蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ラスト・リング 4. 笑わないひと

10万ヒット企画

そこで何の前触れもなく部長の顔が浮かんで、目を閉じたまま、思わず眉間に皺を寄せた。あんなひととデートなんか、絶対にしたくない。

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 配属されてまだ三週目なのに、早くもクライアントのところへ行くことになった。しかも相手は、数多ある化粧品メーカーの中でも最大手に挙げられる某大企業の、経営戦略部だった。
「そんなに緊張しなくてもだいじょうぶですよ」
 エレベーターに乗ると、イーグルに言われた。顔が赤くなったのを厭でも自覚する。書類の束をぎゅっと抱え、横目にイーグルをにらんだ。
「しょうがないじゃない。初めてなんだもの」
 イーグルの方がずっと先輩なのに、こんな口調で話すのがもうすっかり当たり前になっていた。それなのにイーグルはなぜか敬語で話すから、はたから見たら滑稽だろう。けれど彼は、相手の年齢にかかわらずいつも敬語だった。それが彼にとっての「普通の」口調らしい。
 イーグルは、もう大ベテランと言っても過言ではなかった。あの部長に次ぐナンバー2と言われているくらいだ、その仕事ぶりは実に鮮やかだった。部長昇格の最年少記録を更新するんじゃないかとも囁かれていることを、私は最近になって知った。イーグルはまだ三十代前半だけれど、彼なら極端な話、今すぐ部長になってもおかしくないと思う。もっとも、今の部長がいる間は、そんなことは起こらないだろうけど。

「今日は、一班に新しく加わったあなたを紹介することが一番の目的ですから、肩の力は抜いてください。僕たちの仕事は、第一印象がとても大切ですからね」
 そう言ったイーグルを、横目で盗み見る。彼は結構いい男だ。顔立ちは整っているし、背も高い。おまけに紳士的で、仕事もできる。ほとんど完璧な人だ。私に言わせれば、部長なんかよりもイーグルの方がよほど男らしくて恰好いいと思うんだけど――第一彼は、誰かさんみたくどうでもいいことでいちいち私をからかったりしないし――、どうも部長の方が、社内の女性からの人気は高かった。あの繊細な雰囲気がなんとも言えない、らしい。それを聞いたときは、思わず全身に鳥肌が立った。

 部長のどこがいいのか、私にはさっぱりわからない。確かに姿かたちはいいかもしれないけど、それだけだ。あれほど性格の悪い男なんて、ほかに類を見ないと思う。
「だいたい、結婚してるじゃない。あのひと」
「え?」とイーグルが聞き返してきたので、そこでようやく、声に出して言ってしまっていたことに気づいた。顔を見合わせ、途端に赤面する。思いっきりイーグルに背を向け、目の前の階数表示を穴が開くほどに見つめた。
「な……なんでもないわ」と私は言った。「独り言よ」
 横顔にイーグルの視線を感じたけれど、それには気づかないふりをした。

 やがてイーグルはくすりと笑った。「そうですか」と言ったその口調は、明らかに楽しんでいる。きっと彼には、私が誰のことを考えていたのかばれてしまっただろう。穴があったら入りたかった。どうして部長のことなんて考えなくちゃいけないのよ。
 これがたとえば逆だったら――つまり、部長と二人きりのときについうっかりイーグルのことについて口走ってしまったりしたら、部長はきっと、そのネタで一週間は私のことをからかう。思わずため息が出た。あんなひとは結婚できるのにイーグルには彼女もいないなんて、世の中はどこかおかしい。
「着きましたよ」
 イーグルの声で顔を上げると、エレベーターの階数表示は「56」になっていた。途端に緊張を感じた。大きく深呼吸をして、エレベーターを出る。こういうときにもレディーファーストを欠かさないから、イーグルは本当に如才ない。

***

 通されたのは会議室だった。入り口と反対側にある窓に向かって縦に長い長方形の部屋で、同じく長方形のテーブルが中央にあり、向かい合う形で、椅子がそれぞれ三脚ずつ置かれていた。
 私たちは当然下座側に座った。イーグルが真ん中に、その手前に私がつく。私は腕に抱えていた書類をテーブルに置いた。冊子状のプレゼン資料が、全部で四部。一部にだけはびっしりと書き込みがしてある。その一冊を手元に置き、残りの三部とは別に置いておいた。
「リラックスですよ、リラックス」
 イーグルが言った。彼は普段どおりの表情をしているが、私はといえば、自分でもわかるほどの引き攣った笑みを浮かべるので精いっぱいだった。そのとき、コンコンと扉がノックされた。
「はい」とイーグルが応答した。二人同時に立ち上がる。扉が開いて、男性二人と女性一人が入ってきた。角刈り頭でがたいのいい男性が一番奥に、眼帯をした、すらりと背の高い男性が真ん中に、そして腰までの長さがある漆黒の髪が印象的な女性が、私の向かいに立った。女性は目を奪われるほど美しい人だった。赤い口紅が、その人がつけているとまったく厭らしくなかった。

「すみません、わざわざご足労いただきまして」と真ん中に、つまりイーグルの真向かいに立った男性が言った。
「とんでもありません」とイーグルは笑顔で答えた。あれ、と私は思った。二人を見比べると、なんとなく似ている。もちろん髪の色や顔立ちはまったく違うのだけれど、二人を包むオーラというか、醸し出される気配というか、そういうものが、二人は似ていた。

「新しい人が入ったと伺いましたが」と言って、目の前に立っている女性が私と目を合わせてきた。「こちらが?」
「ええ」と答えたのはイーグルだった。「僕のチームに入ることになりましたので、これから同行する機会も増えるかと。どうぞよろしくお願いいたします」
 イーグルが私をちらりと見る。私は席から一歩出て、頭を下げた。
「龍咲海と申します。よろしくお願いいたします」
「こりゃまた別嬪さんだなあ」と、一番奥の角刈りの男性が言った。「うちの嵐といい勝負じゃねえか?」
 な、と言って身を乗り出すと、彼は私の向かいの女性を見た。女性はつれない態度で、男性の言うことは完全に無視した。それでも二人はなんとなく、お互いにわかり合っているように見えた。そういう関係でいられる男女はすてきだし、うらやましい。
 それから私は、クライアントの三人と名刺交換をした。三人はそれぞれ、奥から有栖川さん、桜塚さん、貴酬嵐さんといった。嵐さんは、桜塚さんからも、それにイーグルからも「嵐さん」と呼ばれていた。

 一通り終わったところで、全員が席に着く。私は手元に用意していた三部の資料を相手に配った。
「それでは、われわれのプレゼンをご覧いただきます」
 イーグルが言うと、全員が一斉に手元の資料を開いた。そうすると、明らかに会議室の雰囲気が変わった。
「今日はあなたを紹介することが一番の目的ですから」とイーグルは言っていたけれど、それは半分嘘だととっくに気づいていた。確かにイーグルは、私のことを「一番に」紹介してくれたけれど、このミーティングの本来の目的はそれではない。
 今イーグルがどういう案件で桜塚さんたちと交渉しているのか、その概要は聞いていた。資料も一足先に読ませてもらったし、自分なりに勉強はしてきたつもりだ。それでも、ここから先の議論には、ついていくことで精いっぱいになるだろう。話が始まってまだ五分と経っていないのに、私には理解できない単語が、すでにいくつか出ていた。
 先ほどまでの柔らかい雰囲気はどこへやら、イーグルも、そして桜塚さんたちもすっかり真剣な横顔になっている。この、周囲の空気がオンからオフへと変わる瞬間が――と言っても、今はクライアントの前なのだから正確には「オフ」ではあり得ないのだけれど――、私は好きだった。一度深呼吸をして、しゃきっと背筋を伸ばした。

***

 それから15分も経つと、議論は早くも煮詰まってしまっていた。
 うーん、と皆がそれぞれに腕を組んで唸る。私はそんな一人ひとりの表情を眺めながら、テーブルの上で軽く指を絡ませた。
「コンセプトはいいんですけどね」と桜塚さんが言った。「どうも、決め手に欠けますね」
「そうなんです」とイーグルが答えた。「われわれも、その点について、桜塚さんとお話ししたいと思っていたんです」
 結論は、まだ出ていない。

 今回の案件は、今年の秋に向けて発売される化粧品のテレビ広告だった。ターゲットは二十代前半、つまりちょうど、私と同年代の女性たちだ。ターゲットよりも若干年上の「いい女」系の女優を起用することと、コンセプトを、「この秋、ちょっと大人な私になる。」にすることは決まった。ただ、広告の撮影をどこで行うか、それが全然決まらなかった。

 外で撮影したいというのが、桜塚さんたちのこだわりだった。それに対して、「ちょっと大人」をテーマにしているのだから、二十代前半の子が普段は行かないようなところにスポットを当ててはどうかというのがイーグルの提案だった。たとえば高級ブランドショップや一流ホテル、舞台演劇などだ。どれに対しても「そこそこいい」というのが、桜塚さんたちの反応だった。しかし「そこそこいい」ということは、つまりどれも微妙だということだった。この世界では、皆あまりネガティブなことを言わない。だから、ポジティブな発言でも限りなくネガティブに近いところのそれは、ネガティブな発言と同義になる。そんなわけで、議論は完全に手詰まりの様相を呈していた。
 起用する女優のスケジュールからして、今日中に撮影場所を決めなければならない。まだ4月の中旬だというのに秋の化粧品の広告撮影をするなんてずいぶん早いと思ったけれど、発売が8月だということを考えれば遅すぎるくらいだと、イーグルは言っていた。


 もう一度資料に目を通す。発売される予定の製品がいくつも紹介されていたが、たとえばリップひとつ取っても、確かに色使いが大人っぽかった。同じコーラルでも、去年はやっていたものに比べれば色味が落ち着いているし、派手なラメを使ったものもあまりない。
 私なら、このリップをしてどんなところへ行きたいだろう。軽く目を閉じて想像力を働かせる。8月ならば、まだまだ残暑厳しい。けれどたぶん、たとえばビーチではしゃぐというのは、この色には似合わない。デートにつけていくなら、隣にいるのは同年代の男性よりも、もっとずっと年上の男性の方がいい。

 そこで何の前触れもなく部長の顔が浮かんで、目を閉じたまま、思わず眉間に皺を寄せた。あんなひととデートなんか、絶対にしたくない。そう思ったけれど、身近にいる年上の男性といえば彼がもっともしっくりくる。とりあえず、そのまま想像し続けることにした。
 部長とデートに行くとしたら。そもそもどういうところに連れていってくれるだろう。
 ぼんやりと絵が浮かんだ。夜のレインボーブリッヂが見える。それを私はどこから見てる? 風が気持ちいい。隣に座った部長は、夜なのにサングラスをしている。彼の向こう側の景色はどんどん変わっていく。私は靡く手を風で押さえる。
 そうだ。私は目を開けた。そして、
「夜のドライブはどうですか?」
 と言った。

 皆の視線が私に集まる。この会議室に入ってから、挨拶のとき以外で私が口を開くのは、これが初めてのことだった。
「夜のドライブ?」と嵐さんが言った。美しい黒髪がサラリと音を立てて流れる。見惚れそうになって、慌てて「はい」とうなずいた。
「レインボーブリッジが見えるところを走っているというのはどうでしょうか」
 うーん、と有栖川さんが唸った。
「確かに、夜のドライブは『大人』かもしれないが、今回の製品を使ったんじゃ、あんまり目立たないんじゃないか」
「それは否定できませんね」と桜塚さんが言った。「今回は、意識的に光物を使っていませんし。夜では目立たなくなってしまいます」
「だからこそです」と私は身を乗り出した。「目立たないからこそ、夜のドライブがいいんですよ」
「どういうこと?」とイーグルが首を傾げる。私はもう一度手元の資料に目を落とした。
「こうして見ると、確かにはっきりとした色合いのものは少ないですが、それぞれの色はとてもきれいです。たぶん、遠目からよりも近くからの方がよりきれいに見えるように作られてますよね、これ」
「そのとおりです」と桜塚さんが言った。「接近戦でも崩れない、が、開発段階での合言葉でしたから」
「だったら、完璧ですよ!」と私は思わず両手を合わせた。「遠目には目立たないけれど、車の運転席と助手席の距離だったら、きっときれいに見えますよね。運転席の彼だけにわかる大人な私、とでも言いますか。特別な感じがあって、すごくいいと思います」
 途中から、まるで私自身が助手席に座っている女の子になったような感覚で喋っていた。言い終えてはっとわれに返ると、皆がぽかんとして私のことを見ていた。すると突然、顔から火が出るほど恥ずかしくなった。両手を膝の上で握り、俯いた。
「すみません」と言った私の声は、まるで今にも消え入りそうだった。「新人なのに、出しゃばったことを言ってしまって」

 ところがそのとき、「いや」と言う声がした。はっと顔を上げる。桜塚さんが笑っていた。「とてもいいアイディアですよ、龍咲さん」と彼は言った。
「え?」
「俺もそう思う」と有栖川さんも言った。「最初は正直いまいちだと思ったんだけどな。話聞いてりゃ、いいじゃんか」
「ほ……ほんとですか?」
「いいと思いますよ。それで行きましょう」と言って、桜塚さんが嵐さんを見た。「いいですよね?」
「ええ」と嵐さんはほほ笑んだ。「さすが、同年代の意見はリアルですね。とても参考になりました。もっと早くに来ていただきたかったくらいです」
 信じられない気持ちで、思わずイーグルのことを見た。私と目が合うと、彼はどこか誇らしげにうなずいた。
「ありがとう、海」とイーグルは言った。「あなたのおかげで、今回のプロジェクト、うまくいきそうですよ」

***

 興奮した気持ちを抱えたままオフィスに戻ると、三班は皆出払っていて、二班が数人と部長がいるだけだった。部長は誰かと電話をしていた。とてもにこやかに話していたが、私とイーグルが彼の席のところへ行くと、ちょうど電話を終えたようで、受話器を置いた。
「ああ」と彼は、私たちを見上げて言った。「帰ったのか」
「部長」とまずはイーグルが口を開いた。「海がやってくれましたよ。彼女のアイディアが、先方に採用されました。キャストのスケジュールも押さえられたので、来週から撮影に入ります」
 初めての仕事で役に立てたということが嬉しくて、私はたぶん、満面の笑みを浮かべていたのだと思う。私と目が合うと、部長はまるで、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。

 今日こそは褒めてくれるだろうと期待していた。ところが部長はちらりとも笑わずに私から視線を外すと、イーグルが差し出した計画書を受け取った。
「たった今、先方から連絡があったところだ」と部長は言った。
「え?」
「龍咲」
「はっ、はい」
「これはビギナーズラックだと思え」
「……は?」
 思わず気の抜けた声を出すと、部長が計画書から顔を上げた。
「おまえはまだ、何のバリューも出していない。たまたまアイディアが採用されただけで、いい気になるな」
 相手が部長でなかったら、きっとつかみ掛かっていたと思う。それでも私はぐっと堪えて、「はい」と小さな声で返事をした。
「でも」
「よくやった」くらい言ってくれてもいいんじゃないか。そう言うつもりで私が口を開いたのと同時に、部長の電話が鳴った。彼は私には目もくれずにその電話を取った。口ぶりからして長い話になりそうだったので、イーグルと二人、大人しく彼の席から離れた。

「何なの、あのひと!」と私は部長に聞こえないぎりぎりの音量で毒づいた。「『頑張ったな』の一言も言えないわけ?」
「まあまあ」とイーグルが宥めてくれようとする。「部長、口ではああ言ってますけど、内心では喜んでくれているはずですよ」
 そんなはずないじゃない、と心の中で言って、わざと大きな音を立てながら自席についた。こうなったら、いつか絶対、彼にぎゃふんと言わせてやる。鼻息荒く、私はパソコンを開いた。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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