蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ラスト・リング 11. 決戦前夜

10万ヒット企画

部長のほほ笑みの後ろに、二日前に展望室で見た、プレセアと向かい合っているときの映像が重なった。胸がぎゅっとつかまれるように痛んだ。

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 実は夏至を過ぎてからの方が、日が沈む時刻は遅いらしい。確かに、半月前に過ぎた夏至に比べれば、今の方が遅くまで明るい気がする。おかげで時間感覚が鈍りがちだ。
 ブラインドの隙間から、夕陽が射し込んでくる。その光が、ホワイトボードを橙色との縞模様に彩った。ついにボードに新しい言葉が書き込まれなくなった。隅から隅まで、最終確認の意味で見渡す。少なくとも私の目には、抜けたところはないように見える。
「よし」
 私がそう考えたのと同じタイミングで、部長が口を開いた。
「これでいこう」

 ほっと息をつき、私はイーグルと目を合わせてうなずき合った。部長のゴーサインは、プレゼンの成功を決定づけるも同然だった。早く明日になってほしい。そんな急いた気持ちを落ち着けるように、トントン、と資料を整えた。
「あとは明日の本番を待つばかりですね」とイーグルが感慨深げに言った。
「そうだな」とうなずき、部長は腕時計に目を落とした。「明日はわれわれが先陣を切ってプレゼンを行うことになっている。もうあと、16時間といったところか」
 部長の視線が、私へと移る。そして彼は、おそらく私が配属されてから初めて、私に向かって笑顔を見せた。
「龍咲も、よくここまでついてこられたな」
 部長のほほ笑みの後ろに、二日前に展望室で見た、プレセアと向かい合っているときの映像が重なった。胸がぎゅっとつかまれるように痛んだ。すぐには答えを返すことができなかった。部長と目を合わせているのが辛くて、顔を逸らした。机の上に散らばっていた、彼と、そしてイーグルの分の資料も整理しながら、忙しぶった。
「明日は、頑張りましょうね」
 言ってから後悔した。それはあまりにも私らしくない言葉だった。

 部長とイーグルも同じことを思ったようで、彼らは一瞬、不自然な沈黙の中に身を置いた。いつもの私であれば、ここは部長に対して憎まれ口のひとつでも叩くような場面だ。初めて面と向かって褒められたのだから、「部長が私を褒めるなんて、明日は雪ですね」くらい言ってもおかしくなかった。ああ、どうしてその台詞をさっき思いつかなかったんだろう。真面目な受け答えなんて、「今日の私は普通じゃないんです」と暗に示しているようなものだ。
 けれどいまさら言い直すわけにもいかなかった。自分の分の資料だけを手にして、私は顔を上げた。
「今日は栄養のあるものを食べて、ゆっくり寝ます」
 たぶん、うまく笑えていたと思う。私は部長とイーグルを促して会議室を出た。部長が私の前を通り過ぎた瞬間、清潔な香りが鼻を抜けた。その香りに誘われて、つい部長を呼び止めそうになった。すんでのところでぐっと堪え、密かにかぶりを振った。今は余計なことは考えたくなかった。清潔な香りも、努めて忘れようと心がけた。

***

「ごめん、お待たせ!」
 テーブルとテーブルの間を縫いながら、私は光、風の待つテーブルへと急いだ。彼女たちは、店のもっとも奥まったところにある四人掛けのテーブルに、向かい合って座っていた。
 狭いスペースにこれでもかというほどテーブルを詰め込んだピッツェリアは、見事に満席だった。さすがの不況の嵐も、このピッツェリアまでは手が伸びないのだろうか。店内はびっくりするほどの活気に満ちていて、私とすれ違うとき、店員は皆、一人も欠かさず大きな声で「ボナセーラ!」と言った。そう言われたときは、客の方も「ボナセーラ」と返すのが礼儀らしい。わかっていても、それはさすがに気恥ずかしかった。ぺこりと軽く頭を下げただけで、私は彼らをやり過ごした。

「遅くなっちゃった」
 光たちのところにたどり着くと、奥のソファ席ではなく、手前の椅子に腰を下ろした。単純に、奥に入り込むのが面倒くさいという理由からだ。隣のテーブルはスーツ姿の男性四人組だった。彼らのテーブルには、ピザが所狭しと四枚も並んでいる。スーツのピンバッヂの模様に見覚えがある気がした。どこか大手企業の人間だろうか。もっとよく見ようとしたけれど、彼らの視線が自分に向かうのを感じたので、目が合う前に、私は光たちに向き直った。そして顔の前で手を合わせ、「ごめん」と言った。
「全然だいじょうぶだよ、海ちゃん」と光が言った。「私たちも今来たところだから」
「そうなんです」と風が後を続けた。「まだサラダしか頼んでいませんの」
 その言葉を裏付けるように、テーブルの上の大きなボウルにシーザーサラダが山盛りになっていた。まだ手つかずだった。
「よかった」と私は、通りかかった店員にビールを頼んでから言った。「ようやく仕事が終わったの。明日のプレゼンにはなんとか間に合いそうよ」
「海さん、本当に今日でよろしかったんですか?」
 風は私の顔を覗き込むようにして、如才なく言った。
「大事なお仕事の前夜ですのに」
「そうだよ」と光もテーブルの向こうから身を乗り出してきて言った。「もっと後にずらしてもよかったんだよ?」
「いいのよ。もう、やることは全部やってきたから」と私は笑って言った。「それに、今日を逃したら今度はいつ会えるかわからないし」
 また集まろうと言ってから、もう何回約束が流れたかわからなかった。二人に会うのはあのパーティー以来、実に一か月半ぶりのことだった。一年目のときは毎日のようにランチに行っていたのが嘘のように、まるで会えなくなってしまっていた。

「お待たせしました」
 ようやくビールが運ばれてきた。ジョッキがキンキンに冷やされていて、見るからにおいしそうだ。喉がからからだったので、すぐにでも全部流し込みたい気分だった。
 光は相変わらずのオレンジジュースを、風はスパークリングワインを手にしている。二人とグラスを合わせ、私はビールを流し込んだ。「仕事終わりの一杯」のおいしさに気づいたのは、プロ戦に配属されてからのことだ。オヤジのように「ぷはあ」と言って、一気に三分の一はなくなったジョッキを、一度テーブルに戻した。
「生き返るわ」
「お疲れさまです」と風が上品にスパークリングワインを傾けながら言った。
 風は本当に、そうして洋酒を飲んでいる姿が様になる。できることなら、風にビールは飲んでほしくない。風にはジョッキよりも、持ち手の細いワイングラスの方が格段に似合う。

「それじゃあ、準備はバッチリなんだね?」
 光が言った。風と違い、光は誰よりもオレンジジュースが似合う24歳だった。悪い意味ではない。いい意味で、彼女は何歳になっても子どものような純粋さを併せ持っている人だ。その光に向かって、私はうなずいた。
「ようやく部長のオッケーが出たの。あとは明日、『キング』に行ってプレゼンするだけよ」
 部署が違う二人は最初、「キング」や「柳」といった隠語を知らなかった。それが今では、そういった隠語もすっかり通じるようになっている。関わっている仕事の内容についても、二人には常にかいつまんで報告していた。光や風も同様だった。三人とも、互いの部署のことをまるで自分の部署のように知っていた。

「ということは、今夜は前夜祭というわけですわね」と風が言った。
「そういうわけにはいかないわよ」と私は苦笑した。「今夜はこの一杯で終わりにするわ。さすがに明日、むくんだ顔で先方のところへ行くわけにはいかないから」
 これが一年目であれは話は違ったかもしれない。「前夜祭だ」と騒いで、夜遅くまで飲んでいただろう。でも今は、さすがにそんなことをする気にはならなかった。大人になったと言えば聞こえはいいかもしれないが、それは逆に、一年前の自分は大人ではなかったということだ。
「頑張ってね、海ちゃん」と光が言った。「応援してるよ」
「私もですわ」と風もうなずいた。
「ありがとう」
 二人がいるから一生懸命になれると言っても、過言ではなかった。張り合い、高め合い、時には愚痴をこぼすこともできる相手がいることの尊さを、身をもって感じる。「同期は大切にした方がいい」と先輩たちが口をそろえてしつこいほどに言う理由も、二年目になってようやくわかるようになった。

「ねえ、ピザ頼みましょうよ。ここ、イタリアのコンテストで優勝したっていう人が焼いてるのよね」
 そう言って、私はメニューを広げた。
「そうみたいだよね」と光が言った。「どれもおいしそうだ」
「ビスマルクはいかがですか?」と風が、メニューの真ん中あたりを指差した。
「いいわね」と私はうなずいた。写真のとおりなら、メニューの中ではビスマルクが一番おいしそうだった。
 私は手を上げて店員を読んだ。マルゲリータも合わせて二枚のピザを頼み、それからはまた話に没頭した。気がつくとあっという間に二時間が経っていた。私たちは慌てて会計を済ませ、席を立つ前に、また近いうちに会うことを約束した。今回の案件が無事成功したらお祝いをしようと、光と風は言ってくれた。私たちが店を出たときもまだ、隣の男性四人組はピザを食べ続けていた。

***

 久しぶりに摂取したアルコールが適量だったためか、翌朝の目覚めは驚くほどすっきりしていた。いつもより10分早く起き、時間をかけて着ていく服を選んだ。ジャケットは、涼しげに見えるオフホワイトがいいだろう。中に着るのは当然スカートかワンピースがいい。ジャケットが白だから、色物の方が映える。悩んだ末、ロイヤルブルーのワンピースを着ることにした。腰できゅっと締まるデザインのそのワンピースは、スタイルよく見えるので、気に入っていた。
 梅雨明けが発表された直後にふさわしい、すっきりとした青空が広がる朝だった。空までプレゼンがうまくいくように後押ししてくれているかのようで、心強かった。鳥が空を横切っていく。頑張れよ。そう言われた気がした。もちろんよ、と答えてから、駅までの道のりを颯爽と歩き出した。

 電車に乗ってからもいいことがあった。満員だったその電車は、次の駅で、私が立った目の前の席の人が降りていったのだった。そこから会社の最寄り駅までは座ったままでいくことができた。今日は全体的についている。うまくいき過ぎて怖いくらいだった。フロアに向かうエレベーターの中、私はご機嫌だった。今日のプレゼンは、きっとうまくいく。疑いようのない予感を抱いていた。ところが、エレベーターがちょうどフロアについたとき、突然携帯が鳴った。
「誰かしら、こんな時間に」
 開かれた扉から外へ出ながら、鞄をあさる。取り出した携帯のディスプレイに表示されている名前を見て、思わず立ち止まった。取りあえず携帯を開き、受話器を耳に当てた。
「もしもし、海ですか?」
 こちらが「もしもし」と言う前に、電話の向こうの人が言った。とても切羽詰まった声だった。沸き上がった困惑が、眉間に皺という形になって表れた。彼がそれほど焦っているところに、私は一度も出くわしたことがなかった。
 とことんツキに恵まれている日なはずなのに、何かあったのだろうか。私は携帯を耳に当てたまま、フロアの入り口へ向かって歩き出した。
「どうしたの、イーグル」
「今どこですか? 緊急事態が発生したんです。すぐに来られますか」
「来られるも、何も」と私は社員証を扉のセンサーに翳した。「もう着いたけど」
 扉を開けると、「え?」というイーグルの声が、受話器と目の前の二方向から聞こえてきた。中へ入り、私は携帯を耳から外した。

 一目で大変なことが起きているのだとわかった。フロアには三人しかいなかったけれど、その三人の面子がありえなかったからだ。一人はイーグルで、もう一人は部長だった。ここまではいい。けれど問題は残りの一人だった。残りの一人は、こんな時間にこんなところにいるはずのない、社長だった。
「海」
 どうしたの、と私が目で問うと、イーグルは困惑した顔で私を呼んだ。部長の机を囲んでいる彼らの方へ向かう。部長とは目は合わなかった。彼は椅子の後ろで突っ立ったまま、手にした一枚の紙にじっと目を落としていた。その部長の向かい側に、社長が立っていた。

「何かあったんですか?」
 イーグルの一歩後ろで立ち止まり、私は部長に向かって聞いた。部長はそれでも顔を上げなかった。やがて重いため息をつきながら、手にしていた紙を机の上に放り投げた。続けて社長までもため息を落とした。私は助けを求めるようにイーグルを見上げた。
「困ったことになりました」
 私を見て、イーグルは言った。その表情から、トレードマークの笑顔がすっかり消えていた。
「龍王堂が、他社のプロジェクトを採用すると言ってきたんです」
「え……?」
 木曜朝、8時5分。シンデレラの魔法が解けるように、すべての歯車が一斉に狂いだした。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

▶ 連作短編集を始めました。クレ海学生パラレルです。今後年中行事に合わせて不定期更新の予定です。詳しくはこちらからどうぞ。

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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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