蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ラスト・リング 12. 盗まれたのは

10万ヒット企画

彼の言葉は強いのだ。ほとんど初めて、私はその事実に気づいた。

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 フロアを包む異様な雰囲気に、出社してきた誰もが、一歩足を踏み入れただけで気づいたようだった。皆、「おはようございます」という一言さえも言い終わらないうちに、まるで示し合わせたかのように同じタイミングで口を噤んだ。普段はあれほど陽気なカルディナの声さえ聞こえない。よほど緊迫していたのだろうけれど、渦中にいた私は、その緊迫さに気づかなかった。

『申し訳ありません』
 部長が繋いだ電話口から、桜塚さんの声がした。スピーカーフォンにしているので、フロアにいる全員に聞こえているはずだった。
『私も、できることならあなた方をパートナーとしたかった。そもそもそうなる予定だったんです。10時にやってくるあなた方はトップバッターだった。そこで話を決めるはずでした』
 桜塚さんの言うとおり、私たちは10時に龍王堂に行く約束だった。プレゼンの順番で自分たちがトップバッターだということは、部長からも聞かされていた。それなのにどうして、まだ8時半だというのに、他社に決まってしまうなんていうことが起こるのだろう。

『事態が一変したのは、昨夜遅くのことでした』
 まるで私の心を読んだかのように、桜塚さんは話し出した。
『実は、最終コンペに残ったのは、あなた方と、別の大手一社の二社だけだったんです。そのもう一社の方から、ゆうべ社長秘書のところに連絡が入りました。どうしても朝一番に自分たちのプレゼンを見てほしいと言ってきたんです。社長は面白がって承諾しました。その後僕のところにも連絡が入って、今朝7時半に、彼らのプレゼンを拝見することになりました。そしてそこで起きたことに、僕は言葉を失いました。結論から言えば、持ち込まれたアイディアに、社長がオーケーを出してしまったんです。
 どう考えてもおかしいでしょう。慇懃無礼な言い方ですが、これほど素晴らしい内容、あの会社に出せるはずはない。すぐにあなた方のアイディアを盗んだのだと気づきました。ですが社長は、「最初に持ち込んだ者にこそ価値がある」と、取り合ってくれませんでした』
 私は部長の机の上に投げ出されたファックス用紙を手に取った。それを見た瞬間、ただでさえ速かった心拍数がそれまでとは比べ物にならないほど速くなり、背筋が凍った。確かに私たちが考えていたものとまるっきり同じことが、その紙にはまとめて書かれてあったのだった。
「どうして……」
 声が震えた。

 不意に、そのファックス用紙の右上に書かれてある会社名に目が留まった。広告代理店では大手とされる会社のロゴと、英語で会社名が書かれてある。そのうちロゴの方に、私の目は吸い寄せられた。どこかで見た気がしたからだ。
 もちろん、有名な会社なのだから、ロゴを見る機会はあちこちであるだろう。けれどそういう感じではなく、もっと間近で見たように思えてならなかった。
 ダイヤが二つ重ねられたそのロゴを、食い入るように見つめる。なぜかそのロゴにピザが重なった。どうして、とさすがに訝しがる。なんでピザなんか。ゆうべ食べたばかりだからかしら。
 そのときだった。ロゴとピザが、私の脳裏でぴったり重なった。
「――まさか」
「え?」
 顔を覗き込んできたイーグルにファックス用紙を押し付け、手にしていた鞄の中をまさぐる。毎日使っている通勤鞄の中身は、いつもならば家を出る前に確認するのに、そういえば、今朝に限って確認しなかった。祈るような気持ちで鞄の中を荒らす。ところが、なかった。ゆうべ確かにこの鞄に入れていたはずのプロジェクトの資料のコピーが、なくなっていた。

 おいしくて楽しかったピザ屋でのひと時の記憶が、一気に悪夢へと変わった。間違いない。あのとき隣に座っていた男性四人組が、私の持っていた資料を盗んだのだ。彼らの胸元に、確かにファックス用紙に印字されたロゴと同じ模様を模ったカフスがついていた。
 私のせいだ。私のせいで、ずっと頑張ってきた苦労が水の泡になってしまった。
 部長やイーグルだけではない。カルディナやアスコットをはじめ、部署のほかのメンバーの努力も踏みにじることになる。皆、私たちがカバーしきれない分の仕事を引き受けてくれていたのだ。少しでも私たちが今回のプロジェクトに集中できるようにと、ありったけのサポートをしてくれたのに、すべての努力と頑張りが今、徒になろうとしている。

「部長」と私は顔を上げた。「私――」
「桜塚さん」
 ところが、私の声に被せるようにして部長が口を開いた。部長は直裁に私と目を合わせることこそしなかったけれど、その口調には、「おまえは黙っていろ」という意図が多分に含まれていた。私は覚えず口を噤んだ。
『はい』と電話の向こうで桜塚さんが応じた。
「もう一度だけ、チャンスをくれませんか」
『え?』
「十日……いえ、三日で構いません。われわれにもう一度だけチャンスをください。それでもわれわれの案が納得いくものでなければ、今回のプロジェクトは潔く諦めます。ただし、新しいわれわれの案を受け入れていただけるなら、そちらの案を採用していただきたい」
 桜塚さんはすぐには答えなかった。考え込んでいる気配は、電話越しにでも伝わってきた。
 誰もが固唾を呑んで二人のやり取りを見守っていた。部長は、誰からの視線も拒むように瞼を下ろし、じっと受話器に意識を集中させていた。

『わかりました』
 ついに桜塚さんの声が聞こえてくるまで、最低でも十回は秒針の音を聞いた。
『社長は僕が説得します。幸い、もう一社の方には社長の意向をまだ伝えていません。こんなやり方はフェアじゃない。「ル・プレリュー」二号店の開業は、僕にとっても一世一代の夢です。プロデュースは、信頼している人たちに任せたいと思っています』
 強い熱意の裏に、桜塚さんのプロ戦に対する深い信頼を垣間見た。カルディナが「やった!」と小さくガッツポーズをする。私もイーグルと顔を見合わせ、肩を撫で下ろした。誰もが安堵の色を滲ませる中、部長だけはまったく表情を変えなかった。ただ、閉じていた瞼をゆっくりと開け、
「ありがとうございます」
 と神妙に頭を下げた。
『ただし』と桜塚さんが言った。『三日では僕の都合がつきません。来週の金曜日にしていただけますか』
「もちろんです」と部長は顔を上げながら答えた。それからいくつか桜塚さんと言葉を交わし、部長はゆっくりと受話器を置いた。


「強気に出たな」
 口火を切ったのは社長だった。社長は両手を腰に当ててふっと息をつくと、呆れたように笑って肩を竦めた。社長は部長よりも背が高かった。そうして立っていると、威圧感と呼べるほどの存在感があった。
「だが」と社長は部長を真っすぐに見、視線を険しくした。「あれだけの大口を叩いたんだ。仮に今回のプロジェクトがぽしゃったら、責任問題に発展することは免れないぞ」
 責任問題、という言葉に、部内にさっと緊張が走った。誰もが部長を見る。この期に及んで、しかし彼はあくまでも冷静だった。真っすぐ向けられる社長の視線を、もっと真っすぐに跳ね返していた。
「承知の上です」と部長は言った。「その際は、左遷でも何でも、甘んじて受けましょう」
「部長!」と私は思わず声を荒げた。「やめてください。今回の件は、私が――」
「私はプロ戦の部長だ」
 またしても部長は私を遮った。そして彼は今日初めて、私と視線を合わせた。強い瞳だったけれど、そこに怒りや軽蔑の色は浮かんでいなかった。
「この部署で起きるすべてのことについて、その責任は私にある」
 有無を言わせない言い方だった。
 彼の言葉は強いのだ。ほとんど初めて、私はその事実に気づいた。彼の言葉は強くて揺るぎない。それと対等に渡り合えるような言葉を持ち合わせている人間でなければ、彼とは議論にさえならないのだ。そして私は、当然そんな言葉を持ち合わせてはいなかった。

 私が二の句を告げなくなったのを確認すると、部長は再び社長へと視線を戻した。
「来週の金曜には結果が出るでしょう。そのときにまた、お会いすることになると思います」
 二人の間に散る火花は、敵対する同士のそれではなかった。同じ志を持つ者同士の、互いに譲れない決意がぶつかり合い、その結果散る火花だった。
「わかった」と社長はしばらくしてから言った。「途中経過はどうであれ、勝てば官軍だ。先方をぎゃふんと言わせてやれ」
 社長はぽんと部長の肩を叩いた。最後に「おまえらも頑張れよ」と、まるで取ってつけたように私たちに向かって言い、彼はフロアを出ていった。

「一班は会議室に集合だ」
 社長が出ていった扉が閉まると、間髪容れずに部長は言った。その声で、誰もがはっと部長の方を向いた。彼は早くも書類の束を抱え、席を離れる準備をしていた。
「二班と三班には、また苦労を掛けることになってしまって申し訳ない。もうあと一週間、辛抱してくれるか」
「しょうがないなあ」とカルディナが言った。「部長さんの決意に免じて、赦したるわ」
 部長はふっと笑って、「ありがとう」と言った。
「待ってください」
 さっさと会議室へ向かおうとする背中に向かって、私は声を張り上げた。部長が立ち止まってこちらを振り向く。私は強く拳を握りしめた。
「どうしてあんなこと言ったんですか。部長は何も悪くないのに。本当は、私が――」
「龍咲」と部長は私を窘めた。「くだらないことを言っている暇があったら、早く準備をしろ」
「でも」
「聞こえなかったのか、私の言葉が。私は部長だ。この部署の中で起きたことについて、全責任を負う立場にある。おまえのような新人に、とやかく言われる筋合いはない」
 部長はもう、自分の考えを曲げるつもりはないのだ。はっきりとそのことがわかった。たぶん、それこそ私のような新人が何を言ったところで、部長の強い決意には、微塵の影響も及ぼすことはないのだろう。

 会議室へ向かいながら、部長はネクタイの結び目に人差し指を掛け、片手で器用にそれを解いた。クールビズ期間中にもかかわらずそうして部長がネクタイをしていたのは、今日が大事なプレゼンの日だったからだ。
 確かに私は新人だ。でも、「責任問題」という言葉の意味がわからないほど子どもではなかった。もしも本当に今回のプロジェクトを他社に取られてしまったら、部長は部長ではなくなってしまうだろう。けれどそれは絶対に起きてはならないことだった。彼はプロ戦にとって何よりも大切で、なくてはならない人だ。
 ならば、と強く唇をかんだ。それならば、部長が責任を問われるようなことが起こらないように全力を尽くそう。私がまいた種だ、回収するのも私であるべきだ。
「海」とイーグルが私の肩を叩いた。「行きましょう」
 ええ、と私はうなずいた。失うものは何もない。キャリアも何も、今始まったばかりだ。それなら、当たって砕けろの精神でやってやる。手早く必要なものを集めて、私は部長の後を追った。

***

 それから四日が過ぎ、月曜日になった。
 プロ戦は週末返上で仕事に当たっていた。私などは、ほぼ毎晩徹夜状態で会社にいた。家に帰るのは、シャワーを浴びるという目的のためだけの行為になっていた。もしも会社にシャワールームがあったなら、家を借りる必要などないかもしれない。そう思うほどだった。

「もうだめだ」
 持っていたペンをやにわに投げ出し、イーグルは言った。
「頭が働かない」
 憔悴しきった彼の顔は、はっきり言ってひどかった。私も似たような顔をしているのかと思うとうんざりした。つい苦笑いがこぼれた。
「ずっとこんな状態だものね」
 私の言葉に、イーグルは無理やり笑ってうなずいた。
「今日はもう帰りませんか、海。根詰めていても、これ以上いいアイディアが浮かんでくるとは思えませんし」
「ありがとう。でも、もう少しやっていくわ。イーグルは先に帰って」
 私が言うと、イーグルはふっと目尻を下げた。
「そういうわけにはいきませんよ。あなたが残って僕だけが帰るだなんて」
「いいのよ」と私はかぶりを振った。「今回のプロジェクトは、私が一番頑張らなくちゃいけないもの」
 イーグルは何も言わなかった。いいえ、とも、そうですね、とも。黙って私から視線を外して、窓の外を見、
「帰ってこないですね、部長」
 と独り言のように言った。
 反射的に、彼の視線の先を追いかける。てっきり外を見ているのだと思ったら、どうやら窓の手前にある部長の席を見ていたようだ。
「そうね」と私も呟くように答えた。

 夕方――と言っても、もうだいぶ遅い夕方だったけれど――「席を外す」とだけ言って部長がオフィスを出て行ってから、もうかれこれ三時間が経っていた。部長には部長の考えがあるのかもしれないが、彼がいないとどうにも話が進まないので、正直言って早く帰ってきてほしかった。もっとも、今はほとんどアイディアに煮詰まってしまっていて、部長がいたところで、現状に奇跡的な変化が起こるとは思えない。けれど彼がいるといないとでは、精神的な意味でのしかかる重さが桁違いだった。
「それじゃあ」とイーグルが口を開いた。「お言葉に甘えて、僕は帰りますね」
 部長の席からイーグルへと視線を戻し、私はほほ笑んだ。イーグルが帰ると、オフィスに残っているのは私一人になった。

 一人になると、自然と部長の席に目が向いた。部長の場合、机を見ただけで、帰宅したのかそうでないのかがはっきりとわかる。今は明らかに帰宅していない状態だった。パソコンの画面は開いているし、机の上には整理整頓されていないペーパーが無造作に何枚も置かれている。
 部長だって、ここを離れたくないはずなのに。
「左遷でもなんでも、甘んじて受けましょう」。そう言ったときの部長の表情を思い出すと、否応なしに胸が痛んだ。彼は二言のない人だ。どのような辞令が下っても、きっと黙って首を縦に振るのだろう。たとえ、周囲の人間がどれほど引き留めたとしても。

 部長のいないプロ戦を想像して、思わずため息をついた。
「厭よ、そんなの」
「何がだ」
 まさかその声が聞こえるとは思っていなかったので、私は文字どおり飛び上がって悲鳴を上げた。はっと振り返ると、フロアの扉の前に部長がいた。彼は腕を組み、壁に軽く寄り掛かっていた。驚くやら何やらで、私の鼓動はすっかり速くなっていた。
「ぶ……部長」と私は努めて動揺を隠しながら言った。「いつ戻ってきたんですか」
「たった今だ」と部長はさも当然のように言い、私の方へ向かって歩いてきた。「気づかなかったのか」
「まったく」と私は答えた。「影武者みたいですね、部長」
「なんだそれは」
 彼は苦笑して、私の机の隣で立ち止まった。私たちは並んで立つ恰好になった。
 部長は机上に散らばっている書類に目を落とした。彼の目にさらすにはまだ恥ずかしいことばかりだったけれど、それよりも、部長と二人きりになっているということの方が、私にとっては大きな問題だった。肌がびっくりするほど白くて、ついじっと見てしまう。長い睫毛はまるで女性のようで、その横顔は、そのままポートレートにできそうなほど美しかった。

「龍咲」
 呼ばれたのは突然のことだった。反射的に背筋を伸ばし、「は、はい」と若干不自然な返事をした。
「片づけろ」と言って、部長は私の机を離れ、自らの席へ向かった。
「え?」
「今日はもう終業だ。片づけろ」
「え……いや、でも」
「つべこべ言うな」
 ぴしゃりと言い放つそのころには、部長はもう、自分の机の上を綺麗に片づけていた。その早業っぷりに、思わず目をむいた。
「上司が終業だと言ったら終業だ。早くしろ」
 そんなよくわからないパワハラって、アリなの? そう思いながらも、私の口は「はい」という形に動いていた。しぶしぶながら、机上を簡単に整える。ちょうど終わったとき、部長が私の席までやってきた。そして、
「少し付き合え」
 と言った。
「えっ?」
「食事に行く」
「しょ……食事?」
 ああ、と部長はこともなげに答え、一人先に扉へと向かった。その後姿を呆然として見ていると、「何をしている」と部長は不機嫌そうに言った。
「早くしろ。遅くなる」
「で、でも」
 それ以上は言葉が続かなかった。彼の鋭い視線が、ますます「早くしろ」と急き立てる。慌てて鞄をつかむと、足早に部長のもとへ向かった。鼓動が速いのは驚いているせいだと、努めて思い込んだ。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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