蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ラスト・リング 18. 時には昔の話を

10万ヒット企画

どうして、と私は思った。どうして笑うの。どうしてそんなに冷静でいられるの。

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 私の生まれがイギリスだということは、知っているだろう。両親は、母がイギリス人で父が日本人だった。当時のイギリスでは、日本人とのハーフというのは珍しくてね、周囲からは特異な目で見られることもあった。だから、彼女と惹かれ合ったのは必然であったのかもしれない。彼女の場合も、片親が日本人だったのだ。

 出逢ったとき、私は二十歳で彼女は十四だった。今だから言えることだが、当時の私たちはまだまだ子どもだった。成人に満たなかった彼女は言わずもがな、私も、二十歳ではあったが、とても「大人」と呼べるような状態ではなかった。それでも、子どもなりにも私たちは真剣だった。彼女が十六になったら結婚しようと、十五の誕生日に約束を交わした。当然、親には大反対されたがね。
 認めないと言われればますます反発したくなるのが、人間の性というものだろう。両親が折れそうにもないと悟った私たちは、彼女が十六回目の誕生日を迎えたその日の夜に、それぞれの家を出た。書置きを残して、小さなボストンバックだけを手に日本へやってきた。言葉が通じて、なるべくイギリスから遠いところといったら、日本以外には考えられなかった。
 いざ日本へやってきたはいいものの、最初は困難の連続だった。しかしそれでも私たちは幸せだった。誰の目を憚ることもなく、二人で暮らすことができる。それ以上に望むことなどなかった。しばらくすると、私は今の前の会社で職を見つけ、ローンを組んで家を買えるまでになった。これから家が建つという更地を前に、彼女に正式なプロポーズをした。そのときにはもう、日本へやってきてから二年が経っていた。

 結婚することを、私たちは誰にも知らせなかった。まったく身勝手な話だが、親を捨てて出てきてしまったという罪悪感が、心の奥底にあったのだろう。二人だけで、近所の公園にあった教会で挙式をすることにした。招待客は一人もなく、立会人さえいない。それでも彼女のドレスだけはちゃんとしたものを選んだ。写真も残しておきたかったから、当時仕事で知り合った腕のいいカメラマンも呼んでいた。準備は完璧だった。私は先に教会へ行き、着付けを終えた彼女がやってくるのを今か今かと待っていた。ところが、約束の時間になってやってきたのは、彼女ではなく、けたたましいクラクションの音だった。
 厭な予感が、全身を覆ったよ。教会を飛び出さずにはいられなかった。通行人の悲鳴が耳を劈いた。救急車を、という声も聞こえた。一台のセダンのそばに、誰かが倒れていた。顔が見えないうちから、私にはそれが彼女だとわかってしまった。皮肉なものだ。彼女の着ていたあの純白のドレスが、彼女でしかあり得ないことを示したのだから。

 私は彼女の亡骸を手に、一度イギリスへ戻った。二年ぶりに、しかし無言で帰還した娘を、彼女の両親は涙で迎え入れた。後になって思う。私はあのとき、責められたかった。なぜ娘を守ってくれなかったのだと、人殺しはおまえだと、なじられたかった。だが彼女の両親はそんなことは一言も言わなかった。それどころか、「ありがとう」と言ったのだ。
 私は知らなかったが、彼女はずっと、両親に手紙を送り続けていたようだった。そこには、日本での生活がいかに幸せに満ちているかということが書き綴られていたそうだ。だから「ありがとう」なのだと、両親は言った。そして、私たちの関係を認めてやらずにすまなかったとも。
 何も言えなかった。私は彼女にまつわるもののすべてを両親のもとに残し、単身日本へ戻った。手元に残ったのは、彼女と暮らすはずだった家と、この指輪だけだった。不思議なものでね、涙のひとつも出なかったよ。彼女の亡骸を手にして、すべてをイギリスに返したというのに、彼女を失ったという実感は、どうしても湧かなかった。待っていればいつか、何事もなかったかのように「ただいま」と言って彼女が帰ってくる気がした。だから、挙式後に出す予定だった婚姻届も、未だ捨てることができずにいる。もちろん、出せるものではないということはわかっているんだがな。

 問わず語りに語られた話に口を挟むことなど、とても出来なかった。部長が両膝の間で軽く手を組み、静かに瞼を下ろすのを、呆然と見ていることしかできなかった。
「それからだ。私の体は、成長することを止めてしまった。周囲は刻々と変わっていくのに、私の体だけは、二十二歳のままで時を留め続けている」
 私ははっと息を呑んだ。その気配が伝わったのか、部長は瞼を開き、私を見返して苦笑した。無理に取り繕ったような笑みではなかった。けれどかといって、本当に笑いたくて笑っているわけでもないようだった。
「さすがにそろそろ、ごまかすのにも無理が生じてきたところだ。私の年齢をそのまま信じてくれる者は、まずいないからな」
 そういえば、おまえもそうだったな。そう言って部長は、当時のことを述懐するように目を細めた。

 どうして、と私は思った。どうして笑うの。どうしてそんなに冷静でいられるの。
 けれどその叫びが音になることはなかった。声の発し方を忘れてしまったかのように、私の口からはただ、掠れた息が漏れるだけだった。何か言わなくちゃと思う一方で、何も言ってはいけないような気もした。
 部長から顔を逸らし、俯く。考えた末、やはり何か言わなくてはという結論に至った。たとえ言葉が出なくても、今は何か言わなくてはいけないときだ。何でもいいから浮かんだ言葉を言おう。軽く深呼吸をし、言葉を探す。するとそれは、
「ごめんなさい」
 になった。
 ああ、私ってなんて陳腐なんだろう。こんなときに、気の利いた言葉のひとつも掛けられない。

「おまえが謝ることは、何もない」
 それどころか、部長の方が私を慰めた。いたたまれなかった。でも、と言ったつもりで顔を上げると、部長は申し訳なさそうに笑っていた。
「辛気臭くなってすまなかった。人前で口にしたことのなかった話だからな、加減がわからなかった」
 その一言は、私の胸をこれでもかというほどに締めつけた。誰にも話したことがなかったのなら、私にだって話してくれなくてよかったのに。
 知りたくなかった、遠い過去の部長なんて。生きている人間は、死んだ人には絶対に勝てない。今も大切に指輪をしているそのひとのことを、部長は絶対に忘れないだろう。生きている人間は誰も、部長の心の中にある彼女だけの居場所に取って代わることはできない。そこが解放されることは、今後刹那として、永遠に、ない。
 できることなど何もなかった。想いを打ち明けるなんてもってのほかで、あまつさえ、いたたまれないからといって黙って帰るというのも、それこそ部長への想いを暗に打ち明けることになってしまうと思うとできなかった。結果、目の前にあるワインをただ飲み続けることしかできなかった。せめて泣けばよかったのかもしれない。けれど部長が泣かなかったから、泣けなかった。哀しい顔すら、彼はしなかった。泣けないということは泣くことよりも辛いことだと、このとき初めて気づかされた。

***

 ある瞬間から、部長の顔が歪んで見えるようになった。
「ぶちょお」
 なんだかあまり呂律も回らなくなってきたような気がするけれど、まあ気のせいだろうと結論づける。
「ねえ。部長は、もう、再婚とか、しないんですかねえ」
 酔っているのだと初めて自認したのは、そのときだった。酔ってでもいなければそんなこと、間違っても口にしなかっただろう。
 部長がしかめっ面を作る。それさえおかしくて、私はけらけらと笑った。すると部長はやにわに私の腕をつかんだ。
「帰るぞ」
「やだ」と私は言った。「かえりたくない」
「ばかを言え」
「ばかじゃないもん」
「飲みすぎだ、龍咲」
 一人では立てなかった。どうしたんだろう。そんなにお酒、飲んだっけ。
「ああ、飲んだ」
 部長が答えた。あれ、私今、声に出してた?
「全部大きな声に出ている」
 まったく、と大げさにため息をつくと、部長は私の腕を自分の肩に廻した。部長の方が背が高いから、バランスを取るのがますます難しくなった。

「やだ、歩けない」と私は笑いながら言った。
「歩かなくていい」と部長は言った。「靴が脱げないようにだけ、気をつけていろ」
「あ、私、かばん」
「持った」と部長がすかさず私の目の前にそれを掲げた。腕を伸ばして受け取ろうとしたが、さっと遠くへ持っていかれてしまった。「心配するな。何も盗ったりはしない」
 はあい、と生返事をして、私は言われたとおり、靴が脱げないようにすることだけに気を配った。ふと部長のシャツに鼻が擦れて、いい匂いがした。
「部長」
「なんだ」
「いい匂い」
 部長は答えなかった。代わりに、私の顎をつかんで顔を逆方向に向かせた。すると視線の先にバーテンが見えた。私は彼に向かって手を振った。バーテンは穏やかな顔でほほ笑み返してくれた。雰囲気が、どことなく部長に似ているなと思った。
「すまなかったな」と部長がバーテンに向かって言った。
「何もすまなくないです」と私は言った。部長はやっぱり答えなかった。あれ、無視ですか。そう言うと、カウンターに座っていた人たちがくすくすと笑った。私も楽しくなって笑った。部長がため息をつく。店を出ると、彼は適当にタクシーを拾って私を奥に座らせた。あられもなくなだれ込み、バランスを崩しかけた私の体を、後から乗り込んできた部長が起こした。
「おまえ、家はどこだ」
「知らない」と私はそっぽを向いた。
「龍咲」
 部長の声が少しだけ怖くなる。でも残念でした。そんなの、今の私には効かないのよ。
「帰りたくないって言いました」
「そういうわけにはいかないだろう」
「いやです」
「龍咲」
「何度呼ばれてもいや。家には帰りません」
 お客さあん、どうしますう? と運転手の間延びした声が聞こえる。私は背もたれに深く寄り掛かって窓の外を見た。通りに並ぶ店の明かりはほとんどが消えていた。今何時だろう。全然わからない。

「×××まで」
 しばらくすると、部長は聞いたことのない住所を口にした。かしこまりましたあ、と運転手が答えて、車が走り出した。体が揺れると途端に頭痛がして、思わず呻いた。
「だいじょうぶか」
 部長の手が肩に触れた。温かかった。もうだめです。全然だいじょうぶじゃない。
「すぐ着く」
 そう言って、部長は私の反対側の肩を引き寄せた。重力に身を任せると、部長の肩に頭が乗った。その頭を、部長が一度だけ撫でてくれた。
「すまなかった」と彼は言った。
 どう頑張っても泣きそうだった。だから私は寝たふりをした。そうすれば瞼を閉じることができる。このまま、すべてが夢だったらいいのに。
 頭痛はひどくなる一方だった。運転手の走り方が、必要以上に乱暴に感じた。


 ぽんぽん、と肩を叩かれて、うっすらと目を開けた。タクシーは動いていない。窓の外は住宅街だった。ふりだけのつもりが、どうやら本当に眠ってしまっていたらしかった。
「降りるぞ」
 部長が言った。私は顔を上げずにうなずいた。ありがとうございましたあ、という運転手の声に見送られてタクシーを降りる。歩けるか? と部長に訊かれたので、またうなずいた。店にいたときよりは足元の感覚がしっかりしていた。
 部長が先を行く。その後ろをついていくと、彼がどこかのドアを開けて私に入るように言った。黙って中へ入る。すると何もしていないのに電気がパッと点いた。さほど驚かなかったのは、実家の玄関にも同じ仕組みがあるからだ。実家の玄関ランプも、人の熱を感知して自動的に点くようになっている。そのせいかもしれない。そこが実家なはずはないのに――匂いが明らかに違った――、すっかり体から力が抜けて、玄関に座り込んだ。

「だいじょうぶか?」
 部長に言われた。同じことを今日、いったい何度聞かれたのだろう。だいじょうぶですか、と私は私に問うた。あまりだいじょうぶではなさそうだったので、うなずかなかった。
「まったく」
 扉が閉まる音と鍵がかかる音がした。次に私の隣に何かが置かれた。私の鞄だった。部長の鞄らしきものはない。そういえば、部長は荷物を持たない人だったっけ。そんなことを考えていると、視界の隅に、彼の薄紫色の髪が見えた。靴を脱ごうとしているところだった。
 それはほとんど条件反射だった。
「龍咲?」
 すぐそばで、部長の声がした。もういまさら離れられなかった。私は部長の首に腕を廻して抱きついていた。

 部長。私、あなたが好きです。もしかしたら部長は、私の気持ちに気づいていて、婚約者の話をしたら私が諦めると思って話してくれたのかもしれません。でも、あなたが亡くなった婚約者のことをまだ想い続けているのだとしても、それでも好きです。諦めなくてもいいですか。想っていてもいいですか。だって、それさえも赦されないのだったら哀しすぎます。想っていてはいけないのなら、どうして私を、誰にも知られたくないお店に連れていってくれたんですか。どうして、人前で口にしたことのない話をしてくれたんですか。部長、私のことどう思ってますか。
 たくさんのことが、酔っていても心の中にあった。ひとつとして言えなかった。部長にとっては私は、「一人の部下」にすぎないだろう。どんなによくても「愚痴をこぼしやすい相手」といったところだ。けれどそれを言葉にされたら、もうここから一歩も動き出すことができなさそうだった。だから何も言えなかった。
 かといって離れることもできなかった。部長の匂いはまるで媚薬で、首の後ろに廻した腕がしっかりした意志を持ち、「離れたくない」と訴えていた。

「だいじょうぶだ」
 不意に部長の声がした。何がだいじょうぶなんだろうと思ったけれど、その思考は、突然体が浮いたことによって遮断された。
「きゃっ」
 覚えず悲鳴を上げた直後、部長に抱きかかえられていることに気づいた。酔っていても羞恥心はあって、その予期せぬシチュエーションには大いに慌てた。
「ちょ、ちょっと、部長!」
「離すな。落ちるぞ」
 彼の首に廻していた腕を考えなしに解こうとすると、部長がぴしゃりと言った。それもそうだと思って、私はしっかりと抱きついた。――って、そうじゃなくて!
「違います。やめてください、私、重いから」
 急いで部長の背をぱしぱしと叩く。けれど部長はまったく意に介さず、「うるさい」と一喝して私を黙らせた。下ろしてくれる気はなさそうだった。諦めて息をつく。すると頭痛がひどくなっていることに気づいた。大きな声を出したせいかもしれない。我慢できずに、部長の肩に顔を埋める。階段を上っているのがわかった。揺られている感じが、タクシーに乗っていたときのそれとは違い、心地好かった。なんだか眠くなってきた。ああ、このまま離れたくない。そんなことを思っていると、私の体がどこかに寝かされた。部長の体が離れていく。それでもまだ、彼の匂いが全身を包んでいた。

「今日はもう寝た方がいい」
 部長の声がした。どうにかして、重すぎる瞼をうっすらと開ける。あたりは仄暗かった。遠くに扉が見えて、その向こう側から射してくる光だけが部屋を照らしていた。部長の体がその光を遮った。私の体に、彼がブランケットを掛けてくれる。逆光でも、部長がほほ笑んでいることがわかった。
「おやすみ」と彼は言った。その声はそのまま子守唄のようだった。部長の手が私の髪を撫でる。うんざりるすほど心地よかった。
 考えなくちゃいけないことが山のようにあるはずなのに、私の意識は無情にも、眠りの中へと引きずり込まれていく。バナナクリップが邪魔だと思いながらも、結局睡魔には勝てず、クリップはそのままにしてゆっくりと目を閉じた。意識を飛ばす直前、何か小さな言葉が鼓膜を震わせた気がした。







「通いなれた なじみのあの店」
意識して書いたわけではありませんが……
畏れ多くもBGMにどうぞ(笑)




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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