蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ラスト・リング 21. ほんとうの恋

10万ヒット企画

恋に嘘も真実もなく、「好き」の気持ちに違いなどないと思っていた。でも、そうじゃない。ほんとうに好きな人のことは、忘れられない。ほんとうの恋は、かなわなければこんなにも辛い。

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 会議室の外に並んだ椅子で待つ傍ら、時折こぼれるため息は、抑えることができなかった。中ではカルディナと部長が一対一で話しているのだろうが、そのカルディナの席にもう少しで自分が座ることになるのだと思うと、憂鬱にならないわけがなかった。どうして上層部は、いきなりこんな「面談」などというものをやろうと思い立ったのだろう。百歩譲って面談そのものは許容するとしても、せめて一週間前に知らせてほしかった。こんなことがあると知っていたら、あと一週間、告白するのは待ったのに。

 私はちらりと腕時計に目を落とした。予定時刻をもう10分も過ぎている。けれどカルディナが出てくる様子は一向にない。ここに来ての足踏みは、想定の範囲外だった。今日何度目か知れないため息は、これ見よがしなものになった。
 午後をほぼ丸々使って行われてきた部長と一対一の面談は、ほぼスケジュールどおりに進み、あとは私を残すのみだった。ちょうどカルディナの番が終わるころを見計らってやってきたのに、まさかここで10分も待たされる羽目になるとは、まさに目の前に迫っていたはずのゴールが急に百メートル先まで引き延ばされたような気分だった。いったい何をそんなに話すことがあるのだろう。普段はそんなそぶりは見せないが、ひょっとしたらカルディナ、内心では結構仕事に不満が溜まっているのだろうか。

 ちょっとお手洗いに行ってこようかな。そう思って立ち上がったとき、まるでタイミングを見計らったように扉が開き、カルディナが出てきた。
「ほな、海呼んできま――って、海」
 私が立っているのを見止めたカルディナは、心底驚いたように瞬いた。
「なんや、もう来とったんかいな」
「『もう』って」と私は思わず言い、肩を竦めた。「予定の時間は、もうとっくに過ぎてるんだけど」
「あ、そやった? 堪忍、堪忍」
 乙女はいろいろと話すことがあってな。そう続けたカルディナは、扉を開け放したままにして早々に去っていった。
「『乙女』ねえ……」
 後姿を見送りながら、思わず苦笑する。どうやら私の見通しは外れたようだ。スキップをしそうなほどに軽やかなその後姿は、どう見ても、仕事に不満が溜まっているようには見えなかった。

「入りなさい」
 会議室の中から部長の声がして、私は思わずぴくりと肩を震わせた。隠せない後ろめたさから、ついまるで盗み見るように横目で見てしまう。部長は横に長いデスクの奥に座っていて、書類とにらめっこをしていた。
 一度、気づかれない程度の深呼吸をしてから中へ入る。扉を閉めると音が遮断され、部長と私だけの空間が出来上がった。
「待たせてすまなかったな」
 私が向かい側に腰を下ろすと、部長は顔を上げて苦笑した。
「まったく、カルディナは口を開くと止まらない」
「私といるときもそうですよ。次から次へと話題が出てくるみたいで」
「そうだな。すべてのクライアントに適合するわけではないが、あの性格が功を奏してうまくいっているところも多い」
「C社となんて、まるで友達みたいに仲良くなってますものね」
「ああ」
 自然だった。交わされる会話の流れがあまりにも自然で、そのことが逆に不自然だった。私だけではなくて、部長もまた、「あのとき」のことから出来る限り目を背けようとしているのだと感じた。仕事上のこととはいえ、二人きりになるのは、一週間前に「ラスト・リング」で会って以来のことだった。

 会話が途切れると、部長は手元の書類に視線を落とした。
「面談の趣旨はわかっているな」
「はい」と私はうなずいた。「今後のキャリア形成について、ですよね」
 すると部長は、少し大げさなため息をついた。
「まったく、こんな面談をして何になるというんだか」
 その心底厭そうな言い方に、私はくすりと笑みをこぼした。
「プロ戦には必要ない面談だと、私も思います。部長以上に部員のことを知っている上司は、ほかの部にはいないでしょうから」
 それには答えず、部長はただ肩を竦めてみせた。
 全社的に行われているこの面談の目的は「部内のコミュニケーションを円滑にする」ということらしいが、プロ戦内では総じて不評だった。プロ戦には必要のないことだからだ。プロ戦におけるコミュニケーションの円滑さは社内の手本になるほどだと、部員全員が自負していた。
 けれどそういう意味では、私だけはこの面談が必要かもしれない。理由は何であれ、ここ一週間、部長とのあいだにコミュニケーションらしいコミュニケーションがまったくなかったから。

 部長は徐に手元の資料をめくった。
「おまえには、今後もこの部署にいてもらいたいと思っている。イーグルの異動があって、最初は案じていた部分もあったが、蓋を開けてみると、思った以上にスムーズに事が進んでいくので、正直驚いた。そこにおまえの成長がかんでいることは明らかだ。よくやってくれていると思う」
 部長からそんな風に直截な褒め言葉をかけられるのは、これが初めてのことだった。気恥ずかしくて俯いた。「そんな」と言った声は、自分自身あまりにも頼りないと思った。頬が熱い。この一週間張り詰めっぱなしだった糸が今にも切れそうだった。切れてしまったらどうなるか、そんなことは考えたくもなかった。

「龍咲」
 呼ばないで、と私は心の中で叫んだ。その優しい声で私を呼ばないで。押し込めた気持ちがあふれてしまう。鉛のように重い蓋をしたつもりなのに、きっと簡単に押し破ってしまう。
 顔を上げたら最後だと思っていた。それでもあっさりと顔を上げてしまった私は、ばかだと思う。部長の顔を真正面から見ると、もうどうしようもなかった。認めるしかなかった。部長への想いを消すことなんて、できない。
「おまえには、常に第一線で活躍できるだけの素質がある。これからの成長を、楽しみにしているよ」
 そう言って、部長は笑った。「部長」としての、心からの笑みだった。
 一瞬目を合わせるだけで精いっぱいだった。心も体も、節々が叫んでいた。この人のことが好きだと。たとえ振られても、たとえ「部長」としての顔しか見せてくれなくても、忘れることなんてできないと。
「ありがとうございます」
 辛うじてそれだけは口にすることができた。そこから先は、何を話してもほとんど頭に入ってこなかった。一通りの話が終わると、挨拶もそこそこに、逃げるようにして会議室を後にした。


 その足で、展望室へ向かった。沈みゆく日が、展望室全体を橙に染め上げている。座っている人が誰もいないベンチは、けれど素通りして、私は真っすぐに窓際へ向かった。太陽の眩しさを理由に、目を伏せる。堪えきれると思ったのに、だめだった。目尻から一筋の涙がこぼれ、頬を伝った。そっと目を開けると、視界が滲んだ。流れる涙を、拭うこともせず、なるがままにする。夏の日差しはこんなにも強いのに、私の心までは温めてくれない。すぐそこにあるはずの夏が、まるで手が届かないほど遠くにあるように感じた。
 自分で自分が厭になる。こんなにもふがいない私がいたなんて、知らなかった。
 べつに初めての恋じゃない。好きになった人はこれまでにもいたし、付き合った人もいた。当然振られたこともある。けれどどんなときも、これほどまでに辛いとは感じなかった。納得のいかない別れ方をした人もいたのに、そのときだって、憤りこそすれ、これほどまでに哀しいとは思わなかった。仕方ない、そういうこともあるわよね。いつもそんな風に割り切っていたし、それが「私」なんだと思っていた。ドライだね、と友人に驚かれることもあったけれど、私にとってはそれが「普通」だった。私にとっての恋は、ほかの人にとってのそれほど焦がされるものではないということなのだと受け止めていた。部長に出逢い、彼を好きになるまでは。

 恋に嘘も真実もなく、「好き」の気持ちに違いなどないと思っていた。でも、そうじゃない。ほんとうに好きな人のことは、忘れられない。ほんとうの恋は、かなわなければこんなにも辛い。
「ばかね、私」
 自嘲気味な笑みがこぼれた。いまさら気づくなんて。こうならないと気づけなかったなんて。
「私が良く見えるのは、年が離れているからだ」。部長にそう言われたときは、そうかもしれない、そうに違いないと思い込もうとした。だいたい、見た目はともかく、部長とは確かに年が違いすぎる。恋をするなら同年代の方が、価値観も合うし、いろいろと都合のいいことが多い。自分自身に言い聞かせるように、そう考えようとした。でも、できなかった。たとえ私が彼の隣に立つ女としてふさわしくなくても、私には彼しかいない。ほかの人なんて好きになれない。部長以上に好きになれる人なんて、きっともう、出逢えない。

「海」
 呼ばれたのは突然のことだった。われ知らず肩が震えた。はっとして振り返ると、いつの間にやってきたのだろう、展望室の入り口にアスコットが立っていた。
 驚きで何度か瞬きをすると、頬を冷たいものが流れるのを感じた。慌ててアスコットに背を向ける。いまさら遅いと思いながら、急いで袖で頬を拭った。こんな顔を見せるわけにはいかなかった。
「どうして泣いてるの?」
 背中にアスコットの声が掛かる。「どうして」と訊きながら、その口調はすでに理由を知っている人のそれのように聞こえた。一度深呼吸をする。事前に笑顔を取り繕ってから、私はくるりと振り返った。
「泣いてなんかないわ。アスコットこそ、どうしたのよ。こんなところで」
 アスコットは苦虫を噛み潰したような顔をした。何かを考えるよりも先に、私は視線を逸らしていた。後ろめたいことなんか何もないはずなのに、アスコットと目を合わせているのが、どうしようもなく息苦しかった。

「海」
 しばらくすると、アスコットは再び私を呼んだ。最初に呼ばれたときよりも柔らかい口調だった。私を慰めてくれようとしているのだと思った。顔を上げずに、私は続きを待った。アスコットの醸し出す気配が、ふっと和らいだ。
「僕の好きになった人は、そんなに臆病じゃなかったはずだよ」
 私は弾かれたように顔を上げた。アスコットの表情はすっかり凪いでいる。そんな彼の発した「臆病」という言葉が、心の琴線に触れた。

 先に視線を外したのは私だった。そのままゆっくりとかぶりを振り、私は大きな窓に背中を預けた。
「臆病よ」と私は言った。「強くなんかいられない。怖いの。これ以上傷つきたくない。好きなだけで辛いのに」
 沈黙がその場を支配する。囚われてしまうともう二度と抜けられないような沈黙だった。照りつける太陽も橙色に染まる街も、すべては私の住む世界とは別のところで繰り広げられている情景だと思った。後ろに立っているアスコットとのあいだにでさえ、大きな壁が聳えているように感じる。目に映るあらゆるものが、以前とはまるっきり変わってしまった。その変化に誰よりも戸惑っているのは、私自身なのかもしれなかった。

「傷つくのは、確かに怖いよ」
 刺すような沈黙に、アスコットの声ははっきりとした波紋を広げた。促されるようにそっと顔を上げる。アスコットの頬は橙色に染まっていた。街と同じ色だった。
「でもね」とアスコットは言った。「傷つくことができるのは、それだけの勇気を振り絞った人だけだよ」
 アスコットはやはり、私の好きな人が誰なのか知っているのだろうと思った。真実を穿った彼の言葉に、けれど私は何の反応も返すことができなかった。首を縦に振ってしまえば、私は今以上に勇気を振り絞らなければならなくなる。かといって「そんなことない」と否定してしまえば、一週間前の告白まで否定してしまうことになりそうで、それもできなかった。
 私は、やっぱり弱い。それが唯一、私がはっきりと認められることだった。

***

 アスコットが去ってからさらに30分ほどを経て、私はようやく屋上を後にした。フロアに入ろうとすると、意外な人物が扉の外に立っていた。彼女は壁に寄り掛かり、軽く腕を組んだ体勢で目を閉じていた。心なしか、眉間にうっすらと皺が寄っていた。
「プレセア?」
 やや離れたところで立ち止まり、私は彼女を覗き込むようにして言った。するとプレセアははっと開眼し、私を見た。それからやおら表情を緩めると、組んでいた腕を解き、壁から一歩離れた。
「待ってたわ」とプレセアは言った。
「え」と私は瞬いた。「私を?」
 ええ、とうなずき、プレセアは私を追い越した。その背中を目だけで追いかけていると、プレセアは途中で立ち止まり、こちらを振りかぶった。
「話したいことがあるの。付き合って」
 答えも聞かずにプレセアは歩き出した。「No」とは言わせない背中だった。困惑しながらも、私は慌てて後を追った。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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