蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

グレナデン・ドロップ 4

中編

そうして名前を呼ばれ、海の手が背を這ったとき、クレフは自分の中で何かがぷつりと音を立てて切れるのを聞いた。

本文は「続きを読む」からどうぞ。





 やはりイーグルだったのか。クレフが最初に抱いた感想はそれだった。頭上に悪魔の角を出して不敵に笑うイーグルの様子が、脳裏にはっきりと映し出される。あの男ならやりかねない。どうやって「グレナデン」を手に入れたのかはわからないが、あの男の行動力と、周囲の人間をいつの間にか巻き込んでしまう影響力があれば、グレナデンを手に入れ、飴玉に加工し、海がそれを口にするように仕向けることくらいは、容易くできてしまうだろう。

 とんでもない男を、私はこの国に置いているのかもしれない。クレフはほとんど初めて、イーグルがセフィーロで療養を続けることに対して後悔を覚えていた。
「えっ、ちょっ、クッ、クレフ! だだだだって私、それ!」
 うろたえるあまりに言葉を上手く紡ぐことができなくなっている海が、顔を真っ赤に染めて口をぱくぱくと動かしている。そんな表情でさえ艶めかしく見えて、クレフは思わず顔を逸らした。
 戻れるものならば、ほんの小一時間ほど前に戻りたい。叶わぬ望みが心の中で燻っていた。

 クレフが過去に戻って歴史をやり直したいと思うことは、748年も生きていながら、意外にもあまり多くあることではなかった。クレフはいつも、自らが通ってきた道を認め、そのすべてが今日の自分自身を創っているということをよく知り、あらゆる体験を受け入れてきた。だが、このときばかりは別だった。このときばかりは、小一時間ほど前に戻り、せめて海がこの部屋で眠っているのを見たときに、同時にテーブルの上を散らかしているものにも目を留めることをしたかった。そうすることができていたら、海に触れるより先にあの飴玉の存在に気づくことができていたら、少なくとも今のこの窮状はしのぐことができていたかもしれないのに。過去を悔いることの無意味さを誰よりもよく知りながら、クレフはそう考えてしまう自分自身を止められなかった。

 海がわっと声を上げ、自らの顔を両手で覆った。
「どうしよう。私、どうしたらいいの?」
 クレフは頭を抱えた指の隙間から海を見た。彼女の髪がさらりと揺れるたびに、クレフの心さえも揺さぶられるような気持ちになる。その揺れる髪を見ながら、クレフは静かに口を開いた。
「グレナデンには、解毒薬がある」
「え?」
 縋るような目をして、海が顔を上げた。だが、そうして彼女の表情に「希望」が垣間見えるごとに、クレフは己の中の「絶望」が膨らんでいくのを感じた。それでもでき得る限り冷静さを保とうと、クレフは大きく息を吸い込んだ。
「即効性のある薬草があるのだ。それを煎じて飲めば、体内に吸収されたグレナデンは、解毒される」
「そ、その薬草って、クレフは……」
「ああ、持っている。この部屋にも、ある」
 クレフが頷くと、海はどっと肩を撫で下ろして天を仰ぎ、すべてから解き放たれたようなすがすがしい笑顔を浮かべた。
「よかった。じゃあ、その薬湯を飲めばだいじょうぶなのね」

 クレフは覚えず目を瞑った。一度持ち上げられた後に突き落とされることの辛さを、クレフはよく知っている。そして、その辛いことを今、ほかでもない愛する娘に向けてやろうとしているのだと思うと、罪悪感が濁流となって押し寄せてくるのを感じた。しかし、言わなければならない。クレフは覚悟を決め、そっと瞼を開いた。それでも海を見る気にはなれず、自らの手元に視線を落とした。
「確かに、あの薬草の効果は絶対だ。ただし、その薬草をもってしてもグレナデンを解毒できなくなる条件が、ただひとつだけある」
「え?」
 強張った、その声を聞いただけで、海が今どんな表情をしているのか手に取るようにわかる。クレフはやっとの思いで顔を上げ、案の定大きく目を見開いた海を真っすぐに見据えた。
「薬草を口にする前に、誰かがその者に触れてしまった場合だ。その場合、薬草は意味を成さなくなる。薬草に頼る方法では、グレナデンを解毒することができなくなるのだ」

 いざその事実を口にして、クレフは己がひどく狼狽していることに気づかされた。愚かなことを、と自分でも思う。この瞬間が訪れることはあらかじめわかっていたのに、海が目を覚ますのをただひたすらに待ちながら、この事実を告げなければならないことを覚悟していたはずなのに、それでも今、クレフは確かに、この場から逃げ出すことができるならば逃げ出してしまいたいと思っている。
「ウミ」
 クレフは海から視線を外し、ただひたすらに首を振った。何に対してそうして首を振っているのか、自分でもよくわからなかった。
「考えもしなかったのだ。おまえが、よもや『グレナデン』を口にしていようなどとは……」
「クレフ……?」
 絞り出すような海の声が、クレフの心をかき乱す。クレフはようやく首を振るのをやめ、代わりに肘掛けに置いた手で頭を抱えた。くしゃっと髪を握りつぶすと、脂汗をかいた地肌に指が触れた。
「許してくれ。私は、それと気づかずおまえに触れてしまったのだ」
 沈黙が流れた。

 その沈黙を破って、海が思わず、といったようにソファから立ち上がるのが視界の隅に映った。忙しなく動かされた彼女の手が、体の前や後ろを行ったり来たりする。
「そ、それって……それって、つまりどういうことなの? クレフが私に触ったからって、それがどうして解毒剤を効かなくさせるの?!」
 それ以上じっとしていられず、クレフは勢いよく立ち上がると、足早にバルコニーの方へと向かった。さすがに窓を開ける気にはなれなかった。窓枠に手をつき、外に視線を投げる。そうしていると、窓の隙間から吹き込む外のひんやりとした空気が体を冷やしてくれるような気がして、心地よかった。その窓に、白熱灯の明かりに照らされた海の不安げな表情が映った。

「ウミ」とクレフは神妙に口を開いた。「落ち着いて聞くんだ」
 それは自分自身に対する言葉でもあった。落ち着け、落ち着いて話すんだ。クレフは窓枠に手を掛けたまま、ゆっくりと振り返った。距離があっても、視線を合わせただけで海の気持ちがこちらの心に流れ込んでくる。逃げてはいけない。現実から、逃げてはいけない。クレフは心の中で、魔法の呪文のように唱え続けていた。
「グレナデンを口にしたものが、解毒薬を服用する前に誰かに触れられてしまった場合、解毒薬は効力を失う。グレナデンが劇薬に指定されているのは、その厄介な作用ゆえだ。誰かに触れられてしまうと、その触れた者の手によってしか、解毒することができなくなる。――つまり、私が『その方法』を取るまでは、おまえの体内に吸収されたグレナデンは解毒されないのだ」
「え?」と海が表情を軽くした。「じゃあ、クレフが私の『グレナデン』を解毒してくれるってこと?」
 クレフは、その海の言葉に思わず大きく目を見開いて彼女をまじまじと見やった。海はきょとんとして、先ほどよりもわずかながら安心したような気配さえ漂わせている。そのことがにわかには信じがたく、クレフはその場に立ち尽くした。この娘は、自分が何を言っているのかわかっているのか。

 そこまで考えて、ああそうか、とようやく理解する。この清純な生娘には、「そういう発想」は存在しないのだ。だが、「理解する」ことはできてもそれを「納得する」ことはできず、クレフは泣きたいような気持で窓枠に拳を打ち付けた。
「ウミ、よく考えろ。その『方法』が何なのか、おまえとて、わからないわけではないだろう」
「え? どういう意味――」
「後生だ、私にこんなことを言わせないでくれ」とクレフは海を遮った。「いいか、ウミ。グレナデンは、唯一にして最強の『媚薬』なのだぞ」
「それはさっきも聞いたわ。それがなん……で」
 はっと息を呑んだ海の顔色が、みるみるうちに青白くなっていく。かと思えば次の瞬間、それはまるで噴火した火山のように赤く染まった。「ボン」と爆発するときの音が聞こえてきそうなほど、その変化は素早かった。
「な……なななななな……!」
 口をぱくぱくさせる海に背を向け、クレフは重いため息をついた。そして力なく、目の前の窓に額をぶつけた。


 クレフは途方に暮れていた。これからいったいどうすべきか、今いるところから一歩も歩き出せないような心持であった。これまでは、どのような問題にぶつかったときでも、必ずどこかしらに解決の糸口を見出すことができていた。しかしどうして、こういう肝心なときに何の考えも浮かばないのだろう。八方塞がりという言葉が、今以上にふさわしい状態が果たしてあるだろうか。頭の片隅に一部存在する冷静な部分で、クレフはそんなことを考えていた。
 海からグレナデンの毒素――と呼ぶのが妥当かどうかはわからないが――を取り除くために、今となっては取るべき道はひとつしかない。そうとわかってはいても、クレフはその道を進むことはどうしても憚られた。そもそも「そのようなこと」は、こんな風に半ば強制されてやるようなことではない。確かに、今の二人は想い想われる仲ではある。しかしそうは言っても、こんな流れは唐突すぎる。

 クレフは今一度息をついた。やはり、このまま与えられた道を進むのは、らしくない。ひょっとしたらどうにかして解毒する方法があるかもしれない。いくつかの薬草を混ぜ合わせるとか、もっと強力な解毒剤を探すとか、試してみる方法はいくらでもある。解毒作用を見つけるまで、海には苦痛を強いることになる(かもしれない)が、耐えてもらうしかない。そう決意して、クレフは窓から額を離した。
「ウミ――」
 ところが、そのまま振り向こうとしたクレフの体は、後ろから抱きついてきた海によってその動きを止められてしまった。海の細い腕が背後から前面へと廻ってきた瞬間、クレフはぞくぞくと鳥肌が全身を駆け抜けるのを禁じ得なかった。
 硬直してしまったクレフの背に、海の熱い体が触れる。
「私、クレフなら……いいわ」

 ガタン、と大きな音が立った。クレフが思わず窓枠にしがみつくようにしたからだ。そうしなければならなかったのは、まったく予想だにしていなかった海の発言に、クレフ自身が激しい眩暈を覚えたためだった。慌てて体を支え、何度か瞬きをする。湾曲していた視界がようやく元に戻るころ、あるいは今のは聞き間違いだったのではないかと思いたかったクレフだったが――より一層強くなった、海のクレフを抱く力が、残念ながらそうではないと告げていた。

 クレフは一度深呼吸をして、体に巻きついていた海の手をそっと剥がした。その手に触れる前に一瞬ためらったのだが、いや、もうすでに彼女には触れてしまっているのだから何もためらう必要はないのだと思い直し、しっかりと細い手を握るとそのまま体の向きを変え、海と向かい合った。
 今となっては頭一つ分背の低い海の、戸惑うようにこちらを見上げてくる頬が紅く染まっている。クレフは優しく包み込んでいた海の両手をそっと離すと、代わりに彼女の細い肩に手を置いた。
「ウミ」
 静かに名を呼び、顔を上げた彼女と視線を交わらせる。
「そういうことは、軽々しく口にするな」
 はっ、と海の濡れた瞳が揺らいだので、クレフは表情をわずかに緩めてこくりと頷いた。
「だいじょうぶだ。きっと、解毒する方法は見つけられる。少し時間は掛かるかもしれないが、必ず――」
「そんなの、だめよ!」
 クレフの言葉と、そして肩に置いた手さえも振り切って、海が思い切りクレフに抱きついてきた。その勢いに覚えずよろめいてしまったクレフの背は、バルコニーへと続く窓にぶつかる。反射的に背を抱くと、海が胸元から顔を離し、上目遣いにこちらを見上げてきた。
「私、自分で自分がおかしいのがわかるの。何か、いつもとは違うものが、私の気持ちを落ち着かなくさせているの。こんな状態をこれ以上続けるなんて、とても耐えられないわ。……お願い、クレフ。そうすることで、私の中からこんな気持ちにさせているものが消えるのなら……私を、抱いて」
 思わずごくりと唾を呑んだ。しかし一向に喉の渇きは癒えない。

 たとえば曇りの一点でもあれば、その場で海を突き放すこともできたかもしれない。だが、懇願するようにこちらを見上げてくる彼女の瞳には、見つけようと思っても穢れのひとかけらさえ見つけられなかった。むしろ探そうとして見つめれば見つめるほど、その深海のような目の奥に吸い込まれてしまいそうになる。一度沈んでしまえば、その海からはおそらく永久に抜け出せない。
「ねえ、クレフ……」
 そうして名前を呼ばれ、海の手が背を這ったとき、クレフは自分の中で何かがぷつりと音を立てて切れるのを聞いた。

 今一度、ほとんど残っていない唾を呑み込む。そして海の体をぐっと引き寄せると、紅潮した頬を包み、至近距離でその潤んだ瞳をじっと見つめた。
「許せ、ウミ」
 言うが早いか、クレフは海の答えも聞かずに、彼女の頬に当てていた手を額に移すと、小声で素早く呪文を唱えた。呪文に合わせて掌の中で生じた光が海の額に移り、やがて彼女の全身を包んでいく。そっと手を離すと、見開かれていた海の瞳は次第に瞼の奥へと隠れ、脱力した体がバランスを崩した。ぐっと腰に腕を巻き付けてその体を支え、顔を覗き込む。しばらくして、静かな寝息が聞こえてきたのが確認できる。クレフは彼女を優しく抱きしめると、ふうと息をついた。

 すっかり力が抜けた海を抱き上げ、クレフは寝室へと向かった。ほっそりとした体をベッドに横たえ、毛布を肩口まで引き上げてやる。赤みが引いた頬に指を滑らせ、クレフは曖昧にほほ笑んだ。
「できることなら、おまえに魔法を使うことはしたくなかったのだが」
 いくら海のためとはいえ、魔法で無理矢理眠りの中へ沈めさせることなどしたくなかった。だがそれよりも、グレナデンの毒素を抜くという理由のために「やむを得ず」彼女を抱くようなことは、もっとしたくなかった。

 振り切るようにベッドから離れ、クレフは寝室を後にする。そしてぎっしりと本が詰まった本棚を前に仁王立ちをした。
「さて」
 海が目を覚ますまで、少なくともあと六時間はある。いや、あと六時間「しか」ない、と言うべきか。その間に、なんとしてもグレナデンを解毒する方法を見つけ出さなければ。クレフは腕まくりをして本棚に手を伸ばした。『劇薬』に関する本のみを、器用にピックアップしていく。中にはもう何十年と手にしていないものもあった。

 未だに己の鼓動が速いことを自覚し、情けなくなる。何が何でも、あと六時間のうちに解毒方法を見つけ出さなければならない。今度海に迫られたら、ほんとうに堕ちるところまで堕ちてしまいそうで、自制できる自信がなかった。しかしそんなことは絶対にしてはならない。こうなると改めて、すべての元凶となったイーグルのことが憎らしかった。
「まったく、あの男は……」
 ぶつぶつと呟きながら、クレフは数冊の本を手に机に向かう。机上のランプに向けてクレフが軽く指で印を描くと、ランプに明かりが入る。一際明るい色がそのランプに入るとき、それはクレフの「本気モード」の合図だった。




web拍手 by FC2

コメント

コメントを投稿


管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック

TB*URL

PrevEntry |  to Blog Top  | NextEntry
What's new?
ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

▶ 連作短編集を始めました。クレ海学生パラレルです。今後年中行事に合わせて不定期更新の予定です。詳しくはこちらからどうぞ。

▶ こちらは作品展示専用です。コメントへのお返事は別ブログにて行っております。
カテゴリー
最新記事
月別アーカイブ
全記事表示
Counter
プロフィール

篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

このブログは作品展示専用です。
いただいたコメントへのお返事は別ブログにて行っております。
どうぞお気軽にコメントお寄せくださいませ^^

 

Copyright ©蒼穹楼. Powered by FC2 Blog. Template by eriraha. Photo by sozai-free 2000px.