蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ラスト・リング 7. ガラス越しの黄昏

10万ヒット企画

今すぐにでも叫び出すことができそうなくらい、恥ずかしかった。プレセアから視線を外す。ほんとうだったんだ、あの話は。

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 なぜだろう、と私は考え続けていた。なぜこんなことになってしまったんだろう。どうして私は、プレセアの隣に座っているんだろう。普通だったら、こんなことが起こるはずはないのに。けれどその、「普通だったら起こるはずのないこと」が今、現実というプレートを掲げて私の前に立っている。
 懸命に空を見上げ、雲を追いかけるふりをした。もちろん実際には、雲がどんな形をしているのかさえ、判別することができていない。ただ、何かしているふりをしなければならなかった。この沈黙は、何もせずにやり過ごすには重すぎた。

「座ったら?」
 まさかそんなことを言われるとは思っていなかったので、度肝を抜かれたというのはもちろんある。でも、だからといってあの一言に素直に応じる必要なんてなかったんじゃないか。今になって後悔していた。さりとていまさらここを離れるのは、それこそ分が悪すぎる。気のせいか、最近こういうプチ修羅場のような場面に出くわすことが、なんとなく多い。口に出してから後悔したり、行動してから後悔したり。いったいどうしたのかしら。そんなことを考えていると、プレセアが不意に大きなため息をついた。
「難しいわね、人生って」
「……は?」
 彼女の放った一言があまりにも突拍子なくて、私はまじまじとプレセアの横顔を見つめながら、とぼけた声を出した。「難しいわね、人生って」? 突然何を言い出すの、この人。

 目の前にいるプレセアは、私の知っているいつものプレセアではないように見えた。まるで気の抜けたコーラのように、覇気という覇気を削ぎ落している。炭酸が抜けたらコーラはコーラでなくなってしまうように、今のプレセアは、「プレセア」であることを放棄しているように見えた。
 これまでは一度も、誰に対しても見せていなかった表情を、彼女は今、私に見せている。もともと勝気な性格であるように振る舞いながら、ひょっとしたらずっと張り詰めていたのだろうか。けれどその張り詰めた糸をつい緩めてしまうほど、彼女は今、いったい何に疲れているというのだろう。まさか、「人生」に?
 そんなことを考えていた私を、顔を上げたプレセアが見返した。
「そう思わない?」と彼女は言った。
「え?」
「だから」とプレセアは、ちょっとだけ面倒くさそうな表情(かお)をして言った。「人生よ。難しいと思わない?」
「ああ」と一度うなずいてから、私は慌てて首を振った。「あ、いえ」
「どっちなのよ」
「そうですね……」
 私は答えに窮した。プレセアに真っすぐ見つめられて、内心動揺した。まるで進路指導室にいるようだ。そう思って、はたと気づいた。プレセアは、どこか学校の先生のような雰囲気を持っている。

「よくわからないです」
 悩んだ末、結局私はそう答えた。間抜けな答えだと自分でも思ったけれど、それが真実なのだから仕方がない。嘘をつくような場面ではなかったし、プレセアも、嘘をついてまで彼女の考えに同意したり、あまつさえ否定したりすることは望まないだろうと思った。実際彼女は、「そう」とだけ言って、私から視線を外した。
「私は、すごく難しいと思うわ。望んだとおりにならないことが多すぎて」
「そうですか?」と私は首を傾げた。「私から見たら、あなたは望んだものをすべて手に入れているように見えますけど。うやらましいです」
 するとプレセアは、ただでさえ大きな目をますます大きく見開いた。でもそんな彼女よりもきっと私自身の方が驚いていた。口からするりとこぼれた言葉は、私自身、思ってもみなかったことだった。けれどその一方で、不思議と腑に落ちる言葉でもあった。才色兼備なプレセアのことが、私は確かにうらやましい。壁を作っていたのは、ひょっとしたら私の方だったのかもしれない。

「そんなにすごくないわよ、私」と言って、プレセアはほろ苦く笑った。「買いかぶらないで。仕事しか生きがいがなくて、ただ目の前にあるものにしがみついているだけの女よ」
「そんなことないわ」と海は思わず言った。「あなたはすてきよ。仕事に対する姿勢が、プロだなって思うわ。うちの部長と同じように」
 ずっと敬語を使っていたのに突然なれなれしい口調になったことに気づいていたけれど、プレセアがまったく気にするそぶりを見せないので、言い流した。

 それからしばらく、二人の間には沈黙が鎮座した。今度は空を見上げる必要は特になかった。先に流れたそれよりも軽い沈黙だったからだ。すっかりぬるくなってしまったコーヒーを、一口飲む。プレセアがここにいることを知っていたら、二つ買ってきたのに。
「ほんとうはね」と不意にプレセアが口を開いた。「先週のパーティーにだけ参加して、本社に戻る予定だったのよ」
「え」と私は彼女を見た。「そうだったの?」
 ええ、とプレセアはうなずいた。
「でも、あのパーティーで久しぶりにクレフに会って、いろいろ話しているうちに、なんだか悔しくなっちゃったの」
 そう言って、プレセアは私を見返した。
「あなたのことばかり話すのよ、あのひと」
「え?」
「すごく仕事熱心な新人が入ってきたって言うの。驚いたわ。あのひとが他人のことをとやかく言うなんて、めったにないことなのよ。それが、あなたのことだけは別だったの。聞いてもいないのに、次から次へとあなたのことを話すの。もちろん褒めてばかりいるわけではなかったけれど、とにかく楽しそうに話すのよ。それを聞いていたら、なんだか無性に悔しくなっちゃって。それで、本社には無理を言って、しばらくこっちに残ることにしたの。久しぶりにクレフと仕事もしたかったし、何より、あなたがどういう人なのか知りたかったから」

 今すぐにでも叫び出すことができそうなくらい、恥ずかしかった。プレセアから視線を外す。ほんとうだったんだ、あの話は。先週のパーティーで、光と風が言っていたことを思い出した。二人もあのとき、同じようなことを言っていた。「クレフ部長は、海さんのことを大層買っていらっしゃるようですわよ」。
 二人とも、冗談やからかいで言っているような雰囲気ではなかった。それでも私は半信半疑だった。半信半疑どころか、八割方信じていなかった。あの部長が私を褒めるなんて、そんなことあり得ないと。
「信じてなかったのよ、私」
 プレセアが、まるで私の心を代弁するかのように言った。
「冗談か何かでそんなことを言ってるんだと思ってたの。でも、この三日間あなたと仕事をしてみて、よくわかったわ。彼が褒めるのもうなずける。あなた、センスがあるもの」
「そんな」と私は慌ててかぶりを振った。
「ほんとうよ。もっと自信持ちなさい。それとも、私が嘘をつくような人間に見える?」
「いいえ、見えないわ」
 私はほとんど即答した。するとプレセアが吹き出した。
「正直なのね」
 物理的にではなく精神的に、プレセアとの間の距離が縮まったように感じた。そしてそうなったことで気づいた。いや、とっくに気づいてはいたけれどいよいよ目を向けざるを得なくなった、と言うべきかもしれない。プレセアはきっと、部長のことが好きなのだ。

 この際素直になってしまえば、はっきり言って複雑だった。心に靄が掛かっているような感じがする。その複雑な想いは、目を逸らそうとしても常に視界の隅にちらちらと現れて、一向に忘れさせてくれない。とても鬱陶しかったけれど、無視できない気持ちだった。私はプレセアに、厚かましくも同情していた。
 部長は結婚している。そのことをプレセアが知らないはずはなかった。彼女の膝に置かれた左手に、徐に目を落とす。そこに指輪はない。一方右手には、二つの指輪が輝いていた。中指と小指に。だから余計、左手が淋しく見えた。そこに指輪が来ることを、今か今かと待ちわびているようだった。
 人生って、難しい。そう言ったプレセアの気持ちが、今なら少しだけわかる。永遠の愛を誓い合った相手がいる人にしてしまう恋ほど、辛いことはないだろう。彼女は今、その渦中にある。たぶん、ずっとずっと前から。

「でも、日本に残ることに決めたのはよかったわ」とプレセアは吹っ切るように言った。「ずっと厭な国だと思ってたけど、意外といいところね」
 そういえば、と私はそのとき思った。
「ずっと聞こうと思っていたんですけど」と私は話し出したのだけれど、
「やだ、やめてよ」とプレセアに遮られたので、続きを言えなくなってしまった。きょとんと首を傾げると、プレセアは苦笑した。そして、「いまさら敬語なんて」と言った。
「あ」
 確かに、と面映ゆくなる。ついさっきは友達に対するような口を利いていたのに、また先輩後輩の関係に、無意識のうちに戻ろうとしている。
 本来ならば、敬語で話すのが適当だ。でも、今の私たちの間では、それは邪魔な気がした。

「ずっと聞こうと思ってたんだけど」と私は改めて言った。「どうしてそんなに日本語が上手なの?」
「あら、言ってなかった?」とプレセアは意外そうに言った。「私の母が日本人なのよ。母が日本人で、父がイギリス人。だから、暮らしていたのはずっとイギリスだけど、家では日本語で喋ることが多かったの」
 初耳だった。けれどプレセアの、その日本人離れしたプロポーションとルックスを見ていれば、否応なしにうなずける。そういう意味で、私は首を縦に振った。
「そうだったのね」
「おたくの部長だって同じよ」
「え?」
 思いがけないプレセアの台詞に、私は目を丸くした。
「まあでも、あのひとの場合は、日本人なのはお父様の方だけど」とプレセアは続けた。
 そういう意味か、と私は心の中でほっと息をついた。ではどういう意味だと思ったのか、自分のことなのにわからない。わからない方がいい気さえした。私の知らない私が、心の中に潜んでいるように感じた。

 純粋な外国人よりもハーフの人の方が綺麗に見えることは多い。部長も例に違わなかった。あれほどのルックスなのだから、イギリスに残って俳優でもやったらよかったのに。
「というわけで」とプレセアは私の方に体を向けて言った。「あなたのことは、同僚として、クレフの部下として認めるわ。でも、私はもうしばらくここに残るから、そのつもりでね」
「わかったわ」と私は姿勢を正してうなずいた。これからはもう、彼女が私に対して辛く当たることはなくなるだろう。これで仕事に集中できると思うと嬉しかったけれど、少しだけ淋しくもあった。ようやく彼女の辛辣さに慣れてきたところだった。

「それに」と立ち上がりながらプレセアは言った。「クレフのことも、心配だしね」
「え?」
「放っておけないのよ、昔から」と彼女は苦笑した。「危なっかしくて」
 つい最近知り合った人に対するような口調ではなかった。それにしても「危なっかしい」とは、お世辞にもうなずける言葉ではなかった。部長は、「危なっかしい」その対極にいる人のような気がする。少なくとも私に言わせれば、そうだ。
 けれど、昔から部長を知っているプレセアにとってはそうではないのかもしれない。両親の片方が日本人という共通点があった二人だ、わかり合えることも多いのだろう。

「よくわかるのね、部長のこと」と私は言った。言葉じりに明らかな妬心が滲んだことには、気づかないふりをした。
「そうね」とプレセアは肩を竦めた。「小さいころから一緒だったから。まるで兄妹のように育ったの。共通点も多いし、いろいろな意味で、赤の他人じゃないわね」
 返す言葉が思いつかず、おもねるように笑うしかなかった。やがてプレセアは吹っ切るように立ち上がり、言った。
「仕事に戻るわ。ありがとう、話し相手になってくれて」
「とんでもないわ、こちらこそ」と私も慌てて立ち上がった。プレセアは、ひらひらと手を振ってさっさと歩いていってしまった。後姿に迷いはない。いつものプレセアに戻っていた。その後姿を、見えなくなるまで見送った。背中を照らす夕陽が、ガラスを通しているというのに、夏の始まりを告げるように熱かった。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

▶ 連作短編集を始めました。クレ海学生パラレルです。今後年中行事に合わせて不定期更新の予定です。詳しくはこちらからどうぞ。

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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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