蒼穹楼

クレ海至上主義の管理人がおくる、妄想小説連載ブログ。

ラスト・リング 25. 音のない世界

10万ヒット企画

これだから、私は変われない。わかっている。けれどわかっているだけではどうしようもなかった。

本文は「続きを読む」からどうぞ。





「あなたは、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、哀しみのときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、死が二人を分かつまで、真心を尽くすことを誓いますか」
「はい、誓います」
「では、誓いのキスを」
 カトリック教式に参列するたび、いつも思う。どうして神父様は決まって欧米系の人なのだろうと。日本人の神父様だって大勢いるし、式自体が欧米風だからといって神父様まで白人でなければならないという決まりはない。たしかに欧米系の神父様の方が「それっぽい」というのはある。でも、どうせ欧米系の神父様を呼ぶなら、いっそのこと式進行も、たどたどしい日本語ではなく英語にしてしまえばいいのに。
 もっとも、そんなことを言い始めたら、「そもそも敬虔なカトリック教徒でもないのにキリスト教式をするのはおかしい」ということになる。口にするのも野暮、という話なのかもしれない。

 並び立っていた二人が、神父様に促されて向かい合う。光の腰が沈み、ランティスがベールを持ち上げる。25年の人生の中でもっとも美しい姿をした光の肩に、ランティスがそっと手を置く。このときばかりは、さすがのランティスも仏頂面ではなかった。皆がカメラを構える。私も、この日のために買ったと言っても過言ではないカメラを手に、ぎりぎりまでズームをしてピントを合わせた。
 一生に一度の親友の晴れ姿だ。一時も逃すことなくカメラに収めたいけれど、それと同じくらい、自分の目にもしっかりと焼きつけたかった。視線を忙しなく行ったり来たりさせる。いよいよ二人の唇が重なった。幸いにも、ランティスは一瞬で離れたりするようなことはなかったので――きっと、イーグルあたりから事前に何度も念を押されていたのだろう――、レンズ越しにでも直接にでも、二人の誓いのキスをたっぷりと堪能することができた。カメラを置いて拍手をする余裕すらあった。

 教会がたくさんの拍手に包まれ、ようやく二人の顔が離れる。にっこりとほほ笑んだ光は、私まで笑顔になるほど、心底幸せそうだった。
 おめでとう、光。心の中で言ったとき、ランティスと並んでこちらを向いた彼女と目が合った気がした。私が胸のあたりで小さく手を振ると、光は首を竦めてはにかんで応えてくれた。

***

 12月になると、東京はいきなり寒くなった。11月までは、今年はコートの出番なんてないんじゃないかとさえ思っていたのに、さあ今日から12月です、となった途端、コートを着なければ凍え死んでしまうほどの寒さが東京を襲った。数十年に一度という大寒波が、今の日本ではもっとも幅を利かせている。ニュースは連日、今日日の寒さがいかに異常であるかということを伝えていた。まったく、地球は温暖化しているんじゃなかったの? 思わずそうこぼしたくなるほどだった。あまりにも急激に気温が変わったので、道行く人の中にも、咳をしたり、マスクをしたりしている人が多かった。

「美しかったですわね、光さん」
 歩きながら風が言った。私はええ、とうなずいた。
「歴史に残る身長差カップルね、あれは」
「ほんとうに」
 風はくすくすと笑った。それは私にも伝染し、口角が緩んだ。
「でもまさか、三人の中で最初に結婚するのが光だとは思わなかったわ」
「そうですか?」
 きょとんと首を傾げた風をちらりと見て、私はうなずいた。
「一抜けは絶対に風だと思ってたわよ」
 風の頬がぽっと染まった。そのことに、風自身も気づいたのだろう、その頬を私に見せまいとして顔を逸らした。私はくすりと笑みをこぼした。
「もっとも、今日のあなたとフェリオのやり取りを見てたら、もう結婚どころかすっかり『夫婦』って感じだったけど?」
「……もう、海さんったら」
 今は手袋をしているので見えなくなってしまっているが、風の左手には、華やかな披露宴会場にも負けないような輝きを放っていたダイヤの指輪がはめられている。無意識のうちなのか、風はその左手を守るように右手でぎゅっと握った。
 実は風ほどからかいがいのある人もそうそういないと思っている。常に沈着冷静、余裕綽綽の笑みを絶やさない彼女が唯一落ち着きを失うのが、フェリオのことを話しているときだった。本当はもっといろいろ突っ込みたいのだけれど、調子に乗って深入りし過ぎると、今度はこっちが倍返しを喰らう。そのことはこの三年の付き合いで身に沁みてわかっているから、フェリオの話題はここで終わりにした。

 すれ違う人は皆、コートの前をぴっちりと閉めて歩いている。風もそうだ。けれど私だけは違った。コートはくるみボタンをすべて開けた状態で、軽く羽織っているだけだった。現実的なことを言えば、引き出物の入った重たい袋を持っているから大して寒く感じないのだ。けれどここはもう少しロマンチックに、親友の晴れ姿が私の心と体を温めていた、と言っておこう。ほんのりと体の内側で灯が燈っているようにさえ感じられて、そのことが、コートのボタンを留める必要をなくしていた。
 それでも、時折吹いてくる風は容赦なく冷たい。そんなことを言うならもっと冷やしてやるぞ、とでも言うような北風に、あえて逆らって歩き続ける。こういうとき、つくづく負けず嫌いな性格だと自分でも思う。

「私は地下鉄ですので、こちらです」
 交差点のところで立ち止まり、風は言った。
「海さんは?」
 彼女の体は右を向いていた。私は逆方向だった。
「私はJRで帰るわ」
「では、ここでお別れですわね」
「ええ」と私は言った。「来週にでも、よかったらランチしましょ」
「はい、ぜひ」
 風は私に背を向け、交差点を渡った。渡りきるまで見送って、私は前を向いた。
「海さん」
 刹那、こちらに背を向けて歩いていたはずの風に呼ばれた。驚いて振り返る。横断歩道の向こう側に立っている風は、どこか思い詰めたような顔をしていた。彼女の周辺にいる人たちが風のことを怪訝そうに見ているが、風自身はまったく気にしていないようだった。
 信号が点滅する。そして赤になった。
「なんでもありませんわ」
 すると風は吹っ切るように言い、ほほ笑んだ。信号が彼女の心を変えたのだろうか。
「ランチ、楽しみにしています」
 風は今度こそくるりと踵を返し、歩き出した。地下鉄のホームへと続く階段にその姿が消えるまで見ていたが、風はもう一度も振り返らなかった。

 しばらくそこから動き出すことができなかった。そのあいだに、信号は何度か色を変えた。何度目かの赤で、私は何気なく空を見上げた。まだ夕方の5時前だというのに、日はすっかり暮れている。けれどさほど暗いとは感じなかった。おそらく、周囲を彩るイルミネーションのせいだろう。多種多様の明かりが道を照らしている。人々の笑顔が眩しい。この時期は、街を包む空気が一年のうちでもっとも甘くなる。
「ありがとうございました」
 不意に背後から声が聞こえた。反射的に振り返ると、ジュエリーショップの入り口から一組のカップルが出てきたところだった。優しそうな笑顔を浮かべた店員が扉を押さえている。店員は、カップルが人混みに紛れていくまで笑顔を絶やさず見送っていた。店内には控えめなクリスマスソングがかかっているようで、扉から漏れ出た生ぬるい風とともに、私のところへやってきた。
「もうそんな季節なのね」
 呟き、店員が店の中へと足早に戻っていくのを見送る。扉が閉まると、私は人の流れを横断してその店のショーウインドウの前へと向かった。

 真紅のベルベット絨毯が敷かれた上に、これでもかとダイヤモンドがあしらわれたプラチナの指輪や、目が飛び出るほどの値段がつけられたネックレスが飾られている。照明の関係が大いにあるとわかっても、そのジュエリーたちはとても美しかった。
 昨日支給されたボーナスは、こんなにもらっていいのかとたじろいでしまうほどの金額だった。評価された証拠だから堂々と受け取っていいと、部長のプレセアには言われたが、まだ社会人も三年目で、しがない25歳手前の小娘には、その金額は恐れおののくのにじゅうぶんなものだった。ここにあるジュエリーのひとつやふたつくらいは、難なく買えてしまう。もっとも、自分で自分に宝飾品を買いたいとはこれっぽっちも思わないけれど。

「三年目か」
 言葉とともに吐き出された息で、ウインドウが一瞬白く染まった。
 今三年目ということは、当たり前だが来年は四年目になるということだ。もうそんなに経ったのかと思うと、感慨深い。この三年、本当にいろいろなことがあった。
 入社一年目は、ただ社内の仕事を一通り把握するので精いっぱいだった。右往左往し、とにかく毎日がむしゃらだった。あのころは、毎日おやすみ三秒だった気がする。
 転機は二年目、部署に配属されたことで訪れた。あの一年で私の人生は大きく変わった。会社の命運を左右するほどの一大プロジェクトへの参加、挫折、部署存続の危機など、いろいろ経験した。そして、生まれて初めての「本気の恋」も。
 その年の、蝉が鳴く季節が終わったころから、急に時間が経つのが速くなった。あっという間に冬になったと思ったらあっという間に三年目になり、そして今、部署に配属されてから二度目の冬を迎えている。この間、何も変わっていないように思っていたが、周囲は着実に変化していた。プレセアは部長となって丸一年が過ぎ、実績が評価されて、来年の春には役員に昇格することになっている。風は一年目から付き合っていたフェリオと秋にめでたく婚約し、光は今日、ランティスと結婚した。イーグルは香港で支店長になり、カルディナは三人目を身ごもっている。
「変わってないのは、私だけね」
 私はほろ苦く笑った。その笑いで、心に空いている穴をごまかそうとした。

 ふと、目の前のショーウインドウに、私の後ろを通り過ぎていく男性の影が映った。反射的に顔を上げ、去っていく人の後姿を目で追いかける。まったく知らない人だった。ふっと肩を撫で下ろし、息をついた。
 こんなところにいるはずもないのに、似たような背格好の人が視界の隅にちょっとでも入ると、無意識のうちにこうしてあとを追ってしまう。最初のうちは仕方のないことだと思い諦めていたが、顔を見なくなってから一年半が経ってもこれだと、さすがに自分でもまずいかなと思う。
 これだから、私は変われない。わかっている。けれどわかっているだけではどうしようもなかった。ほかの人のことを好きになろうと試みたこともあったけれど、だめだった。今日の光の結婚式の二次会でだって、顔だけを見ればいいなと思うひとは何人かいたが、誰のことも好きになれそうにはなかった。
 いったいいつからだろう。毎朝30分早く起きて、世界の天気予報を見るようになったのは。

 ショーウインドウに水滴が落ちた。はっと首をもたげ、天を仰ぐ。道行く人は誰も気づいていないようだが、私の目は、落ちてくる雪をたしかに捉えた。道理で寒いはずだ。東京で雪なんて、それもクリスマス前に降るなんて、少なくとも私が物心ついてからは初めてのことだと思う。
 ウインドウをゆっくりと流れていく水滴を、目で追いかける。イギリスの冬は、日本の東北地方並みに寒いらしい。今ごろかの地でも、ひょっとしたら雪が降っているのだろうか。
「イギリスの冬は寒いですか? 部長」
 水滴が地面にすうっと吸い込まれていったのを見届けて、私は言った。
「いや。あまり変わらないな」
 独り言のつもりだったのに、応答があった。

 最初、それは空耳だと思った。あのひとなら本当にそんな風に言いそうな気がしたし、だからこそ、私の心が勝手に作り出した幻想の声だと思った。けれど――けれどそれにしては、あまりにもはっきりとしすぎていないだろうか。そんな疑問が浮かんだ刹那、体の中心でどくんと鼓動が鳴った。瞬きの仕方がわからない。頭がくらくらして、酸素が行き渡らない。私は絶句した。
 首がそのままの位置で凝り固まってしまうのではないかと思った。ぎこちない動きでその首を戻し、恐る恐るショーウインドウを見る。彼に似た背格好の人がまた映っていた。その人は首元が広く開いたコートを着て、首をすぼめて空を見上げていた。ポケットに突っ込んだ両手は、手袋をしていないのだろう、白い手首が隙間から覗いている。それは寒いでしょうよ、と私は思った。

 何も聞こえなかった。ジングルベルも、風の音さえも。
 音のない世界に迷い込んでしまったかのようだった。ゆっくりと振り返る。私の中にある時計は、このときたしかに時を刻むのをやめた。そこに立っている人のほっそりとした頤にイルミネーションの光が当たり、輪郭をぼかしていた。
「むしろ」とそのひとは言った。「東京の方が寒い気がする」
 空を見上げていたそのひとは、私と目を合わせて笑った。二人のあいだを、ひとひらの雪が舞う。吐き出した息が、その雪を掻き消した。
 もしもこれが幻ではなく、私がちゃんと生きていて、目に狂いがないのなら、目の前にいるのは間違いなく部長だった。
 向かい合って立つ私たちのそばを、何組ものカップルが通り過ぎていった。




web拍手 by FC2

コメント

コメントを投稿


管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック

TB*URL

PrevEntry |  to Blog Top  | NextEntry
What's new?
ほそぼそと、また連載再開してます。月一くらい目指せればと。

▶ 連作短編集を始めました。クレ海学生パラレルです。今後年中行事に合わせて不定期更新の予定です。詳しくはこちらからどうぞ。

▶ こちらは作品展示専用です。コメントへのお返事は別ブログにて行っております。
カテゴリー
最新記事
月別アーカイブ
全記事表示
Counter
プロフィール

篁かすみ

Author:篁かすみ
篁かすみ(たかむら・かすみ)と申します。
都内某所にひっそりと生息。
寝ても覚めてもクレ海のことを考えています。

このブログは作品展示専用です。
いただいたコメントへのお返事は別ブログにて行っております。
どうぞお気軽にコメントお寄せくださいませ^^

 

Copyright ©蒼穹楼. Powered by FC2 Blog. Template by eriraha. Photo by sozai-free 2000px.