蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

諱 4. 女

海誕企画★2013

思えば、海はいつもあの大きな瞳に涙を溜めているような印象があったけれど、はっきりと泣くところを見たのは今日が初めてだった。

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 戴冠式の後には晩餐会が予定されていたこともあり、当初はセフィーロで一晩を過ごす予定だった。ところが、「急ぎ戻れ」という父の言伝が側近から齎されたことで、事態は一変した。少ない言葉からも父が自分を求めていることを察したイーグルは、後ろ髪を引かれる思いでNSXに乗り込み、日暮れを惜しむセフィーロを後にした。

 戴冠式――もとい、フェリオと風の結婚式に参列するため、イーグルは煌びやかな装飾が施されたオートザムの正装に身を包んでいた。その服は、確かに今回のようなイベントの際にはよく映えるが、普段オートザム城で生活するにはあまりにも物々しすぎる。城をうろうろと歩く前に、せめて普段着に着替えさせてほしかった。だがオートザムに着くと、NSXの発着場ではすでに父・大統領の付き人が待ち構えていて、「すぐに応接間へご案内するようにと仰せつかっております」と仰々しく頭を下げてきたので、あえなくその望みはかなわないこととなった。

 イーグルが正装していることを、父が知らないはずはない。にもかかわらずすぐに、と言ったということは、イーグルが正装で応接間へ向かうことをよしとしているということだ。父がいいと言うのであれば、正装で出向くことに違和感を抱く必要はない。だが「応接間へ」と言われた瞬間、イーグルは思わず抵抗感を覚えてしまった。父が自分を急ぎ引き戻した理由に、気づいてしまったからだ。

 父は、環境汚染が浄化されていくにつれて以前の父とはまるで別人のようになり、今となっては大抵のことはイーグルのやりたいようにやらせてくれるようになっていた。息子の命の恩人とも言うべきセフィーロとの交流を、父自身重視している。今日が、そのセフィーロで新たに「王」に指名されたフェリオと、その妃となる風の戴冠式であることは、前々から告げていた。「一晩くらいゆっくりしてこい」とは父が言い出したことだったのだが、その父が、自らの言葉を否定するかのように途中で「急ぎ戻れ」と使者をよこすほどのこととは、オートザム国内でよっぽど何か重大な問題が起きたと考えるのが自然だ。しかし当の父がイーグルを連れてくるようにと告げたのは「応接間」だという。ということは、父は今誰かをもてなしていて、その場にイーグルがいないのは都合が悪いために呼び戻したということだ。父が自らの言葉を覆してまでイーグルに会わせようとする人物など、たった一人しか思い浮かばなかった。


 付き人に先導され、あっという間に応接間にたどり着く。扉の前で付き人は一歩左に退き、その場で跪いた。
「申し上げます。ご子息がお戻りでございます」
「入れ」
 扉の向こうから父の声がしたかと思うと、次の瞬間には無機質な扉が機械音を立てて横にスライドし出した。部屋の中から漏れてきた明るい光に、一瞬目を焼かれる。それをごまかすため、胸元に片手を当てて軽くこうべを垂れた。扉が完全に開かれるころには、もう目も大分慣れていた。
「ただ今戻りました、父上」
「おお、これはこれは、ご子息殿! 今日はまた一段と凛々しく見えますなあ」
 しかし、と言うべきか案の定、と言うべきか、わざわざ父を名指ししたにもかかわらず、イーグルを招き入れた声は、父のそれとは似ても似つかない声だった。

 決して感情が表に出ないよう、ほほ笑みの仮面を被ってから顔を上げる。すると応接間の真ん中に向かい合って置かれた長いソファのうち、上座の方から、ふくよかな男が立ち上がった。
「お褒めに与り、光栄です」とイーグルは言った。「会長こそ、お元気そうで」
 口角が下がらないようにだけ注意しながら、応接間の中に入る。背後で扉の閉まる音がした。ソファへ寄ると、まずは下座の父に向かって軽く頭を下げた。それからその父の方に寄って立ち、上座に立っている男に座るよう勧めた。男もまた、イーグルに座るよう勧めてきたが、長居するつもりはなかったので、それは丁重に断った。

 改めて男を見る。よほど気に入っているのか、彼はいつ会っても同じ茶色の燕尾服を着ていた。中に着た白いシャツのボタンが、腹の肉で今にもはち切れんばかりに膨らんでいる。きっちり詰められた首の蝶ネクタイが、窮屈だと必死に叫んでいる。毛先がくるんと丸まったちょび髭が、彼のトレードマークだった。男は父よりいくらか年上だと聞いているが、その風貌のせいか、はたまた全身から放たれるオーラのせいか、男は父よりもだいぶ若く見えた。どれだけの頻度で手入れしているのかは知らないが、彼のスキンヘッドはいつ見ても見事としか言いようがなかった。

「会長が、どうしてもおまえに会いたいとおっしゃってな」と父が言った。「急ぎ使いを出したのだ。間に合ってよかった」
 父に向けた視線に、本当は、「よくもくだらないことで呼び戻してくれましたね」という意味を込めるつもりだった。だがそれよりも先に父の方が「すまないな」とその目で訴えてきたので、うまい具合に出鼻をくじかれてしまった。
「いやいや大統領、誤解を生むような言い方は止めてくれ」と男が顔の前でひらひらと手を振った。「ご子息殿に会いたいのはわしではなく、娘のシルヴィアの方なのだから」
 男の笑い声が、応接間全体にこれでもかというほどに響き渡った。相手がその男でなければあからさまに眉間に皺を寄せるところだったが、なんとか堪え、視線を逸らすだけに留めた。
「そうでしたね」と父は言った。「これは、失敬」
 父は涼しい顔で、おもねるように笑った。その背後にきらめく苛立ちのオーラに気づけるのは、恐らくオートザム中を探してもイーグル以外にいないだろう。父は、本心を隠すという点においては天才的な能力を発揮する。今の父を見て、まさか向かいの男に苛立っているとは誰も思うまい。

「お嬢様は、どちらに?」
 イーグルもまた、努めてほほ笑みながら訊ねた。しかし父の被る鉄壁の仮面には遠く及ばないだろうという自覚はあった。イーグルの問いに答えたのは、その父の方だった。
「隣の応接間にてお待ちいただいている。会長は午後6時から本社で会議があるそうでね。それまでには帰りたいと仰せだ」
「では、僕は一旦着替えてお嬢様のところへ向かいます」と言ってから、イーグルは男に視線を移した。「宜しいですか? 会長」
「宜しいも何も」と男は言った。「そなたに会いたいという娘の希望で来たのですからな。老人たちは置いて、ささ、行ってくれたまえ」
 つくづく空気の読めない男だと思う。男の発した「老人たち」という言葉に父の表情が引き攣ったのを、イーグルは確かに横目で捉えていた。今夜の夕食の話題は決まったな、と心の中でひとりごちた。延々と、父の愚痴を聞かされることになるだろう。もっとも、この男がやってきた日はいつもそうなのだが。
「それでは、お言葉に甘えて失礼いたします。会長、ごゆっくり」
「ごゆっくり」の部分をさりげなく、それでいてことさら強調し、部屋を後にした。扉が閉まっても回廊まで響く「がはは」という笑い声に、思わずため息をついた。

***

 もともと、男の娘、シルヴィアが応接間にいるとは思っていなかった。シルヴィアは応接間で大人しく自分の帰りを待っているような女ではない。もっとも、シルヴィアがどこにいようと大した問題ではなかった。自分の部屋以外であれば、城の中のどこを歩き回っていようが知ったことではない。
「お帰りなさい、イーグル」
 ところが、自室の扉が開かれた瞬間耳に届いたトーンの高い声に、われ知らずがっくりと肩が落ちた。ついこぼれたため息は、うんざりするほど重かった。
「お嬢様。僕の部屋には勝手に入らないようにと、以前にもお伝えしていたはずですが」
「いいじゃない。どうせ軍の機密書類はパスワードが掛かって見られないようになってるんだし」とシルヴィアはあっけらかんとして言った。「それに、未来の旦那様がどういうところで仕事をしているのか知りたいと思うのは、フィアンセとして当然のことでしょ?」
 そんな会話が交わされるのは、今日が初めてではなかった。

 シルヴィアが腰掛けたリクライニングチェアが、彼女が体を揺らすたびに音を立てる。はっきり言って耳障りな音だった。だいたいそのリクライニングチェアは、もともとイーグルの部屋にはなかったものだ。シルヴィアが、「この部屋には座り心地のいい椅子がないわ」などとほざいて、強引に宅急便で送ってきたものだった。つまりは彼女専用の椅子ということになる。
「それから」
 いじっていた髪から手を外して、シルヴィアはこちらをツンと見上げた。
「『お嬢様』じゃなくて、『シルヴィア』よ。以前にもお伝えしていたはずだけど」
 にっこりと笑ったシルヴィアの言葉には、明らかな棘があった。

 初めて彼女に会ったとき、シルヴィアが本当にあの「会長」と呼ばれる男の実の娘なのか、疑いを持つことを禁じ得なかった。二人は似ても似つかなかった。ふくよかな――というより、明らかな肥満体型――の会長に対して、シルヴィアはモデルのようにほっそりとしている。髪の毛も、スキンヘッドの父とは対照的に、栗色のロングヘアで豊かだった。美に惜しみなく金を掛けていることは一目瞭然で、23歳でありながら、その肌は10代と言っても通用するほどの透明感を持っていた。
 そのシルヴィアを一瞥し、自らの机に向かうと、いつもの椅子に腰を下ろした。なんだかどっと疲れていた。着替えようという気にもならず、正装のまま椅子に深く身を沈める。そもそも「応接間にいる」という体であったシルヴィアに会いに行くために着替えようと思っていただけのことで、彼女に会うという目的が達せられた以上、気乗りしないなら着替える必要もなかった。

「ねえねえ」とシルヴィアが椅子から降りてこちらへやってきた。「今日はセフィーロへ行っていたんでしょう? 聞いたわよ、新しい国王と王妃の戴冠式だったんですってね。私も連れて行ってくださったらよかったのに」
 机の向こう側に手をついて、シルヴィアは身を乗り出してきた。胸元が深く開いた服を着ているので、こちらからは谷間がくっきりと見える。わざとそうしているのだろうが、まったくそそられなかった。それよりも、今日セフィーロで久しぶりに見た海のアップヘアのうなじの方がよほど扇情的だったと思った。
「あなたを連れて行く理由はありませんよ」とイーグルは言った。「招待されていたのは僕ですし」
 努めてため息交じりにならないよう気をつけていたつもりだった。だが吐き捨てるような言い方になるのを止めることはできなかった。急ぎの仕事も特になかったが、手持無沙汰だったので、書類がしまってある引き出しに手を伸ばした。
「いいじゃない。どうせ夫婦になるのよ、私たち」とシルヴィアは言った。「さりげなく他国の人たちに知らせることもできた、いい機会だったじゃないの」
「『まだ』夫婦じゃないでしょう」
 顔を上げずに言い放った。しまった、と思ったが、それは表情に出さないよう平静を装う。シルヴィアの気配がピシリと固まったのが伝わってくる。やがて机についていた手を離すと、シルヴィアはイーグルに背を向けてつかつかと歩き出した。
「いいのかしら。そんなことおっしゃると、父に言いつけるわよ」
 イーグルが取り出した書類がどうでもいいものであることに、この女は気づいているのだろうと思う。
「申し訳ありません。前言撤回ということで」
 そのどうでもいい書類にサインをしながら、イーグルは言った。
 シルヴィアは、思ったことをそのまま口に出す典型的なわがまま娘だが、決して頭の悪い女ではなかった。「父に言いつける」という一言の持つ威力をよくわかっていて、自分の思いどおりにならないことがあれば、いつもその一言を口にする。そしてそう言われてしまえば、たとえイーグルであっても「申し訳ありません」と言うしかないのだった。

「会長」、時には「メディア王」とも呼ばれるシルヴィアの父は、オートザム随一の巨大企業グループを率いる最高権力者だった。その影響力たるや甚大で、大統領である父でさえ、会長には容易に逆らえない。今日、セフィーロへ行っていたイーグルを父が強引に引き戻したのも、そのためだ。会長の言葉は、父の言葉と並んでこのオートザムでは絶対だった。そして、その会長が「娘も年ごろでね」と言った瞬間、シルヴィアとイーグルの縁談は決まった。
 二人が引き合わされたのは半年ほど前のことだ。そのときイーグルはシルヴィアとは初対面だったが、シルヴィアの方は、大統領の息子ということでイーグルのことを知っていたようだった。彼女は当時から、一目で苦労せず育ってきたことがわかる、23歳とは思えないような自信あふれる表情をしていた。そのシルヴィアがイーグルに向かって最初に口にした言葉は、「はじめまして、未来の旦那様」だった。


「まあいいわ」とシルヴィアは吹っ切るように言った。「あなたに会えて目的は達せられたし、今日はこれでお暇するわね」
 近くのソファに置いていたチェーンバッグを手に取ると、シルヴィアは机を廻ってこちらへやってきた。頬に手を置かれ、無理やり顔を上げさせられる。シルヴィアの手は、いつも燃えるように熱い。
「またね、ダーリン」
 触れるだけの口付けを頬にして、シルヴィアは上機嫌のまま部屋を出て行った。口付けられたところに触れてみると、指にグロスがついてきらめいた。

 彼女が出て行った後も、シルヴィア愛用の香水の匂いはなかなか消えなかった。雨の日に体にまとわりつく水蒸気のようだった。背後にある窓を、勢いよく開け放つ。風が吹き込んでくると安心した。思わずほう、とため息を漏らすと、ずいぶんと自分自身が疲れていることに気づかされる。
 椅子を窓の方へ向けたまま、組んだ脚の上で軽く指を絡め合わせた。髪を掻き上げる風が心地よい。そんな風を、かつては崩壊寸前まで追い込まれていた祖国で感じることができるようになって、心から嬉しいと思う。
 今感じている疲労が、シルヴィアに会ったからというわけではないとわかっていた。シルヴィアは、一緒にいて疲れるような女ではない。確かにわがままだが、場の空気を読む能力には長けているし、意外とあっさりしているところもある。今も、イーグルの機嫌が良くないことを悟って、さっさと帰ることを選んだのだろう。さすが、このオートザムで「メディア王」と呼ばれる男の娘なだけはある。

 シルヴィアと一緒になることを打診されたとき、特に嫌悪感も抱かなかった。むしろ意外にも父の方が、不快感をあらわにしていた。父は母と大恋愛の末結ばれたため、完全な政略婚である息子の縁談をよく思っていないようだった。「断るならば断ってもいい」とまで言われたときは、さすがのイーグルも驚いた。
 けれどイーグル自身は、政略婚をそれほど厭だとは思っていなかった。いずれ大統領となる身分なのだ、妻となる女には、後ろ盾があればあるほど良い。そういう意味で、この国で父と並ぶ権力者を父に持つシルヴィアは、妻にするには最適だとさえ思っていた。それなのに――自分自身の気持ちが少しずつ変わり始めている現実を、無視できなかった。

「ごめんね、今だけ……」
 絞り出すような海の声が、耳の奥に残って離れない。思えば、海はいつもあの大きな瞳に涙を溜めているような印象があったけれど、はっきりと泣くところを見たのは今日が初めてだった。それだけ、彼女の気持ちは追い詰められているということなのだろう。あの娘の恋心は、日の目を見ることがないままもう四年、出逢ってから数えれば六年の歳月をそこで過ごしている。お互いを想い合っていることは明らかなのに、どうしてあの娘とセフィーロの魔導師の恋はうまくいかないのだろう。

「僕は一旦オートザムへ戻りますが、またすぐこちらへ来ます。いつもの部屋にいますから、何かあったら、いつでも来てくださいね」
 去り際、そう言ってやるだけで精いっぱいだった。「ありがとう」と泣き笑いした娘の表情は、今すぐ抱きしめたくなるほど儚げだった。
 目を瞑っていただけなのだろうと思う。だが今、イーグルははっきりと、海を抱きしめて慰めてやることができればいいのにと思ってしまっている己の心を自覚していた。
「困りましたね」
 誰にともな呟いた。皮肉なものだな、と思う。まるで堂々巡りをするように、このままでは誰の想いもかなわぬまま、ただ時間だけが刻々と流れていくのだろう。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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