蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 1. ふたつでひとつ

長編 『蒼穹の果てに』

だからこそ、こんな大事なことを、風はひとりで決めてはいけない。風はもう、風だけの存在ではないのだから。

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 空を見上げれば、どこまでも広がる青。うんざりするほど長い期間続いていた蜃気楼も、ようやく降った雨が連れ去ってくれた。道行く人たちの恰好も、長袖が増えてきている。ここ東京ではようやく夏が終わり、秋になろうとしていた。
 四季の中では秋が一番好きだ。夏の地獄のような暑さから解放され、これからはひたすら涼しくなっていく。おしゃれの幅は広がるし、食べ物も、秋が旬のものが一番おいしい。けれど最近は、秋よりも春の方が好きだと思うこともあった。

 学校帰り、ばったり会ったパパに買ってもらったおニューのワンピースを、初めておろした。今はやりのロイヤルブルーのワンピースだ。ボウタイは黒。海にしては珍しく大人っぽいワンピースだけれど、一目見て気に入った。パパも絶賛してくれたので、甘えて買ってもらった。着心地もよくて、気に入っている。

 信号待ちの間に、ショーウインドウに映った自分を眺める。中学生のときには高校生のようだと言われた。そして高校一年生になった今は、大学生と間違われることもあった。自分では年相応だと思っているから、どこがそれほどほかの同級生と違うのかと、戸惑うこともある。けなされているわけではないのだろうけれど、気になることは気になった。こうして窓に映るのを見ても、すれ違う同年代の子との違いがよくわからない。
 その窓越しに、不意に男の人と目が合った。気まずくて、さっと顔を逸らす。ちょうど信号が青になったので、目的地の東京タワーへと急いだ。時計を見ると、約束の時間までまだ15分もあった。ゆっくり歩いても5分前には着きそうだ。久しぶりに訪れる、常春の国のことを思う。自然と笑顔になりながら、横断歩道を渡った。


 待ち合わせている第二展望台に着いたのは、思ったとおり、約束の時間の5分前だった。そしてこれまた思ったとおり、風が先に来て待っていた。
「風」と声を掛けようとしたけれど、上げかけた手を中途半端なところで止め、足も止めた。鉄柵に手を掛けて外を見下ろす風の横顔が、どこか張り詰めているように見えたからだ。

 もともと精神年齢の高い子だったけれど、高校に入学してから、風は一段と大人っぽさを増した気がする。大人っぽさというより、女らしさというべきかもしれない。どんどん彼女に置いていかれるようで、本音を言うと少し淋しかった。面と向かって話しているときはそうでもないのだけれど、こうして彼女がひとりの世界を作っているときは確かに、風との間に存在する壁を感じた。
 それでも海は、その壁を振り切るようにして歩き出した。あえて満面の笑みを浮かべ、風の細い肩をぽんと叩いた。
「どうしたの、風」
 はっと風が顔を上げた。眼鏡の奥の碧い瞳が大きく見開かれる。金髪が肩で揺れた。やってきたのが海だとわかると、風はほっと肩を撫で下ろした。
「海さん」と彼女は笑顔で言った。「驚きましたわ」
「ずっとそばにいたのよ」と言って、海は風の肩から手を離した。「何かあったの? ずいぶん深刻そうな顔をしてたけど」
 笑みを乗せていた風の表情が、さっと硬くなる。鉄柵から離した両手を、彼女はそのまま体の前で組み合わせた。軽く俯くと、頬に睫毛が影を作る。少し痩せたかな、と思った。

「どうしたの?」
 そのとき、別の人の声がした。風とそろって顔を上げると、光がすぐそばに立っていた。彼女は最初に海を見て、それから風を見た。心配そうに眉根を寄せ、光は風のことを覗き込んだ。
「風ちゃん、どうかしたのか? 哀しそうな顔してる」
 海は身長が164センチになっていた。風も161センチはある。けれど光はまだ156センチだったので、私たちが目を合わせるためには、光は首をもたげなければならなかった。そのとおりの恰好をした光は、自分まで泣きそうな顔をした。

 顔を見て数秒と経っていない光でもそう感じるということは、自分の見立ては間違っていなかったのだろう。海は風を見た。風はじっと考え込んでいた様子だったけれど、ある瞬間ぱっと顔を上げ、静かにかぶりを振った。
「ごめんなさい。そんなに大変な問題ではないんです」と風は言った。「ただ、両親と少し言い争いをしてしまって」
「え?」と光が目を見開いた。「けんかしたのか、風ちゃんが?」
 風は眉尻を下げてうなずいた。嘘をついている様子ではなかった。海と光はぱちくりと瞬きをした。
「風も人間だったのね」と海は言った。「親に口答えなんて絶対にしない、絵に描いたような優等生なんだと思ってたけど」
 そうじゃなくて安心したわ。と続けると、風がくすりと笑った。
「私も驚きました。あれほど大きな声を出せるなんて、自分でも知りませんでしたから」
 海は思わず光と顔を見合わせた。話し出したときの口調から、けんかと言ってもそれほどの言い合いではなかったのだろうと勝手に解釈していたが、どうやらそうではないらしい。

 風が大きな声を出すところなんて、一度も見たことがない。それも、「あれほど」大きな声というのだから、生半可なものではなかったはずだ。いったい何があったのだろう。今一度風を真っすぐに見る。エメラルドのようにきれいな双眸が、海を捉える。海は右手に持っていたバスケットを左手に持ち直した。
「何があったか、聞いてもいいかしら」
 海が言うと、光もうなずいた。風は「もちろんですわ」と言った。
「お二人でなければ、わかっていただけないでしょうから」
 風の言葉を受け、とりあえず展望台内にあるカフェに腰を落ち着けた。セフィーロへ行くのがいつもより遅くなってしまうけれど、今日ばかりはしょうがない。親友がこれほど悩んでいるというのに、放っておけるわけがなかった。


「高校を中退したいと言ったんです」
 それぞれ飲み物を手にするなり、風は決然と言い放った。アイスコーヒーのストローに口をつけようとしていた海は、覚えずぶっと吹き出した。
「なんですって?」と海は素っ頓狂な声を上げた。
「高校を中退って、風ちゃんが?」
 光も身を乗り出して言った。私たちの声があまりに大きかったので、周囲に座っていた人たちがぎょっとしてこちらを見た。海たちは縮こまり、ぺこぺこと周囲に向かって頭を下げた。一度咳払いをして、海は再び言った。
「どういうことなの、風。高校を中退だなんて」
 風は飲み物にはまったく手をつけようとせず、膝の上で固く手を握ったまま、私たちを交互に見た。迷いのない瞳だった。よく知った瞳だったけれど、だからこそ、不安になった。
「私、セフィーロで暮らしたいんです」と風は言った。「セフィーロで、フェリオの隣で、残りの人生を歩んでいきたいと思っています」
 思いがけない言葉に、海は絶句した。

 いいえ、違うわ。海はすぐに自らの心に浮かんだ考えを否定した。「思いがけない言葉」なんかじゃない。風がいつか、そう遠くない未来にそんなことを言い出すんじゃないかということは、うすうす感じていた。つかの間の滞在を終えて戻ってきたときの風は、いつもすっかり生気を失ったような顔をした。回を重ねるごとに、その反応は大きくなっていった。たぶん、ひとりのときは泣いているんだろう。セフィーロが、たとえば電車で5分くらいの距離にある隣町だったらよかったのに。そう思ったこともあった。――けど、いくらそうは言ったって。

「でも、風ちゃん」と光が戸惑いを隠さずに言った。「セフィーロで暮らすってことは、東京での生活を捨てるっていうこと?」
「そうです」と風はきっぱり答えた。
「そんな」と海は思わず言った。「無茶よ。東京にはあなたのご家族がいらっしゃるでしょう。それに、セフィーロでの暮らしは、東京での暮らしとはまるで違うのよ? そんなに急いで答えを出さなくったって――」
「もう我慢できないんです」
 海の言葉を、風が迫力のある声で遮った。海は光と同時にはっと肩を震わせた。

「わかっています」と風が少し声のトーンを落として言った。「そう簡単な問題ではないことは、じゅうぶんにわかっていますわ。言葉は通じますが、あちらの世界の文字はまるで読めません。生活習慣もまったく異なりますし、第一、セフィーロは魔法の世界です。それでも」
 一度言葉を区切り、風は力なくかぶりを振った。
「もう無理なんです。私、セフィーロから離れるなんて、できません」
 返す言葉もなかった。海も光も、黙り込んだ。

 風とフェリオは、もはや公認のカップルとなっていた。誰もが二人の行く末を温かく見守り、無意識のうちに恋の成就を願っていた。けれど、二人の恋が成就するということは、どちらかがどちらかの世界を捨てるということになる。そのことの重みを、本当はずっと前からわかっていた。けれど今、それが唐突に海の背中を押し潰そうとしていた。
 最初は毎週末必ず、暇があれば平日も、セフィーロへ行くことがあった。それが中学三年生になると、高校受験を控えて忙しくなり、月に二度行ければいいほどになった。高校に入ると日々の忙しさは一層増し、セフィーロへ行く頻度は一か月に一度になり、やがて二か月に一度になった。やっと行けるめどがついた今日は、じつに三か月ぶりの訪問だった。

 定期的にセフィーロへ行くことが難しくなっていることは、海自身感じていた。加えて、あちらの世界とは通信する手段がないから、離れてしまえば、お互いの様子を知るすべはまったくなくなる。ただの遠距離恋愛ならば、少なくとも通信する手段はある。電話で声を聞いたり、メールでやりとりをすることもできる。けれどセフィーロとはそういうことはできない。極端に言えば、どちらかが死んでしまっても、すぐには知らせを受けることはできないだろう。
 フェリオと強烈に想い合っている風にとって、現状は辛いことだろうとは思っていた。けれどこれほどまでに思い詰めているとは、想像だにしていなかった。

 風が悩むのはもっともだ。もっともだし、確かに彼女の気持ちは、海や光にしかわからないだろう。けれどその海でさえ、風の決断は性急すぎると感じた。
 昔から頭がいい風は、模擬試験で何度も一位を取り、あまねく進学校の間ではちょっとした有名人だった。これほどの秀才、日本という国が放っておかないだろう。彼女の知識は、埋もれさせるにはもったいない。今日日、彼女はすでにコンピュータープログラムにかなり精通し、その知識は、オートザムの環境汚染のメカニズムを解明するのにかなり役立っている。ジェオやザズは、風がセフィーロを訪れることを心待ちにしていた。

 セフィーロで暮らす。きっぱりとそう言い切った風だったけれど、まだ迷っているのだろうということは、その表情からも感じ取れた。だからこそ今、風はこの話を打ち明けたのだろう。セフィーロへ向かう直前という、このタイミングで。
 ひとりで決められる話ではない。ここに留まっていては、何の解決にもならない。
「行くわよ」と言って、海は立ち上がった。
「え?」
 光と風が、目を丸くして海を見上げる。海は二人を交互に見て、早く立つようにと促した。
「こんなところにいても、話は堂々巡りするだけよ。風、あなたはフェリオと話さなくちゃ。だから早く行きましょう、セフィーロへ」

 恋はひとりでもできるけれど、愛はひとりではできない。ハートシェイプはふたつでひとつだ。風とフェリオの関係は、もう「恋」の段階を超えてしまったのだと思う。だからこそ、こんな大事なことを、風はひとりで決めてはいけない。風はもう、風だけの存在ではないのだから。
 今はまだ、風の決断を支持できない。けれどいずれ、フェリオと二人で話し合い、その結果としてまた結論を出すときには、風を全力で支えたいと思う。たとえそれが、どのような決断になったとしても。
 風が今にも泣きそうな顔をした。先に立ち上がったのは光だった。風は一度俯き、それから顔を上げ、
「はい」
 と確かに答えた。
 海たちは席を離れ、窓際へ向かった。手を取り合い、祈った。いざ、セフィーロへと。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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