蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ラスト・リング 5. 私の知らないあなた

10万ヒット企画

思えば、毎日顔を合わせているのに、私は部長のことをほとんど知らない。結婚していることは知っているけれど、どういう家族構成なのかは聞いたこともない。

本文は「続きを読む」からどうぞ。





 ゴールデンウィークがあっという間に終わると、いよいよ仕事も本格的になってきた。文字どおり、五月病にかかる人が増えてくる時期でもある。それを防ぐ目的があるのかどうかはわからないけれど、五月最後の金曜日、全社を挙げての一足早い暑気払いパーティーが開かれた。

「海ちゃん!」
 会場となっている会社近くのホテルに着くと、聞き慣れた声に呼ばれた。思ったとおり、声の主は光だった。こちらへ向かって大手を振る、その屈託のない笑顔は、大学生のときからちっとも変わらない。もちろん、いい意味で。
 ウェルカムドリンクを手に、会場に入る。ホテルの宴会場を一室借り切っているようで、中には100人近い人がいた。日系が幅を利かせている広告代理店業界では、外資系である私の会社の規模は、さほど大きくない。むしろ弱小に近いのだけれど、こうして全社員が一堂に会すると、結構な人数がいるものだ。
 パーティーといっても、仕事の延長線上にあるようなものなので、特に着飾っている人はいない。同じ会社の人同士が集まる会だし、雰囲気はとてもリラックスしている。いったいどんなイベントなのだろうと、内心びくびくしていたけれど、これなら溶け込めそうだ。ほっとして、手を振ってくれた光のところへ向かった。

「お疲れさまです」
 光のそばには風もいた。私たちは手にしたグラスを軽くぶつけ合わせて乾杯した。風と私はスパークリングワインだったけれど、光はオレンジジュースを手にしていた。飲むとすぐに顔が赤くなってしまう光は、最近は、特に仕事上では飲まないようにしているのだという。
「結構集まってるわね」
 私は辺りを見回して言った。会場は、壁際にずらりと食べ物が並んでいて、中央にはいくつかテーブルが置かれていた。立食形式のパーティーのようで、皆、飲み物や食べ物を手に談笑している。特に司会進行がいるわけでもなく、やんわりとした雰囲気が漂っていた。

 少し離れたテーブルに、アスコットの姿があった。てっきり同期と一緒にいるのかと思ったら、彼はカルディナと一緒だった。明らかにカルディナに絡まれている様子だったけれど、まんざらでもなさそうだった。あの二人は意外といいコンビらしく、班員を交えてしょっちゅうランチや飲み会に行っている。
 私の視線に気づいたようで、アスコットと目が合った。私が小さく手を振ると、彼は照れくさそうに頬を染めて笑った。
「愛されていらっしゃるようですわね、アスコットさん」と風が言った。
「ええ」と私は二人の方に向き直りながらうなずいた。「みんな優しいの。とてもいい部署よ」
 すると光が、どこか含みを持たせてくすくすと笑った。私はきょとんと首を傾げた。光は「ごめんごめん」と言って、顔の前でひらひらと手を振った。
「だって海ちゃん、この間はあんなに厭そうだったのになって」
 うっと言葉に詰まる。確かに、配属されて間もないころに二人と行ったランチの席では、さんざん愚痴ばかりこぼしていた。少なくとも、「みんな優しい」などというポジティブなことは言わなかった。

 ただ、だ。
「でも」と私は、スパークリングを一口飲んでから口を開いた。「部長が嫌味なのは相変わらずよ。ぜんっぜん褒めてくれないの、あのひと」
「あら」と風が目を丸くした。「私は、クレフ部長は海さんのことをたいそう買っていらっしゃるようだと伺っておりますわよ」
「え?」と私はびっくりして風を見返した。そんなことは初耳だった。
「なんでも、役席会議の際にそういったお話をされたとか」
「うそ」
「うそじゃないと思うよ」と光が真面目くさった顔でうんうんとうなずきながら言った。「広報の部長もそう言ってたもん。クレフ部長は新人のことをすごく気に入ってるらしいって」
 私はぽかんとして二人のことを見た。うそよ、という思いと、それがほんとうならこんなに嬉しいことはない、という思いとが混ざり合って、どんな顔をしたらいいのかわからなかった。
 っていうことは、なに? あのひと、私の前ではさんざん冷たいことばっかり言ってるくせに、実際は、私のことを認めてくれてるってこと?
 首をもたげて部長の姿を探したけれど、残念ながら、すぐ見えるところにはいなかった。
「ツンデレなのね、あのひと」と私は呟いた。ツンデレもツンデレ、これは新種だ。ちょっとだけ、部長に対する見方が変わりそうな気がした。

「きゃっ!」
 突然かわいい悲鳴が上がって、はっとそちらへ目を向けた。声の主は風だった。
 どうして彼女がそんな悲鳴を上げたのかは、すぐにわかった。彼女の両目を後ろから塞いでいる人がいたのだった。いわゆる「だーれだ」の構図だ。
 犯人は、私たちもよく知っている人だった。目が合うと、彼は「しーっ」と口の形を作った。そしてそっと風の目から手を取ると、いたずらに成功した子どものように笑った。
「もう、フェリオ!」
 ところが、後ろを振り返った風が放ったその言葉に、一同一瞬凍りついた。

「え?」と私は瞬いた。一度光と顔を見合わせてから、再び風を見た。「『フェリオ』?」
 フェリオさん、じゃないの。と言いかけた私は、そこでまさかの可能性に気づいた。
「風、あなた」
 私が言いかけたとき、風がさっとこちらを振り返った。その顔は、見たこともないほど真っ赤に染まっていた。彼女は私たちの方へぐっと身を寄せると、文字どおり目と鼻の先で、私と光とを交互に見た。
「お願いです。誰にも言わないでください」
 うそっ、と私は内心で大きな声を上げていた。一人取り残されているフェリオさんのことを、つい見てしまう。彼は入社式の日から一年間、私たちのインストラクターを務めてくれた人だ。まさかそのフェリオさんと、親友の一人である風が、そんなことになっていたなんて。
 にやりと口角を引き上げ、風を横目に見た。
「やるわね、風」
 すると風は、ますますゆでダコのようになって俯いた。
「なに、どういうこと?」
 一人だけ、状況を理解していない子がいた。私は彼女の肩をポンと叩き、それ以上は何も言うな、とアドバイスするつもりで、首を振った。
「後で説明してあげるわ。光」

 私はフェリオさんのことを見上げた。見上げたというより、にらみ上げた。よくも私たちの風に手を出してくれたわね。そんな意味を込めた視線を送る。その意味を彼はちゃんと感じ取ったようで、ぎくっとたじろいだ。
「フェリオ!」
 タイミングがいいのか悪いのか、そのときちょうど、彼を呼ぶ声が聞こえた。
「悪い、俺行くわ」と言って、フェリオさんは逃げるように去っていった。彼が人混みの中に消えていくのを待って、私は風の方を向いた。
「まったく」と私は言った。「いつの間にか、そんなことになってたとはね」
「すみません」と風は縮こまった。
「謝らないでいいのよ」と私は言った。「悪いことじゃないわ、全然」
「あ」とそのとき光がトーンの高い声を上げた。「もしかして風ちゃん、フェリオさんと――」
「海じゃありませんか」
 光の言葉に割り込むようにして聞こえてきた声があった。顔を上げると、そこにはこれまたよく知っている人が立っていた。
「イーグル」と私は笑顔になって言った。「お疲れさま」
「お疲れさまです」とイーグルもにっこりとほほ笑んだ。「同期ですか?」と彼は光と風とを交互に見ながら言った。
「あ、そうなの。広報部の光に、財務戦略部の風よ」
 先に二人のことをイーグルに紹介してから、私は光たちに向き直った。
「私のチューターのイーグルよ。プロ戦のナンバー2なの」
「よしてくださいよ」と言って、イーグルは苦笑した。けれどすぐに穏やかな表情になり、「光に、風ですね。はじめまして、イーグル・ビジョンと言います」と自己紹介をした。
 はじめまして、と光と風は声をそろえて答えた。

「あら」
 そのときになってようやく、私はイーグルが一人でいるのではないことに気づいた。彼の後ろに、さらに背の高い黒髪の男性が一人、立っていたのだった。
「ああ」とイーグルが、私の視線に気づいて体を避けた。「僕の同期のランティスです。普段はモスクワ支社にいるんですが、日本での仕事があって、ちょうど帰ってきていたところだったんですよ」
 ね、ランティス。とイーグルが「ランティス」という名の男性を見上げて言った。彼は無言のまま、私たち三人をそれぞれ見ると、やはり無言のまま、わかるかわからないか程度に頭を下げた。
「はじめまして」と光が言った。するとランティスさんの視線が、光に向けられてそのまま止まった。
「モスクワってすごいな。寒くないのか?」
 こういうとき、光はほんとうにすごい。年齢関係なく、人の心を簡単につかんでしまうのだから。広報に入ってから、その腕にますます磨きがかかった気がする。

「すみません」
 光がランティスさんと会話をしている様子を見つめていると、不意にイーグルが口を開いた。
「部長に呼ばれているんです。ちょっと、行ってきます」
「行ってらっしゃい」と、私は宴会場の前の方へと向かっていくイーグルを見送った。隣では風が、礼儀正しく頭を下げていた。
「素敵な方ですわね」
 風の言葉に、私は素直にうなずいた。
 ふと後ろを振り返ると、光とランティスさんがまだ話し込んでいた。ずいぶん気が合うのか、あれほど無口で無表情だったランティスさんが表情を和らげていたので、驚いた。
「なんかいい感じじゃない、あの二人」と私は風の耳元に囁いた。
「私もちょうど、同じことを考えていたところでした」

 それから少しの間を置いて、私はこれ見よがしなため息をついた。
「なんかみんな、社会人生活満喫してるって感じね」
「そんな」と風が慌てたように言ったのがおかしくて、私は苦笑した。
「いいのよ、気にしなくたって。あなたは彼氏の一人や二人、できた方がいいわ」
「ひ……一人や二人、ですか」
 そうよ、と私はうなずいた。
 そのとき、前の方から微かに盛り上がった笑い声が聞こえてきて、私たちはそちらに目を向けた。気のせいか、部長のあの薄紫色の髪を見つけたように思った。反射的に首を伸ばしたけれど、すぐに見失ってしまった。気のせいだったかもしれない。

「海さんは、どうなんですの?」
「え?」
「いらっしゃらないんですか。恋人になりそうな方は」
「いないわよ」と私は即答した。「いたら、あなたたちのことをうらやましく思ったりしないわ」
「ですが、イーグルさんとはお似合いのように見えましたわよ」
 私は笑って首を振った。
「イーグルとは、そういう感じじゃないの。人としては尊敬してるけど、恋愛したいとは思わないわ」
「では」と風はほほ笑んだ。「クレフ部長はいかがですか?」
「は?」と私は瞬いた。
 それが冗談なのか本気なのか、よくわからなかった。なんだか面映ゆい。私は取りあえず、おもねるように笑った。
「どうしてここで部長が出てくるのよ」
「海さん、いつもクレフ部長のお話をなさってますから」
「そ……それは」と私はどもった。「ほら、あのひとがいつも私のことをからかうからよ」
「ほんとうに、それだけで――あら」
 ドSな笑みを浮かべていた風が、不意に表情を変えて私から視線を外した。その視線が向かう先を追いかけるように振り返った私は、思わず「あ」と声を漏らした。会場のちょうど真ん中あたりにあるテーブルに、噂の部長の姿があった。

 彼はたくさんの人に囲まれて談笑していた。ほとんど顔を見ることがない社長や、見知らぬ外国人の姿もあった。
 私はしばらくその様子をぼんやりと見ていた。部長は特に、隣に立ったきれいな女の人とよく話しているようだった。流れるような金髪をポニーテールにしたその人は、同じ女である私の目にも、とても麗しく映った。カルディナのように色気ムンムンというわけではなく、もっと清潔な美しさを携えた人だった。
「あの方」と不意に風が口を開いた。「イギリスの本社からいらした方では?」
「えっ?」
「間違いありませんわ。胸元につけていらっしゃるバッヂが、本社のマークですもの」
 言われて目を凝らす。すると確かに、その女性の胸元にはバッヂが光っていた。イギリスにある本社の人間だけがつけることを許されている、VIPバッヂだった。
 そのバッチは、支社である日本法人の人間は、たとえ社長であってもつけられない。そういうバッヂが存在すると聞いたことはあったけれど、てっきり都市伝説の一種だとばかり思っていた。しかしどうやら、本当の話だったようだ。

「お知り合いのようですわね」
「ええ」と私はしばらくしてから答えた。風の言うとおり、部長とそのVIPバッヂをつけた女の人は、社員同士という関係だけではないように見えた。もっと親しげに、まるで家族といるときのように話している。特に部長の表情が、常とはまるで違っていた。
「ひょっとしたら、イギリスにいらっしゃったころからのお知り合いなのかもしれませんわね」
 風の言葉に、私は驚いて振り返った。え、という顔を作ると、逆に風の方が「え?」と言った。
「ご存知ありませんでした? クレフ部長、お若いころはイギリスに住んでおられたそうですよ。たしか、お母様がイギリスの方だとか」
「そう……なの」
 微かにうなずき、また部長の方を見た。彼は時折ワインを飲みながら、相変わらず、あの女の人と楽しそうに話している。

 思えば、毎日顔を合わせているのに、私は部長のことをほとんど知らない。結婚していることは知っているけれど、どういう家族構成なのかは聞いたこともない。通勤電車で乗り合わせたことがあるのだから、同じ方面に住んでいるのだろうけれど、あの日以来、彼と電車で会うことはなかった。
 私はじっと部長の斜め横顔を見つめた。わけもなく、胸がざわめいていた。




web拍手 by FC2

コメント

コメントを投稿


管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック

TB*URL

PrevEntry |  to Blog Top  | NextEntry
What's new?
ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

▶ 連作短編集を始めました。クレ海学生パラレルです。今後年中行事に合わせて不定期更新の予定です。詳しくはこちらからどうぞ。

▶ こちらは作品展示専用です。コメントへのお返事は別ブログにて行っております。
カテゴリー
最新記事
月別アーカイブ
全記事表示
Counter
プロフィール

篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

このブログは作品展示専用です。
いただいたコメントへのお返事は別ブログにて行っております。
どうぞお気軽にコメントお寄せくださいませ^^

 

Copyright ©蒼穹楼. Powered by FC2 Blog. Template by eriraha. Photo by sozai-free 2000px.