蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ラスト・リング 14. 交錯

10万ヒット企画

「かなわない恋」――自分で自分の言った言葉を重く感じた。そう、この恋は絶対にかなわない。

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 翌朝は、始発から二本目の電車に乗り込んだ。昨晩家に着いたときにはもう23時を廻っていたのに、われながらよくやるなと思う。ただ、目覚めは驚くほどすっきりしていた。しかも、さすがにそれほど早い時間ともなると電車はがらがらに空いていたので、余計に頭が冴えた。

 形にしたいアイディアがあった。ゆうべ部長がレストランに連れて行ってくれたことが大きなヒントになった。「ル・プレリュー」の二号店も、あの店と同じように20代から30代をターゲットにしている。その分価格設定は安めで、ワインも、一号店で出している何万円もするようなものは置かないつもりだ。料理の内容も、一号店とはまるで違う、ほんの少しおしゃれなフルコース。それでいいと思っていた。「ささやかな非日常」をテーマにすればそれだけで、うまくいくと思っていた。でも、本当にそうだろうか。

「前回の企画は、所詮は『有名店の二号店』という看板を使っているだけだ」
 部長の何気ない一言が、私をはっとさせた。部長の言うとおり、これまでは、「ル・プレリューの二号店」という武器だけを手に戦いに赴こうとしていた。でも、二号店が提供するべきものはそういうものではない。そもそも「二号店」ではだめなのだ。二番煎じは必ず比べられる。そして往々にして、一番手には勝てないものだ。二号店が提供するべきものは、一号店の二番煎じではない。二号店に行かなければ味わうことのできない特別な「何か」だ。
 それがわかれば、あとはもう簡単だった。彗星のように舞い降りたアイディアをまとめるだけだ。今度こそうまくいくと、確信を持っていた。それは、盗まれた以前のアイディアにかかずらっていたときには感じなかった気持ちだった。
 最寄り駅に着くと、ホームから改札階までの階段を駆け下りた。朝の爽やかな空気が、心を吹きさらっていくようだった。

***

 部長が企画書に目を通すのを、イーグルと二人で固唾を呑んで見守る。部長の一挙手一投足に、いちいち体のどこかしらが反応する。心臓の音がイーグルに聞こえはしないかと、そればかりが気がかりだった。
 早めに出社することを考えていたのは私だけではなかったようで、7時半には早くも三人はそろっていた。それから三時間、部内ミーティングをするとき以外はずっと会議室にこもりきりになり、私たちは新しい企画書の作成に没頭した。三人で力を合わせて作ったものだが、部長に最終チェックをしてもらわなければ、完成とは言えない。部長は、自分が当事者として関わった案件であっても客観的な視点を持って見ることのできる人だった。

「いいだろう」
 低気圧のようにのしかかっていた重苦しい沈黙を破り、部長は顔を上げた。
「これでいこう」
 私とイーグルを交互に見て、部長はほほ笑んだ。
「ほんとですか」と私は思わず身を乗り出した。
 ああ、と部長はうなずいた。ほっと肩の力が抜けそうになって、私は慌てて姿勢を正した。前回も言われたが、まだ終わりではない。明日、約束の金曜日に先方にプレゼンをするまでは、そして結果が出るまでは、終わらない。
「前回のより格段に良く仕上がったと思います」
 イーグルが笑顔で言った。
「海のアイディアのおかげですね」
「そんなことないわ」と私はかぶりを振った。「全部、部長のおかげよ。部長がヒントをくれなかったら、私、あのまま煮詰まってたわ」
 イーグルのことを見てこそいたが、それは部長を存分に意識した言葉だった。けれど部長は、まだ企画書とにらめっこを続けていた。彼が何のコメントもくれないことに、少しがっかりした。

「おや」
 代わりにいたずらな声色で口を開いたのは、イーグルだった。
「どういう風の吹き回しですか、海。ついこの間までは、部長のことを毛嫌いしていたと思いましたけど」
「なっ、け……毛嫌いだなんて」
「違いましたっけ? あれ、僕の勘違いだったかな」
「イーグル!」
 すっかり動転して、私はイーグルの腕をつかんだ。本人が目の前にいるのに、なんてこと言ってくれるの。気まずすぎて、部長のことをまともに見られない。ところが部長は、驚いたことにまだ企画書を見つめていた。まさかこちらの話が耳に入っていないのかしら。この至近距離でそんなこと、あり得ないと思うけど。
「少し直すところがあるが」
 私の困惑をよそに、部長は常と変わらぬ口調で言いながら立ち上がった。
「続きは午後からにしよう。二人とも、昼はしっかり食べるように」
「あ……はい」
 立ち上がり、私は肩透かしを喰らった気分で曖昧な返事をした。会議室を出ていく部長の背中を目だけで追いながら、淋しいな、と柄にもなく思ってしまった。

「ああ」
 扉を開けたところで、部長は何かを思い出したように立ち止まった。そしてやおらこちらを振り向き、言った。
「私を毛嫌いするのは構わないが、仕事には支障をきたすなよ、龍咲」
 最後の余韻に加わったのは、勝ち誇ったような笑みだった。その余韻が完全に消えないうちに、会議室の扉は静かに閉ざされた。
 残された私は、羞恥でぶるっと肩を震わせた。
「イーグルのばか!」
 渾身の力を込めてイーグルの腕を叩いた。けれど彼はまったく意に介さず、むしろ楽しそうに笑った。イーグルのことを憎いと思ったのは、後にも先にもこれが唯一のことだった。

 火照った頬を押さえながら、席に戻る。するとそのタイミングで、携帯が鳴った。開くと一通のメールが届いていた。
『よろしければ、お昼ご一緒しませんか?』
 文面から、アドレスを見なくても差出人が誰かわかった。ちょうど、ランチはどうしようかと考えていたところだった。了承した旨と、そばのカフェを提案した内容を書いて返信する。何秒もしないうちに、「すぐに向かいます」という返事が返ってきた。それを確かめて、携帯と財布だけを手に、私は一人フロアを出た。


 お昼時で混んできそうだったので、先に店に入って待っていることにした。運よく窓際の席が空いていたので、そこにつく。店員が二人分の水とおしぼりを持ってきたちょうどそのとき、店の外に風の姿が見えた。彼女に向かって小さく手を振る。きょろきょろしていた風は、私の動きに気づくとにっこり笑い、中へやってきた。
「ごめんなさい、お待たせしてしまって」
「ううん、私も今来たところよ」
「光さんもお誘いしたんですが、お時間が合わなくて」
「仕方ないわね」
 頼んでもいないのに店員が伝票を手にやってきたので、一旦会話を中断する。風は迷いなく今日のランチを頼んだ。私もいつもどおりカレーを頼もうとしたけれど、途中で考え直し、風と同じものを頼んだ。

「珍しいですわね、海さんがこのお店でカレー以外のものを召しあがるなんて」
 店員が去ると、風がきょとんとして言った。
「ゲン担ぎよ」と私は言った。「今日のランチが『ヒレカツ』だったから。明日のプレゼンに向けてね」
 すると風は、はっと口元に手をやった。
「ごめんなさい。お忙しいときにお誘いしてしまいました?」
「ううん、だいじょうぶ」と私はかぶりを振った。「まあ、忙しいことは忙しいけど、新しい企画の骨子は出来上がったの。あとは推敲するだけよ。部長にも、『昼はしっかり食べるように』って言われてきたし」
 それでも風の表情は冴えない。ピザ屋の一件をまだ気に病んでいるようだった。風は何も悪くないのだから、気にしなくていいのに。それにそう思ったからこそ、あの夜何が起きたのか、彼女と光には一部始終を話していたのだ。それでもこうして、風は申し訳なさそうな顔をする。話さない方がよかったかなとも思うけれど、そんな気を遣うようなこと、風も光も望まないだろうと思った。

「では、順調なんですの?」
 私の気持ちを汲んだのか、風は「ごめんなさい」という言葉は顔に書くだけにして、口には出さなかった。その心遣いが純粋に嬉しくて、自然と笑顔になった。
「ええ。前回とは比べ物にならないくらい、いいものができたわ。部長のおかげでね」
「クレフ部長の?」
 風が目を丸くしたとき、今日のランチが運ばれてきた。「いただきます」と私たちは声をそろえた。

「うまくやっていらっしゃるんですのね」
 味噌汁を一口飲んでから、風はほほ笑んで言った。
「え?」と私は瞬いた。
「海さんから、クレフ部長に関して愚痴以外のことを聞くのは、これが初めてですから」
 ヒレカツを口に運んだその姿勢のまま、われ知らず一瞬固まってしまった。瞠目して風を見やる。彼女はふふふ、と楽しそうに笑った。途端に恥ずかしくなって、ヒレカツに視線を落とした。
「そ……そんなことないわよ」
「そんなことありますわ」
「仮にも部長だもの。最初から尊敬してたわ」
「『あんな男と結婚する奥様の気が知れない』、とおっしゃってましたわよ、海さん」
 思わず箸を落とした。慌てて受け止めたので下には落とさずに済んだけれど、ご飯茶わんと箸がぶつかり合って、むしろ箸を落とすよりも大きな音が立った。ちらりと上目遣いに風を見ると、相変わらず笑っている。私はため息をつき、そっと箸を持ち上げた。
「わかったわ。もう認める。確かに私、そんなことも言ったわね」
 事実風の言うとおり、ずいぶんと部長のことを嫌っていた時期もあった。けれどそれは、もうだいぶ昔のことのような気がした。本当はそんなことはなくて、部長への気持ちに気づいてからはまだ一晩しか経っていないのだけれど。でも、そんな気はまったくしなかった。部長の愚痴をこぼしていたことを、懐かしいとさえ思った。

「今はそうではないのですね」
 風が言った。私は顔を上げ、彼女の視線を受けた。咄嗟に笑顔が浮かんだのは、照れ隠しだろうか。自分のことなのに、わからない。
「風」と私は言った。「笑わない?」
「え?」
「笑わないで聞いてくれる?」
 風は不思議そうに首を傾げた。けれど私は、それ以上言う前に風の答えを待った。やがて風は、訝しがりながらもこくりとうなずいた。それを確かめて、私は言った。
「好きになっちゃったの」
 風が目を見開く。私は急いでもう一度笑みを取り繕い、顔を逸らした。これはやっぱり照れ隠しだと、そのとき確信した。
「好きになっちゃった。部長のこと」
 言った途端、本人を目の前にしているわけでもないのに胸が苦しくなった。甘酸っぱい、イチゴのような気持ち。ああ、と私は思う。これを人は「恋」と呼び、この甘酸っぱさが甘くなるか酸っぱくなるかで、一喜一憂するのだろう。

「よかった」
 風の意外な言葉に、私ははたと顔を上げた。風はほほ笑んでいた。それはもちろん、照れ隠しではなく。
「お気づきになったんですね」
「え?」と私は瞠目した。それから何度か瞬き、やがて口をあんぐりと開けた。「もしかして、あなた、わかってたの?」
「ええ」と風はうなずいた。「海さんはとてもわかりやすいですから」
 そんな、と言ったつもりだったけれど、それは声にならなかった。まさかそんな、私でも気づかなかったことに、風の方が先に気づいていたなんて。
「うそお」
 代わりにそう言って、両手で顔を覆った。恥ずかしさのあまり、顔から火が出そうだった。
 でも、と思い直す。私のことだからこそ、風はいち早く気づいたのかもしれない。私だって、風がフェリオ先輩と付き合っていることを瞬時に見抜いたのだ。あれは、風のことだったからだ。彼女の様子を客観的に見ることができていたから、気づいたのだ。

「え?」
 そこまで考えて、私ははっと顔を上げた。
「ちょっと待って」
 客観的に見ることができる=人の心の機敏に敏い、という方程式が成り立つのだとしたら、いるではないか。存在それ自体からして客観的な人が。
「も……もしかして、部長にも気づかれてる?」
 すがるように風を見た。けれど彼女は涼しい顔をして笑うだけで、まったく他人事であるかのようなそぶりを見せた。
「私には、クレフ部長のお考えまではわかりませんわ」
 それって、肯定してるも同じじゃない。はあ、と息をつき、私はがっくりと項垂れた。かなわない恋なうえに、本人に気づかれてしまっているとしたら、これほど哀しいことはない。
「そうよね」
 無意識のうちに呟いていた。「かなわない恋」――自分で自分の言った言葉を重く感じた。そう、この恋は絶対にかなわない。部長にはもう決まった相手がいる。彼の薬指には、絶えずプラチナのリングが光っている。部長に誰よりも大切にされている奥様を、心からうらやましいと思った。

「かなわないと決めつけるのは、時期尚早ではないでしょうか」
「え?」
 驚いて顔を上げた。風の言葉が、私を慰めようとしてくれる殊勝な心掛けからくるものなのか、それともただ単に彼女自身の感想を述べているだけなのか、このときはまだ判断できなかった。
「これはあくまでも、私の主観ですが」
 そう前置きして、風は続けた。
「ご家庭であまりうまくいってらっしゃらないのではないでしょうか、クレフ部長」
「は?」
 私は思わず間抜けな声を出した。
「もちろん想像の域は出ませんわ。ただ――」
「ちょ、ちょちょちょちょっと」と私は風を押しとどめた。「どうしてそういう話になるのよ。そんな、部長の家庭がうまくいってないだなんて」
 胸が厭にどきどきした。風が私を見返す。知的な瞳だと、いつ見ても思う。
「では伺いますが、海さん、クレフ部長からご家族のことをお聞きになったことはありますか?」
「そりゃあ……」
 もちろん、あるわよ。そう答えるつもりだったのに、できなかった。そういえば、あのひとの家族の話なんて、一度も聞いたことがない。

 黙り込んだ私に向かって、ほらね、とでも言うかのように、風はこくりとうなずいた。
「海さんだけではありませんわ。どなたもご存じないんです」
「え?」
「どれほど情報通の方でも、クレフさんのご家族のことだけは知らないそうなんです。おかしいと思いませんか。何か隠していらっしゃるように思えてなりませんわ」
 あの部長に限って、そんなこと。ついそんな風に考えていた。
 仮に部長が本当に家族とうまくいっていないなら、それは、彼に恋をしている身からすれば喜ぶべきことかもしれない。でも私はそうはできなかった。私の恋がかなうよりも、まずは部長に幸せでいてほしい。部長が今の奥様と一緒にいることで一番幸せでいられるなら、その様子を遠くからそっと見守るつもりでいた。それなのに、もしも今部長が幸せでないなら、そのことが何よりも哀しかった。

 会話が途切れたそのとき、店員が私たちのテーブルへやってきてプレートを下げた。私のプレートにはまだご飯が一口残っていたけれど、どうせもう食べられそうにないので、何も問題はなかった。
「噂ですから、信憑性は低いと思います」
 店員が去ってから、風は徐に言った。
「ですが、少なくとも、お気持ちを打ち明ける価値はあると思いますわよ」
 その言葉は、私に忘れかけていたことをまざまざと思い起こさせた。私が部長に気持ちを打ち明ける前に、私に対して気持ちを打ち明けてくれた人がいる。彼に対して、私はまだ返事をしていない。
 しなくちゃいけないなと思った。未来へと一歩進む前に、過去に置いてきたものを回収しなくては。テーブルの下で、私はぎゅっと手を握りしめた。明日のプレゼンが終わったら、いろいろなことが変わる。そんな予感がしていた。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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