蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

諱 3. 涙

海誕企画★2013

言葉には「言霊」というのがあって、口に出した瞬間、その言葉は「力」を持つ。前にそんなことを教えてくれたのもあのひとだった。

本文は「続きを読む」からどうぞ。





 光には、「風の結婚式に参列しないわけにはいかないじゃない」などと当たり前のように言った。けれど本当は、今朝東京の自分の部屋で目を覚ましたときもまだ、今日セフィーロへ来るべきかどうか迷っていた。
 ゆうべ、両親と見ていたテレビの天気予報では、「明日の東京は雨でしょう」と言っていた。だから夜寝る前には、「もしも朝起きて、晴れていたら行こう」と考えた。そして、けさ。起きたその瞬間に開けたカーテンの向こうからは、眩しいほどの朝日が海に満面の笑みを向けてきた。にもかかわらず、だ。お天道様まで「今日はセフィーロへ行け」と言っているような状況であったにもかかわらず、気乗りしなかった。

 風の結婚を祝いたくないなどという理由では、断じてない。彼女がフェリオと結婚式を挙げると聞いたときは、本当に嬉しかった。親友の晴れ舞台なのだ、たとえどんな予定と重なったとしても出席するつもりだった。それでも当日の朝までセフィーロへ来ることを渋っていた理由は、風の結婚とはまったく関係のないところにあった。
「今の彼とうまくいったら、私、もうセフィーロには来ないかもしれないわ」
 身から出た錆だということは重々承知している。それでも、見栄を張ってついそんな啖呵を切ってしまった以上、セフィーロの人たちとはなんとなく、顔を合わせにくかった。

 そうは言っても、海がそんな発言をしたということを知っているのは光だけだ。それは三週間前、光しかいないところで口にしたことだった。光は他人との会話の内容をべらべらと吹聴して歩くような子ではないから、彼女以外の人が海の発言を知っている可能性は限りなく低い。そうとわかっていても、こちらの世界へは来づらかった。一度は関わりを完全に断とうと決意した世界にまた足を運ぶのは、未練がましくて厭だった。
 そこまで考えて、海は自嘲気味に笑った。
「一度じゃない、わね」
 呟き、背後の柱にトンと背中を預ける。首をもたげると、『精霊の森』そのものを表すような穏やかな空気が、無条件に全身を満たしていく。
 もう、こちらの世界へ来るのはやめよう。そんな決意を固めたのは、一度や二度のことではない。けれどその決意が貫徹されたことは、これまでに一度としてなかった。実際、今日こうしてセフィーロにいることが、何よりの証明だった。


「君とはなんだか、見ている先が違う気がする」
 「今の彼」にそう言って振られたのは、一昨日の夜のことだった。彼は海より八つ年上の28歳で、海が通う短大で美術の先生をしていた。最近ドラマや映画に引っ張りだこの俳優に似たイケメンで、一緒にいて楽しかったし、二度目のデートで告白されて、素直にうなずいた。
 彼とは、これまで付き合った男性の中で一番長く続いた。告白されたのが六月だったから、ちょうど半年か。恋人らしいことも一通りして、あっちの相性もよかったから、これはうまくいくかなと思っていた。だから三週間前、セフィーロに来たとき、「今の彼とうまくいったらもうセフィーロには来ないかもしれない」と言ってみた。
 本当にそうなればいいと思っていた。本当にそうなって、こちらの世界のことなんか、絶対にかなわない恋のことなんか忘れられたらいい。そう思っていたのに――神様は、海にはとことん冷たいようだった。

 誰と別れるときもそうだが、今の彼との最後の日も、淡々と過ぎていった。大抵の女の子は、付き合っていた彼氏に振られたらショックを受けるはずなのに、海にはそんな感情はなかった。ショックって、どういう状態を言うんだっけ。そんな風に冷静に考えていられる自分自身に呆れるほどだった。そして振られた翌日も、朝はいつもどおりやってきた。何も変わっていなかった。心も、状況も。

「恋の傷は恋でしか癒せないのよ」というのが母の口癖だった。さすが、血の通った娘のことだから手に取るようにわかるのか、母は海が彼氏に振られたときはいつも、こちらが何を言ったわけではなくてもそう口にした。それでも、初めてその台詞を投げかけられたときはさすがに驚いた。16歳になったばかりの当時の海には、付き合っている彼なんていなかった。それなのに、どうして母は、海に「恋の傷」があるなどと思ったのだろう。
 傷を負っていたのは確かだった。ただそれは、「かなわわぬ恋に気づいてしまった」という傷だった。別れた彼氏に傷つけられたわけでもなければ、告白した相手に振られて傷ついたわけでもない。ずっと心の中にあった自分の気持ちに気づいてしまって、勝手に傷つき、勝手に泣いていただけのことだった。

 今にして思えば、あのときの海は、何でもいいから縋るものが欲しかったのだと思う。相手が相手だけに誰にも相談などできなかった。かといって、一人で抱えるには気持ちは大きくなりすぎてしまっていた。そんなときにかけられた母の言葉は、まるで天の声かなにかのように思えた。「ほかに好きな人ができれば、忘れることができるかもしれない」。それは、ようやく見出すことができた一条の希望の光だった。

 幸い、海は街を歩いていれば必ずスカウトマンに声をかけられるほど見てくれは良かったので、「付き合ってください」という申し出自体はひっきりなしだった。それでもそのときまでは誰からの誘いもことごとく断っていた。誰ともそういう仲になるつもりはなかったし、いいなと思える人もいなかったからだ。けれど母からアドバイスを貰った翌日、最初に「付き合ってください」と言ってくれた男性の申し出を、あっさり受け入れた。たしか、当時通っていた女子高から一番近いところにある男子校の同級生だったと思う。顔はよく覚えていないけれど、不細工ではなかった気がする。生まれて初めてのキスが、直前に食べたレモンパイの味だったことだけは強烈に覚えている。当時彼は、「初めてのキスはレモン味って言うだろ? だから、レモン味のお菓子を食べた後にしようって決めてたんだ」とはにかんだ。そんな漫画みたいな展開が世の中にあるんだと、ほとんど他人事のように感心したものだった。

 けれどそんな彼にも結局、漫画のようなキスをしたちょうど一週間後にあっさり振られた。「ほかに男がいるんだろ」という捨て台詞とともに。そんなことはないとどんなに言っても、彼は信じてくれなかった。何が彼をそれほど疑心暗鬼にさせたのかはわからない。海には本当に、当時彼以外に付き合っている人などいなかった。ただ、もしかしたら、心の中に秘めていた想いに気づかれてしまっていたのかもしれない。
 一方的に振られたので後味は良くなかったけれど、去っていく彼を必死になってまで引き留めようとはしなかった。その時点で海自身、それほど彼に執着してはいなかったのだろう。

 思わず自嘲気味な笑みがこぼれた。もたれていた柱から首を起こす。哀しいほどに穏やかな風が、海の頬を優しく撫でていく。寄り添ってくれるこの風と話ができたらいいのに、残念ながら、海には自然の声は聞こえない。
 この『精霊の森』は、海にとっては「特別」だった。この世界に初めて招喚されたときに降り立った場所であり、魔法を授かった場所だった。一度は『柱』の消滅とともにこの森も廃墟と化したけれど、その後こうして再び、さらに美しく蘇った。そして――この森を誰よりもよく知り、誰よりも愛しているひととの思い出が一番多いのも、この森だった。

 彼に対するかなわぬ恋心に気づいてしまってから、もう四年の月日が流れた。この間、何度この森を一緒に歩いたか知れない。時には精獣の世話をするために、時には薬草を摘むために、時にはただ、他愛もないお喋りをするために。彼はいつも海の隣にいてくれたけれど、二人の間には常に、決して埋められない距離があった。それは、「四年」という月日だけでは決して埋めることのできない距離だった。

「おひとりですか?」
 突然、草を踏む音が間近でした。思わずぴくりと肩を震わせ、小さな悲鳴を上げて振りかぶる。まさかこんなところに人がいるとは思っていなくて、心底驚いた。けれどそこに立っていた人がよく見知った人だったので、海はほっと息をつき、いかっていた肩をすとんと下ろした。
「イーグル」と海は言った。「びっくりしたわ」
「すみません」と彼は肩を竦めた。「割と大げさな足取りで歩いていたつもりだったんですよ。ずいぶんと深く考え込んでいたようでしたから、気づかなかったのでしょう」
「……そうかもね」
 つい顔を逸らした理由は、自分でもわからなかった。

 一瞬会話が途切れる。そうすると、この森の中がいかに静かなのか気づかされた。確かに、これほど静かな森の中で足音を立てて歩いていたら、気づかないわけがない。自分ではそんなつもりはなかったけれど、どうやらイーグルの言うとおり、ずいぶんと深く考え込んでいたらしい。
「隣、いいですか?」
 一呼吸置いて、イーグルは言った。海は「もちろん」とうなずき、東屋の形に添ってなだらかな円を描いたベンチのわずか奥に移動した。そんなことをしなくてもスペースはじゅうぶん空いていたけれど、そうした方が、イーグルを拒絶していないという意思表示になるような気がした。
 隣に座っても、イーグルはしばらく何も言わなかった。静かに、ただ時間だけが流れていく。東屋の外で、木の葉が名残惜しそうに弧を描きながら地面に落ちた。「時間」というものを形に表すことができるとしたら、そんな風になるのかもしれないと思った。

 ずっとこの国で療養していたせいだろうか、イーグルは驚くほどセフィーロの空気に馴染んでいた。今こうして『精霊の森』の中に彼がいることに、違和感がひとつもない。知らない人が見たら、イーグルがオートザムの人間だとは信じないかもしれない。
 彼だけではない。光や風もそうだった。彼女たちはどんどんセフィーロの人間に近くなっていく。もちろん見た目の違いはあるし、風は未だに海のことを「海さん」と呼ぶ。それでも、彼女たちを取り巻く空気というかオーラというか、そういうものが、セフィーロの人たちに似てきていた。今日二人に会って、そのことを強く感じた。

 本当に、私だけ、置いてきぼり。
 沈黙の中にいるうちに、自分自身の心にピンと張っていた膜が解けるのを感じた。その内側から、抑え込めないほどたくさんの言葉が湧き上がろうとしていた。
「綺麗だったわね、風とフェリオ」
 それでも何とか取り繕おうとして、前を向いたまま、静かに当たり障りのないことを口にした。
「ええ、とても」
 左隣に座ったイーグルの醸し出す気配は、至って平穏だった。それは声にも表れている。その平穏さを感じれば感じるほど、それとは対照的に自分自身の心が乱れてくるのを感じた。
「私」
 発した声は、理性という制御を振り切り、どうしようもなく震えた。
「自分が、きらい」
 視界の隅に映ったイーグルの手が、ぴくりと動いた。彼はわかっているのだろうと思った。海は拳を握りしめた。
「中途半端なのよ、何もかも。かなわないってわかってるのに諦められなくて、忘れようと思うのに、ほかの人も好きになれないの。結局、いろんな人を傷つけて、いろんな人に心配かけてばかり。自分は傷つきたくなくて告白もできないくせに、ほかの人がそばにいるのも厭で……」
 戴冠式で、フェリオに冠を授けたそのひとを補佐していたのは、プレセアだった。それは至極当然のことで、そこには何の厭らしさもない。頭ではわかっているのに、あの瞬間確かに顔を覗かせた「嫉妬」という感情は、今も生々しく心の奥深いところに残っている。
「ばかね」と海は吐き捨てるように言った。「ほんと、ばかよね、私」
 言葉には「言霊」というのがあって、口に出した瞬間、その言葉は「力」を持つ。前にそんなことを教えてくれたのもあのひとだった。それは本当にそのとおりで、口に出して言うと、本当に自分はばかだと思えた。その気持ちは苦笑いとなって、自然と口からこぼれ出た。

「ばかなんかじゃありません」
「え?」
 思いがけない言葉が聞こえた。海は瞠目し、イーグルを振りかぶった。見つめた横顔は、こちらがどきりとするほど凛としていて力強かった。視線は真っすぐ前へと向けられている。真に強い者のまなざしがそこにあった。ゆっくりとこちらを振り向くと、そのまなざしは確かに海を捉えた。強く、それでいて優しい瞳だった。
「あなたはばかなんかじゃありませんよ」
 言葉としては平凡だったかもしれない。誰だって、「ばかよね」と言われれば「そんなことはない」と言うだろう。けれど今イーグルが放った言葉は、なぜか海の心を大きく揺さぶった。心の中の最も繊細な部分を丸ごと包み込んでくれるような温かさが、そこにあった。本当はずっと、こんな温かさを求めていたのかもしれない。欲しかったのは、これかもしれない。そう思った。

 笑えていたか自信はない。それでも努めて笑おうとした。そこまでが限界だった。海はイーグルから視線を外すと、そのまま彼の肩に自らの頭を乗せた。
「ごめんね、今だけ……」
 それだけを言うので精いっぱいだった。そこから先は、嗚咽に取って代わられた。どんなに押し殺しても、時折漏れる咽ぶ声は抑えきれなかった。
 イーグルは何も言わなかった。途中、そっと肩に手を置いてくれたけれど、それだけだった。それから海が泣き止むまで、ずっと肩を貸してくれていた。人の肩というのは温かいのだということを、このとき初めて知った気がした。




web拍手 by FC2

コメント

コメントを投稿


管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック

TB*URL

PrevEntry |  to Blog Top  | NextEntry
What's new?
ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

▶ 連作短編集を始めました。クレ海学生パラレルです。今後年中行事に合わせて不定期更新の予定です。詳しくはこちらからどうぞ。

▶ こちらは作品展示専用です。コメントへのお返事は別ブログにて行っております。
カテゴリー
最新記事
月別アーカイブ
全記事表示
Counter
プロフィール

篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

このブログは作品展示専用です。
いただいたコメントへのお返事は別ブログにて行っております。
どうぞお気軽にコメントお寄せくださいませ^^

 

Copyright ©蒼穹楼. Powered by FC2 Blog. Template by eriraha. Photo by sozai-free 2000px.