蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ラスト・リング 6. 不協和音

10万ヒット企画

そこまで考えて、え、と瞬いた。何考えてるの、私。これじゃあまるで、プレセアさんにやきもちを妬いているみたいじゃない。

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 翌週出社すると、フロアに机がひとつ増えていた。
「え?」
 その、部長の席に一番近いところに増えた机に座っている人を見て、私は目を丸くした。すると、部長と楽しげな様子で話をしていたその人が、私に気づいて顔を上げた。思わずたじろいだ。目が合ったその一瞬、彼女が私に対する敵意をむき出しにしてきたからだ。そのすぐ後、しかし彼女は表情筋をたっぷり使ってほほ笑んだ。とても艶やかな笑顔だった。
「龍咲さんね」と彼女は流暢な日本語で言った。「クレフから、話は聞いてるわ。とても優秀な新人さんだそうじゃない」
 席を立ち、彼女がこちらへ近づいてくる。ちょ、ちょっと待って、と思ったけれど、それを口に出す暇もなかった。彼女はあっという間に目の前までやってきて、片手を差し出した。
「私はプレセア。イギリス本社から来たの。しばらくこの部署で厄介になるわ。よろしくね」
「あ……はい」と寝ぼけたような声で返事をして、私は差し出された手を握り返した。「龍咲海です。よろしくお願いします」

 プレセアさんは、一目で上質とわかるスーツをまるでモデルのように着こなしていた。繋いだ手から、ふわりと柔らかい香りが漂ってくる。香水ではなく、もっと自然発生的な香りだった。たぶん、シャンプーかボディーソープの香りだと思う。
 とてもいい人そうに見えるのに、私はなぜか、プレセアさんとは仲良くなれないような気がした。握手ひとつ取っても、どこか違和感が拭えない。最初にむき出しの敵意を感じてしまったせいかもしれない。
「あれ」とそのとき、背後から声がした。「プレセアじゃありませんか」
 振り返ると、イーグルとアスコットがそろってフロアに入ってくるところだった。二人の登場に、心底ほっとした。彼らと入れ替わるようにプレセアさんのところを離れ、私は自席に鞄を置いた。
「久しぶりね、イーグル」
 彼と握手を交わしながら、プレセアさんが言った。
「はい」とイーグルは答えた。「一年前、本社でお会いして以来ですね。お元気そうで何よりです」
「ありがとう。おかげさまでね」
 握っていた手をさりげなく離すと、プレセアさんはにっこりほほ笑んだ。
 イーグルがアスコットのことを紹介し、相変わらず頬を染めたアスコットも、プレセアさんと握手する。そんな様子を、部長が自分の席から楽しそうに見つめていた。なによ、と私は思った。私といるときは、そんな顔絶対にしないくせに。

 そこまで考えて、え、と瞬いた。何考えてるの、私。これじゃあまるで、プレセアさんにやきもちを妬いているみたいじゃない。そんな、まるで部長のことが好きみたいに。
 思わず手で顔を押さえた。温度が高いのは気のせいだと思い込もうとした。部長のことが好きなんて、あり得ないわ。だいたいあのひと、結婚してるじゃない。

 部長が私の視線に気づいて顔を上げた。目が合った瞬間、私は反射的に顔を逸らしてしまった。そうしてみて、しまったなと思った。こんなあからさまな態度、変に誤解されてしまうかもしれない。勘弁してよ、と思ったけれど、かといって、いまさら部長に視線を戻すというのも不自然すぎる。
「――で、いいですよね? 海」
 突然イーグルに呼ばれて、私ははっと肩を揺らした。
「え?」
 顔を上げると、素っ頓狂な声が出た。一瞬狐に抓まれたような顔をしたイーグルが、眉尻を下げて苦笑した。
「聞いてなかったんですか? プレセアには、今日からとりあえず僕たちのチームに入ってもらうことにすると言ったんですよ」
「あ……そう、なの」と私はイーグルとプレセアさんとを交互に見ながら言った。「もちろん、私は構わないわ」
 そもそも、イーグルが決めたことに口答えできるような立場にはないし。私はプレセアさんを見て、ほほ笑んだ。
「よろしくお願いします、プレセアさん」
「プレセアでいいわ」と彼女は言った。「よろしくね、海」
 やっぱり、と私は思った。プレセアさん――じゃなくてプレセアの瞳の奥には、明らかな闘志が漲っている。そしてその矛先は、間違いなく私に向いている。
 隠そうとしているのだろうけれど、ターゲットになっている私に言わせれば、それは全然隠れていなかった。どうして彼女が私にそれほど敵対心を抱くのか、思い当たる理由は何もない。そもそも、私が彼女の存在を認識したのは先週金曜日のパーティーで、まして、こうして直接話をするのは今日が初めてなのだ。こんな短時間の接触で、そこまで相手を不快にさせることができるとしたら、それはもうある種の才能として認めてもいいと思う。

 考えてもしょうがない、と私は思考を振り払った。気のせいかもしれない。それかたとえば、生理前でたまたま機嫌が悪いだけなのかもしれない。それなら私にも経験はあるし、理解できる。だいたいプレセアは私より年も立場も上なんだし、敬う気持ちを持って接しなくちゃ。そう自分自身に言い聞かせたとき、カルディナや、ほかの部員たちも続々と出社してきた。カルディナはプレセアとは旧知の仲のようで、プレセアがしばらくプロ戦にいることになると聞くと、涙を浮かべて喜んだ。カルディナがそれだけ嬉しそうな顔をするということは、プレセアは、悪い人ではないのだろう。邂逅を喜ぶ二人の様子を、私は遠目に見守った。

***

 ところが、残念ながら気のせいでも、生理前で機嫌が悪いわけでもないということを思い知るまでには、それから三日とかからなかった。私に対するプレセアの態度には、明らかな棘があった。それはイーグルでさえ感じ取るほどで、時折向けられる彼の心配そうな視線に、私は早くから気づいていた。それでもイーグルに助けを求めようとはしなかった。そんなことをしたら、負けを認めてしまうことになる気がしたからだ。自ら勝負の土俵を降りるようなつもりは、さらさらなかった。いったいなんの勝負なのか、よくわからないけれど。

 最初は、本社からやってきた人だからということで、私も多少は気を遣っていた。彼女の出す指示は的確で、実際そこから学ぶことも多かった。でも、さすがに彼女の態度にだんだんと嫌味が滲んでくるようになると、気を遣うのはやめてしまった。いつの間にか私の方も、彼女に対して敵対心を抱くようになっていた。プレセアの態度は、それまでの部長の嫌味なんか鼻で笑ってやり過ごせるほど、きつかった。


「もう、何なのよいったい! 私が何をしたっていうの?」
 缶コーヒーのプルを引いて、私は叫ぶように言った。プレセアは今外出中だから、存分に言うことができた。
「まあまあ」
 私の向かい側で同じようにコーヒーを手にしているイーグルが、宥めるように言った。
「そんなにカリカリすると、体に悪いですよ」
 はあ、と思わずため息をついた。パッケージで選んだ缶コーヒーは、ねっとりと厭に甘かった。こんなの売れないわよ、とそばにある自販機をにらんだ。俺が選んでるわけじゃねえ、と自販機が鳴った。それもそうね、とまたため息をついた。
 イーグルは、人の気持ちを落ち着けることがほんとうにうまいと思う。彼の、常に変わらない柔らかい態度に接していると、どれほど昂っていても気持ちがすっと凪いでいく。男性にしては珍しい、完全なる癒し系だ。
「彼女と接してる方が体に悪いわよ」
 けれどそんなイーグルを前にしても、プレセアに関する愚痴は減ることがなかった。
「私、あの人の気に障るようなこと、何かした?」

 たまりかねて声を掛けてきたのはイーグルの方だった。プレセアが外交のためにオフィスを出ると、彼は真っすぐに私のところへやってきて、コーヒーでも飲まないかと誘った。その視線だけで、イーグルが何の目的で私を誘ったのか、すぐにわかった。だからこそ、溜まっていたものを開口一番吐き出すことができた。
 うーん、とイーグルは唸った。
「僕も正直、お手上げなんです。どうしてプレセアがあなたに対してあれほど強く当たるのか、皆目見当がつかなくて」
 イーグルに「見当がつかない」と言われると、もう解決する方法は何もないように感じた。私は今日何度目か知れないため息をついた。
「彼女とは初対面なんですよね」とイーグルが確かめるように言った。
「当たり前じゃない」と私はきっぱり言った。「彼女、先週までずっとイギリスにいたんでしょう? イギリスに一度も行ったことのない私が、会ったことあるわけないわ」
「そうですよね」
 自嘲気味に笑って、イーグルは自分の缶コーヒーを飲んだ。それを目で追いながら、プレセアの顔を思い浮かべる。今日も朝から彼女に絡まれた。明日に予定されているプレゼンの資料に誤字があると言ってきたのだ。そのときの剣幕といったら、アスコットが震え上がるほどだった。
 剣幕といっても、べつに大きな声で怒鳴ったりするわけではない。ただ、言葉の選び方が辛辣過ぎるのだ。説得力のある言い方をするから、彼女の言葉はいちいちぐさりと突き刺さった。そのたびに、私は彼女に対する反感を強めるのだった。

 口を開けばため息しか出ない。部長に対する態度との違いがあからさま過ぎて呆れる。部長を前にしたときのプレセアは、もう別人じゃないかと思うほどに乙女ムード全開になる。もちろん、仕事上のパートナーとして分別はわきまえているようだけれど、その瞳に宿る色がまるっきり変わることに、私は最初から気づいていた。
 そしてそれは、部長にも言えることだった。部長の私に対する態度とプレセアに対する態度との間には、雲泥と言っていいほどの差がある。部長はさすがに、プレセアのように目の色を変えるということはないけれど、プレセアを見るときはとても優しい顔をした。優しくて切ない顔をした。
 はっきり言って面白くなかった。全然面白くなかった。そいうことはよそでやって、と何度も言いそうになるほどだった。いくらイギリスに住んでいたときからの知り合いだからって、不公平すぎる。仕事に私情を持ち込んではいけないなんて、社会人としての常識じゃない。

「悪い人ではないんですよ」
 イーグルの声でわれに返る。彼はおもねるような笑みを浮かべていた。私は黙ってコーヒーを飲んだ。無理して飲まなければならないほどで、そのコーヒーは、お世辞にもおいしいと言えたものではなかった。
「本社では、次代のわが社を担っていく人材として、一目置かれています。人望も厚く、仕事もできる。だからこそ、あなたに対する態度は、プレセアらしくないんですよね」
 努めて客観的に考えようとすれば、イーグルの言うことにはうなずけた。プレセアはおそらく、仕事に対する情熱が強い。今回日本へやってきたのも、日本でずば抜けた成果を上げているクレフ部長の仕事ぶりを見るためらしい。本社にもプロ戦のような部署を作ろうと考えていて、その部長にプレセアが推されているから、クレフ部長のやり方を参考にするためにやってきたのだという。

「もう!」と私は憤慨して言った。「部長の次はプレセアでしょ。おかげさまで、私の精神はタフになる一方よ」
「そうですね」とイーグルは笑いながらうなずいた。「あなたはよく頑張っていますよ」
 私は首を竦めた。空き缶をゴミ箱に放り投げ、寄り掛かっていた壁から体を起こした。
「頑張るしかないわよ。あの人に認めてもらうためにも。もちろん、部長にもね」
「僕が全力でサポートしますよ」とイーグルは言ってくれた。ありがとうとうなずきかけて、はたと思い直した。イーグルの方が先輩なのに、私が彼にサポートしてもらうなんて、何かおかしくないだろうか。そう言うと、イーグルはははっと声に出して笑った。「気にするな」という意味らしかった。
 それからは、他愛もない話をしながらオフィスへ戻った。イーグルと話したことで、気持ちがずいぶんと楽になっていた。

***

 その日、プレセアは帰社する予定時刻になってもオフィスに戻ってこなかった。気にはなったけれど、彼女の不在は皮肉にも、私の仕事をはかどらせた。今日予定していた分は4時には片付き、うーん、と机で伸びをした。今日は早く帰れそうだ。
 四六時中仕事にかかずらってばかりもいられない。息抜きにと思って、最上階の展望室へと足を運んだ。その展望室が、私は密かに気に入っていた。東京の景色を一望できるし、屋内なのでもちろん涼しい。早くも梅雨の気配を漂わせ始めているこの時期には、足しげく通いたいところだった。

 コーヒーを手に、エレベーターで上に上がる。昼間に飲んだ缶コーヒーがあまりにもおいしくなかったので、口直しに、今度はちゃんとカフェでカップ入りのものを買った。漂ってくる香りからして、当たり前だけど全然違う。いいコーヒーブレイクになりそうだと思いながら、展望室の扉を開けた。ところが、一歩中へ入ったところで私は硬直してしまった。思いもかけない人が、私がいつも座っているベンチに腰を下ろしていたのだった。
「あら」と彼女は私を見て言った。私は瞠目して、その場で硬直した。そこにいたのは、プレセアだった。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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