蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

私だけのもの

短々編

以前拍手に掲載していたものです。掲載時から若干の加筆修正を加えています。

本文は「続きを読む」からどうぞ。





 きっかけは、高校を卒業してからも付き合いが続いている友人の一言だった。
「もしも違ってたらごめんね」
 そう前置きして、彼女はやけに深刻そうな表情を作った。きょとんと首を傾げた私を上目遣いに見た彼女は、両手で抱え持っていたマグカップを静かに置いた。
「もしかして海、フリンしてる?」
 心の内までをも見透かそうとするかのような彼女の視線を受け、私の思考回路は路頭に迷った。無言のまま何度か瞬きを繰り返す。彼女の言った「フリン」という言葉が「不倫」を指しているのだとわかったのは、しばらく経ってからのことだった。そしてそのことがわかると、私はますます困惑した。
「は?」
 ほかに何と言ったらいいかわからず、私はとりあえず聞き返した。
「ほんとにごめん、違う?」
 思わず、というように彼女は身を乗り出した。反射的に私は身を引いた。彼女の迫力に気圧されて、ともすれば首を縦に振ってしまいそうになった。直前でわれに返り、なんとか押しとどめる。沈黙が不自然にならないうちに、顔の前で思い切り手を振った。
「やだ、何言ってるのよ。してないわよ、不倫なんて」
 こぼれた笑いは乾いていた。私が呆れているということが、彼女にも伝わったはずだ。それでも彼女は表情を崩さない。いったい私の何が彼女に不倫を想起させるのか、まったくわからなかった。どうにかして安心させたいが、「していない」以外に言えることはない。無意識のうちに唾を呑んでいた。じっと目を合わせたまま、彼女が口を開くのを待った。

「よかったあ」
 やがて、大きく息を吐きながら、彼女はソファに深く身を沈めた。彼女自身が驚くほど大きな声になったので、隣の席に座っていたカップルがぎょっとして私たちを見た。謝罪の意味で軽く頭を下げる。カップルの視線が離れると、彼女は椅子に座り直した。カップを包む手が、明らかに安堵していた。
「実はね、ずっと心配してたのよ。最近の海、どことなく思い詰めてる感じだったから」
「え?」
「似てるのよ、雰囲気が。一時期不倫をしてたときの、私の姉に」
 そう言った彼女の、私よりも長い髪がさらりと揺れた。彼女は哀しそうに笑った。
「今はもうとっくに吹っ切れて、いい人と結婚もして、一児の母をやってるけどね」
 目を見開いた私に向かって、彼女は肩を竦めてみせた。綺麗なラテアートが施されたカップの中身に視線を落とし、彼女は静かに微笑んだ。
「変なこと言ってごめんね。勘違いでよかった。かなわないとわかっていてする恋なんて、絶対に幸せになれないものね」
 その言葉に、私は絶句した。下を向いてしまった彼女には、私の表情は見えなかっただろう。見てもらう必要もなかった。たとえ見られたとしても、その表情の理由は、とても打ち明けられるようなことではなかった。

***

 それから三日後、迷いながらも私はセフィーロへ赴いた。いつもと同じように皆と食卓を囲み、同じように談笑をして、同じように散歩をする。ただ、ひとつだけ、いつもと違うことをした。いつもなら、光、風と別れたあとはクレフのところへ行くのだが、今日は足を向けなかった。代わりに、「一人で行ってはならない」とクレフに忠告されていた市場に向かった。

 友人に言われた言葉が、心の奥深いところにぐさりと突き刺さったままだった。「かなわないとわかっていてする恋なんて、絶対に幸せになれない」。そのとおりだった。返す言葉もない。痛いほどわかっているのに、私はずっと、そんな恋に何年も身を沈めている。きっともう、頭のてっぺんまですっかり浸かってしまった。抜け出すのは至難の業だろう。伴うのは痛みか、それとも苦しみか。どちらにしても、楽しいことからは程遠いに違いなかった。

 出逢ってからはもう六年が経った。このあいだ読んだ雑誌には、結婚までの平均交際期間は二年とあった。とすれば、六年も経てばもう子どもの一人や二人、いてもおかしくないころだ。もちろん私はまだ二十歳で、周りで結婚しているような子はさすがにいない。けれど誰とも付き合ったことがない子だってほとんどいない。いや、一人もいない。ディズニーランドに行ったことがない子くらいのレア物だ。そして私は、そのレア物だった。
 気づかなければよかったのかもしれない。けれどこちらの世界との交流を続けている以上、気づかずにいることなんて不可能だった。きっと、初めて会ったときから好きだったのだから。気づく、気づかないは、時間の問題でしかなかった。


「ねえねえ、彼女。ひとり?」
 突然声を掛けられて、私ははっと立ち止まった。いつの間にか、市場のだいぶ奥までやってきていたようだった。顔を上げると、目の前に二人、後ろに一人の男に挟まれていた。後ろの男と、前に立っている二人のうちの片方は色黒で、残る一人は色白だった。その色白が言った。
「俺らと一緒に見て廻らない? いいとこ知ってんだよね」
 ところは変わってもナンパの手法は変わらないのだろうか。私は思わず苦笑した。
「悪いけど……」
 答えかけて、私は口を噤んだ。

 こうして声を掛けられるのは、東京ならば日常茶飯事だった。私よりも美人な子なんて世の中にはごまんといるのに、あえて私に声を掛けてくるなんて皆物好きだと、いつも思う。そんな気はまったくないから、いつもさらりと交わしていた。すべてはクレフを想えばこそだった。ほかの男の人とはこれっぽっちも一緒にいたいと思わなかった。だから断ってきたけれど、もう六年だ。もう六年も、私たちはどっちつかずの関係を続けている。きっといい加減、踏ん切りをつけなくちゃいけない。だからといってナンパをそのきっかけにするのはどうかと自分でも思うけれど、この際なんでもよかった。だから、答えた。
「ええ、ひとりよ」
「まじで」と目の前に立っていた色黒の男が言った。関西弁のイントネーションだった。「男、おらんの? 別嬪さんやのに」
「いたらこんなところをひとりで歩いてるわけないでしょ」
「じゃあ、あっちの方にいい店があるから行ってみようよ」と色白の男が言って、私の肩に腕を廻してきた。「服飾屋なんだけど、仕立てがすごくよくてさ。君ならきっと、似合う服がたくさん――」
「だめだ」
 背後から、突然鋭い声がした。細い路地に入っていた私を含め四人は、前のめりにつんのめって立ち止まった。

 私にとっては聞き覚えのある声で、なおかつ今もっとも聞きたくない声だった。だから振り返るつもりはなかったけれど、私の肩に腕を廻した男が振り返ってしまったので、結局はそちらに体を向けざるを得なかった。
「え?」
 ところが、そこにいた人を見て、私は覚えず目を丸くした。声は確かに彼のものだったはずなのに、そこにいたのは、私のよく知っている彼ではなかった。

「なんだあ? おまえ」
 さっきまで私の真後ろに立っていた色黒の男が、一歩前へ出て不機嫌そうに言った。
「あ、ちょっと……」
 私は咄嗟に身を乗り出しかけた。そのひとはセフィーロの重鎮なのだから、そんな口を利くのはやめたほうがいい。けれどその言葉が発せられることはなかった。ほんとうに彼はあのひとなの? 私は私に問わなければならなかった。そして私は、その問いに対して首肯することができなかった。
「その娘は私の連れだ。手を出さないでもらおうか」
 こんな特徴的な言い回しをする人が、ほかにいるだろうか。けれどそうだとしたら、その姿はいったいどういうことなのだろう。
「連れ?」と色白の男が言った。「この子はさっき、ひとりだって言ってたけど?」
「聞き違いだろう。彼女は確かに、私とともにここへやってきた。途中ではぐれてしまったのだ」
「怪しいだろ、その言い訳」と色白の男はなおも食い下がった。「俺にはどう見たって――」
 ところが、そこまで言って男は急にはっと口を噤んだ。え、と見ると、彼は大きく目を見開いてひどく怯えているようだった。どうしたんだろう、と私は思ったけれど、その理由はすぐにわかった。相手の目力にやられたのだ。
「おい」
 色黒の男が、急かすように色白男の脇を突いた。男は何度目かの瞬きのあとでようやくわれに返り、私の肩から磁石が反発するようにぱっと手を離した。
「行こうぜ」と色白の男は言った。
「はあ?」
「いいから、早く!」
 色白の男は、勢い任せに私を突き飛ばした。そして二人の色黒を連れ、その場から逃げるようにして立ち去った。

「なによ、もう」
 すっかり呆れ果てた私は、ため息交じりに言った。そしてそのときようやく、色白の男に突き飛ばされた体を支えてくれている腕があることに気づいた。小さな悲鳴を上げて、私はぱっと飛び退いた。
 目の前に立っている男性(ひと)を、改めて観察する。そのまなざし、間違いなく彼だろう。けれど見上げなければ視線を合わせられないなんて、あり得ない。それに、いつもその広いおでこを占領しているサークレットもなければ、杖も持っていない。
「あの」と私は恐る恐る言った。「クレフ……なの?」
 すると彼はぎろりと私を睨み、オーラをどす黒くした。覚えず全身が震えた。
「そうでないとするならば誰に見えるのだ」と彼は吐き捨てるように言った。「私と見紛うような男でも、知り合いにいるのか」
 その小憎たらしい皮肉。ええそうですね、間違いありません。
「いないわよ」と私は乱暴に言った。「けど、いきなり大きくなるんだもの、びっくりするじゃない。それも魔法なの?」
「違う」と彼は即答した。「私もよくわからない。気がついたらこの姿になっていた」
「どういうこと?」
「おまえが悪い」
 質問の答えとして、それは甚だ受け入れられないものだった。私は目を丸くした。
「は?」
「しいて言うなら、おまえのせいでこうなった。おまえがいつものように私のところへ来ていれば、こんなことにはならなかったのだ」
「なによ、それ。言いがかりもいいところだわ」
「言いがかりではない。市場へ一人でやってきてはいけないと、あれほど言い置いていただろう。まだ治安が完全ではないというのに」
「それは悪かったわ。けど、それとこれとどう関係が――」
「おおありだ。だいたいなんなのだ、あの男どもは。おまえはあのような輩が好みなのか」
「な……そっ、そんなわけじゃ」
「ではなぜついていこうとした? あのままのこのことついていって、無事に帰れると思ったか。私がどんな思いでおまえを市場から遠ざけていたと思っているのだ。人の好意を踏みにじるのがほんとうに巧いな、おまえは」
「そんなつもりじゃないわよ! ただ、暇だったし、たまには違う人と遊ぶのもいいかなって――」
 バン、と大きな音を立てて、クレフが私の背後の壁を叩いた。私は蚊が鳴くような頼りない悲鳴とともに縮こまった。
 怖い、と思った。この六年間で初めて、クレフのことが怖いと思った。

 そういえば、この人は自他ともに認めるド短気だったわ。いまさら思い出して、私は心の中で泣きそうになった。まさか殴りはしないだろうけど、どんな罵声を浴びせられるか。クレフの語彙には、私が到底知らないような言い回しがごまんとある。その中から彼がどれをピックアップするのか、私にはてんでわからなかった。ただ、ひとつだけ断言できることがあるとすれば、どれを選ばれてもおよそ太刀打ちできないということだった。ズタボロにされることを覚悟した。

 ところが、しばらく経っても彼は何も言わなかった。私は瞑っていた目をおそるおそる開け、クレフを上目遣いに見上げた。目が合うと、われ知らず肩が上がった。私を見下ろすクレフの瞳は、子どもの姿をしていたときにはない迫力を携えていた。
 その瞳のまま、クレフは言った。
「私も男だ」
 心の奥まで響く声だった。けれどその声が紡いだ言葉はあまりにも意外で、私は中途半端に口を開けた。
「私も、男だ」と彼はもう一度言った。「人並みに欲求もあれば、自尊心もある。好いた娘がどこの馬の骨ともわからぬ男に言い寄られているのを見れば、一泡吹かせてやりたいとも思う」
 それもそうね、と納得しかけたところで、え、と瞬いた。今、なんて言ったの?

「ウミ」
 クレフが声のトーンを変えた。そして次の瞬間、私は彼の腕の中にいた。
「いい加減に、私だけのものになれ」
 耳元すぐのところで声がした。そのときようやく、クレフの言った言葉の意味を咀嚼できた。確かに彼は「男」だ。女の人はこんなことは言わないし、こんな風に、私の全部を包み込むような抱き方はしない。

 瞬きをすると、視界が滲んだ。そのとき初めて、無意識のうちにずっと全身を強張らせていたことに気づいた。私は目を閉じ、肩の力を抜いた。目の前にあるクレフの肩口に顔を埋め、広い背中に腕を廻す。小さかったときは優々自分の腕をつかめたのに、今はもう、指先さえ触れ合わない。
 答える代わりに、私は小さくうなずいた。今声を出したら、わんわんと泣き出してしまいそうだった。

 私の背を抱いた腕が、わずかに緩む。片手が私の頬に触れた。その手は流れた涙を拭い、私の顔を上に向かせた。目が合う。一歩向こうには市場の喧騒が広がっているというのに、これっぽっちも気にならなかった。クレフは私の額に唇を寄せた。つい先ほどまでの剣幕が嘘のように、彼は美しく笑った。




私だけのもの 完





嫉妬したクレフに壁ドンをさせたかったんです。
嫉妬の炎がクレフの体を大きく成長させました(笑)
ここまで読んでくださってありがとうございました^^

2013.11.11 up




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2013.11.12    編集

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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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