蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

魔法の言葉 中篇

海誕企画★2013

見上げた天井がわずかに滲んだ。心は今や、哀しみの壺に埋まってしまったかのようだった。

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 いつの間にか夜の帳が下りていたようで、気がつくと、辺りはすっかり闇に包まれていた。手元に視線を落とすと、まだ日が高い時分に広げたはずの藁半紙が、まっさらなままでそこにある。羽根ペンを浸したペン壺は、インクが干からびて表面が乾いていた。その様子も、窓から差し込んでくる月明かりを手がかりにしてしか知ることができない。クレフは自嘲気味に笑うと、頬杖をついていた左手を持ち上げてさっと払った。するとランプシェードの中に明かりが入り、クレフがいる机の周りをぼんやりと照らした。

 今日は一日のほとんどをこの執務室で過ごした。かといって、目の前の藁半紙を見てもわかるとおり、書きものに没頭していたというわけではない。本を読んでいたというわけでもない。あえて言うならば、「何もしていない」。にも拘らず、クレフは強い疲労感を覚えていた。
 それが肉体的な疲労ではなく精神的な疲労であるということは、火を見るよりも明らかだった。クレフだって、なにも最初から今日一日――特に午後を無益に過ごそうとしていたのではない。藁半紙に向かおうとしたタイミングは何度もあった。しかしそのたびに、やれプレセアだ、やれアスコットだ、やれフェリオだと邪魔が入り、それどころではなくなってしまったのだ。ランティスを最後にやっとこの部屋を訪れる者がいなくなるころには、クレフの気持ちもいくばくかは落ち着きを取り戻していた。だがそうなると今度は、己の心に燻ぶる靄が邪魔をして、藁半紙に向かうことを許さなかった。


「クレフって、そうしているとほんとに、見た目どおりの子どもみたいね」
 どういう話のくだりだったかはもう忘れてしまったが、すべての引き金は、海が今日の昼間に何気なく発したその一言だった。
 彼女に悪気がないことは百も承知している。からかうような意図もなく、ただ単に思ったことを口にしただけだということを、クレフは当時よくわかっていた。今だってもちろんわかっている。それに、自分の見た目は彼女の言うとおり、子どもだ。そこに否定できる余地はまったくない。それでも、一度切れた堪忍袋の緒が結び直されることは二度となかった。頭に血が上って何を言ったかよく覚えていないが、とにかく海に対して罵声を浴びせたことは確かだ。最初は困惑しておどおどするばかりだった海も、途中からはついにぶち切れ、対等に言葉を返してくるようになった。もう引き返せないところまでさんざん言い合った末、文字どおり喧嘩別れをしたのだった。


 クレフは重々しいため息をつき、力なくかぶりを振ると、そのままサークレットに手を添えるようにして頭を抱えた。
 ――情けない。そして、大人げない。
 その程度の自覚はあった。かなうのなら己に呪詛を掛けやりたいと思うほどの自責の念もある。当たり前だった。日常茶飯事の些細な喧嘩ならいざ知らず、今日のあれに限っては、海には何の落ち度もない。完全に、クレフが一人で怒り心頭し、彼女に売り放った喧嘩だった。
「クレフって、そうしているとほんとに、見た目どおりの子どもみたいね」
 普段なら、そんなことを言われても、一言二言皮肉を返すくらいで聞き流していただろう。だが今日ばかりは、どうしてもそれをただの冗談だとして済ますことができなかった。

 一週間前に海がこちらの世界を訪れたときから、クレフはずっと心に燻ぶるものを抱えていた。その正体を、クレフは今日海と喧嘩をしたことで知ってしまった。――いや、知っていたのに気づかない振りをしていたのを、もうこれ以上気づかないふりをすることはできないと思い知らされた、と言うべきか。

 先週はちょうど、海たちがこちらの世界へやってくる日とチゼータの国王夫妻がセフィーロを表敬訪問する日程とが重なっていた。ほんとうは、夜には時間が空いて、一週間ぶりにやってきた海たちとも触れ合う時間を取れるはずだったのだが、思いの外国王と話が弾み、ぜひ酒でも酌み交わしましょう、と誘われたのだ。断ることなどできるはずもなかった。クレフ自身、チゼータ王とはもっと話をしたいと思っていたし、願ったりかなったりだった。実り多き時間を過ごし、ようやく一息ついたのは、もう日付が変わろうかとしている時分だった。

 他国の人間と腹を割って話し合えるということが嬉しかった。そして、そんなことが当たり前のようにできる世界へと導いてくれた少女たちのことを思うと、クレフの表情は自然と緩んだ。ほろ酔い気分も相まって、海に会いたい、などと思っていたところだった。そんな心地よい疲労を覚えて大広間から自室へと戻る途中で、しかしクレフの気持ちは一変した。何気なく視線を動かした先で、クレフは見てしまったのだ。中庭の噴水の傍で仲良く談笑している、海とイーグルの姿を。

「ウミは、少し優しすぎますよ。もっと導師クレフに甘えても、罰は当たらないでしょう」
「いいのよ。クレフがセフィーロのために頑張ってる姿を見ることができて、私も嬉しいんだもの」
 盗み聞きなど最低だと思いつつ、クレフはその場から動くことができなかった。二人はクレフの気配にはまったく気づくことなく話し続けている。当然だった。無意識のうちに、クレフは自身の気配を消していたのだから。
「しかし、導師クレフはもう少し懲らしめてやった方がいいと思いますよ。こんなに可愛らしいお嬢さんが夜中に一人で出歩いていたりしたら、いくら平和なセフィーロといえども、どんな男に声を掛けられるかわかったものじゃありません」
「そんな……やめてよ、イーグル」
 一瞬目を見開き、そして恥ずかしそうに顔を赤らめた海の横顔は、クレフの心にぐさりと突き刺さった。
 海に会いたいと思ったのは確かだ。だが、そんな風に自分以外の男に頬を染めている彼女に会いたかったのではなかった。


 イーグルの『心の強さ』は、クレフもはっきりと認めている。永遠に醒めることのない眠りに就いたと言われてから僅か三年で彼は目を醒まし、今では、車椅子ながらも普通の人と変わらぬ生活を送ることができるまでに回復している。それは並大抵の『意志の力』では為し得ない技で、さすが『柱への道』を通る資格があると認められた人間だけはあると、事あるごとに感心させられる。
 そんなイーグルと、すっかり打ち解けた様子で会話している海を見て、クレフの心には引っ掛かりが生まれていた。せっかく一週間ぶりにやってきたというのにろくに会う時間も取れないような自分よりも、イーグルのように心優しく、力強い者の方が、彼女の隣に立つにはふさわしいのではないか。

 馬鹿げたことを、と一旦は打ち消した考えだった。しかそれは、どんなに消してもすぐに燈る明かりのようにクレフの心に残り、離れていこうとしない。そしてそれが爆発したのが、昼間海にあの一言を言われた瞬間だった。彼女にそんな意図はないと知っているのに、「あなたでは私に釣り合わない」と暗に言われているようで――
 クレフは息をつき、背もたれに深く身を沈めると天を仰いだ。748年も生きてきて、自分がこんなにも情けなく大人げないと思ったのは、もしかしたらこれが初めてのことかもしれない。認めざるを得なかった。私は――妬心を抱えている。

 そんなことを考えていると、不意にクレフは、執務室の扉の向こう側に人が立つ気配を感じた。もたげていた首を元の位置に戻し、きょとんと瞬きをする。いったい誰だろう。こんな時間に来訪者の予定などなかったはずなのだが。
 扉の方へすっと手を伸ばした。その手の動きに合わせて扉がゆっくりと開かれていく。そして扉がわずかに開かれたその瞬間、クレフははっと息を呑んだ。シルエットが現れる前に、その気配で来訪者が誰であるのかを悟ったからだ。それはもっとも意外で、同時に今もっとも会いたくない人物でもあった。

 やがて扉が完全に開かれると、来訪者がゆっくりと部屋の中へ入ってくる。カラカラと車が回るような独特の音が、静寂に包まれていた部屋の空気を淀ませた。
「……イーグル」
 薄明かりに照らされた青年の表情は、あくまでも穏やかだった。

***

 いつの間にかもうすっかり夜になってしまったようで、ふと見上げた空には月が浮かんでいた。おかしいなと、海は窓枠に手をついたまま小首を傾げた。ついさっきまで、その空は抜けるように真っ青だったはずなのに。いったいいつ夕方になり、いつ夜になったのだろう。
 考え事をしている間は時間が止まっていてくれるような、そんな魔法はないのだろうか。くだらないと思いつつもついそんなことを考えてしまう。しかしそれも致し方ないのだ。最初は、今日の午後をこんなに無益に過ごすつもりはまったくなかったのだから。

 いつもなら「きれいだな」と、見上げただけで笑顔になってしまう星空を前にしても、今日の海の表情は晴れない。瞬く幾千の星を見ながら、海は重たいため息をついた。
 ほとほと自分の性格が嫌になる。プレセアに始まって、その後光や風たちが代わる代わるやってきては海を説得しようとしてくれた。だがそうされればされるほど海の心は頑なになって、「クレフと仲直りなんて絶対にしないんだから!」と、声のトーンは上がるばかりだった。ようやく諦めたのか誰もこの部屋を訪れなくなったころ、海の気持ちは若干落ち着きを取り戻してはいたが、そうすると今度は自分自身の心がずしりと重くなり、その場から動くことができなくなってしまったのだった。


 何がきっかけだったのかはもう忘れてしまったが、昼間、二人で話していたときクレフが突然不機嫌になった。訳がわからないまま話を聞いているうちに、海の方もだんだん頭に血が上ってきて、色々言い返すようになった。最初は、どうせこんな喧嘩すぐに終わるんだろうと思っていた。それがいつものことだったのだ。海の怒りが収まった頃合いを見計らってクレフがぽんぽんと頭を撫でてくれて、ちらりと彼を見上げた海に、クレフが柔らかくほほ笑みかけてくれる。そうして仲直りするのが常だった。

 もっと前に気づいておくべきだったのだ、今日の喧嘩はいつもと違うということに。そう、普段ならば海の方が仕掛けることばかりなのに、今日の喧嘩は、どう考えてもクレフの方から突っかかってきて始まったのだ。そして海の怒りが沸点に達したのは、クレフのあの一言が放たれた瞬間だった。
「おまえは、私といても退屈ばかりしているのだろう!」
 どういうくだりでクレフがそんなことを言うに至ったのかは覚えていないが、とにかくその一言だけは看過できなかった。その後は興奮しっ放しで、何を言ったのかほとんど記憶にない。とにかくクレフに対して罵声を浴びせ続けていた気がする。そうして散々言い合った挙句、どちらもお互いをにらみつけるようにして、文字どおりの喧嘩別れをしたのだった。


 海は窓枠から体を離し、そのままソファに仰向けに倒れ込んだ。なだらかな円錐を描いた天井に、窓から差し込んでくる月明かりが反射している。
 なんでこんなことになってしまったんだろう。ようやく気持ちが落ち着くと、一時の怒りはどこにもなかった。代わりに今度は泣きそうなほど哀しかった。
 クレフに言われた言葉は、起き上がれないほどにショックだった。海はただ、何をするでもなくクレフと一緒にいる時間が好きだった。そこに、たとえフェリオと風のような甘い時間が存在しなくても、ランティスと光のようにあちこちを旅して廻るような時間がなくても、クレフの隣にいられるだけで、海はじゅうぶん幸せだった。

 絶対に口には出さないが、クレフはきっとこのセフィーロで、いやこの世界中で一番忙しい人だ。いつか、「ほんとうに忙しい人は『忙しい』とは口に出さないものだよ」とパパが言っていたことがある。当時はパパの言葉の意味はよくわからなかったけれど、クレフを好きになり、彼の傍にいる時間が増えるようになって、ようやくパパの言っていたことを理解した。クレフはさまざまなことをそつなくこなしているように見えるけれど、その裏にはとんでもない努力がある。きっと睡眠時間は誰よりも短い。一度、クレフの仕事が終わるまで起きて待っていようと頑張ったことがあったけれど、気づいたら海は眠ってしまっていた。それなのに、朝目を覚ますと、クレフは何事もなかったかのような笑顔で「おはよう」と言ってくれたのだ。
 そんなに忙しい人が、自分と一緒に過ごしてくれる時間を持ってくれるというだけで、海にとってはこの上なく幸せなことだった。それなのに――それなのに、一緒にいて退屈していると思われていたなんて。

 怒りが先に出てしまったが、ほんとうは、「そんなことない」と言って抱きしめていればよかったのだ。いまさら後悔していた。クレフだって、本意であんなことを言ったわけではないのだろう。何か仕事でストレスが溜まっていて、それがつい爆発してしまったのかもしれない。そんなことも慮ってやれずにどうするのか。けれど今ごろそんなことを思ってももう遅い。今回は、クレフとこんな形で別れたまま東京へ帰らなければならないのだろう。
 次に会えるのは一週間後だ。一週間――その間、私はこんなもどかしい思いを抱えたまま過ごさなければならないのだろうか。
 見上げた天井がわずかに滲んだ。心は今や、哀しみの壺に埋まってしまったかのようだった。


 そのとき、部屋の扉をノックする音がして、海は慌てて目元を拭った。きっと、気を遣って部屋を空けてくれていた(というより、海が追い出していた)光と風が戻ってきたのだろう。ただでさえ心配をかけた二人だ、泣き顔など見られたら、余計困らせてしまう。海は大急ぎで顔を整えると、窓を鏡代わりにして頬に涙の痕がないことを確認し、真っ暗だった部屋の電気を点けた。
「ウミ、いますか? ちょっと話したいことがあるんです」
 だが、扉の外から聞こえた声は光、風、どちらのものでもなかった。
「え?」
 海は思わず動きを止め、目を丸くして扉を振り返った。
 半信半疑のままゆっくりとその扉に向かい、ノブに手を掛ける。そしてそっと手前に引くと、そこには声の通り穏やかな笑顔を携えた人が、車椅子に乗ってこちらを見上げていた。
「イーグル……」
 部屋から漏れ出た明かりに照らされ、鳶色の髪がきらりと光った。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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