蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ラスト・リング 15. かけがえのないひと

10万ヒット企画

すべて言い切った。一度でも言葉を区切ってしまったら、それから先は二度と言えなくなる気がして、一息のうちに言った。

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 ここぞというというときに限って、眠りの質は、お世辞にもいいと言えたものではなかった。緊張しすぎてなかなか寝つけず、ようやく眠れたと思ったらころころと変わる夢のために落ち着けなくなり、満足に眠れたと思うには程遠いまま目覚ましのベルが鳴った。勝負の日の出だしとしては、はっきり言って最悪だった。おまけに、何度も寝返りを打ったせいかめったにつかない寝ぐせがついてしまい、まとめることなどほとんどない髪をスワロフスキーが一部剥がれたバナナクリップで留めなければならなくなった。

 いまいちすっきりしない頭で出社した私は、龍王堂へと向かうタクシーの中でふと気づいた。それは、ただでさえ憂鬱な方向へ傾きかけていた気分をそれと決定づけるものだった。
「うそ」
 思わず言っていた。隣に座っていた部長が、ん、と私を見る。乗車する際、私を押しのけるようにして助手席に座ったイーグルも、こちらを振り向いた。
「どうかしましたか」
 私は目の前、つまりイーグルの背面を指差した。そこには小さなカレンダーが貼られていた。
「今日、13日の金曜日よ」

 イーグルはきょとんとして瞬いた。それから徐に狭い天井を見上げると、そういえばそうですね、とあっけらかんとして言った。部長に至っては、何の反応も示さなかった。
 どうしてそんなにあっさりしてるの、と思う一方で、やっぱりな、とも思った。男の人は、こういう迷信の類をあまり信じない。部長もイーグルも、例外ではないようだった。まあ実際、「13日の金曜日」は必ずしも不吉なことが起こる日ではないというし、私自身、気にすることもないかとは思う。でも、こんな大事な日にわざわざぶつかってこなくてもいいんじゃないかしら。
 ため息をつき、背もたれに深く身を沈めた。なんだかもう、すべて水の泡になってしまうという予感に全身が沈んでいた。週末返上で取り組んできたのに、結局は、盗まれた方の案が採用される気がする。浅い眠りのせいで気分は最悪だし、おまけに13日の金曜日で、さらには、龍王堂へ向かう道すがら、私たちを乗せたタクシーがことごとく信号に引っ掛かる始末だった。おかげで、余裕を持って出たはずだったのに、目的地に着いたときには結構いい時間になっていた。

「運に見放された気がするわ」
 タクシーを降りると、龍王堂のビルを見上げ、ぽつりと言った。
「だいじょうぶですよ。自信を持っていきましょう」
 そう言うイーグルはやけに自信ありげだった。どうしてそんなに明るいのよ。今回のプロジェクトの行く末には、億単位の金額が利益になるか損失になるかだけじゃなく、部長の首もかかってるのよ。私は心の中で言った。けれどほかでもないその部長本人が誰よりも涼し気な顔をしているので、心の声はため息になって消えた。
「何をしている」と部長は私を追い越しながら言った。「ぼやぼやしていると置いていくぞ」
 もう一度ため息をつき、私は重い足を上げた。まったく気乗りしなかった。クライアントのところへ行きたくないと思うのは、これが初めてのことだった。

 そんなはずはないのに、ビルの自動ドアまでも、私たちが入ろうとしたときだけ動きが鈍くなったように見えた。おまえら、本当に来るのか? そんな企画書でいいのか? ドアが開かれていくときの音が、そう言っているように聞こえてならなかった。ここまで来たんだもの、帰るわけにはいかないでしょ。目で言い、自動ドアの上にある監視カメラをにらみつけた。その向こうにいる警備の人のせいではないことくらい、わかっている。それでもにらまずにはいられなかった。


 ところが、すべての懸念は杞憂に終わった。結論から言えば、私たちの案は見事採用された。大手を破る鮮やかな大どんでん返しで――まあ、彼らの提出した案も、もとはといえば私たちが考えたものだったのだけれど――、私たちはその日、桜塚さんたちと正式に契約を交わした。「ル・プレリュー」二号店のオープンに関わるプロデュースは、プロ戦が一手に引き受けることが決まった。

***

「早く帰って、社長に教えてあげたいわ。きっとびっくりするわよね。まさか私たちの案が採用されるなんて、社長だって半信半疑だったんじゃないかしら。ねえ、部長。このまま社長のところへ直行するんですよね。あ、それとも、プロ戦のみんなに先に教えるべきかしら。そうそう、できることなら、あのときピザ屋で隣に座っていた人たちの顔を見に行きたいところだわ」
 帰りのタクシーの中、私は意気揚々としてひたすら喋り続けていた。自分では気づかなかったが、自動で巻かれるオルゴールのように、何度も同じことを繰り返し言っていたらしい。おかげでその都度部長に咎められた。けれど会社が見えてくるころになると、さすがの部長も諦めたようで、咎めなくなった。その代わり、いちいち盛大なため息をついては私の質問に答えるようになった。
「帰ったら社長室へ行く。さっきからそう言っているだろう。何度言ったらわかるんだ」
「さっきから」の部分をことさら強調して、部長は私をにらんだ。いつもだったら怯んでしまう彼のそんな表情も、けれど今日の私にはまったく効果がなかった。無敵のセーラー戦士になった気分だった。今ならどんな必殺技も威力100倍にできる。るんるん気分で鼻歌を歌っていると、助手席でイーグルが笑った。
「まるで行きのタクシーの中とは別人ですね、海」
「そりゃそうよ」と私は言った。「だってあのときは、まさか私たちの案が採用されるなんて思ってなかったんだもの。八割方諦めてたわよ、私」
「この一週間、必死で頑張ったのに?」
「頑張ったことは頑張ったけど、でも、努力をしたからって結果が自動的についてくるわけじゃないじゃない。社会はそんなに甘くないもの」
 私が口を尖らせてそう言うと、ぷっと吹き出す声が聞こえた。びっくりして振りかぶると、部長が口元に手を当てて懸命に笑いを堪えていた。
「ちょ……ちょっと、部長」
 私はどぎまぎして言った。
「そんなに笑うことないじゃないですか」
「いや」と部長はようやく顔を上げた。すっかり目尻が下がっていた。「まさか、社会人二年目のおまえの口から、そんな言葉が飛び出すとはな」
 ははは、とイーグルも笑った。それからタクシーが会社に着くまで、部長とイーグルは完全に意気投合した様子で、ひたすら笑い続けていた。
「もう! いい加減にしてくださいよ、部長。イーグルも!」
 私がどれだけ言ってもだめだった。さすがに恥ずかしくて顔が紅くなったけれど、それでも最後には、私も一緒になって笑っていた。皆、重荷が下りてほっとしていた。私たち三人は、もはや「仲間」という生ぬるい関係を通り越し、「戦友」というより強固な絆で結ばれていた。

「今夜は祝勝会ですよ」
 タクシーを降りてすぐ、私は言った。
「約束ですもん。ね、部長」
「ああ」と部長はうなずいた。
「イーグル、今夜空いてる?」
「僕はいつでも空いてますよ」とイーグルは言った。その言い回しさえもおかしくて、私はまた笑った。
 仕事って、楽しい。このとき心からそう思った。こんな日々が、これからも続いていく。その喜びを、私はただ、かみしめていた。


 私としては真っ先に社長のところへ行くつもりだったのだけれど、結局は先に部署へ戻ることになった。三人とも結構な荷物を抱えていたので、当然といえば当然だった。
「おめでとうございます、部長!」
 すべてうまくいったことは、あらかじめ連絡していた。そのためフロアに入ると、大きな歓声が私たちを出迎えた。
「ようやったやん、海。偉いで」
 真っ先に駆け寄ってきたのはカルディナだった。彼女の胸に顔を挟まれ、私は思わずもがいた。「堪忍」とカルディナは急いで離れてばつが悪そうに言ったが、その表情はすぐにまた崩れた。
 私たち三人を、部署の全員が囲んだ。皆、まるで自分のことのように喜んでくれた。こんな人たちに囲まれて働くことができている自分は本当に幸せ者だと、心底思った。辛いことも多いけれど、その分、こうして一つの成果をつかんだときの悦びは何にも代えがたい。誰もがこの一瞬のために汗水を流す。流した汗が徒(むだ)にならなくて、本当によかった。

「おまえたちには、ずいぶんと迷惑をかけたな。恩に着るぞ」
 部長が言うと、誰ともなく「とんでもない」と声が上がった。「みんな、好きでやってるんです。迷惑だなんて言わないでください、部長」
 そうだ、と私は思った。何よりもかけがえないのは、このひとの存在だった。皆、部長のことを信頼して、このひとのために頑張る。今回も、部長の首がかかっているから皆、寸暇を惜しんで私たちに協力してくれたのだ。これほどの人望を集められる部長は、本当にすごい人だ。そんなすごい人のもとで働けることを、心から感謝した。嬉しそうに笑う部長の横顔が、私のことも笑顔にした。

「さあ、まだ就業時間中だ」と言って、部長は一人、輪の中から先に抜け出した。
「えーっ、今日はもうええやないですか、部長。こんな日まで、仕事せんでも」
「だめだ」と部長はカルディナを一喝した。「私はなまけていいとは一言も言っていないぞ」
 そのいかにも部長らしい生真面目な言葉に、私は思わず失笑した。
 部長の言葉をきっかけに、取り巻きが一人、また一人と離れていく。私も自分の席に戻った。そのとき、ずっと誰かと電話をしていたプレセアが顔を上げた。
「クレフ、ちょっと」
 そう言って、彼女は部長の席へ向かった。なんだろう、とその様子を眺めていると、
「おめでとう、海」
 と背後から声を掛けられた。はっとして振り返ると、アスコットが、斜め後ろの席から身を乗り出していた。
「よかったね」と彼は相好を崩した。
「ありがとう」と私は答えた。それと同時に、今しかないと思った。答えるなら、今しかない。
 一瞬さっと周囲を窺ってから、私はアスコットの方へ椅子を近づけた。
「今、時間ある?」
「え?」
 アスコットはきょとんとして瞬いた。けれどすぐに私の意図していることに気づいたようで、きゅっと唇を結ぶと、神妙な面持ちで首を縦に振った。

***

 どうせ誰も出てこないだろうから、フロアのすぐ外にある休憩所で話してもよかったのだけれど、結局私たちの足は最上階の展望室へと向いた。いつの間にか、日の傾きがかなり大きくなっている。早い一日だった。その締めくくりとして、小さなオレンジ色のランプに照らされたベンチに、私はアスコットと並んで座った。
 何から言おうかと思案する。今日の案件のことから話し始めようか、それとも、カルディナとはうまくやっているかと訊ねてみようか。でも、どれもなんだか取ってつけたような話になってしまう気がした。今の二人の間に、アイスブレイクの時間は必要ないだろう。
「ごめんなさい」
 だから結局、単刀直入に言った。視界の隅に、アスコットの手がぴくりと震えたのが映る。私は大きく息を吸い込んだ。
「『好き』って言ってくれて、本当に嬉しかった。私もあなたのことは、同期として、同じ部署の仲間として、尊敬してるし、好きよ。でも、それ以上には想えないの。私にとってあなたは、友人であり、同僚だわ。これまでも、これからも」

 すべて言い切った。一度でも言葉を区切ってしまったら、それから先は二度と言えなくなる気がして、一息のうちに言った。ふっと肩を撫で下ろしたそのとき、アスコットの方から、小さく笑ったような気配が漂ってきた。
「そう言われるだろうと思ってたよ」とアスコットは言った。「もともと、当たって砕けろな告白だったんだ。海が僕のことをそういう対象として見てないことは、初めからわかってたし」
 悟ったようにほほ笑むアスコットの横顔を、私はただ見つめているしかなかった。そんなにわかりやすいのかしら、私って。そんな私の心の声に反応するかのようなタイミングで、アスコットはこちらを向いた。
「好きな人がいるんでしょ」
「えっ」
 覚えず素っ頓狂な声を出した。そうしてから、ああ、またやってしまったと思った。こんな反応、だから肯定してるのと一緒なんだってば。
 案の定、アスコットは「わかってたよ」と言うかのように目を細めた。観念して、私はため息をついた。そして黙ったままうなずいた。
「誰かは言わないでね、知りたくないから」とアスコットは言った。「このままずっと、知らないふりをしておくよ」
 それはつまり知っているということだろうと思ったけれど、私はまた、無言のまま首を縦に振った。アスコットの気持ちは、なんとなく理解できた。

 すい、とアスコットの手が不意に視界まで伸びてきた。
「振られちゃったけど、同僚なことには変わりないよね」とアスコットは言った。「『同僚として』、これからもよろしく。海」
 思わず涙が出そうになった。イーグルといいアスコットといい、私の周りには、どうしてこんなに優しい人ばかりいるんだろう。
 ぐっと涙を堪え、精いっぱいほほ笑んだ。差し出された手を握り返し、何度も何度もうなずいた。
「ありがとう」
 本当は、「ごめんなさい」と言いたかった。けれどアスコットはその言葉は望んでいないだろうと思ったから、代わりにそうしてお礼の言葉を口にした。アスコットには誰よりも幸せになってほしい。彼がいつか幸せを手にするときは、惜しみない祝辞を贈ろう。心の中で、私は私自身とそう誓い合った。


 屋上を後にすると、アスコットはカフェに寄っていくというので、私は一人で先にフロアへ戻った。すると、部長の席が空席になっていた。
「あら」と私はフロアをぐるりと見回した。しかし部長の姿はなかった。それどころかさらにもうひとつ、空席になっているところを見つけた。「部長とイーグルは?」
「ああ」と顔を上げたのはカルディナだった。「あの二人なら、プレセアと一緒に出て行ったで。なんでも、社長に呼ばれたとかで」
「社長に?」と私は瞬いた。「ちょっと、それって、今回のプロジェクトと関係あることなんじゃないの?」
「さあ。詳しいことは、何も言っとらんかったよ」
「そんな」と私は憤慨した。「ひどいわ。私だって、プロジェクトの一員なのに。私を差し置いて、二人で行っちゃったの?」
 カルディナはうーん、と唸って首を傾げた。
「そんな楽しそうな雰囲気やなかったけどな」
「でも、このタイミングで社長のところへ行く理由なんて――」
 そのとき、背後で扉の開く音がした。振り返ると、問題の二人が戻ってきたところだった。二人を連れていったというプレセアは、一緒ではなかった。
 声を掛けようとして身を乗り出したけれど、できなかった。カルディナの言うとおり、部長とイーグルを取り巻く空気が、いつになく重苦しいように見えた。イーグルは私と目を合わせてほほ笑んでくれたけれど、部長はちらりともこちらを見なかった。どうしたんですか、と、心の中だけで、その強張った横顔に問いかけた。返事はもちろん、なかった。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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