蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ラスト・リング 3. 本気になったら

10万ヒット企画

どうして私が顔を紅くしなくちゃいけないのよ。財布を探りながら、心の中で毒づいた。

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「もう、あり得ないのよ! 何かにつけて私につっかかってくるの、あの部長。ほかの人と同じことをやっていても、私の間違ってるところばっかり指摘するし、私がイーグルと一緒にいると、ものすごく意味深ににやけるし。気になってしょうがないじゃない。あれが部長だっていうのよ? どうかしてるわよ、うちの会社!」
 そういう趣旨のことを、私は延々と喋り続けていた。部内の人間にこんなことを言うわけにはいかないから、こうして同期入社で親友の光、風と一緒のときくらいしか愚痴は吐けない。一年目のときは彼女たちとしょっちゅうランチをしていたけれど、それぞれ部署に配属されると、なかなか三人そろって会うのは難しかった。配属されて二週間が経った今日になってようやく、こうして集まることができたのだった。

「だたいあのひと、電車で会ったときから知ってたのよ、私が彼の部署に配属される新人だっていうこと」
 私ばかり喋っているので、光、風とは食事の進み方に明らかな差が出ていた。一度言葉を区切り、私は目の前のカレーライスを掻き込んだ。会社からほど近いこのカフェのカレーライスが、毎日食べてもいいと思えるほど好きだった。初めて食べたときの感動といったら、言葉で言い表せるものではなかった。ところが、光と風は私ほどこのカレーの味に感動してはくれなかった。三人でここへやってくるのは今日が三度目だったけれど、二度目と同じく、私以外の二人は「本日のランチ」を食べている。今日はスズキのポワレだった。

「電車って、あの、海ちゃんが痴漢に遭ったっていう日のこと?」と光が言った。私はカレーを飲み込みながらうなずいた。
「そうよ。まるでたまたま同じ車両に乗り合わせたんですみたいな顔してたくせに、私がその日から自分の部下になることを知ってたから、助けてくれたのよ」
 言って、私はナプキンで軽く口元を拭いた。
「どうしてそうお思いになりますの?」と風が、上品にポワレを一口サイズに切りながら聞いてきた。「クレフ部長なら、たとえ海さんのことをご存知でなかったとしても、助けてくださったと思いますけれど」
 正義感の強い方でしょうし。と風は言った。私は少し考えて、もう一口カレーを食べるまで口を開かなかった。

「驚かなかったのよ」
 ようやく三分の一ほどにまで減ったカレーの皿にスプーンを置いて、私は言った。
「私が初めてプロ戦のフロアに入ったとき、あのひと、全然驚かなかったの。普通、朝一緒の電車になって、それも痴漢の被害に遭った子が自分の部署に配属になった新人だって知ったら、驚くと思わない?」
 ふむ、と顎に軽く手を当てた風が、確かにそうですわね、とうなずいた。
「海ちゃんのことを知ってたっていうのは、あり得るかもね」と光が言った。「うちの部長も、私のこと、事前にチェックしてたみたいなんだ。入社するときに出した履歴書を、人事部の人に頼んで取り寄せたって言ってたよ」
 それだ、と思った。部長なら、そういうことをさりげなく、それでいてしっかりとやっていそうだ。私はため息をつき、付け合わせのサラダを平らげた。
「それにしたって、何も言わないってことはないんじゃない? しかも、私を置いて、さっさと一人で行っちゃったのよ。同じ会社の、それも同じ部署だっていうのに」
「それは、ちょっと冷たいよね」と光がおもねるように笑った。

 少しでもかっこいいと思ったしまったことが、私にとっては最大の屈辱だった。二週間が経った今でも、部長の私に対する態度はあのときからまったく変わっていない。それどころか、日を追うごとに悪化しているような気がする。すっかりいじられキャラのような扱いを受けていて、やりにくくてしょうがなかった。
 ただ、部長を除く部署の雰囲気は最高だった。イーグルをはじめ、皆がとても優しく接してくれる。優しいのにだめなところはだめとしっかり言ってくれるから、どこを直せばいいのかすぐにわかった。まだ見習いのようなことしかやらせてもらえていないけれど、それでも毎日自分が成長していくのを感じることができていた。

「気にかけてくださっている証拠ですわ、海さんのことを」
 不意に風が言った。私はきょとんとして彼女を見返した。風はにっこりとほほ笑んだ。
「厳しく当たるのは、クレフ部長の愛情表現だと思います。どうでもいいと思っている方に厳しく当たるとは、考えられませんわ」
「愛情表現って……」と私は苦笑した。
「期待なさってるんですわ、海さんに」
 私が苦笑したことなどまったく気にせず、風は続けた。
「海さんはお美しいですから、すぐにでも戦力にしたいとお考えなのでしょう。プロ戦といえば、わが社の花形ですもの」
 風は穏やかそうに見えて、結構ストレートに物を言う。しかも彼女の言葉には妙な説得力があるから、彼女に「美しい」なんて言われると、照れくさくて大変だった。私は風から顔を逸らし、水を飲んだ。
「そんなこと、ないと思うけど」
 残っているカレーの半分を食べた。なんだかお腹がいっぱいだった。私の横を、食事を終えて店を出る人が通り過ぎていった。

「でもさ」と光が口を開いた。「クレフ部長って、すごい有名な人みたいだよ」
「え?」
「広報部なんて、プロ戦と全然関係ないのに、みんなクレフ部長のこと知ってるんだ。プロ戦に入った同期がいるって言ったら、うらやましがられたよ。そんなに若いうちからクレフ部長と仕事できるなんてすごいって」
 光がまるで自分のことのように嬉しそうな顔をするものだから、私はびっくりして彼女をまじまじと見返してしまった。表情だけでなく、その発言の内容にも、もちろんびっくりしたのだけれど。
 光が広報部に配属されたということには、なるほどなと思うところがあった。彼女の笑顔は無条件で人を幸せにする。一度見たら忘れられない笑顔だし、彼女の言う言葉には、風とはまた別の意味での説得力があった。
 日系企業が幅を利かせている業界の中では、外資系である私たちの会社は後塵を拝している。知名度では圧倒的に不利だから、会社を知ってもらうという意味では、光の存在はきっと大きなものになるはずだった。

「そうですわね。部長としては最年少だそうですし」
 風が光の言葉に同調した。
「そんなに有名なの? あのひと」と私は二人を交互に見て言った。
「あら」と風が笑った。「財務戦略部では、まるで伝説の人のように語られていますわよ。なんでも、案件を取り逃したことは一度もなく、クライアントの心をつかむ点において、天性の才能をお持ちだとか。おかげで大手からの引き抜きが絶えず、彼を引き留めることで、わが社の上層部は必死だそうですわよ」
 私はぽかんとして風を見た。
「よく知ってるね、風ちゃん」
 光が私の心の声を代弁した。もっとも彼女の口調は、私が意図したそれよりもずっとあっけらかんとしていたけれど。
「趣味は情報収集ですもの」と言って、風がほほほと笑った。その笑いの奥に腹黒い心が垣間見えた気がして、私は覚えず引き攣った笑みを浮かべた。

 部長の人望が(意外にも)厚いということは、この二週間でよくわかった。部員は皆、彼に全幅の信頼を寄せているし、彼自身、その信頼に違わぬ仕事ぶりを発揮する。私が配属された日にカルディナと一緒に彼が行った案件も、結局うちが獲得した。社長がじきじきに部署までやってきて部長を褒めていたので、驚いた。でも、それよりも驚いたのは、そうして社長から褒めれらても、部長に天狗になるようなところがまったくなかったことだ。それどころか、今回の案件を獲得できたのはすべて三班の努力の賜物だと、社長の前でしっかりと部下を立てたのだった。そいうことのできる人がうんざりするほど少ないことを、社会人一年目で厭というほど思い知っていた。そんな私にとって部長の態度は、軽いカルチャーショックでさえあった。彼の下で働けるということはやっぱり幸せなことなのかもしれないと、そのときは確かに感じた。
 そう感じる瞬間は、正直言って結構ある。毎日何かしらある。ただ、そういう瞬間の直後には決まっていつも、部長は私をからかった。だから結局、私の中での部長の印象は、「嫌味ったらしい人」ということになってしまうのだった。

「とにかく」と、私は思考を振り切るように言った。「私に対して嫌味なことには変わりないわ」
 くすくすと、目の前の親友は二人とも笑っている。どうにも居心地が悪かった。まだ一口残っていたカレーには手をつけず、私は立ち上がった。
「そろそろ行きましょ。もうお昼休みも終わっちゃう」
「海さん、顔が紅いですわよ」
「そっ、そんなことないわよ!」
 逃げるように立ち去ると、後ろでまだ、光と風が笑っていた。まったく、とため息をついて、私は一足先にレジに向かった。
 どうして私が顔を紅くしなくちゃいけないのよ。財布を探りながら、心の中で毒づいた。そんなことする必要、これっぽっちもないじゃない。

***

 店を出て、三人はそろってオフィスへ戻った。それぞれの階で光と風が先にエレベーターを降り、私は最後まで乗っていた。
「あ、海」
 フロアに戻ると、「戻りました」と言う前にアスコットが私を呼んだ。ん、と顔を上げると、部署にはアスコットの姿しかなかった。みんなお昼に出払っているんだろう。アスコットは自分の席の周りを落ち着かない様子でうろうろしていた。
「どうしたの?」
「あのね」とアスコットが言いにくそうに口を開いた。「実は、僕しかいないときに突然クライアントが訪ねてきたんだ」
 アスコットは目だけでちらりと後ろを指した。そちらに目を向けると、ガラス張りになった応接室の中に部長の後姿があった。そして彼の向かい側に、ちょび髭を生やしたいかにも社長らしい風貌の男性が座っていた。彼は上座のソファにこれでもかというほどふんぞり返り、憮然とした表情を浮かべていた。一歩離れたところには、サングラスをかけた男性が二人立っている。テレビで見たままの「SP」っぽさに、思わず吹き出しそうになった。あれほどあからさまな恰好をしていたら、「この人を狙ってください」と言っているようなものだと思うけど。

「何かトラブルでもあったの?」
 応接間の方に目を向けたまま、こっそりとアスコットに尋ねてみる。
「そういうわけじゃないんだけど……」
 言葉を濁し、アスコットは自分の席に力なく腰を下ろした。私は少し迷ってから、隣のカルディナの席に座った。そのとき、応接間から笑い声が聞こえてきた。
「まったく、君には敵わんな」
 なぜかはっと背筋が伸びる声だった。応接間を恐る恐る覗き込む。すると、先ほどまであれほど機嫌悪そうにしていたちょび髭が、まるで別人のような笑顔を浮かべていた。呆気に取られて見ていると、部長が立ち上がった。
「申し訳ありません。本日は少々本気を出しました」と部長は言った。「契約が懸かっていたものですから」

 部長は席を離れると、応接間の扉を開けた。ちょび髭が立ち上がり、外へ出てくる。するとアスコットが、弾かれたように立ち上がった。勢いがつきすぎて、椅子が後ろの席まで滑って派手な音を立てた。
「ああ、君」とちょび髭がアスコットを見て言った。「期待の新人らしいじゃないか。みっちり鍛えてくれるよう、彼に頼んでおいたよ」
「はっ、はい」とアスコットが女の子のような声を出した。「先ほどは、申し訳ありませんでした」
 アスコットには悪いと思いながらも、私は笑いを堪えるので必死だった。彼の声は、完全に声変わり前に戻っていた。
 うむ、とうなずいて、ちょび髭が出口へと向かう。一応私も立ち上がった方がいいのかな。そう思った直後、前を歩いていた部長がちらりと目くばせをしてきたので、慌てて頭を下げた。
「次は負けんぞ」
 ちょび髭は、出て行く前に部長に向かって楽しげに言った。はい、と部長が答える。ちょび髭のやや後ろを歩きながら、部長もエレベーターホールまで行く。扉が閉まってからも、ちょび髭の高らかな笑い声の余韻が残っているのか、フロアの壁が鳴っているような気がした。


「何があったの? アスコット」
 顔を上げて、私は彼の方を振り返った。それと同時にアスコットが、すっかり脱力して椅子にへたり込んだ。
「もう、クビになるところだったよ」と彼は言った。
「クビ?」
 うん、とアスコットがうなずいた。
「僕、あの人がムーントリーの社長だって知らなかったんだ。とりあえず応接間に通したのはよかったんだけど、その後につい、『どちらの部署の方ですか?』って聞いちゃったんだよ。そしたらあの人――いや、社長さん、ものすごい剣幕で怒ってさ。『契約は白紙にする』とまで言い出したんだ」
「うそ」
「ほんと。もう僕、終わったと思ったよ。そしたらそこに、ちょうど部長が戻ってきたんだ。藁にも縋る思いで事情を説明したら、部長、社長さんに向かって言ったんだ。ポーカーで勝負をしようって。自分が負けたら契約は潔く諦める。でも自分が勝ったら、契約は続けてくださいって」

「なにそれ」と私は口を半開きにして言った。「ポーカーって……そんなので決めちゃうなんて、アリなの?」
「それはそうなんだけど」とアスコットは戸惑いがちに言った。「ムーントリーの社長さんって、大のポーカー好きらしいんだ。なんでも、上場するときの主幹事会社も、ポーカーで勝負させて勝ったところにしたらしいよ」
 ええっ、と私は思わず叫んだ。
「そんな適当な感じで、よくあんな大企業の社長が務まるわね」
 うん、とアスコットが力なくうなずいた。
「でも僕、内心はもうだめかなあって思ってたんだ。あの人、マカオのカジノで10億ドル稼いだって噂だから」
「え?」と私は目を丸くした。そしてちょび髭と部長がそろって出て行った扉を見つめた。「でも、あの雰囲気はどう見たって、部長が勝ったって感じだったわよね」
 アスコットが首を縦に振った。
「社長さんを納得させるにはポーカーで勝つのが一番だって、部長、わかってたんだよ。腕に自信があったんじゃないのかな」
「それにしたって……」
 マカオで10億ドル稼ぐ人に勝つなんて、そう簡単にできることなはずはない。そんな勝負を挑む度胸もすごいと思ったし、何より、あれほどのしかめっ面をしていた人をものの数分で笑顔にしてしまうのがすごいと思った。

「申し訳ありません、本日は少々本気を出しました」 
 不意に、先ほど部長がこぼしていた言葉を思い出した。少々、ってことは、あのひとがほんとの本気を出したらどうなるんだろう。ひょっとしたら、マカオで100億ドルくらい稼いじゃうのかしら。
 そんなばかな、と笑い飛ばせない自分がいた。部長なら、結構普通にそういうことをやってのけそうだった。
「すごい人なのね」
 思わず呟くと、アスコットが「え?」と言った。
「いまさら?」と彼はようやく笑った。その言葉に、私は確かに、と苦笑した。確かにいまさらだ。でも、ほんとうは私たちが思っている以上にあのひとはすごい人なのかもしれないと思ったのは、これが初めてのことだった。




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2013.08.28    編集

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