蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

蒼穹の果てに 3. 祖国

長編 『蒼穹の果てに』

フェリオに会いたいと、強く思った。ひとりで抱え込むのはもう、限界だった。

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 同じ時間が流れているはずなのに、セフィーロは、東京とはまるで違う。東京のように、一様に険しい顔をした人の波がうごめくようなことはなく、時間に追われた人々が余裕を失くしていがみ合うようなこともない。カラスのように不敵に鳴く鳥もおらず、聞こえるのはせいぜい、セキレイの囀りだ。オブジェのように植えられたなけなしの街路樹ではなく、地に根を張った本物の木々が、空気を浄化させる。オートザムも東京も、必要なのはきっとこういう「自然な」自然だろう。それがあればきっと、どんな問題でもたちどころに解決するに違いない。イーグルの部屋を目指してセフィーロ城の回廊を歩きながら、風は目を細めた。

 オートザムは地球の未来の姿であるように思えてならなかった。機械化され過ぎたが故に蝕まれる大地、残されたわずかな空気、狭いドーム型の建物の中で、肩を寄せ合って暮らす人々。そう遠くない将来、地球も同じ運命をたどることになるのではないかとの危惧が、風の中から消えることはなかった。もちろんそうはなってほしくないし、そうならないために、自分にできることをしようと思う。ただ、この二年間の研究で得た、オートザムを蝕んでいる環境汚染の主因が二酸化炭素濃度の増加であるという結論だけで、その危惧を確信的なものとさせるにはじゅうぶん過ぎた。

 ジェオに続いて角を曲がると、突き当たりにイーグルの部屋の扉が見えた。風はそこで、しかしふと足を止めた。
 外に目を向ける。小さく出来た水溜まりに、美しい羽を持つ蝶が憩っていた。光の当たる角度によって、羽の色は青や紫に変わる。セフィーロの空と海とを凝縮したような色の羽だった。
 美しい、と純粋に思った。セフィーロは「美しい」国だった。美しい国は自然と豊かになる。オートザムはお世辞にも美しい国だとは言えなかった。実際にかの地を訪れたことがあるのは一度だけだが、もう二度と足を踏み入れたくないというほど強い衝撃を受けたことを、今でも如実に思い出すことができる。あの国を「美しく」蘇らせたい。それが、風が今持っている強い『願い』だった。
 自分の得意分野であるコンピュータープログラミングの知識と技術を生かすだけで、誰かの役に立てる。これ以上に理想とすることなどなかった。賃金などなくていい。オートザムの環境汚染問題を解決するという使命は、自分に与えられた天職だとさえ、風は思っていた。


「どうした? お嬢ちゃん」
 ジェオの声でわれに返る。彼はイーグルの部屋の扉の前で立ち止まっていた。風はふるふるとかぶりを振り、そちらへ足を向けた。
「なんでもありませんわ」と言って、風はジェオを見上げた。「ですが、ジェオさん。そろそろ名前で呼んでいただいてもよろしいのではないでしょうか」
 げっ、とジェオが身を引いた。二メートル近い巨漢だというのに、そうしてたじろぐと、まるで風と同じくらいにしか見えなかった。
「それに、もう『お嬢ちゃん』という年でもありませんし」と風は笑って言った。
 はあ、とジェオはがっくりと肩を落とした。
「努力するよ」
 すっかり気概を削がれた様子になりつつ、ジェオはイーグルの部屋の扉を叩こうとした。まるで会話から逃げるようなそぶりに、風はくすくすと笑みを零した。ところがジェオの作った拳が扉に当たることはなかった。それよりも早く扉が開いて、中からザズが顔を出した。
「いらっしゃい、フウ。待ってたよ」
 ジェオのことはきれいに無視して、ザズは屈託なく笑い、風に向かって言った。
「こんにちは、ザズさん」と風は頭を下げた。「お久しぶりです」
「さ、入って」
 ザズが大きく扉を開ける。ジェオに続いて、風も中へ入った。扉を閉めながら、ザズが風の腕を軽く引いた。
「ジェオってさ、将来絶対奥さんの尻に敷かれるタイプだと思わない?」
 どうやら扉の外での会話が聞こえていたらしい。あら、と瞬いた風の言葉は、しかしジェオの怒号に掻き消された。
「おいザズ! ふざけたこと言ってんじゃねえ!」
 くるりと踵を返したジェオは、その勢いのままザズにつかみ掛かった。「うわあっ」とザズが笑いながら悲鳴を上げる。この二人はほんとうに仲がいい。ジェオは本気で怒っているのかもしれないが、傍目にはじゃれ合っているようにしか見えなかった。男の友情には、女の友情とはまた違った味がある。二人を見ていると、風はいつもそう思う。

『相変わらず賑やかですね、あなたたちは』
 『心』にイーグルの笑い声が聞こえてきた。部屋の中へと目を向ける。イーグルは相変わらず穏やかな表情で眠っていた。大きな窓に掛かったレースのカーテンが、そよ風に揺らめいている。城の中でもっとも『精霊の森』に近いところにあるこの部屋は、とりわけ空気が澄んでいた。ここをイーグルの療養の場としたのは、一日でも早くイーグルの目が覚めるようにとの、クレフの計らいだった。
 そういえば、と風は部屋の中を見回した。ここにいると聞いていたクレフの姿が、目に付くところにはなかった。

「ザズが余計なこと言うからだ」
 憮然とした表情でいい、ジェオがザズの首から手を離した。
『いいでしょう、ほんとうのことなんですから』
「おまえまで言うなよ!」
 さらりと放たれたイーグルの言葉に、ジェオは地団駄を踏んだ。彼以外の皆が笑った。
『騒がしい男たちですみません』
 口調を変えてイーグルが言った。自分に向けられた言葉だと、風はすぐにわかった。いいえ、とかぶりを振り、ベッドの方へ向かった。
「とても楽しませていただいています」
『恐縮です』とイーグルは笑った。
「ところで」と風は、ベッド脇で立ち止まり言った。「クレフさんがいらっしゃいませんね」
『つい今しがたまで、いらしたんですよ』とイーグルは言った。『たった今、席を外してしまわれました』
「そうですか」
 本当はクレフの意見も聞きたかったけれど、いないならば仕方がない。ずっとセフィーロにいるクレフになら、意見を聞く機会はいくらでもある。彼と話すのはまた今度にしよう。

 かけてください、とイーグルに言われて、素直にベッドサイドの椅子に腰を下ろした。何気なくイーグルの顔を見止め、覚えず何度も瞬きをした。
『どうしました?』とイーグルが言った。『僕の顔に、何かついてますか?』
 驚いたことにイーグルは、目が見えなくてもこちらの行動は理解できているようだった。風はわれに返り、いいえ、とかぶりを振った。
「驚いたんです。もうずいぶんと顔色がよろしいようですから」
「そうかなあ」
 首を傾げたのはザズだった。風とは反対側にあった椅子に座り、イーグルを覗き込んだ。
「俺にはいつもと変わらないように見えるけど」
「ザズさんは、頻繁にイーグルさんとお会いしていますから、お気づきにならないのかもしれませんね。ですが私は、イーグルさんにお会いするのは三か月ぶりです。前回お会いしたときよりもずっと、生き生きとしていらっしゃいますわ」
『嬉しいことを言ってくれますね、フウ』
 口角をわずかに引き上げて、イーグルは言った。
『皆さんの「祈り」の力で、驚くほど早く回復に向かっていると、導師クレフにも言われました』
 それだけではないだろう。イーグル本人の心が強くなければ、これほど早くに回復することはできないはずだ。

「早く目を覚ましてくれよ、イーグル」とジェオが、風の後ろから身を乗り出して言った。「おまえがいないと、評議会のゴーサインが出ないんだ。抜本的なシステム改革を提案して汚染を食い止めたいんだが、頭の固い連中が、てこでも動かねえ。せっかくフウが、起死回生の一手を見つけてくれたかもしれないっていうのによ」
『そうなんですか?』
 イーグルの声色が変わった。
「起死回生の一手になるかどうかは、未知数ですが」
 過度の期待を与えないよう言葉を選びながら、風は手にしていた紙の束を開いた。
「現在オートザムを蝕んでいるのは、日々大量に排出される二酸化炭素だと思われます。東京のデータと照らし合わせても、まず間違いありません。オートザム全体を管理しているシステムの構造が、この二酸化炭素を日々、星の大きさに対して約12倍の濃度で排出し続けています。システムの構造を一から組み換え、二酸化炭素の排出を抑えるようにしなければ、オートザムは破滅の一途をたどるでしょう」
 一瞬にして、部屋を包む空気が張り詰めた。
「逆に言えば」
 その空気を吹き飛ばすようにして、風は眼鏡のブリッジを押し上げた。
「システム構造さえ変えることができれば、オートザムの空気は浄化できるということです」
 ガタンと音を立てたのは、ザズが座っていた椅子だった。
「ほんとか?!」
 ザズはイーグルのベッドに両手をつき、こちらへ向かって身を乗り出した。ええ、と風はうなずいた。
「きっとうまくいくと思いますわ。東京でも実用化されているシステムを、オートザム仕様に組み替えればいいだけですから」
「やった!」とザズはガッツポーズをした。
 その頬にはうっすらと色が差している。よほど興奮しているようだった。喜んでくれるだろうとは思っていたけれど、これほどの反応を見せてくれるとは、いささか意外だった。
「よかったなあ、ザズ。これでおふくろさんも」
 じっとザズの表情を見ていると、ジェオが後ろから言った。ところが、中途半端なところでジェオははっと口を噤んだ。ザズの表情からも笑みが消えた。イーグルは無言を貫いている。突然変わった、部屋を包む雰囲気に、風はわれ知らず背筋を伸ばした。

「すまねえ」
 やがてジェオが、項垂れて言った。するとザズは肩を撫で下ろし、静かにかぶりを振った。
「いいよ。フウにはいつか言わなきゃと思ってたから」
 そう言って、ザズは椅子に座りなおした。そしてこちらを真っすぐに見た。
「俺の母さん、危篤なんだ」
 それは突然の、しかもあまりにもさらりとした告白だった。瞠目した風は、返す言葉を失った。ザズは風から視線を外し、徐に部屋の壁を見た。
「もうずっと、俺が物心ついたころから病気がちだったんだ。それがここんとこ、てんでだめになってさ。医者はもう長くないって言ってる。オートザムの汚れた空気が、母さんの心臓を蝕んでるんだ。あの空気がどうにかならない限り、もって三か月だって、宣告された」

 どうして、と風は思った。そんな状態なのに、どうしてザズはこれほど平常心を保っていられるのだろう。
 この部屋へ足を踏み入れたときも、普段と違う様子はまったく感じなかった。ジェオとじゃれあっていたときも、大気汚染を浄化する方法があるかもしれないと風が言ったときも。実の母親が明日をも知れぬ身となって哀しくならない人など、いるはずはない。だとすれば、ザズのこの陽気さは、哀しみがもう果てしなく長い時間続いているということの裏返しとしか考えられなかった。
 哀しみは、慣れることはあっても消えることはない。それこそ物心ついたときからザズは、母親の死を何度も覚悟してきたのだろう。
 風は両手をぎゅっと握りしめた。ザズのためにも、一刻も早くオートザムの大気汚染問題の解決に全力を傾けられる体制を整えたい。そのためにはやはり、こちらの世界で暮らし続ける必要がある。

「セフィーロみたいな風が、オートザムにも吹くようになればいいな」
 目を細めてザズが言った。こんなときでも笑顔を見せてくれる彼に、胸が痛んだ。
 そのときふと、風は思い立った。
「そうですわ」と風はザズを見た。「お母様も、セフィーロへお連れになったらいいのでは? セフィーロの空気を吸えば、きっとご病気も治るでしょう。イーグルさんだって、これほど短期間のうちに目覚ましい回復を遂げていらっしゃるのですから」
 われながら妙案だと思った。むしろ、どうしてこの二年間誰も言い出さなかったのか不思議なほど、それは当たり前に取るべき方法であるように思われた。ところが、風の言葉を受けたザズは、うーん、と言葉を濁した。
「俺も、できればそうしたいんだけどさ」とザズは言いにくそうに言った。「けど母さん、どうしてもオートザムを離れたくないって言うんだ。どんなに空気が汚れていても、自分が生まれ育った祖国はオートザムだから、死ぬならオートザムで死にたいって」
 どきりとした。それが「祖国」という言葉に対しての反応だということに気づくまでには、少し時間が必要だった。

「誰にも言わないでくれよ、フウ」
「えっ?」
 急に名前を呼ばれて、覚えず肩を震わせた。
「母さんのこと」とザズは続けた。「今この部屋にいる人間以外でこのことを知ってるのは、ランティスと、それに導師クレフだけだから」
 あんまり心配かけたくないんだ。そう続けたザズの表情が、彼の見た目とは裏腹にとても大人っぽく見えた。そんな彼の言葉に抗うことなどできなかった。俯き、風は「はい」と答えた。

 あれほど汚れた空気を持つ国なのに、そんなオートザムを「祖国」と呼び、「死ぬならばオートザムで死にたい」とまで口にする、ザズの母。どうして、と思った。家族をまざまざ哀しませるような道を、母親ともあろう人がなぜ選ぶのだろうと。けれどそんなことを言う資格は、風にはなかった。自分だって、家族を捨ててセフィーロを選ぼうとしている。家族が哀しむことをわかっていて、それでも風は、愛する人がいるという理由だけでセフィーロを選ぼうとしている。
 生まれ育った国を選ぶか捨てるかというのは大きな違いだ。けれど、ザズの母と風は「同じ」なのだ。ザズの母がオートザムを選ぶのは、そこに自分の愛する人がいるからだ。人は、空気の質で祖国を選ぶわけではない。そこに誰がいるか、どんな思い出があるかで祖国を選ぶ。ザズの母は、愛する家族がいるオートザムを愛し、祖国だと思っている。

 祖国といったら、私はどちらを選ぶだろう。風は自問した。普通に考えればそれは東京だけれど、骨を埋めたい方と聞かれれば、セフィーロと答えたくなる。
 簡単なことだ。風は、フェリオがいるところならどこでもよかった。それがセフィーロでもチゼータでもファーレンでも、あるはオートザムでも構わない。逆に、フェリオがいないのならば、その空間には何の意味もなかった。だから東京には帰りたくなかった。フェリオが東京に行くことがあり得ないからだ。
 フェリオに会いたいと、強く思った。ひとりで抱え込むのはもう、限界だった。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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