蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ラスト・リング 22. 覚悟

10万ヒット企画

そうすることが赦されるのなら、命ある限り、真心を尽くしたい。けれどそれは、どこか逃げるような言葉だった。

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 黙ってあとをついていくと、プレセアはなぜかオフィスを出て、あろうことかすぐそばにあるカフェに入ろうとした。
「ちょ……ちょっと、プレセア」
 さすがにそれはまずいでしょうと慌てた私の声にも、けれどプレセアは立ち止まる気配をまったく見せなかった。あまりに堂々としているので、こちらの方が悪いことをしているような錯覚に陥ってしまう。けれどその錯覚はすぐに振り払い、私は素早くかぶりを振った。今一度プレセアに詰め寄り、「まだ就業時間中じゃない」と言う。するとプレセアが「クレフには許可を取ってあるわ」としれっと言い放ったので、私は目をむいた。
 いつの間に、それもどんな許可を取ったというの? 終業時間中に外へ出ることを部長が赦したの? あの、一大プロジェクトに成功した日でさえ「普通に仕事をしろ」と言う部長が?――レジに並んでいるあいだに矢継ぎ早に質問を投げかけると、プレセアはおもねるように笑ってため息をついた。
「ごまかせないのね。そう、クレフの許可を取ってあるなんて、嘘よ」と彼女は言った。「でも、あなたは何も気にしないで。もしもクレフが何か言ってきても、私からちゃんと説明するから」
 会社では話したくないことなの。そう続けたプレセアの横顔に、私は何も言い返せなくなってしまった。

 平日の夕方だというのに、カフェはほぼ満席だった。唯一空いていたのは二階のカウンター席で、私たちはそこに並んで座った。景色が見えることは見えるのだけれど、目の前はただの無機質なオフィスビルで、色気も何もあったものではなかった。
「話したそうね」
 口火を切ったのはプレセアだった。
「え?」
 コーヒーに口をつけようとしていた私は、そのマグを離して訊き返した。
「クレフよ。あなたに話したんでしょう、フィアンセのこと」
 マグの中でコーヒーが揺れた。こぼしそうになり、慌ててテーブルに置く。私とプレセア、それぞれの前にまったく同じ量の入ったコーヒーがありながら、私の方のそれだけが大きく波打った。

「……どうして」
 長くなりそうだった沈黙を無理やり破って、私は声を絞り出した。芸術作品のように美しいプレセアの横顔が、ほほ笑みを作り出す。彼女はモナリザより美しいと思った。その首の角度が変わり、ほっそりとした頤のラインがわからなくなる。代わりに橙色の双眸と目が合った。
「何かの冗談だと思ったわ。あのひとが、彼女のことを他人に話すなんて」
「え」と私は目を丸くした。「プレセアも、知っていたの? 部長の婚約者が……その、亡くなっていたこと」
「もちろんよ」とプレセアは即答した。「私は無関係じゃないもの」
 もう一度「え」と訊き返しかけて、けれど私の口から声が発せられることはなかった。何か妙な違和感があった。プレセアは以前にも、似たような台詞を口にしなかっただろうか。
 記憶の海に潜り込み、そのときの断片を探る。すると、水底から浮かび上がってくるひとつの言葉があった。「いろいろな意味で、赤の他人じゃないわね」。

 そうだ。あのときプレセアは、黄昏の下で、彼女と部長の関係が一朝一夕に始まったものではないことを話してくれた。小さいころから一緒で、お互いに日本人とイギリス人のハーフだという共通点もあり、兄妹のように育った。プレセアはそう言っていた。
 そこまで思い出して、あれ、と思った。私は今、いったい誰のことを考えてるの? プレセアのことを考えているはずなのに、そこに奇妙にシンクロしてくるものがあった。似たような境遇の人が、もう一人いなかっただろうか。

 プレセアが懐に手を入れる動作が視界の片隅に映ったことで、私は記憶の海から上がった。プレセアは懐から取り出したものをテーブルに置き、私の方へと滑らせた。なに? と目だけで問うと、プレセアは無言のままうなずいた。そのしぐさは、「見てみなさい」という意味だと捉えるのが適当だろうと思った。
 差し出されたものに目を落とす。裏返されていたが、写真のようだ。『09 Oct. 19xx』と、鉛筆で書かれている。その写真が撮られた日付だろうか。だとすればもう、今から20年も前のことだ。
 何気ない気持ちで写真を表に返した。「あら」と声が出たのは、無意識のうちのことだった。もともとがセピア色な上に若干色褪せてもいるが、見間違うはずはなかった。そこに映っていたのは、今よりもだいぶ若いプレセアと、そして部長だった。
「これ……」
 心がざわめいた。二人は仲睦まじい様子で、腕を取り合っている。部長は見たこともないほどきらきらとした笑顔を浮かべていた。二人が普通の仲ではないことは明らかだった。イギリスで撮られた写真なのだろうか、背景には外国風の城がある。

 疑ってなどいなかったが、これで、部長とは「小さいころから一緒だった」というプレセアの言葉に嘘がないことははっきりわかった。それにしても、どうしてこんなものを私に見せるのだろう。まさか私が彼女の言葉を信じていないとでも思ったのだろうか。訝しがって眉根を寄せた、まさにそのタイミングだった。
「それが、彼のフィアンセだった人よ」
 プレセアが、あくまでもさりげなく言った。さりげなくでありながら、その言葉は唐突に響いた。当たり前だった。
「え?」
 顔を上げ、私はまじまじとプレセアを見返した。まさか、という思いがあり、心の中ではプレセアの言葉を笑い飛ばしていた。何言ってるのよ、プレセア。これ、どう見たってあなたじゃない。けれどそれを口に出すことはできなかった。頭の中が絡み合った毛糸状態になっていた。何が何だかわからなかった。
 口には出さなくても、けれどプレセアには私の気持ちは伝わったようだった。プレセアはくすりと笑い、肩を竦めた。
「そんな顔しなくてもいいじゃない。まあ、気持ちはわからないでもないけど」
 そう言って、プレセアは私が持っている写真に目を落とした。
「その写真を撮ったのは私なの。だから、そこに映ってるのは私じゃないわ。私のふたごのいもうとの、シエラよ」

「ふたごのいもうと」という言葉が私の中で「双子の妹」に変換されるまでには、何度も瞬きをしなければならなかった。ようやくその言葉の意味を咀嚼することができたとき、私は強いめまいを覚えた。
「そんな」
 やっとの思いで発した声は、まるで私の声ではないようだった。
「双子の妹って」
 何かの間違いだと思った。間違いであってほしいと思った。そんなこと、あり得ない。あっていいはずがない。
「薄情な妹だったわ。私だけは、二人の関係に賛成して、いろいろ相談にも乗ってあげてたのに、日本へ駆け落ちするときは、その私にさえ何も言わずに出ていったのよ」
 淡々として言ったプレセアは、私の手から写真を抜き、再び懐にしまった。外に目を向けた彼女の横顔を、私は食い入るように見つめた。この人は、自分が今何を言っているのか理解しているのだろうか。
 あるいは私を騙すために一芝居打っているのではないかとさえ訝った。けれどその考えはあまりにも突飛だと、自分でもわかっていた。こんな嘘をついてまで私を騙す理由がプレセアにあるとは、どうしても思えなかった。
 でも、それが本当なら。

「でも」
 たまらず私は声に出して言った。プレセアがきょとんとしてこちらを向く。助けを求めるように、私はその双眸にしがみついた。
「でも、だって、あなたは部長のことが好きなんじゃないの」
 するとプレセアは、見たこともないほど大きくその目を見開いた。その瞬間、「どうしてこの世には双子というものが存在するのだろう」と私は思った。同じ遺伝子を持っているのだから、同じ人を好きになるというのは、自然発生的なことのような気がする。けれどそのことによって、二人のうちどちらかは、決して癒えない傷を負うことになる。こんなにも哀しいことが、この世にあっていいのだろうか。
「どうしてそう思うの?」とプレセアは言った。
「だって」
 言いかけて、私は口を噤んだ。本人を前にして言うべきことではないかもしれない。でも、かといっていまさら黙り込むわけにもいかなかった。
「だって、プレセア、言ってたじゃない。『ずっと見守ってる』って。『あなたのことがほんとうに好きだったから』って」
「え?」
「今でも好きなんでしょう? 部長のこと」

 プレセアは絶句した。それを私は、私に見破られたことに驚いたが故の反応だと解釈した。ところが、そうしてコーヒーの一杯でも入りそうなほどの時間が流れたころ――実際にはそれほどでもなかったのだろうけれど――、プレセアは私の予想を派手に裏切り、けらけらと笑い出した。
 私は戸惑った。
「何がそんなにおかしいのよ」
 おかしいはずはない、という意味を込めた反語だった。ここは、もっと真剣な空気が流れなければならないところだ。ちょうど、つい今しがたまでがそうだったように。いや、むしろそれ以上に真剣で沈痛な空気によって、この場は支配されるべきだろう。
「あなた、聞いてたのね」
 私の問いかけには答えず、代わりにプレセアは言った。私は思わず返事に詰まった。そのとおりだった。あのとき屋上で部長とプレセアが話しているのを、その場面に出くわしたのは偶然とはいえ、盗み聞きしていた。いまさら罪悪感につまされ、私は口を噤んだ。

「責めてるわけじゃないのよ。べつに聞かれて困るようなことを話していたわけでもないもの」とプレセアは言った。「ただ、誤解されるのは困るわ」
「誤解?」
 ええ、とプレセアはうなずいた。
「私はあのとき、私の気持ちを言っていたわけじゃないの。『シエラが』今もクレフのことを見守っていて、『シエラが』クレフのことを本当に好きだったと言ったのよ」
 そう言った彼女の背後に、一瞬、同じ顔をした別の人の姿が重なった。それが「シエラ」なのかもしれないが、プレセアしか知らない私に言わせれば、混乱をきたすものでしかなかった。
「でも」
 私は言いよどんだ。プレセアの言い訳は、とても納得できるものではなかった。
「そんな風には見えなかったわ。それに、部長のことを見るあなたの視線には、彼のことを慕う気持ちが、絶対に含まれていたもの」
「それは、あなたもクレフのことをそういう目で見てるから、そう思うの?」
「え?」
「クレフのことが好きなのは、あなたの方でしょう」

 ストレートに言われて、返事をすることができなかった。するとプレセアは、「わかってるわ」とでも言うかのようにほほ笑んだ。
「でも、私は違うわ。クレフのことは、仕事上のパートナーとしては尊敬しているし、人として、好きよ。でも、そこに恋愛感情はないわ」
 毅然としたその口調には、強がりも迷いもなかった。
「それでも私のクレフを見る視線に恋をしているような気配を感じたのだとしたら、そうね、それは、私がシエラと双子だからよ」
 そこでプレセアは、コーヒーを一口飲んだ。
「双子って、不思議なの。自分がプレセアなのかシエラなのか、わからなくなるときがあるのよ。特に私たちは、そっくりでしょう。だから、シエラが死んだとき、私、わかったのよ。遠く離れたイギリスにいたのに、『シエラの身に今何かが起きたんだ』って。自分の半分がごっそり抜け落ちたような気になったの。そういう意味では、私もクレフのことが『好き』だと言えるかもしれないわ。私の半分はシエラだから。でも、『プレセア』としては、クレフに恋愛感情はないわ」
 わかったようなわからないような気持ちだった。私は双子どころか兄弟もいないから、プレセアの言っているような気持ちを抱いたことは、もちろんない。自分の半分がほかの人間と共有されているなんて、うまく想像できなかった。

「クレフがあなたにシエラのことを打ち明けたって聞いたときは、本当に驚いたわ。あのひと、これまで誰にもあの話をしたことがなかったはずなのよ」
 そう言うと、プレセアはきりっと表情を引き締め、私を真っすぐに見返した。
「これがどういうことか、わかるでしょう」
「え?」
「あのひとは、もう20年近くも大切にしまい込んでいたものを、あなたにだけは打ち明けたのよ。わからない? クレフにとってあなたが、どういう存在なのか」
 どくん、と鼓動が大きくなった。
 わからなかった。いや、プレセアが何を言わんとしているかはわかった。けれどそれは真実を穿ってはいないと思った。なぜなら私はもう、きっぱりと振られているのだ。

「まあ、クレフ自身もまだ完全には決めかねてるみたいだけど」
 プレセアはほんの一瞬、ほろ苦い笑みをこぼした。けれどその笑みはすぐに消えた。
「でも、だからこそ、あなたには自覚してほしいの。中途半端な気持ちでクレフに接することだけはやめて」
 突き放すような言い方だった。ぞくりと背筋を悪寒が駆け抜け、われ知らず姿勢を正していた。ごくりと唾を呑み込むと、そのときの音が、脳内にずんと響いた。
「あなたがクレフのことを愛してるなら、私は全力で応援するわ。ただ、それは、あなたにクレフのことを支えていく覚悟があるとわかったときの話よ」
 これがたとえば一か月前の話だったら、私はたぶん、プレセアの言うことを笑い飛ばしていたと思う。部長を支えるなんて、何言ってるのよ。いつも私の方が支えられているのに、と。でも今はそうはできなかった。もちろん、私が部長に支えられているのは今も昔も変わらない。けれど今の私にはもう、部長におんぶにだっこするつもりはこれっぽっちもなかった。彼がその心に深い傷を抱え、それを誰とも分かち合うことなく、今日までたったひとりで苦しみに耐えてきたことを知ってしまったからだ。

「クレフを愛し抜く覚悟があるの?」
 プレセアは言った。
「あのひとの過去を、あのひとがかつて本気で愛した人の存在を受け入れ、それでも彼の隣にいたいと言える? クレフが、たとえば一日のうちほんの数分であったとしても、自分以外の人を想うことを赦せる? 心の傷も含めてあのひとのすべてを愛せると、誓える?」
 病めるときも、健やかなるときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか。――まるでそう訊かれているかのようだった。結婚式でレッドカーペットの終点に立つときは、誰でもこんな気持ちになるのかしら。こんなときなのに、私はそんなことを考えていた。プレセアの問いには答えられなかった。そんな重い使命を背負うことのできる自信は、とてもじゃないが、なかった。

 もちろん、できることなら部長の隣にいたいと思う。苦しみは分かち合いたいし、一緒に笑い合い、語り合い、抱き合いたい。けれどそれは、当たり前だがひとりでできることではない。どんなに私がそうしたいと願っても、部長もそうしたいと望んでくれなければできない。
 私が自信を持てないのは、自分自身の気持ちについてではなく、部長の気持ちについてだった。部長が、隣で手を取り合う相手として私を選んでくれるのか。とても首を縦には振れなかった。
 そうすることが赦されるのなら、命ある限り、真心を尽くしたい。けれどそれは、どこか逃げるような言葉だった。「赦されるのなら」という条件をつけるのは、弱い者のすることだ。そういう自覚があったから、何も言えなかった。私はプレセアから視線を外し、俯いた。すっかりぬるくなったコーヒーが、そこにあった。




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Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
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