦なく海を打ちのめした。やっぱり、そうだったのね。私、気づかないうちにきっとイーグルのことをひどく怒らせていたんだわ。確かに、昼間に会ったときのイーグルは、どこか腹黒い笑顔を浮かべていた気がするもの。ああ、でもどうしよう、劇薬だなんて! 私、このまま死んじゃうのかしら。
「甚大な作用って、いったい何なの? その『グレナデン』って、どんな薬物なの? まさか、麻薬? 私、死んじゃうの?!」
「落ち着け、ウミ」とクレフがぴしゃりと言った。「『グレナデン』は、人を死に至らしめるような薬草ではない」
 パニックに陥りかけた海を、クレフの穏やかな声が救ってくれた。先ほどとは違い、その淡々とした言い方が、今度はとてもありがたかった。
「そうなのね」と海はほっとして言った。「じゃあ、『グレナデン』って、どんな薬草なの?」
 幾分落ち着いた心持で問う。クレフは海を真っすぐに見たまま、能面のように表情を変えない。そしてそのまま、
「『グレナデン』は、この地で唯一にして最強の『媚薬』とされている薬草だ」
 と言った。

「なんだ、媚薬――え?」
 クレフがあまりにもさりげなく言ったので、海は肩をがくっと落としそうになった。けれどそれも一瞬のことで、次の瞬間、海は全身の血液が沸騰するのを感じた。
「えぇぇぇぇ?!?!」




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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