蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

乙女の祈り 4

中編

強い願いを持つことは、必ずしも美しいことではないのかもしれない。私は初めてそう思った。

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 久しぶりに手に取った剣は、違和感があったのは最初だけで、すぐに馴染んだ。私だけのためにプレセアが創ってくれた、私だけが扱うことのできる剣。それを手にすると、忘れていた剣士としての感覚が否応なしに蘇ってきた。大事なことは、自分の力を信じることだ。それさえ貫くことができたなら、かなえられないことはない。そう思えた。
 出立はせめて日の出を待ってからにした方がいいと、プレセアには言われた。けれど今、空はまだ仄暗い。もうこれ以上は待てそうになかった。それに、夜が明けてしまえば活動を始める人も増え、出て行くところを見られてしまう可能性がある。何にも妨げられずに行きたかった。そのためには、この時間帯の出立が最善だった。
 そう遠くないうちに、またいつものように新しい一日が始まるだろう。「変化のない日常」がこれほど尊いものだとは思わなかった。変化は刺激的だけれど、変わるべきではないものもある。今回のことがあって初めて、そう気づかされた。

 まだ当分真っ暗なままであろう西の空に背を向け、あと一時間もすれば太陽が顔を出すはずの東の空を真っすぐに見据える。剣を握りしめ、いざ歩き出そうとしたけれどそのとき、不意に切羽詰まった足音が近づいてきた。
「海さん!」
 それが誰のものなのか、振り返る前からわかっていた。まったく、と苦笑する。部屋を出るときは確かにぐっすり眠っていたと思ったのに、いつ感づかれたのだろう。もしかしたら、一番ごまかすことができないのはランティスでもクレフでもなく、彼女かもしれない。

 足音が止まる。やおら振り返れば思ったとおり、そこには風が立っていた。寝間着の上にガウンを羽織っただけの姿の彼女は、よほど急いできたのか、息は荒く、頬はうっすらと染まっている。これから昇ってくるであろう朝日と同じ色の髪が、夜明け前の凛とした風にそっと靡いた。
「ばれちゃったのね」と私は肩を竦めて言った。
「胸騒ぎがしたんです」と風は言った。「ゆうべ、プレセアさんから『エスペランサ』のことを伺って、海さんなら、そこへ行くとおっしゃるのではないかと思って」
 相変わらず鋭い。私は何も言わなかった。そよ風が、二人のあいだを抜ける。夜明けを待つこの時間帯の風が、一日の中で一番冷たい。

「おひとりで行かれるのですか」
 一歩歩み寄ってきて、風は言った。そんなことは赦さない、と言わんばかりの口調だった。
「止めても徒よ」
 負けじと私もきっぱり言い放った。
「無茶ですわ、海さん」と風はかぶりを振った。「プレセアさんから、お聞きになったでしょう。エスペランサは、マリアさんの許可なしには触れることさえできないと。マリアさんが水を分けてくださるとはとても思えませんわ。もしも失敗したら、クレフさんの記憶を取り戻すどころか、海さんまで記憶を奪われてしまうようなことになりかねません。そもそも、エスペランサまで無事にたどり着くことができるかどうか」
「それでも」と私は風を遮った。「それでも、行くわ」
 風の表情が強張る。逆に私は頬を緩めた。風が私のことを思ってここまでやってきて、私のために私を止めようとしてくれているのだということは、痛いほどよくわかっていた。もしも立場が逆だったとしたら、私も風と同じことをしただろう。それでも、ここで踏みとどまるわけにはいかなかった。
「わかってるわ。きっと、危険な道のりになると思う。一筋縄ではいかないでしょうね。でも、ここでじっとしてなんていられないの。私はクレフに、どうしても記憶を取り戻してほしい。今行かなかったら、これから先、たぶん一生後悔するわ。これは、ほかの誰のためでもない、私のためにすることなの。しなきゃいけないの。だから……お願い」
「……海さん」
 風は苦虫を噛み潰したような顔をした。そんな顔をさせているのは私なんだと思うと、胸が痛んだ。でも、たとえ風を傷つけることになったとしても、私はエスペランサへ行く。たったひとつの願いをかなえるために。

 強い願いを持つことは、必ずしも美しいことではないのかもしれない。私は初めてそう思った。私が私の願いをかなえようとすれば、傷つく人がいる。本当は、誰のことも傷つけたくない。風にも光にも笑っていてほしい。でも、二人のかけがえのない親友を泣かせることになるとわかっていても、私は私の願いを捨てるわけにはいかなかった。クレフの記憶を取り戻したい。どんなことをしてでも、どんな犠牲を払ってでも。こんなに崖っぷちに立たされるような気持ちを味わったことは、未だかつてなかった。

「風」
 私は剣を脇に挟み、空いた両手で風の手をそっと取った。彼女の手は冷たかった。
「必ず、生きて帰ってくるわ。約束する。だから、信じて待っていて」
 風は何か言いたそうに口を開いた。けれどそこから言葉が発せられることはなかった。深いエメラルド色の双眸に私が映り込んでいるのが、はっきりと見える。私は笑っていた。風が一度瞬く。そしてようやく、笑ってくれた。
「わかりました」
 風は私の手を力強く握り返した。
「必ず、戻ってきてくださいますわね」
「もちろんよ」と私ははっきりうなずいた。「私がいないあいだ、クレフのこと、よろしくね。記憶がなくてもクレフはクレフなんだもの。ちょっと目を離すと、すぐに無茶しそうだから」
 うなずきかけた風は、けれど中途半端なところでその首をはたと傾げた。
「クレフさんにお会いになってから行かれなくて、よろしいのですか」
 とくん、と鼓動が静かに大きくなった。けれど私は風の手をそっと離し、かぶりを振った。
「次に会うときは、いつものクレフに会いたいから」
 風は一瞬見開いた目を、けれどすぐに細め、わかっている、と言うようにうなずいた。彼女一人に見送られて、私はセフィーロ城を後にした。きょうという日を告げる朝日が、私を手招きするように燦々と昇り始めていた。

***

『精霊の森』を抜けたらあとはひたすら東へ向かうだけだと、プレセアに教えられた。思えば、『精霊の森』にはしょっちゅう足を踏み入れているのに、その先まで行ったことは一度もなかった。クレフにいつも止められていたのだ。特に疑問に思ったこともなかったが、『精霊の森』を抜けたその先にさらに広がっている森に一歩足を踏み入れて、納得した。そこはまるで、『沈黙の森』のように不気味な森だった。木々の囁きでさえ、どこかおどろおどろしい。鳥の声も、『精霊の森』のそれに比べて鋭く、コウモリが飛び交っていてもおかしくないような気配があった。
 負けちゃだめよ、海。心の中で言って、ぎゅっと剣を握りしめる。エスペランサの水を手に入れるまでは、絶対に後ろを振り向かない。これは自分との戦いだと、わかっていた。

 森は不気味なほどに静かだった。進んでも進んでも終わりが見えない。普通に歩いているはずなのに、次第にじんわりと汗が滲んできた。
「これ、結構いい運動になるわね」
 呟き、ふうっと額を拭った、そのときだった。何の前触れもなく背筋が凍った。無意識のうちに歩みが止まる。刹那、頭上に殺気を感じた。
 顔を上げると、木の上でぎょろりと獰猛な目が光ったのがわかった。間髪容れずその目が飛び降りてくる。反射的に地面を蹴る。入れ違いに、鋭い牙が地面を貫いた。牙が抜かれる。持ち主は案の定、魔物だった。

「卑怯じゃないの、不意打ちなんて」と私は剣を構えながら言った。「スポーツマンシップに反するわよ」
 きょろっと魔物が首を傾げる。魔物は、顔のほとんどがひとつの目だった。腕と脚がひょろりと伸びるその風貌は、まるで手足だけが人間並みに長くなったゆるキャラのようだった。どうにも力の抜けるしぐさが多くて、憎めない。けれどそんなことを言っている場合ではなかった。次の瞬間、魔物は目にも留まらぬ速さでその場を飛び、一気に襲い掛かってきた。
「――っ!」
 避けられないと踏み、咄嗟に剣で受ける。さすがエスクードから創り出された武器は、牙で欠けるようなことはない。ただ、どう考えても体勢的には私の方が不利だった。このままではやられる。力任せに押し返し、隙を見て後ろに飛んだ。改めて剣を構え、魔物を見返した。
「フェンシング部主将の腕を、なめるんじゃないわよ」
 たあっ、と駆け出す。魔物の牙が振り下ろされる。ぎりぎりまで引き寄せ、間一髪のところで避けると、地面に刺さった牙を踏み台に舞い上がった。はっと魔物が上を見上げたときには、もう遅い。レイピアの切っ先を魔物の頭へと真っすぐに向け、
『水の龍!』
 大口を開けた龍が、一瞬にして魔物を飲み込んだ。

 ふう、と息をつき、更地に降り立つ。どうやら『沈黙の森』とは違い、とりあえず魔法は使えるようだ。ところがほっとしたのもつかの間だった。背後に突然大きな影が現れたかと思うと、振り返りざまに刃物のきらめきが視界の隅に映り、その切っ先は目の前を通り過ぎて私の左腕を掠った。
 よろめきながらも体勢を整える。二の腕から血が滴り、一度指先に溜まってから地面へと落ちた。紙で指先を切ったときのような鋭い痛みが、集中力を途切れさせる。切っ先が私の血で染まった剣を手にしているのは、先ほど倒した魔物と同じ姿をした別の魔物だった。

 このまま魔物に行く手を阻まれ続けるのなら、いつまで経ってもエスペランサにはたどり着けない。とにかく先に進まなければ。ぎゅっと剣を握りしめ、駆け出した。
『氷の刃!』
 氷の塊が魔物を貫く。断末魔の悲鳴を上げて、魔物はあっさりと姿を消した。けれど私は立ち止まらず、速度を落とすことなく走り続けた。するとやはり、行く手に魔物が姿を現した。今度は魔法は使わず、その体に剣を突き刺す。そうして時と場合によって魔法と剣を使い分けながら応戦し続けたが、森の出口は一向に見えてこなかった。それどころか、走っても走っても同じ景色が続いているように見えた。
 立て続けに戦うと、さすがに心も余裕を失う。傷は二の腕に留まらず全身に増えていた。そして、もう何体目かわからない魔物が姿を現したとき、何もないところで躓き、不恰好に転んだ。

 急いで起き上がろうとしたのに、できなかった。喉元に鋭い刃を突きつけられ、身を引くことさえできない状況だった。しまった、万事休すだ。
 内心は焦りで汗みずくだったけれど、弱みを見せたら終わりだとわかっていた。努めて感情が表に出ないようにしながら、魔物の目をにらみ続ける。その場から一歩も動いていないつもりだったのに、気がつくと、じりじりと後ろに追い込まれていた。

 どうするの、海。
 つつ、と一筋の汗がこめかみを伝う。手が何か固いものに触れたのは、そのときだった。
 え、と瞬く。手だけではなく、背中もその固いものに触れていた。それはまるで、壁に寄り掛かっているような感覚だった。けれどべつにそこに壁があるわけではない。景色は変わることなく続いている。しいて言うなら、透明の壁だろうか。
 刹那、脳裏がぱっと明るくなった。ひとつの可能性が浮かび上がる。それが正しいのかどうかはわからない。もしも間違っていたら、きっとこの場でやられるだろう。でも、と拳を握りしめる。絶対に生きて帰ると、風にも約束したのだ。エスペランサの水を持って、絶対にクレフのところへ戻る。絶対にクレフの記憶を取り戻す。そう決めてここまで来たのに、こんなところで負けるわけにはいかない。

 迷っている暇はなかった。一か八か、ほかに頼れる人などいないのだから、自分を信じるしかない。一瞬の隙を見て刃から逃れると、地面を蹴り上げ、魔物の後ろを取った。すると思ったとおり、そこには魔物が二体、向かい合って立っていた。魔物だけではなく、私自身ももう一人いた。どうして今まで気づかなかったのだろう。
『蒼い竜巻!』
 絶対に、エスペランサにたどり着いてみせる。ありったけの思いを魔法に込めた。これまでで一番大きな竜巻が、渦を巻いて魔物に迫る。魔物は驚く暇もなかっただろう。あっという間に魔物を木端微塵にした嵐は、けれど威力を落とすことなくそのまま突き進んだ。そして「見えない壁」に衝突し、それを大破させた。思ったとおり、それはよくできた巨大な鏡だった。

 散らばったガラス片が太陽の光を反射して、まるで雪の結晶のように輝いた。その向こう側に、これまでは見えていなかっただだっ広い空間が広がり、中央に、エテルナを彷彿とさせる泉があった。けれどそれはエテルナではなかった。二次元ではない、普通の泉だったのだから。
 エスペランサに違いなかった。心がつい興奮する。勇んで一歩踏み出した。ところが、その一歩で再び足は止まってしまった。泉の前に、一人の女が音もなく姿を現した。
「なかなかやるじゃない。わたしの魔法を破るなんて」
 黒髪が風に靡く。にやり、と細められた黄金の瞳を、不覚にも美しいと思った。




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ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

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篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

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