蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

三年目の浮気 3

海誕企画★2013

これほどの嫉妬を覚えるのも、心底クレフに惚れていることの何よりの証なのだ。たとえ彼が誰と関係を持とうとも、私はクレフから離れることなんてできない。

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 ぽつりと頬に冷たいものが落ちたのを感じて、うっすらと目を開けた。ぼやけているのが私自身の視界なのかそれとも景色それ自体なのか、いまいち焦点を合わせることができない。何度かぎこちない瞬きを繰り返すと、今度は額がひんやりとした。その衝撃で、ようやくしっかりと目を開けることができた。同時に、ぼやけていたのは私の視界の方だったと知った。

 重力に逆らうようなぎこちなさで、首を動かす。何が起きたのか、ここがどこなのかすぐにはわからない。周りは見渡す限り、茶色い土の地面が広がっていた。地面を照らす光がないので、どうやら日が落ちてしまったらしいことはわかる。そっと手を動かすと、爪の間に土が入り込んでくる。あまりの気持ち悪さにやけくそになり、思いっきり土を握りしめた。
 なんとか上半身を起こす。特にどこも痛まなかったけれど、無傷なわけではなかった。むしろ全身切り傷だらけだった。傷が多すぎるせいで痛みに対する感覚が鈍くなっているだけのことのようだ。実際、掌にできた傷が木の枝と擦れると、鋭い痛みが走った。
「……っ」
 思わず顔を顰め、首をもたげた。目の前には高い崖が聳えている。それを見て、ようやく思い出した。森を歩いていて、あの崖の天辺で足を踏み外し、ここまで転げ落ちたのだ。

 改めて目を凝らす。20メートルほどの高さの崖は、ここからは90度に限りなく近いように見えるほどの急勾配だった。あんなところから落ちて、よく死ななかったものだ。打ち所が悪ければ、今ころ息絶えていてもおかしくなかっただろう。そう考えると、ぞくりと背筋が寒くなった。
 傷こそ負っているものの、命が助かったのは奇跡と言ってもいいかもしれない。山肌が柔らかい土だったことに加え、落ちた場所に枯葉が山のように積まれていたことも幸運だった。枯葉がクッションになって体を守ってくれたのだろう。

 そうは言っても、ずいぶんと長い時間気を失っていたことには変わりない。森を歩いていたときは確かに木漏れ日を感じていたから、どんなに遅く見積もっても当時はまだ昼下がりだったはずだ。それなのに、今辺りはとっぷりと闇に沈んでいる。遠くに目を向ければ辛うじて、赤紫色に染まった空が山の端に見えるけれど、空の中で色づいているのはその部分だけで、あとはほとんど漆黒だった。
「早く帰らなくちゃ」
 呟いた声はひどくしゃがれていた。喉が引っ付くように渇いている。そういえば、城から森まで全力疾走したのだった。わずか数時間前のことなのになんだかはるか昔のことのように思えて、苦笑いした。とにかく、ここから出なければ。これ以上遅くなって、帰り道がわからなくなってしまっては困る。

「――っ!」
 ところが、立ち上がろうとした途端、右足に激痛が走った。
 その場にしゃがみ込んで右足首を押さえ、悲鳴を飲み込む。やっと痛みが引いてきたころ、そっと手を取ると、そこには真っ赤に腫れ上がったたんこぶができていた。フラットサンダルのストラップが、たんこぶを支えられずにずり落ちている。たんこぶはまるで、そこだけが別の生き物のであるかのようにどくどくと脈打っていた。そうして脈打つたびに、じんじんと痛みが広がる。最悪折れているだろうなとは、素人目にも判断できた。運よく打撲程度で済んでいるとしても、このままではとても歩けそうにはなかった。
「最悪……」
 ほとんどため息ばかりに言った。ここで助けが来るのを待つしかないのだろうか。そう思ったとき、膨らんだ足首に水が落ちてきた。
 はっとして顔を上げた。そうして、目を覚ましたときのことを思い出す。そういえばあのときも、頬と額に冷たいものが落ちてきたことがきっかけで目を覚ましたのだ。そうでなければいいと願いながら、空に星がひとつも瞬いていないのを見てしまえば、絶望を禁じ得ない。案の定、目に見えるほど大粒の雨が少しずつ、確実に落ちてきたのだった。

 瞬く間に雨脚は強くなり、服がぐっしょりと濡れるほどになる。慌てて雨宿りができるところを探すも、生憎今いるところからは、雨がしのげるよような建物は一つも見当たらない。やはりできたばかりの森なのだろう。せめてもの慰めにと、そばに生えている一本の木に焦点を定めた。這うようにして、ぬかるみ始めた地面を進む。ようやく木の下にたどり着くころには髪から雨が滴り落ちるほどになっていたけれど、それでも木があるとだいぶ雨に濡れる範囲が狭くなるのは本当だった。

 われ知らず身震いをした。雨が降ってきたせいで、気温が一気に何度も下がったような気がする。体が濡れてしまったため、強い寒気が全身を駆け抜ける。火も明かりもなく、心細さだけがどんどん増していく。助けを呼ぼうにも、この足では動くことさえままならない。おまけに声はしゃがれていて、満足な叫び声さえ上げられそうにない。魔法で居場所を知らせようにも、残念ながらそんな魔法は知らなかった。そもそも、私が使える魔法は水の魔法だ。この雨の中、水の魔法が目立つとはとても思えない。

 動かせる左ひざをぎゅっと寄せ、そこに顔を埋めた。自分がどうしようもない愚か者に思えて仕方がなかった。一人で勝手に嫉妬して、一人で勝手にこんなところへ来て、一人で勝手に心細くなって。こんな身勝手な話、クレフが聞いたらきっと呆れるだろう。
「クレフ……」
 名前を呼ぶと、目尻にじわっと涙が滲んだ。これほどの嫉妬を覚えるのも、心底クレフに惚れていることの何よりの証なのだ。たとえ彼が誰と関係を持とうとも、私はクレフから離れることなんてできない。たとえ私が嫌われても、私は彼を嫌いになんてなれない。
 三年も経って、いまさらこんなことに気づくなんて。
 涙が次から次へとあふれてくる。憚るような人目もなく、肩を震わせて泣いた。頬を伝うものが雨なのか涙なのか、もはやわからなくなっていた。

「……ごめんなさい」
 そう言ったとき、突如ざくっと地面を踏む音がした。
「クレフ?」
 顔を上げると、否応なしにその名前が口からこぼれた。暗闇の中で、何かがキラリと光った。じっとそちらに目を凝らす。闇と雨のせいでよく見えないが、それは青白い光を放っているように見えた。やがてその光は、足音と共にこちらへ近づいてきた。それがクレフでないと気づくのに、そう長い時間はかからなかった。彼ならば、そんな風に無言で近づいてくるわけがない。
 まさか、魔物か。背中を冷や汗が伝ったとき、私の目ははっきりと、純白の鬣を光らせているペガサスの姿を捉えた。
 言葉もなく、じっとそのペガサスを見つめた。ペガサスはその姿が確認できるほどの距離までやってきて立ち止まり、真っ青な瞳で私を見据えた。その瞳に見つめられると、まるで金縛りにあったように動けなくなった。いつの間にかあの世へやってきてしまったのだろうかと疑うほど、そのペガサスの姿は神聖だった。

 そうして、ただ雨の降り続く音だけが響く時間が流れた後、ペガサスが一度瞬きをした。その瞬間、凝り固まっていた全身の力が抜けていくのを感じた。どう見ても、このペガサスは魔物ではない。悪いんだけど、その背中に乗せてセフィーロ城まで連れていってくれないかしら。そう言おうとして身を乗り出した私に対して、けれどペガサスは無情にも、見捨てるように背を向けてしまった。
「あ、待って……」
 掠れ声ではそれを言うだけで精いっぱいだった。声が届いていないのか、ペガサスは歩みを止めず離れていく。その足取りは心なしか、こちらへ向かってきていたときのものよりも速い気がした。そしてあっという間に、ペガサスは闇の中へと姿を消してしまった。ペガサスがいなくなった空間は、一層雨音が強くなったように思った。

 「孤独」というものをこれほど強く感じたことはない。そう思った。俯けば、目に映るのは泥にまみれた自分自身の手だけだった。
 あのペガサスは、この世の存在でないとすれば、死の国へといざなう精霊だったのかもしれない。愛する人を信用することもできない者は死をもって償えとの、神様からの思し召しなのかもしれない。すっかり意気消沈していた私は、本気でそんなことを考えた。だからこそ、強い風が正面から吹き付けてきても、なんとも思わなかった。

「ウミ!」
 ほら、クレフの声の幻まで聞こえてくる。目の次は耳がおかしくなったんだわ。
 そう考えかけた私は、けれどそのときになってようやく、それまでこの場には存在していなかった『気配』が近づいてきていることに気づいた。吹き付けてくる風は、自然に発生したものではない。中途半端に口を開けたまま顔を上げると、先ほどのペガサスが、今度は足音を立てずに地面すれすれのところを舞うようにしてこちらへ向かってきているのが見えた。それはさながら鳥のように速かった。ペガサスは今度は単体ではなかった。その背に誰かを乗せている。そのひとのローブが風にはためいているのが見える。輝くサークレットが見えてもそれがクレフだと信じることができなかったのは、いつもは必ず携えているはずの杖を手にしていなかったからだ。

「ウミ、だいじょうぶか」
 けれど聞こえてくる声は、やはりクレフのそれに他ならない。彼は私の目の前までやってきて、軽やかにペガサスから降りた。クレフがその背を撫でると、ペガサスは瞬く間にあの見慣れた杖へと姿を変貌させた。杖を手に、クレフがこちらへ駆けてくる。そばでしゃがんだ彼は私の肩を、存在を確かめるようにゆっくりとさすった。
「どこか怪我は……」
 そう言って、クレフが私の全身を見回す。無数の切り傷を見て、彼は眉間に皺を寄せた。そして右足首のたんこぶを見止めたとき、クレフはあからさまに不機嫌そうに顔を歪めた。
 何も言えずにいる私の、その右足首にクレフがそっと手を翳す。私には聞こえないほどの音量で彼が何かを呟くと、一瞬足首から全身に熱が伝わった。その直後、クレフはさっと手を払った。するとあれほど強かった痛みはすっかり消え、真っ赤に腫れ上がっていたたんこぶも全身の切り傷も、すべて跡形もなく消えていた。

「あ……ありがとう」
 せめてお礼を言うことができてよかったと思った。そんな私を見て、クレフは呆れたように眉尻を下げた。
「あまり心配をかけてくれるな」
 言うが早いか、クレフはそっと私を抱き寄せた。背に腕を回され、頭を撫でられると、込み上げてくるものを抑えることができなくなった。ずっと心の中に閉じ込めていた恐怖感が、一気に爆発した。
「ごめんなさい、クレフ。疑ったりして、ごめ、なさ……」
 しゃがれてこそいなかったものの、涙混じりで言葉にならない声になる。
「いいんだ、ウミ」とクレフは言った。「非は私にある。おまえがここまで思いつめるとは、考えもしなかったのだ。許してくれ」
「ううん、私……本当に、ごめんなさい……」
 ぎゅっとクレフが抱きしめてくれる。彼の温もりは、体だけではなく、心の奥深くにまで沁みた。

 やがてクレフはゆっくりと私を解放した。真っ青な双眸は、闇の中でもはっきりと輝いていた。その双眸を細め、クレフは私の頬を伝う涙を指で拭った。
「城ですべて話そう。それでいいな?」
 無言のまま、私は素直にこくりとうなずいた。安心したようにほほ笑んだクレフに支えられ、ゆっくりと立ち上がった。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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