蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ラスト・リング 2. 美しい罠

10万ヒット企画

その表情はとても素敵だった。彼がチューターだなんて、私、ついてるかも。

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 見開いた目を細めて、彼は眉間に深く皺を刻んだ。心底厭そうな顔だった。
「どうしてもこうしてもあるか」と彼は言った。「私は『プロ戦』の部長だ」
「うそよ」と私は叫んだ。「そんなことあるわけないじゃない! だってあなた、どう見たって私と同年代でしょ?」
 ぷっ、と吹き出す声が聞こえた。一人分ではなかった。見れば、私たちの傍にいた男性社員だけではなく、奥の方でテーブルを囲んでいた人々も皆、肩を震わせて笑いを堪えていた。「わっ、ばか!」と誰かが隣の人の肩を叩いた。その叩かれた人が、きっと最初に吹き出した人なのだろう。

 目の前にいた、自称「『プロ戦』の部長」が、不意に盛大なため息をついた。
「まったく」と言って彼は、胸元にぶら下がっている社員証を私に向けてぐっと突き出した。「これが見えないか」
 私はそれを穴が開くほど見つめた。彼の顔写真があって、その下に、「プロデュース戦略部部長」の肩書が印字してある。苗字からして、明らかに外国人の名前だった。日本人ではないのか。でもそうだとすれば、彼の整った顔立ちにもうなずける。ただ、それにしてはずいぶんと日本語がペラペラだった。
 そこで顔を上げようとした私は、ところが印字された彼の肩書の下にふと目を向けて、ますます身を乗り出した。そこには、「BIRTH:19xx.9.2」とあった。現在の西暦から彼の年齢を逆算する。すると、
「よっ、40歳なの?!」
 すっかり裏返った声で、私は目の前の人を見上げた。するとそのころには、堪えられていた周囲の笑いに、くすくすと小さな声が与えられるようになっていた。
 唖然として「部長」をまじまじと観察する。こんな40歳が世の中にいるなんて信じられない。どんなに年上に見ても20代後半だ。服装によっては、二十歳に見えなくもないだろう。皺の一本もなく、加齢臭もしない。今まで出逢った40代の中で一番若いと思った人はパパだったけれど、そのパパとも比べ物にならないほど若い。

「気持ちはよくわかりますよ」
 傍にいた男性社員の声でわれに返る。彼は穏やかな笑顔を携えていた。最初から優しそうな人だと思っていたけれど、「部長」のつっけんどんな態度に触れた後なだけに、余計そう感じた。
「僕だって、最初にこの部署に配属されたときは、部長の方が年下だと思いましたから」
「イーグル」と部長が窘める。ぎろりと利かせたそのにらみだけを取って見れば、確かに20代はそんな表情はしない。
 すみません、と言って、「イーグル」と呼ばれた男性が私たちの方を向いた。あまりすまなく思っているようには見えなかった。
「こんな人ですが、彼はほんとうにうちの部の部長ですよ。それも、凄腕の」と彼は、部長をちらりと見て言った。「うちの会社始まって以来の、最年少部長です。しかも」
「イーグル」とまた部長が窘めた。今度の声は先ほどのそれよりもずいぶんと大きかった。結構な迫力があって、私は内心で思わずたじろいだ。見た目年齢はともかく、部長としての威厳はたっぷりある人だ。
 はいはい、と言って、イーグルさんが肩を竦める。私と目が合うと、彼はウインクをした。部長に比べて、この人はずいぶんと気さくだ。彼とは仲良くなれそうな気がした。そのとき、始業のベルが鳴った。

 ベルが鳴り終わらないうちから、テーブルを囲んでいた人もイーグルさんも、皆が一斉に動き始めた。それまでのリラックスした態度からは想像もできないような変貌っぷりに、私は度肝を抜かれた。オンとオフの切り替え、という言葉が脳裏を過る。一年目のときはあまりピンとくることがなかった言葉だったけれど、ひょっとしてこういうことを指すのかもしれない。少し感動した。
「何をしている」
 部長の声で、ぼんやりとしていた私ははっと背筋を伸ばした。
「ミーティングだ。来なさい」
 はい、とアスコットが答えた。部長に呼ばれるままに、私たちは部署の中へと入っていった。

 プロデュース戦略部――略して「プロ戦」は、想像していたよりも小さい部署だった。「ミーティング」のために部長の机の周りに集まったのはほんの十人程度だった。そしてそれが、この部署の全員だということだった。
「では、朝のミーティングを始めます」
 そう言ったのがイーグルさんだったので、驚いた。部の集まりを仕切るのが部長ではない部署に遭遇するのは、ここ「プロ戦」が初めてだった。
「海」
 耳元で囁かれて、私は顔を上げた。アスコットだった。彼はノートとペンを手に持って、私の脇を突いた。それを見て、私は「そっか」と慌てて自分も鞄をまさぐった。彼と同じようにノートとペンを取り出し、メモを取る準備を整えた。

「まずは今日の予定から。三班はどうなっていますか」
 イーグルさんが集団を見回して言った。誰もが手帳とペンを手に、じっと意識を集中させている。その目つきが、先ほどまでとはまったく異なっているのだった。みんな真剣なんだ。当たり前だろうけれど、改めてそう思った。これまで見てきたどの部署とも、「プロ戦」の雰囲気は違っていた。
「うちらは今日、ムーントリーで最終プレゼンや。この案件、絶対取ってくるで!」
 ガッツの効いた関西弁が、私の隣に立っていた女の人から飛び出した。とてもナイスバディな人だった。浅黒い肌が健康的で、派手な柄のワンピースを、まったく違和感なく着こなしている。私なら絶対に手に取らないような服だけれど、彼女が着ているとそれだけで美しく見えた。
「だいじょうぶなんですか? あなたの『絶対』は当たったためしがありませんよ、カルディナ」とイーグルさんが、呆れたように苦笑しながら言った。
「なんや、その言い方は」と関西弁の彼女が腕を組んで言った。「見くびらんとって。うちは常に本気に素敵やで」
 ぴしゃりとした言葉だったけれど、彼女の喋り方には愛情が籠っていた。

「カルディナ」
 そこで初めて部長が口を開いた。
「そのプレゼン、私も同行させてもらう」
「えっ、ほんま?」と、「カルディナ」と呼ばれた女性がぱっと顔を輝かせて身を乗り出した。「やった! 部長が来てくれるんやったら、うちらの勝ちは決まりや」
 そう言って、彼女は早くも周囲の二、三人とハイタッチをした。
「喜ぶのはまだ早い」と部長が言った。「今回のコンペは、他者も相当力を入れてかかってきている。落とせない案件だ、気を引き締めて行かなければ」
「わかってますって。せやけど、部長がいれば百人力や。連勝記録もかかっとるんやし、負けられんでしょう」
「連勝記録?」と私は首を傾げた。カルディナさんが私を見下ろす。ああ、と屈託なく笑って、彼女はうなずいた。
「今日来たばっかのあんたらは知らんのか。うちの部長はな、他者との広告コンペで負けたこと、一回もないねん。その連勝記録が今48でな、あと2勝で50連勝やねん」
「そうなん……ですか」
 思わず「そうなんだ」と言いそうになった。このカルディナという人は、とても人懐っこい感じがして、いい意味であまり先輩らしくなかった。
「余計なことを吹き込むな」
 部長が言った。言葉ほど憤っているようには聞こえなかった。自分のことなどどうでもいい、と言っているようにも聞こえた。褒められてるんだからもっと嬉しそうな顔をしてもいいのに、と思った。
「はあい」とカルディナさんが生返事をした。それから話は別の案件へと移っていった。


「なあなあ」
 突然耳元で話し掛けられて、私は飛び上がらんばかりに驚いた。悲鳴を喉で掻き消し、顔を上げる。話しかけてきたのはカルディナさんだった。
 彼女は少し身を屈めて私の身長に合わせると、持っていた手帳で隠した口元を寄せてきた。香水の香りが鼻を抜ける。これは、シャネルのココ・マドモアゼルだ。
「うちの部長、ごっつええ男やろ」
「はい?」と思わず素っ頓狂な声を上げた。しっ、とカルディナさんが指を立てる。
「仕事はできるし、紳士的やし、金持ちやし。ええ男やと思わへんか」
「は……はあ」
 私は曖昧に笑って言った。第一印象が最悪だっただけに、とても彼女の言葉を肯定することはできなかった。けれどいきなり先輩にたてつくわけにもいかなくて、中途半端に同意した。カルディナさんは私の態度など全然気にしていない素振りで、あーあ、とため息交じりに言い、部長を見た。
「あれで結婚しとらんかったら、ほんま落としてんねんけどなあ」
「え、結婚してるんですか?」
 私は目を丸くしてカルディナさんを見返した。すると彼女は、視線だけで部長を見るようにと促した。盗み見るように彼の方を向く。すると確かに、彼の左手の薬指に指輪が光っているのを見止めた。その直後に、イーグルさんの声がした。
「では、今日のミーティングはここまでとします」と彼は言った。
「ああ、その前に」と、解散しかけた人々を部長の声が制した。「今日からうちの部署に新人が二名、加わることになった」
 部長が私たちの方に目くばせをした。全員の視線がこちらに向けられる。あ……と私はアスコットと顔を見合わせた。一歩下がってアスコットと並び立つ。なかなか話し出さないアスコットの脇腹を肘で小突いた。アスコットはプレッシャーに弱い。こういう大勢の前に立つということが苦手だった。

「あ……あの」
 ようやくアスコットが発した声は、拍子抜けするほど頼りなかった。
「きょっ、今日からこちらに配属になりました、アスコットといいます。よっ、よろしくお願いします」
 アスコットはまるで、向けられる視線のすべてを遮断するかのように深々と頭を下げた。90度なんていう角度ではなかった。ドン引きされはしないかと心配したけれど、それは杞憂に終わった。直後、温かい拍手が部内から沸いたのだった。
 ゆっくりと顔を上げたアスコットは、じんと目を潤ませて感激に浸っていた。
「同じく龍咲海です、よろしくお願いします」
 拍手が鳴りやまないうちに、私は言った。すると一段と拍手が大きくなった。

「二人は」と、拍手の音が少し小さくなったところで部長が口を開いた。「それぞれ一班と三班に入ってもらう。龍咲は一班、アスコットは三班だ」
「ほな、チューターは誰がやんの?」とカルディナさんが言った。部長は口元に手を当てて、軽く考え込む仕草を見せた。そうしている姿は確かに絵になる。口さえ開かなければ、モデルになれるくらいはかっこいいかもしれない。
「アスコットのチューターはカルディナ、おまえだな」
 しばらくしてから、部長は言った。えーっ、とカルディナさんが不服そうに言った。
「うち、人にもの教えるの、苦手なんやけど。部長だって知ってますやろ」
「つべこべ言うな。三班ではおまえがもっとも経験豊富だ。頭の柔らかい新人に、教えられることは教えてやれ」
 部長はぴしゃりと言った。カルディナさんはまだ不満そうだったけれど、仕方がなさそうな声で「はあい」と言った。つれない言い方をしているけれど、まんざらでもなさそうに見えた。実際彼女は、部長との会話が一通り終わると、アスコットの方へ身を乗り出して、
「うち、カルディナ。『カルディナ』でええよ。よろしくな、アスコット」
 と笑顔で言ったのだった。
「はっ、はい! よろしくお願いします」
 アスコットはまたしても深々と頭を下げた。くすくすと笑いが広がって、場の空気が和む。アスコットは必死なのだろうけど、どうしてもギャグのように見えてしまう。ただ、そうして場の空気を和ませられるというのは、才能のひとつだと思う。

「龍咲のチューターは、言うまでもないな」
 部長が言った。え、と私が言う前に、
「そうですよね」
「いいなあ」
 と、数人いた女子社員から黄色い声が上がった。訳がわからず、私は首を傾げた。その私に向かって、すいと身を乗り出してくる人がいた。
「よろしくお願いします、龍咲さん」と言って、彼はほほ笑んだ。「あなたのチューターを務めます。『イーグル』と呼んでください」
 そういえば、と私は思った。先ほどカルディナさんも、アスコットに向かって「『カルディナ』でええよ」と言っていた。この部署は、年齢関係なく名前で呼ぶ風習が広がっているのだろうか。
「龍咲海です、よろしくお願いします」と私は頭を下げた。「私のことも、『海』でいいです」
 顔を上げると、イーグルさん――ではなくてイーグルが、にっこりとほほ笑んでいた。その表情はとても素敵だった。彼がチューターだなんて、私、ついてるかも。
「ついてるで、あんた」
 私の心を読んだかのような言葉とともに、背中を思いっきり叩かれた。カルディナさんだった。
「イーグルは、部長に次ぐうちのナンバー2なんや。一班はイーグルひとりでまかなっとるから、あんた、手とり足とり教えてもらえんで」
 部長が「言うまでもない」と言った意味がようやくわかった。班員が一人しかいないなら、それは確かに、誰がチューターになるかということは「言うまでもない」。
 ありがとうございます、と私がさん付けをしてカルディナさんに頭を下げると、彼女は「『カルディナ』でええって」と笑った。水臭いなあ、とまた背中を叩かれた。

「お似合いですわね、お二人」
 ふと、それまで静かに成り行きを見守っていた一人の女性社員が言った。長い紺色の髪にはきれいなウェーブがかかっていて、見るからに育ちがよさそうな人だった。年は二十代半ばくらいだろうか。話し方が、同期入社で親友の風に似ていた。私が首を傾げると、
「お二人とも、美男美女ですし」と彼女は言った。
「ああ、確かにな」とカルディナがうなずいた。「ひょっとしてあれか、プロ戦始まって以来の、部内カップルの誕生かもしれんな」
「素敵ですわ。仲人はどなたが務めるのでしょうか」
 話が独り歩きしようとしている。イーグルさえも何も言わずに楽しそうな笑顔を浮かべているので、私は慌てた。
「え、あの、私そんな」
 苦し紛れに言い、ちらりと部長を見る。配属初日に彼の前でこんなことを言われるのは、あまりにも恥ずかしいことだった。
 たとえば、仕事に私情を持ち込むことを嫌う上司は多い。多いというより、圧倒的だった。初日から、部長の中での私の印象を悪くするのは厭だった。もっとも、時すでに遅しかもしれないけれど。

「龍咲」
 突然、部長が私を呼んだ。
「はっ、はいっ」
 覚えずぴくりと肩を震わせた。部長はじっと私を見つめ、そしてすぐに口角を引き上げた。
「誰と何をしようと、仕事に影響が出なければ、咎めるつもりはない。ただし」と言って、彼は人差し指を立てた。「遅刻だけは赦さないぞ」
 顔が一気にゆで上がったのを厭でも感じた。部長が声に出して笑うと、部内がどっと沸いた。
 こいつ、と私は内心で部長に悪態をついた。まさかほかでもない私自身が、こんな人と一緒に働くことになり、しかも彼の部下になるなんて。
 せっかくきれいな顔をしているのにもったいないと、私はまた思った。彼のその毒舌っぷりは、バラが持つ棘と同じだ。
「わかってます!」
 私は大きな声で答えた。それに対して彼がますます愉快そうに笑うのもまた、面白くなかった。




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2013.08.26    編集

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