蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

風見鶏

海誕企画★2013

なんだか急に、目の奥がじんと熱くなった。究極の平和のようなものが、その光景に凝縮されているように見えた。

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 人は皆、独特の匂いを持っている。「体臭」と言うとちょっとマイナスなイメージが強いけれど、平たく言えばまあ、そんなところだ。
 一緒にいる時間が長ければ長いほど、その人の匂いを嗅ぎ分けられるようになる。けれどそうは言っても、その人の匂いがわかるほどの接近戦を演じる相手なんて数少ない。実際、私がはっきりと「この人の匂いだ」と断言できるのは、今のところ両親くらいだ。

 それでも最近、私には、ふと気がつけば追いかけている匂いがある。その匂いは、その人が持つものなのかあるいはその人の持ち物のどれかが発するものなのかははっきりしない。だけど、なんとなくその匂いを嗅いだ気がして振り返ると、決まってそこにはその人がいる。たまたま彼がいつも私よりも風上にいて、風に乗って匂いを漂わせてくるのだろうか。そうだとしたら、私はまるで風見鶏だ。

***

 やっぱり今日もそうだった。

 人前では忙しそうなそぶりなんてまったく見せないけれど――しいて言うならば歩く速度はびっくりするほど早いくらいだ――彼はきっとこの世界で一番忙しいひとだ。一日のスケジュールなんて、怖くて聞けない。耳にしてしまったら、こうして彼のところへお菓子を持って遊びに行こうなんてとても思えなくなってしまいそうだから。どうせ分刻みスケジュールなのだろう。いや、ひょっとしたら秒刻みかもしれない。とにかく、彼は同じところに一時間と留まっていない人だった。せっかく忙しい学校生活の合間を縫ってやってきても、会えないことだってしょっちゅうある。いい加減慣れてもいいはずなのに、慣れるどころか、会えないと知るたびに、私のがっかりする度合いは増していく。

 案の定、今日も彼は、皆で囲む予定をしていたお茶会の席にいなかった。30分ほど待って、どうやら彼は来なさそうだと判断した私は、「生モノだから、悪くなる前に食べないといけないの」ともっともらしい理由をつけて、たくさん持ってきた手製のプリンのうち、彼と自分の分だけを籠に入れると、それを片手にお茶会を中座した。もちろんプリンなんて口実だ。彼に会えたらそれでいいのだ。まあそうは言っても、いつも私が作ってきたものを「美味しい」と言って食べてくれる、あの笑顔が見たいという下心がなきしにもあらずだけど。

 もしも仕事で忙しいのなら――九割方、彼がお茶会に姿を見せない理由は「仕事」なのだけれど――、プリンなど持っていっては迷惑かもしれない。それでも足を向けずにはいられなかった。プリンを口実にして、一目でいい、彼に会いたかった。

 どこにいるのかわからない彼を探して歩いていると、流れてきた風の中にあの独特な匂いを嗅いだ気がして、私は歩みを止めた。
 回廊の真ん中で、私はやっぱり風見鶏みたいに、その匂いがしてきた方向を探る。すると、少し先で左右に別れた回廊の右手から、賑やかな笑い声が聞こえてきた。それが子どもの声だということはすぐにわかった。大人は、こんな風に喜びを全身で表すような笑い方はしない。
 その先で何が起きているのかはわからない。それでも、なんとなくあの独特の匂いもそちらから漂ってくるような気がして、吸い寄せられるように歩き出した。素直に回廊を右に曲がる。途端、目に飛び込んできた光景に、はっとして急ブレーキを掛けた。

「すごーい! ちっちゃいフューラがいっぱいいる!」
「かわいい、かわいい! ちっちゃいのに、すばしっこいね!」
 両手で足りるほどの人数の子どもたちが、庭中を駆け回っていた。庭の広さに対して子どもの数はそれほど多くないのに、その庭はずいぶんと賑やかに見える。その原因は、どうやら子どもの数以上に多く宙を漂っている魚にあるようだった。子どもたちの言葉を借りれば「ちっちゃいフューラ」が、金魚が水中を泳ぐようにふわふわと庭を漂っていた。見ていると「ちっちゃいフューラ」は、確かに子どもたちの言うとおり、小さいくせにすばしっこい。子どもたちが捕まえようと手を伸ばすと、さっと回転して離れていってしまう。その、捕まえられそうで捕まえられないところが面白いようで、子どもたちは笑い声を絶やすことなくはしゃいでいた。その様子を見守って、庭の中央に佇んでいる人がいた。

 正直、背丈で言えば、彼は周りで遊んでいる子どもたちと大差ない。けれど彼は「子どもではない」。子どもたちを見守るその優しい瞳は、もうおじいちゃんが孫を見守るようなものだ。孫を楽しませたくて、おじいちゃんは『魔法』を使って、あの「ちっちゃいフューラ」たちを出したのだろう。

 なんだか急に、目の奥がじんと熱くなった。究極の平和のようなものが、その光景に凝縮されているように見えた。――セフィーロは、ほんとうの意味での『美しい国』になったんだ。あの戦いからもう二年が経つというのに、私はどの瞬間よりも強く、今それを感じていた。

「さあ、そろそろ終わりだ」
 不意に、それまで黙って子どもたちを見守っていた彼が口を開いた。子どもたちからはすぐさまブーイングが起こる。それに苦笑しながら、彼はさっと杖を振るった。すると「ちっちゃいフューラ」たちが、まるでシャボン玉が弾けるようにぱっと一斉に消え去った。「ちっちゃいフューラ」がいなくなると、その庭はずいぶんと広くなったように見えた。
 遊び相手を失った子どもたちが、自然と彼のところへ寄っていく。彼は一番近くに来た女の子の頭を優しく撫でると、子どもたちを見回して何かを言った。すると驚いたことに、不機嫌そうだった子どもたちの顔色が、みるみるうちに明るくなっていった。やがて彼が体を起こして笑みを浮かべるころには、子どもたちはすっかり上機嫌に戻っていた。
「導師クレフ、ありがとう!」
「おしごと、がんばってね!」
 そして口々に彼に対して言葉を掛けると、手に手を取り合い、庭を去っていった。


 クレフは最高位の魔導師だという。この世界に私が初めて招喚されたとき、襲ってきた魔物をクレフは一撃で木端微塵にした。それも、魔物の方を振り返ることも、魔物がやってきたことに対して驚くそぶりを見せることもないままに。あのとき彼が唱えたのと同じ魔法を、その後ランティスをはじめ、何人かの魔導師が唱えているのを見たけれど、誰の魔法もクレフのそれが持つ威力には遠く及ばなかった。
 クレフが魔法らしい魔法を使っているところを見たのは、後にも先にもあれっきりだ。クレフは普段、特に攻撃系の魔法はほとんど使わない。もっとも、今の平穏なセフィーロではそんな魔法を使う必要もない。けれどあの二年前の戦いのときだって、一貫して城を護ることに徹していて、前線に出て攻撃に加わろうとはしなかった。

 そんな状態だから、クレフが「最高位の魔導師」と言われても、長い間ぴんとこなかった。見た目は子どもだし、力ならどう見てもランティスやラファーガの方が強い。それなのに、誰もが口をそろえて「あの人には敵わない」と言う。いったいクレフの、あの小さな体のどこにそんな力があるのだろうかと疑問だったけれど、最近になってようやくわかってきた。クレフには、「他の誰にも使えない魔法」があるのだ。

 その「魔法」を目にする機会は、クレフを意識するようになってから格段に増えた。今も然りだ。クレフが子どもたちに何を言ったのかはわからないけれど、どう見てもすぐには去っていきそうになかった子どもたちを一瞬で心変わりさせられる人など、クレフをおいて他にいない。
 クレフは、私たちが日常何気なく使っているものを、まるで魔法みたいに巧みに操る。それはときに言葉であったり、視線であったりする。そして、そのひとつひとつが私をどぎまぎさせることに、気づいてしまった。

 子どもたちを見送っていたクレフが、その姿が見えなくなると突然、何のためらいもなくこちらを振り返った。蒼い双眸が、真っすぐに私を捉える。予期していなかった事態に、私の心拍は急に速度を上げ始めた。
「ウミ。やはり来ていたのだな」
 そう言ってふわりと笑ったクレフが、ゆったりとした足取りでこちらへ近づいてくる。どうやら、私がずっと見ていたことに気づいていたらしい。
「おまえたちがやってくる気配がしたから、中庭へ向かうところだったのだ。しかし途中で、子どもたちに捕まってしまってな」
 すまなかった、と言ってクレフはやや離れたところで立ち止まり、眉尻を下げて苦笑いした。吹き付けてきた風が、クレフの純白のローブを靡かせる。そのままその風は私のところまでやってきて、あの独特の匂いを届けてくれた。

 ――好きだわ。
 心の中で呟き、ほほ笑んだ。それは素直に浮かんだ感情だった。その匂いも、笑顔も、言葉も。今、目の前に立っている人を形成するすべてが、私は好きだ。
「え?」
 ところが、クレフがなぜか見たこともないほど驚いた顔をしてまじまじと私を見上げてきたので、私は彼以上に困惑した。
「え?」
 何だろう、と懸命に考える。クレフの表情は、何か思いがけないことを聞いたというときのそれに見える。何だろう、クレフが思いがけないと感じるようなこと? 私は今、そんなにクレフを驚かせるようなことを言っただろうか。
 はたと瞬きをした。そしてその瞬間、全身から血の気が引いていくのを感じた。

「ま……まさか、わわわ私、くくく、口に出してた?」
 そんなことはない、あれは確かに心の中で呟いただけだった。そうよ、そうに違いないわ。――必死で言い聞かせた私の希望は、しかし脆くも打ち砕かれた。クレフは言葉では答えを返さなかったが、代わりに困ったようにほほ笑んだ。その表情だけで、じゅうぶん過ぎるほどによくわかってしまった。
 なんてこと。思わず途方に暮れた。そんなつもりはなかったのに。この気持ちを告げるつもりなんてなかったのに。いったい何がどうしてこうなってしまったんだろう。ああほら、目の前ではクレフが困った顔をしてるわ。そんな顔、させたくないのに。これじゃあもう、今までみたいにお菓子を持っていくこともできないじゃない――
 そんなことを考えていると、突如視界がぐらりと揺らいだ。
 それが眩暈だと気づいたときには、私の体は大きく傾いでいた。
「――!」
 そばでクレフが私の名前を叫んだ気がした。けれどそれが音となって耳に届くことはなかった。なんだか意識が朦朧としていく。為すすべもなく、そのままその場で倒れ込んだ。

***

 最初に覚めたのは嗅覚だった。あの独特の匂いを、これまでのどんな場面よりも近くで感じる。そうするとようやく意識が心の奥底から浮遊してきて、私はゆっくりと目を開けた。
「気がついたか」
 ほっとしたようなため息と共に、低い声が耳を掠める。そして間髪容れず、真っ青な瞳が私を覗き込むようにして目の前に現れた。
「!」
 驚いたその瞬間、はっきりと目を覚ました。そして自分の状態を確認する。どうやら、今いるところはあの広い庭のようだった。少し体が傾いているのは、緩い傾斜のついた椅子に座らせられているためらしい。太陽の位置を見るにつけ、あれからほとんど時間は経っていないようだ。――あれから、と言って、ようやくこんな状態になるまでのことに思いを馳せることができた。そうだ、あのとき眩暈がして、そのまま意識を失ったのだ。まだ頭がぼーっとする。

 太陽は燦燦と照りつけているのに、私がいるところは不思議と涼しかった。どうしてだろう、と視線を少し持ち上げて、すぐにその理由を知った。小さくない、本物のフューラが、日陰を作ってくれていた。目が合うと、フューラは心配そうにきゅうんと声を上げた。嬉しくて、私はうっすらとほほ笑み返した。
 フューラのそばに、私が持ってきた籠が置かれている。そういえばプリンは無事だったかしら。そんなことを考えていると、クレフがため息をつくのが聞こえた。
「突然倒れるものだから、何事かと思ったぞ」
 隣で別の椅子に腰掛けたクレフが、「ちゃんと食事を摂っているのか」と、私を見下ろしながら眉間に皺を寄せた。それはこっちの台詞よ、と言おうとしたのだけれど、それを遮るように彼が私の額に触れた。クレフはしばらく気難しい顔をしていたが、やがて「だいじょうぶそうだな」とほほ笑んだ。クレフの手は少しひんやりとしているように感じられた。私の額が熱いせいかもしれない。

 ひょっとして、全部夢だったりしないかしら。離れていくクレフの手の動きを見ながら、淡い期待を抱いていた。そうでもなければまた倒れてしまいそうだった。あんな恥ずかしいことを、それも自覚のないまま口にして、挙句の果てに、クレフの目の前で卒倒してしまうなんて。一生の不覚どころの話ではない。
 ふと、クレフが真っすぐに私を見た。その視線に、われ知らずどくんと鼓動が大きくなる。クレフは静かに瞬きをした。
「自分で何を言ったか、覚えているか」
 えっ、と思わず声を上げた。しかしそのまま言葉に詰まってしまう。なんだか体と心がばらばらになってしまっているような感じがした。それでも懸命に、何か言わなくてはと考えた。
「お……覚えてないわ」
 そう言ったのはほんとうに私だったのか、もうわからなかった。考えがまとまる前に口が動いたような気がする。私を見つめるクレフの瞳が不可思議に揺らぐ。そして彼は、そのまま静かに視線を外した。
「そうか」
 ぽつりと呟くようにクレフが言った瞬間、私は自分の発言を激しく後悔した。どうして「覚えていない」などと口走ったのか、自分のことなのにまったく理解できなかった。当然はっきりと覚えている。いや、本当に口に出してしまったその瞬間のことはよく覚えていないけれど、あのとき感じた気持ちに嘘はない。――私は、クレフのことが好き。

 変な意地を張って、「覚えていない」なんて言う必要なんか、なかったじゃない。覚悟を決めて、口を開いた。
「あっ、あの」
「それはよかった」
 ところが、その私をクレフがわざとらしく遮ったので、「え?」と肩を震わせた。クレフが顔を上げる。そして私に向かってにっこりほほ笑んだ。
「危うく、風下に置かれてしまうところだった」
「……え?」
 ほほ笑んだまま、クレフは再び私の額に触れた。けれどその触れ方は、先ほど体調を診てくれたときの触れ方とは明らかに違っていた。
「おまえたちの世界では、女性に愛の告白をさせるような男は、風上にも置けんのだろう?」
 ん? と言ったクレフを前に、私は口をあんぐりと開けたまま何も言えなくなってしまった。何言ってるの、このひと。
 でも、仮に耳に届いた言葉が私の受け取ったとおりであるのならば、それが意味するところは――。

 そのときだった。あの匂いが、私の鼻をすっと抜けた。甘くて爽やかで、心地よいのに落ち着かなくさせる、独特の匂い。
 ああ、とその瞬間、確かに思った。このひとが風下にいるわけがない。そうだったら、私がこの匂いを嗅ぎ分けられるはずはない。
「ばかね」
 呟いた言葉に、クレフが意外そうに目を丸くする。その表情が、涙のせいでみるみるうちに掠れていく。
「あなたはいつだって、風上にいるのよ」
 だって私は、いつもあなたの匂いに誘われる、風見鶏だから。




風見鶏 完





セバスチャンさんからのリクエストで、「二人が付き合いだしたころの様子」でした。
これは、以前書いた「カップリングについて語る30題」の18番目の項目が元ネタになっています。
後日談が、『自然発生的欲求論』になります。
セバスチャンさん、素敵なリクエストありがとうございました^^

2013.03.03 up / 2013.08.29 revised




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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