蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

乙女の祈り 6

中編

 たとえ記憶を失っても、本質の部分では、クレフはクレフのままなのかもしれない。そのいつになくあどけない横顔を見ながら、私は思った。

本文は「続きを読む」からどうぞ。





 ふと見上げると、セフィーロ城を横切るように虹が架かっていた。私がエスペランサにいるあいだに、セフィーロ城周辺では雨が降ったのかもしれない。両者間は結構な距離で隔てられているから、天候に違いがあってもおかしくはなかった。空中に手を伸ばすと、わずかではあるが水蒸気のヴェールに包まれるのを感じた。
 けれど今はもう、空の主役は太陽だ。ガラス瓶が、その太陽の光を浴びて虹と同じように七色に輝いた。まるで宝石をちりばめたような美しさに、自然と目が細くなる。一刻も早く届けようと、それまでにも増して足取りを速めた。

 ところがいざ城に着くと、歩く速度が知らず知らずのうちに落ちた。気のせいか、城内の雰囲気が何とはなしに浮ついていた。
「アスコット、あなたは『精霊の森』をお願い」
 不意にプレセアの声がした。くぐもってよく聞こえないのは、彼女が声を押し殺しているからだろう。明らかに緊張を孕んだ言い方だった。思わず背筋が伸びる。「わかった」というアスコットの答えに続けて、走り去る足音がした。音を頼りに歩いていくと、曲がり角の先から、プレセア本人が姿を現した。
「ウミ」
 はっと足を止め、プレセアは瞠目した。そうして一瞬呆けた後、花を咲かせるように顔をほころばせた。
「よかった。無事に戻ったのね」
 私の肩に手を置いたプレセアは、目を潤ませてそう言った。けれど直後、思い出したように私の全身に視線を走らせ、はっと顔を顰めた。
「ひどいけがだわ。早く手当てを」
「だいじょうぶよ、大したけがじゃないわ。それより」
 きっぱり言い、私は軽く身を乗り出した。
「何かあったの?」
 肩に置かれたプレセアの手が震えた。その震えが伝わり、私の体にも緊張が走る。やがてプレセアは意を決したように口を結ぶと、私の肩からそっと手を外した。そして思い詰めた表情で、
「導師クレフが、いなくなったの」
 と言った。
「え?」と私は瞠目した。「いなくなったって、どういうこと?」
「ずっとご自分のお部屋にいらしたのに、ちょっと目を離した隙に、気がついたらお姿が消えていたのよ。窓が開いていたから、そこから出て行かれたんだと思うんだけど」
「でも、クレフは」
「ええ」とプレセアはうなずいた。「当然まだ、記憶は失ったままよ」
 きのう見た、すっかり覇気を失ったクレフの顔を思い出す。普段の彼ならともかく、あんな状態で単独行動をするなんて、どう考えても危険だ。万が一、『沈黙の森』に迷い込んだりでもしたら。考えただけでぞっとした。

「クレフのことは、私たちが必ず探し出すわ」
 不意に空いた方の手を持ち上げられて、私ははっとわれに返った。プレセアはにっこりとほほ笑みながら、両手で私の手を力強く握った。
「だいじょうぶ、任せておいて。あなたはゆっくり休んでちょうだい」
 うなずくことはできなかった。クレフはいったいどこへ行ってしまったのだろう。どこか目的があって部屋を出たのか、それとも、ただふらりと足が外へ向いたのか。どこかクレフが行きそうな場所は? 記憶を失っても行きたくなるようなところはないだろうか。
「あ」
 ただの地面だと思っていたところに波紋が広がって初めて湖だったとわかるように、突然とある可能性が浮かび上がった。私はプレセアの手から自らのそれを引き抜くと、再び外へ向かって走り出した。
「ちょ……ちょっと、ウミ?」
 慌てて呼び止めたプレセアを振り返る。後ろ向きに走りながら、私は言った。
「私も探してくるわ。心当たりがあるの」
 プレセアが何か言い募った気がしたが、一度彼女に背を向けると、もう振り返らなかった。クレフの瞳と同じ色に染まった空には、まだ虹が微かに残されていた。


 自分の体に鞭打つように、その場所を目指してただひたすらに走り続ける。どうして気づかなかったのだろう。クレフが毎日のようにあの場所へ行っていた理由。クレフがマリアのことを忘れたことなんて、きっと片時もなかったのだ。マリアが思っている以上に、そして私が思っている以上に、クレフはマリアのことを想っていた。だからこそ、あそこはセフィーロを俯瞰できる最高の場所だった。セフィーロを見るたびに、マリアに想いを馳せるために。
 クレフが何よりも愛しているセフィーロを一望でき、なおかつ幼いころの思い出もある場所。記憶を失ったクレフが向かう場所としたら、そこ意外には考えられなかった。そして思ったとおり、クレフはそこにいた。

「クレフ」
 最初に、彼のそばにいた青い羽根のセキレイが私を見た。それから遅れて、クレフ本人がゆっくりとこちらを振り返った。「クレフ」というのが自分の名前だということは認識できるようだ。大きな石に手を触れたまま、クレフは自信なさげにほほ笑んだ。その表情に、ちくりと胸が痛んだ。本来のクレフは、こんな風には絶対に笑わない。どこか焦点の合わない瞳も、クレフらしくない。けれど今は仕方がないのだと自分に何度も言い聞かせ、私は彼のそばに歩み寄った。
「やっぱりここにいたのね」
 クレフが触れているその石は、きのうの夕方私が涙を落としたそれだ。けれどその涙の痕は、今はもうどこにもなかった。
「どうしても、ここに来なければならないような気がした」とクレフは言った。「なぜだかは、わからないが」
 たとえ記憶を失っても、本質の部分では、クレフはクレフのままなのかもしれない。そのいつになくあどけない横顔を見ながら、私は思った。隣の芝生にそっと腰を下ろし、クレフと目線の高さを合わせる。ちらりと石に目を向けると、表面に文字のようなものが彫られているのがわかった。
「きっと、あなたの本能が、あなたをここへ連れてきたのよ」と私は言った。「ここはあなたにとって、大切な思い出の場所だから」
 クレフはきょとんと首を傾げた。わからない、とその顔に書いてある。覚えていないのだから無理もない。「私にとっても、別の意味で思い出の場所なのよ」。そんな言葉が出かかったけれど、それを今のクレフに言っても意味はないので、ぐっと押し込めた。

「なぜ、ここだとわかった」
 不意にクレフが言った。
「え?」
「なぜ私がここにいるとわかったのだ。誰にも告げずに出てきたのに」
 真っ青な双眸が、私を真っすぐに見つめる。そのまなざしも口調もクレフそのものなのに、この人に記憶がないなんて、にわかには信じられなかった。けれどその一方で、不思議と凪いでいる自分自身の心を思えば、今のクレフはやっぱり私のよく知ったクレフとは違うのだろうと納得できた。もしも目の前にいるのが「あの」クレフだったなら、こんな風に落ち着いていられるはずがない。こんな風に自分の気持ちを素直に見つめることなんて、できるはずがない。
「それはね」と私は言った。「あなたのことが、好きだからよ」
 するとクレフは、見たこともないほど大きく目を見開いた。
 風に乗って、どこからともなく沈黙がやってくる。その沈黙の中に、私はそっと身を置いた。クレフが答えるまでは何も言わないつもりだった。

 やがてクレフは、見開いていた瞳にあいまいな輝きを宿し、苦しげに眉根を寄せた。
「すまない」
 それが開口一番の言葉だった。
「私たちは、懇ろな仲だったのか」
 今度は私が目を丸くする番だった。懇ろ、というその言葉の選び方がなんともクレフらしいと思う一方、そんな恥ずかしいことをさらりと口にしないでほしいと思った。厭でも頬が染まる。「やだ」と不自然なほど大きな声で言い、私はクレフの肩を勢いでもって叩いた。
「そんなわけないじゃない。私の片想いよ」
 ほっとさせるつもりで言ったのに、クレフはますます申し訳なさそうな顔になった。そんな顔をさせたままにするのはいたたまれなくて、手に持っていたガラス瓶を、クレフに向かってぐっと突き出した。
「これは?」
 クレフは私と瓶とを見比べて瞬いた。
「魔法の水よ」と私は言った。「これを飲めば、あなたの記憶は元に戻るわ」
 クレフはまた目を丸くした。記憶を失っているせいか、そんな顔をすると、どこからどう見ても10歳の少年にしか見えなかった。そんなクレフを見られたことが、こんなときなのに嬉しかった。

「さあ、飲んで」
 私はクレフの手に瓶を握らせた。
「みんな、クレフが戻ってくるのを待ってるわ」
 クレフは明らかにためらっていたが、私が急かすと、ついに瓶の蓋を開けた。そして瓶を傾け、ぐいと一気に中身を飲み干した。
 こくり、とその細い喉が動く。クレフが口から瓶を離した、その刹那のことだった。突然ガラス瓶から強烈な光が爆ぜ、クレフを丸ごと包み込んだ。
「クレフ?!」
 眩し過ぎて手を出すことさえできない。あまりにも強すぎるその光に、まさかマリアはまったく別の水を渡したんじゃないだろうかとさえ考えた。けれど彼女が最後に見せた表情を思い出す限り、そんなことはないと思う。でも、水を飲んだらどんな状態になるかくらい、前もって教えてくれていてもよかったのではないだろうか。

 思ったより早く光が収まってくれたのが、せめてもの救いだった。柔らかい風が、クレフの髪を掻き上げる。彼の手中にあったはずの瓶は消えていた。代わりにガラスの欠片のようなきらめきが、クレフの廻りを浮遊していた。ぽかんと口を開けてそのきらめきの中に佇んでいたクレフは、やがてきらめきが空気に溶けるようにして消えると、一度瞬きをした。そして何も持たない自分の両手をまじまじと見、もう一度瞬いた。
「私は……?」
 その声に弾かれたように私は身を乗り出し、クレフの両肩をつかんでその顔を覗き込んだ。
「クレフ、私がわかる?」
 勢いに気圧されたのか、クレフは素早く瞬いた。私は必死だったので、自分がどれほどの形相をしていたのか気づかなかった。やがてクレフは、まるで私から身を引くように顔を引き攣らせ、
「ウミ」
 と言った。
 たった一言だった。けれどその一言は、どんな魔法の言葉よりも大きく私の心に響いた。どっと肩の力が抜ける。クレフの肩を滑らすようにして腕を下ろし、よかったあ、とほとんどため息のように言った。

「おまえ、どうしたのだ、その体は」
 不意に私の腕に触れ、クレフは言った。いつものクレフの口調だった。その事実に、不覚にも涙が出そうだった。ぐっと堪え、私は努めてほほ笑んだ。
「勝利の勲章、とでも言うべきかしらね」
 もはや痛いという感覚はなかった。クレフが戻ってきてくれた、そのことが、私にとっては何よりの治療薬となったようだ。膝に力を入れて立ち上がる。朝日が眩しい。ぐーっと伸びをすると、体の緊張がほぐれていくのを感じた。お腹が空いたなと思った。
「エスペランサって、ずいぶん辺鄙なところにあるのね。エテルナに行ったときのことを思い出したわ」
「なんだって?」
 クレフの声が、珍しく裏返った。振り返ると、ちょうどクレフが、まるで上から引っ張られたかのような素早さで立ち上がったところだった。
「おまえ、エスペランサに行ったのか」
 私は否定も肯定もせず、ただ首を竦めてみせた。「ひとりで行ってきたのよ、偉いでしょ」と自慢するようなつもりも、「あなたのために行ってきたのよ、感謝してよね」と恩を売るようなつもりもなかった。すべては私自身のためにやったことだ。自らの願いをかなえるために、やったことだ。

 どっちつかずの私の態度を肯定と捉えたのか、クレフは口元に手を当て、何かを考え込むように押し黙った。謝罪の言葉は聞きたくない、と咄嗟に思った。
「マリアから、伝言を預かってきたの」
 クレフが口を開く前にと、私は急いで言った。
「『わたしは修行の旅に出るわ。いつか最強の魔導師になって、あなたから「導師」の座を奪うから 』」
 一語一句違わない自信があった。
 顔を上げたクレフは、虚を突かれたような顔をした。伝言の内容に驚いたのか、私がマリアと話をしてきたという事実に驚いたのか、あるいはもっと別のことに驚いたのか、私にはわからない。ただ、もしかしたら混乱しているのかもしれないなとは思った。マリアは、「エスペランサの水を飲ませれば記憶を失っていた間のことは忘れてしまう」と言っていた。そうだとしたら、そもそもどうして自分がここにいるのかさえ、クレフにはわからないだろう。
「あなたは記憶を失っていたのよ」と私は言った。「でも、心配しないで。たった一日のことだし、このあいだに特別何か問題が起きたなんていうこともないから」
 本当は、説明しなければいけないことはほかにもある。けれど今は、あまりたくさんのことを言ってクレフを混乱させたくなかった。とにかくクレフを城に戻すことが先決だった。
「さ、早く戻りましょ」
 私はクレフに背を向け、歩き出した。
「あなた、何も言わないで出てきたんでしょう。みんな大騒ぎしてたわよ」

 来週また、パンプキンパイを作ってこようかしら。「クレフ」に戻ったクレフの顔を見て、そう思った。何しろあのパイは、クレフの口には入らなかった。残しておくという選択肢はもちろんあった。でも、記憶を失ったクレフが私の作ったパイを食べてどんな感想を述べるだろうかということに想像がいくと、恐ろしくてとてもだめだった。けれど記憶を取り戻したクレフになら食べてほしい。そしていつものように、正直な感想を聞かせてほしい。
 そんなことを考えながら数歩歩みを進めた、そのときだった。突然右手をしっかとつかまれ、思わず立ち止まった。振り返ると、当たり前だが、私の手をつかんでいたのはクレフだった。私はきょとんと首を傾げた。
「すまない」とクレフは言った。
「え?」
「不躾なことを言った。許してくれ」
 ばつが悪そうにそう言うクレフを前に、私は無数のクエスチョンマークを浮かべた。
「何の話?」
「おまえと私が、懇ろな仲だなどと」
「ああ……」
 なんだ、そのこと。そう続けようとしたけれど、できなかった。はたと口を噤み、私は瞬いた。
「え、なんで」
「ん?」
「なんで、覚えてるの」
「……は?」
「なんで覚えてるのよ。だって、あのときは」
 そのとき、顔からさあっと血の気が引いた。マリアが最後に見せた笑顔が脳裏をよぎる。今となってはそれが不敵なものとしか感じられないのは、気のせいだろうか。もしも、もしもあのときのマリアの言葉が、彼女のはったりだったとしたら?

「何の話をしているのか、よくわからないが」
 言って、クレフは私の手を引き、歩き出した。
「とにかく、城へ戻るぞ。その傷の手当てをしなければ」
「ちょ……ちょっと、クレフ」
 すっかり普通に戻ったクレフに代わって、今度は私の方がすっかり動転してしまっていた。
「ままままさか、覚えてるなんてこと、ないわよね?」
 歩きながら、クレフが「ん」とこちらを振りかぶる。目が合うと、頭のてっぺんから火が噴き出しそうなほど恥ずかしかった。
「だから、その……」
「私に片想いをしているというおまえの告白なら、覚えてないぞ」
「思いっきり覚えてるじゃない!」
 ははは、とクレフは笑った。そんな風に朗らかに笑うクレフは、初めてだった。
 穴があったら入りたいと、切に思った。こんな形で気持ちを知られてしまうことになるなんて。いまさらごまかすこともできない。言うんじゃなかった、と少し後悔した。
 それでも、マリアを心底憎むことはできなかった。もしかしたらマリアは、私の背中を押すためにあんな嘘をついてくれたのかもしれないと思った。こんなことでもなかったら、私はきっと、クレフに告白することなんてできなかっただろう。クレフのことを好きだという気持ちに、嘘はない。望んだ形ではなかったけれど、気持ちを伝えることができたのは紛れもなく、マリアの策略のおかげだった。

「ウミ」
「はいっ」
 突然呼ばれたせいで、そんな不自然な返事をしてしまった。クレフはくすりと笑った。そして前を向いたまま、言った。
「ありがとう」
 その横顔を、思わずはっと見る。しばらく待ったが、それっきりだった。何に対してなのか明らかにならないまま、「ありがとう」という言葉だけが、私の全身を埋め尽くした。
「うん」
 わけもなく涙が滲んだ。確かだったのは、それがうれし涙だったということだ。もう何もいらないと、本気で思った。想いが通じ合ったわけでもないのに、私は確かに満たされていた。
 ほんの少しだけ、繋いだ手に力を込める。握り返してくれたクレフの手は、実際以上に大きく感じた。見上げた空に、もう虹は架かっていなかった。




乙女の祈り 完





一周年ありがとうございました。ちょうどハロウィンの時期だったので、海ちゃんが作るお菓子はパンプキンパイになりました。それから、10万ヒット企画のときに募集したリクエストで、匿名希望さんから吸血鬼ネタについてリクエストいただいてましたので、そこに着眼点を得ました。
この作品の主人公は、海ちゃんでもクレフでもなく、マリアかなと、書いてから思いました。
諸説ありますが、スズランの花言葉は「幸福の約束」、そして「乙女の祈り」。クレフの「幸せ」を、マリアという「乙女」が祈り、それが必ず訪れることを「約束」する話……に、なってたらいいなあ(笑)

ここまで読んでくださってありがとうございました^^

2013.11.09 up




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