蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

グレナデン・ドロップ 5

中編

――クレフのことが、好きじゃなくなる。そんなことは、考えるもおぞましいことだった。

本文は「続きを読む」からどうぞ。





 まただ、と海は思った。目を開けなくても、自分が今どこにいるのかわかる。無重力空間に浮遊しているかのようなこの感覚を、つい最近も味わった。そう、これは夢の中に違いない。確信と共に、海はうっすらと瞼を開いた。
 案の定、そこはあの、何もない空間だった。宙に浮いている体はどこを彷徨っているのか、上を向いているのか下を向いているのかもわからない。空間内に海以外の人影はない。前回はウォーターベッドのようだと思ったけれど、今回は、まるで母親の胎内にいるようだと思った。もちろん、実際に胎内にいたときの記憶など、持ち合わせてはいないのだけれど。

 突然、その何もない空間が歪曲した。安定して灰色だった景色がまだらに歪んでいく。海は空間が歪むたびに息苦しさを覚えて、思わず顔を顰めた。視線の先に、一際歪みの大きい場所があった。台風の目のような中心があり、そこからつむじ風が吹き出すように、まだら模様が広がっている。全身を握りつぶされるような痛みで立っていられず、海はその場でうずくまった。そして、もうそれ以上の痛みには耐えられないというレベルに達したとき、急に痛みと、そして空間の歪みが一気に消え去った。

 何だったのだろう、と恐る恐る体を起こす。つい今しがたまで歪んでいたとは思えないほど、空間は静寂を取り戻していた。ただ海は、この空間が先ほどまでとは何か違うということを、おぼろげながらに感じていた。はっきりと「何が」と告げることはできないが、確かにこの空間には、それまでにはなかった「何か」がある。
 一体何が違うのだろう、と辺りをゆっくりと見回した。そして、先ほどまで台風の目のように歪んでいた場所の方を何気なく見やったとき、海ははっと目を瞠った。誰かがそこに立っていた。その人こそが「何か」の正体であることは明白だった。先ほどまで、この空間には海しかいなかったのだ。

 シルエットだけでその人の顔はまだ見えない。けれどその人は着実に海のいるところへ向かってくる。不思議と恐怖感はなかった。なんとなく、その人が誰であるのかわかっていた。そしてようやく顔が見えるほどにまでその人が近づいてきたとき、海はやはり自分の勘が間違っていなかったと知り、ほっと安堵した。
 ――クレフ。
 彼は、目の前までやってきて立ち止まった。

 クレフは海と目を合わせて一瞬表情を緩めた。だが何も口にしない。この空間では言葉を紡ぐことができないと、クレフはわかっているのかもしれない。
 前回同じように夢を見たときもクレフがいたけれど、あのときのクレフと今目の前にいるクレフとは、少し違っているように思った。うまくは言えないが、今目の前にいるクレフは、限りなく「本物」に近い気がする。
 そんなことを考えていると、海の方へ向かってクレフが徐に手を差し出した。何かと思って視線を落とすと、彼の手には小さな椀があった。中身はまだ湯気を立てている。驚いて見ていると、もっと驚いたことに、その椀はクレフの手を離れてひとりでに空間を移動し、海の目の前までやってきた。
 海は困惑して、その椀とクレフとを交互に見た。
 ――これを、飲めっていうの?
 心で問うた、その声が聞こえたのか、クレフがこくりと頷いた。受け取るべきか、海は少なからず悩んだ。何しろ、椀の中身は奇妙な緑色をした液体だったのだ。どう見ても体に良さそうなものではなかった。

 椀には見覚えがあった。それは、クレフがいつも薬湯を淹れてくれるときに使う椀だ。ということはこの中身も薬湯だと考えるのが自然だが、そのような色をした薬湯を、海はこれまで飲んだことがなかった。薬湯は大抵、透明か、色がついていたとしてもせいぜい辛うじてそれとわかる程度の薄い色だ。このような毒々しい色の薬湯は、見たこともない。
 ――ほんとうに、飲むの?
 もう一度問うと、クレフはやはり頷いた。

 一度クレフから視線を外し、海はじっとその薬湯を見つめながら考えた。正直言って、あまり飲みたくない。しかし、クレフは不必要なことをわざわざやらせるような人でなないし、まして、体に悪いものを飲ませようとするような人でもない。この薬湯が何を意味するのかはわからないけれど、彼が飲めというのならば飲まなければならない気がする。
 ――よし。
 意を決して、海は目の前に浮く椀を両手でつかんだ。ゆっくりと持ち上げ、まずは匂いを嗅ぐ。しかし不思議なことに、匂いはまったくといっていいほどなかった。
 海はぎゅっと目を瞑った。何が起きても後悔しない。私はクレフを信じる。心の中で唱えながら、海は椀の中身をぐいと一気に飲み干した。一滴残らずすべて飲んだのを確認して、椀を口元から離すと、手の中にあったそれは一瞬のうちに消え去った。

 異変を感じたのはその直後、クレフと視線を合わせたときだった。全身が、まるで炎を着火されたかのように熱くなってきたのだった。
 ――クレフ……!
 海は必死で叫んだ。けれどクレフは、一歩離れたところで見守っているだけで、何もしない。ただ、時折頷いて「だいじょうぶだ」という意思表示をしてくれる。それでも不安で、海は胸元をぎゅっと握りしめると、その場でのたうち回った。
 体が燃える、という感覚を、初めて知った気分だった。熱が全身を這いずり回る。そしてその熱が最高温に達したとき、海は自分自身の中で何かが弾け飛ぶのを感じた。

 その後の展開は早かった。何かが弾け飛ぶと同時に、体の熱が急速に下がっていく。下がっていくのは熱だけではなかった。それまでははっきりしていた意識もどんどん低下していくのが、自分でもわかる。瞼も重くなってくる。そしてついに堪え切れなくなり、海はその場でばったりと倒れた。体を支えてくれたクレフの手の温もりを感じたのを最後に、海は完全に意識を手放した。

***

 温かいものが私を照らしている。自然の明かりだと、海は直感した。今自分を包んでいるこの温もりは、電球や魔法によるものではなく、太陽により齎されるものだろう。太陽の明かりには、他にはない温もりがある。
 海は目を開ける前に耳を澄ませた。遠くで微かに鳥が鳴いている声がする。けれどそれよりも、本をめくる音の方が近くで聞こえた。海はゆっくりと瞼を開いた。

 まず見えたのは天窓だった。そこから思ったとおり、太陽の光が降り注いできている。直射日光ではないので、日の位置はまだそれほど高くないのだろう。夜は明けたばかりなのかもしれない。そう考えて一度瞬きをすると、左側からまた本をめくる音がした。首を傾けると、そこではクレフが、椅子に座って膝に置いた分厚い本を目で追いかけていた。横顔の線が綺麗だな、なんていうことを考えて思わずくすりと笑みをこぼすと、クレフがはっと目を見開いてこちらを見た。
「目が覚めたのか」
 その、いつになく真剣なまなざしと緊張を含んだ声に、海の鼓動は自然と高鳴った。それでも反射的にこくりと頷くと、クレフはしおりも挟まずに、手にしていた本をヘッドボード近くに置き、身を乗り出して海の額に触れた。クレフの手は、ほんのりと温かかった。

 しばらくじっとそうしていたクレフだったが、やがて静かに手を離すと、「だいじょうぶそうだな」と言って安心したようにほほ笑んだ。その表情を見て、海はようやく意識が覚醒してくるのを感じた。
「私……」
 そうだ、と海は記憶を手繰り寄せる。「グレナデン」を、それと知らずに食べてしまったせいで、感じたことがないほど気持ちが昂っていた。それを解毒するすべはひとつしかないと、クレフは言った。クレフは「その方法」は取りたくないようだったけれど、海は構わないと思った。だからそうしてくれるように頼んだのだけれど、クレフは「許せ」と言って――現実世界での記憶はそこで途切れている。その後は、夢の中の出来事だった。

 クレフがそっと海の手を取った。
「もう、『グレナデン』は解毒された。安心していい」
 優しく手を撫でるそのやり方は、あの、『柱』を巡る戦いの最中にしてくれたのと同じことだった。ただ、今のクレフの手はあのときより倍ほども大きい。
「ずいぶんな荒療治になってしまったがな。断りもなく、おまえの夢の中へ入り込むことになった。事後報告になってしまったが、赦してくれるか」
 困り顔をして、クレフが言った。「夢の中へ入り込む」という彼の言葉で、夢の中で感じた空間の歪みを思い出した。あれは「そういうこと」だったのか。

「解毒って……いったい、どうやったの?」
 眉根を顰めて尋ねると、クレフがうん、と言葉を濁した。慎重に言葉を選んでいるようだった。
「おまえに、別の劇薬を飲ませたのだ」
「え?!」
 思わず飛び起きた。一瞬立ちくらみがしたが、そんなことは気にもならず、海はずいとクレフに迫った。その海を制するように、クレフが「話は最後まで聞け」と声を少し大きくした。
「言っただろう、『ずいぶんな荒療治になってしまった』と。『グレナデン』は劇薬だ。劇薬といえど、薬草であることには変わりない。薬草は、反対の効果を持つ薬草を摂取すると、その前に摂取した薬草の効能を消すという作用を持っている。だから、『グレナデン』と反対の作用を持つ薬草を煎じたものを、夢の中でおまえに飲ませたのだ」
 驚くような話だった。海は目を丸くした。
「そんなことが、できるの?」
 ああ、とクレフは頷いた。
「夢の中で飲ませたのは、薬草の効果を半減させるためだ。現実世界で飲ませてしまえば、『グレナデン』を解毒するに留まらず、後に飲ませた劇薬を作用させてしまうことになるからな。だが夢の世界では、すべての効果は半分になる。だから、夢の中で薬湯を飲ませれば、飲ませた薬湯の効果も半分にすることができ、ちょうど、『グレナデン』を解毒するだけの作用を得られると期待したのだ。――結果、うまくいったようだ。もう気分の高揚を感じないだろう?」

 海は自身の胸元に手を当て、じっと考えた。確かにもう、あの不自然に高揚した、自分ではコントロールできないような気持ちはない。
「ええ」と海は噛みしめるように言った。「感じないわ」
 クレフが満足そうに笑って、頷いた。それでも海にはまだ、解せない点があった。
「それじゃあ、私が夢の中で飲んだあの薬湯って、ほんとうの効き目は、どういう効き目なの?」
 クレフがにらんだとおり、『グレナデン』を解毒するだけに留まったようだからいいものの、量を間違えたりすれば、今度は後に服用したその劇薬の作用に悩まされることになっていた可能性もあったのではないか。そう思っての問いかけだった。そんな海に対して、クレフは一瞬面食らったような顔をし、やがてばつが悪そうに視線を逸らすと、椅子に深く体を沈めた。
「『グレナデン』の反対作用を持つ劇薬だ。つまり……『愛する者に対する感情を一切失わせる』効能を持つ薬だ」
 その瞬間、海はどくんと鼓動が大きくなったのを感じた。思わず拳を握りしめた。その海自身の反応は、彼女がクレフの答えを少なからず予期していたということの証明でもあった。

 グレナデンは『媚薬』、つまり愛に対する反応を過敏にさせる薬だ。それと反対の作用を持つ薬といえば、愛に対する反応を鈍感にさせる薬と考えるのが自然だろう。
「っ……」
 その薬湯を飲ませるというクレフの選択が、海のことを思ったが故の選択だったということは、十二分に承知している。それでも海は、心の底から溢れてくる憤りを抑えることができなかった。
「ばか! クレフのばか! ばか! ばか!!」
 握りしめた拳を、何度も何度もクレフに叩き付けた。
「そんな薬飲ませて、私がクレフのこと……好きじゃなくなっちゃったら、どうするつもりだったのよ……っ!」
 想像しただけで、だめだった。海は滲んだ視界をどうすることもできず、ほとんど力の入っていない拳をクレフに叩き付けながら唇を震わせた。――クレフのことが、好きじゃなくなる。そんなことは、考えるもおぞましいことだった。こんなにも恋焦がれる人のことを忘れてしまうなどということは、あってはならない。そんな荒療治に出るくらいだったら、いっそのこと、あのまま私を抱いてくれたらよかったのに。海は本気でそう思った。

 そっと拳を包み込む感触があって、海ははっと顔を上げた。クレフが、とても穏やかな顔をしてこちらを見ていた。
「そうなったら、そのときだ」
「な……!」
 振り上げようとした拳を、クレフがそうはさせまいと強く握る。思わず海が身じろぎしたことを確認すると、クレフがもう一方の腕を伸ばしてきて海の頬に触れた。
「そのときは、また、二人で恋に落ちればいい」
 海は大きく目を見開いた。クレフの手の温もりを感じているうちに、気持ちが少しずつ凪いでいく。そして、あくまでも優しくほほ笑むクレフを見ながら、確かにそれも悪くないな、と思うのだった。

 海が大人しくなったのを見て、クレフが肩を撫で下ろした。
「空腹だろう、ウミ。昨夜から何も口にしていないのだからな。朝食に行こう」
 そう言ってクレフが立ち上がろうとしたので、海は咄嗟に彼の服の裾をつかんで行かせまいとした。中腰の体勢で、クレフが驚いた顔をしてこちらを振りかぶる。
「ウミ?」
「ねえ」と海は言った。「今日が何の日か、覚えてる?」
 当然答えを知っていた。このひとは何度言っても、イベントが行われる日にちを覚えようとしない。セフィーロと東京では日にち感覚も異なるのだから仕方がないのかもしれないけれど、イベントの内容は完璧に覚えているのだから、日にちも覚えたっていいのにと思う。
「今日?」
 案の定、クレフはきょとんと首を傾げてそう言った。その期待を裏切らない返答に、海は思わずくすりと笑みをこぼした。
「いい加減覚えてったら。バレンタインデーのときも言ったけど」と言って、海は肩を竦めた。「今日は、ホワイトデーよ」
 げっ、とクレフが身を引いた。
「そうだったか」と言って、クレフは強張った笑みを浮かべた。「ホワイトデー」がどういう日であるのか、それを思い出して今のような顔をしているに違いなかった。どうせそんなことだろうと思っていた。これまでも、いつもそうだった。ホワイトデーのお返しを、彼から言い出されたことなどない。いつもいつもこちらから、「今年はあれが欲しい」とねだっていた。
 イーグルに渡されたキャンディを口にしたのは軽率だったなと、海はいまさら思った。クレフが前もってホワイトデーのお返しを用意してくれていたということに対して、もっと疑いの目を持つべきだった。あのときは嬉しさが先行して、イーグルの言葉をそのまま受け止めたけれど、少し冷静になって考えたら、確かに、クレフがあんなものを「渡すわけがない」。

 海は笑って、クレフを見上げた。
「あのね。お返しに、欲しいものがあるんだけど」
 きゅっと腕をつかんで言うと、クレフが椅子に座り直しながら「なんだ」と問う。そんな彼を上目遣いに見て、海は言った。
「キス、してほしいの」
 その瞬間のクレフの顔を、海は一生忘れないだろうと思った。鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして、クレフが目をきょろりと大きくした。われ知らず破顔した海は、クレフの手をぱしっと叩いた。
「そんな顔しないでよ。いいじゃない、私たち、『恋人同士』なんだもの」
 クレフが怪訝そうに眉を顰める。まったく、彼女から「キスして」と言われてこんな顔をする彼氏なんて、少なくとも東京には絶対にいない。

 挙句の果てに、クレフは海の手首で脈を取るような仕草をして、こんなことを言った。
「まさか、『グレナデン』が解毒しきってないのではあるまいな?」
「違うわよ!」と海は地団駄を踏んだ。「もう、どうしてすぐそういう――」
 悪態をついた海だったけれど、途中でぐいと強く腕を引かれ、半端なところで言葉を途切らせてしまった。続きの言葉ごと、クレフの唇が海のそれを塞いだのだった。

 覚えず息を止めていた海は、クレフの唇がそっと離れたところで大きく深呼吸をしてしまった。そんな海の様子にクレフがくすりと笑ったので、海は恥ずかしさもあり、彼をにらみ上げた。
「不意打ちなんて、卑怯よ」
「注文の多い娘だな」
 困り果てたように言いながら、クレフの目は笑っている。そしてクレフは、海の頬を大きな手でそっと包み込むと、至近距離でじっとこちらを見つめてきた。その近さに、海はどうにかなってしまいそうになる。口では強がりばかり言っているけれど、ほんとうは、今にも飛び出していきそうなほど心臓が高鳴っているのだ。
「『ほわいとでー』は三倍返し、だったな」
 囁くように言ったクレフの顔が、ゆっくりと近づいてくる。今度はちゃんと目を閉じて、海はクレフの口付けを受けた。

 災難ではあったけれど、海は心の中でイーグルに感謝した。こんなことでもなければ、私たちはいつまで経っても、「友達関係」の延長線上にしかいられなかったかもしれない。一歩を踏み出すきっかけを与えてくれたのは、紛れもなくイーグルだった。

***

 とはいえ、イーグルに対するクレフの怒りは相当なものだった。その日からイーグルは、海と二人きりでの接触の無期限禁止令を出された。




グレナデン・ドロップ 完





一時はどうなることかと思いましたが(作者のくせに)、無事完結させることができました。とても楽しんで書けた作品でした。
イーグルがどうやってグレナデンを手に入れたのかは、神のみぞ知るということで。
タイトルの「ドロップ」には、「飴玉」という意味と「落(堕)ちる」という意味を掛けています。
ここまで読んでくださってありがとうございました^^ Happy White day!

2013.03.14 up / 2013.08.18 revised




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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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