蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ラスト・リング 8. 「ル・プレリュー」二号店

10万ヒット企画

胸が熱くなった。そっか、私、一班の一員なんだ。いまさらのようにそう思った。

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 平年より十日も遅れて関東地方の入梅が発表された六月下旬、いつもどおり朝のミーティングをしていると、部長の席の電話が鳴った。
「誰だ、こんな時間に」
 部長は電話を見下ろして顔を顰めた。彼を囲んでいた部員の気配もさっと強張る。この時間にかかってくる電話が吉報だった試しはない。進んでいるプロジェクトでミスがあったか、結果待ちのコンペが他社に決まったか、大方そんなところだ。
「はい、プロ戦」と部長が電話を取った。皆が固唾を呑んで見守る。はい、はい、と淡々として何度か受け答えを繰り返していた部長だったが、あるとき突然、「え?」と目を見開いた。私は思わずアスコットと顔を見合わせた。

「……わかりました」
 しばらくして、部長は静かに受話器を置いた。待っていた私たちを見て彼が放った言葉は、しかし誰も想像していなかったことだった。
「誰か、ドアを開けてくれ」
「え?」と複数の人が言った。
「いいから早く」と部長は言った。「社長がお見えだ」
 私は今度は、アスコットとは逆隣にいたカルディナと顔を見合わせた。どうして社長がこんな時間に? 私たちは互いの顔にそう書いてあることを確認し合った。
 アスコットが、さっと扉の方へ向かう。彼が扉を開けてしばらくすると、部長の言ったとおり、社長が姿を現した。
「よくやったな、クレフ」
 入ってくるなり、社長は興奮気味に言った。ほかの人には目もくれず、真っすぐ部長のところへ向かう。訝しげに眉根を寄せている部長の肩をぱしぱしと叩くと、社長は満面の笑みを浮かべた。
「龍王堂の桜塚さんが、例の案件、おまえのチームと組んでやる方向で検討したいと言ってきた」

 そのときほど驚いた顔をした部長を、私は過去には一度も見たことがなかった。ただでさえ大きな目をぐっと開いて言葉を失っていた彼は、けれど一瞬で表情に色を取り戻し、はっとイーグルを見た。つられて私もイーグルに目を向ける。彼は怯えているようにさえ見えるほど、部長以上に驚いていた。
「本当ですか」とイーグルは声を震わせた。「本当に、うちがあの案件を?」
「おいおい、エイプリルフールはとっくに過ぎただろ?」と社長は笑った。「まあ、結婚でたとえたら婚約段階だからな、不貞を働けば、婚約破棄の可能性もある。だが、もううちに決まったも同然だろう。おまえらの努力が実ったんだ。あの案件はでかいぞ。会社全体で丸一年かけて上げるだけの収益を、あの案件だけで上げられる」
 一気に皆がざわめいた。強張っていた気配はどこへやら、まるで盆と正月がいっぺんに来たような活気に沸いた。

「やった!」とカルディナが叫んだ。「ほんなら、今夜は宴会やな」
「気が早いわよ、カルディナ」とプレセアは苦笑したが、「でも」と部長に向き直り、笑った。「おめでとう。さすがね、クレフ」
 部長はしかし、プレセアの言葉にはかぶりを振った。いつの間にか彼はポーカーフェイスを取り戻していて、先ほどあんなに驚いているように見えたのは目の錯覚だったのではないかと思うほどだった。
「喜ぶのはまだ早い」と部長は言った。「いいプロモーションを提案しなければ、他社に持っていかれる可能性もある」
 すると社長ががははと大口を開けて笑った。
「相変わらず硬いな、おまえは」と言って、社長は部長の肩をまた叩いた。「たまにはここの力も抜けよ。いい仕事、期待してるぞ」
 部長の机の上に薄い資料を置いて、社長は去っていった。まるで嵐のような人だと思った。

「やりましたね、部長」
 イーグルの声で、私は視線を扉から部長へと戻した。彼は社長が置いていった資料をぱらぱらとめくっていた。いったい何のプロジェクトだろう。ちらりと表紙を覗く。そして思わず「あっ」と声を上げた。
「もしかして」と私はイーグルを見上げて言った。「それ、『ル・プレリュー』の二号店じゃない?」
「よくご存知ですね」
 イーグルは笑ってうなずいた。そして部長が差し出した資料を受け取り、自分が見るより先に私に渡してくれた。
「龍王堂が展開している銀座の老舗レストラン、『ル・プレリュー』が、二号店を出す。これは前々から発表されていたことですが、いよいよプロジェクトが始動するようです。この二号店は、桜塚さんが一世一代のプロジェクトだと意気込んでいた案件なんですよ。プロデュースを担当する代理店は、選定の段階からコンペにかけられました。コンペからもうしばらく時間が経っていたので、だめだったんだろうと、諦めていたんですが……」
 一度言葉を区切り、イーグルは目を細めてにっこりと笑った。
「高嶺の花だと思っていた女性から、逆プロポーズをされたような気分です」

 ル・プレリュー。知る人ぞ知るフレンチレストランで、ミシュランガイドが東京での展開を始めてから五年連続で三ツ星を獲得している、フレンチとしては唯一のレストランだった。予約が取れないことでも有名で、私が大学生のときは、「プロポーズされたいレストランNo.1」という専らの評判だった。
「すごいわ」と私は興奮を隠せずに言った。「まさかうちが、あの『ル・プレリュー』二号店のプロモーションを担当するなんて」
 今ならば、どうして社長があれほど喜んでいたのかよくわかる。彼が置いていった資料は、「『ル・プレリュー二号店(店名未定)』 プロモーション計画書」だった。社長とイーグルの名前が、下の方に小さく印字してある。二人が結託して書いた計画書なのだろう。右に出るものはいない二人が力を合わせたプロジェクトだ、支持されないはずはなかった。

「どうするの、クレフ」とプレセアが口を開いた。「この規模からして、ほかの案件と重複しながらやるのは、難しいんじゃないかしら」
 うん、と部長は腕を組んで考え込んだ。その間に、私はもう一度資料をめくって最後のページを開いた。プロモーションの予算と規模が書かれていたが、それを見て、思わず「えっ」と小さく飛び上がってしまった。これまで私が携わってきた案件とはけた違いだった。確かに、この案件に取り組み始めたら、ほかの案件にかかずらってはいられなくなるだろう。

「『ル・プレリュー』は一班に任せる」
 それほど時間が経たないうちに、部長は組んでいた腕を解いて言った。
「この案件に全力で取り組んでほしい。今一班が抱えている案件は、三班が引き継いでくれ。カルディナ、負担をかけて申し訳ないが、引き受けてくれるか」
「しょうがないなあ」とカルディナは肩を大袈裟に上下させながら言った。「その代わり、成功したらビアガーデンやで」
 どっと輪が盛り上がった。
「わかった、わかった」と部長は言った。彼は珍しく楽しそうな顔をしていた。「では、早速だ。一班は会議室へ」
 はい、とイーグルが答えた。部長に続いて会議室へと向かっていく。いいなあ、と私はその後姿を見ながら目を細めた。私もいつか、あんな大きなプロジェクトに関わることができるようになるのかしら。

 そのまま、イーグルと部長が会議室へと吸い込まれていくのを見送ろうとしていると、部長がやにわにこちらを振り返った。突然目が合ってどきりとした。
「何をしている」と部長は私を見て低く言った。「会議室へ、と言っただろう。聞いていなかったのか」
「えっ?」と声が裏返る。思わず自分自身を指差した。「私?」
 部長は一瞬、虚を突かれたような顔をした。それから盛大なため息をついて肩を落とし、かぶりを振った。
「何を言っている。おまえは一班の一員だろう」
「で、でも」と私は身を乗り出した。「そんなに大きなプロジェクトに、新人の私なんかが参加していいんですか?」
「いいもなにも、私は一班に任せると言ったんだ。いいから早く来い」
 胸が熱くなった。そっか、私、一班の一員なんだ。いまさらのようにそう思った。はい、と威勢よく返事をして、会議室へ駆けこんだ。

***

 それから一週間があっという間に過ぎた。六月最後の金曜日は、朝から梅雨らしい雨模様が広がった。一日中雨が降っていたらしいけれど、私は会社の窓から外を見るような余裕もなかった。翌週の木曜日にプレゼンが迫っていて、その資料作りに没頭していた。『ル・プレリュー』二号店のプロジェクトに関わるようになってからは、それまでとは打って変わって、一日のほとんどを社内で過ごすようになっていた。

「お先に」
 声を掛けられて、私は顔を上げた。真後ろの席のカルディナが、帰り支度をしているところだった。
「あんまり根詰めたらあかんで、海。いいアイディアも何も、出なくなってしまうから」
「ありがとう」と私はペンを置いてほほ笑んだ。「もう少しだけやったら、私も帰るわ」
 そっか、とカルディナはうなずいた。そして真っ赤な傘を手にすると、「ほなな」と言ってオフィスを出ていった。残っているのは私だけになった。

 うーん、と伸びをして、椅子から立ち上がる。ずっと座っていると体が凝り固まってしまう。社内ではほとんど動かないというのに、頭を使う仕事だからかお腹は普通にすいてしまうので、食事の量は変わらない。そっと脇腹の肉をつまんでみる。少し量が増えたと感じるのは、きっと気のせいではない。
「やば」と私は頬を引き攣らせた。「太ったかも」
 今夜はヨーグルトとフルーツにしよう。そう考えて、壁際の時計に目を向ける。そろそろミュージックステーションが始まる時間だった。

 机上に散乱した書類に目を落とす。今日やろうと思っていたところまでは、まだあと数行残っている。でも、なんだか今日はもうやる気がなくなってしまった。帰ろうかな、と誰もいない部内に目を向ける。最後は部長の席のところで目を留めた。彼の机は、いつ見ても一ミリの誤差もないほど整っていた。そういう几帳面なところは、本当にすごいと思う。家もあんな感じなのかしらと想像しかけたところで、私の脳裏には、綺麗な奥様と子どもに出迎えられて笑顔になる部長の姿が浮かんだ。しかもその奥様の顔は、なぜかプレセアだった。私はうんざりしてため息をついた。こんな想像をしてしまうってことは、きっともう帰れっていうことなんだわ。勝手にそう解釈して、広げていた書類や本を片付け始めた。
「最後に出る者は、電気をすべて消してから帰るように」
 配属されてすぐのころに聞いた部長の言葉が聞こえた気がした。
「わかってますよ」
 呟き、電気のスイッチを押す。消し忘れがないか三度チェックしてから会社を後にした。途中、折り畳み傘を忘れて出てきてしまったことに気づいて、一度引き返した。


 エレベーターを降り、少し歩けばもう外だ。雨は朝よりも小降りになっていた。傘を差している人はまだ多いけれど、歩いていてずぶ濡れになるような降り方ではない。
 こういうときにレストランの予約をしていたら、女の子はテンション下がっちゃうだろうな。無意識のうちに仕事のことを考えていた。でも、ル・プレリューの二号店は、雨でテンションが下がった女の子でも絶対に行きたいと思ってくれるようなレストランにしたい。

 今回の仕事に部長が私を参加させてくれたことが、ほんとうに嬉しかった。一号店とは違い、二号店はもう少し若い年齢層をターゲットにしたカジュアルな店だからという理由もあるだろう。ちょうど私と同じくらいの年の子が使う店になる予定だから、実際のユーザーの声が生きると判断された可能性は高い。それでも、部署の、いや、社の威信に関わると言っても過言ではない今回のプロジェクトに参加できるということが、無条件に嬉しかった。少しは私の仕事ぶりも評価されてるのかな。そう思うと嬉しかった。満ち足りた気持ちで、傘を広げる。早く帰って今日はゆっくり寝よう。

「海」
 ところがそのとき、突然声を掛けられて足を止めた。振り返って、さらに驚いた。
「アスコット?」
 私は目を丸くした。本屋の軒先に、アスコットが立っていた。湿り気を含んだ髪に、少し癖が出ている。彼はたしか、もう二時間近くも前にオフィスを出たはずだった。そんなアスコットが、どうしてこんなところに。
「今、帰り?」
 アスコットはほほ笑んで聞いてきた。少しぎこちない笑みだった。
「ええ、そうだけど」
「こんなに遅くまで、頑張ってるんだね」
「今回のプロジェクトは、大きな仕事だから」
 会話が途切れた。

 何かおかしいと思った。アスコットの雰囲気が、いつもとまるで違う。ただ、オフィスを見上げる彼の横顔を見ても、どこが違うとはっきり指摘することはできなかった。答えが出ないままに、アスコットが私を見返した。
「あのさ」と彼は言った。「今日、時間ある?」
「え?」
「ご飯食べて帰らない?」
 ちょっと太ってきたから、今日はヨーグルトとフルーツで済ませようと思ってるの。さすがにそんなことを言うほど人付き合いが悪いわけではないつもりだ。しかも相手はアスコットだ。断る理由などどこにもなかった。それに、今日の彼は断れない雰囲気を多分に醸し出しているようにも見えた。意識とは別のところで、気がつくと、私は首を縦に振っていた。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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